明治以降、日本は“外形的に”西欧文明を模倣しているので、西欧と同じようなビルも建っているし、
大橋も架かっているし、飛行機も飛び、
自動車も走っているから欧米と日本の社会とはそんなに違いが無いと日本人は思っているが、
中味の精神性は相当に違っている。
既に外国で正しいと検証された《構造》を
(疑いなく正しいと思い込んで、改めて何故これで正しいと言えるのか、
言えると西欧人は考えたか、その〔正しい〕《結論》へ辿り着けたのか、そこは殆ど考えることなく)
後から《結果》を正確に再現することと、未だ何が正しいのかが誰にも分からない中、
『これで正しいのではないか?』『何故ならば…』と考えて行くことは全然違う。