>>833
>日本が熱望した、パリ講和会議で人種差別撤廃提案の実現及び

パリ講和会議で日本が発した「人種差別撤廃提案」とは、どのようなものだったか、以下の記述に注目

>外務次官幣原喜重郎は人種差別撤廃提案により排日問題解決のきっかけを作ろうとしていた。
>また、外交調査会の伊東巳代治に代表される、国際連盟で多数を占めるであろう「『アングロ・サクソン』人種」の国が
>人種的偏見により「帝国の発展」を阻害する動きに出るという危惧もあった。

>和会議において日本代表は自国の利害が絡む山東問題・南洋諸島問題以外ほとんど積極的な発言を行わず、
>「サイレント・パートナー」と揶揄された。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E7%9A%84%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83%E6%8F%90%E6%A1%88

結局は「帝国のため」「自国の利益のため」ということである


>大東亜共同宣言の理想実現戦争で、アジアアフリカ諸国まで戦後独立しました。

米国に対して戦争を開始したのが1941年(昭和16年)12月8日、大東亜共同宣言を発したのが1943年(昭和18年)11月6日

おかしいではないか
大東亜共同宣言の実現が日本の戦争目標であるならば、米国に戦争を仕掛ける前に宣言が出されているはず
遅くとも戦争を仕掛けた直後に出されているはず

なぜ、開戦から2年も経って大東亜共同宣言が出てくるのか?
答えは簡単である

『米国と戦争を継続するための資源を東南アジア諸国から奪うための大義名分』である
その大義名分の裏に、「大東亜政略指導大綱」という真の目的(資源と領土の奪取)があったのである

アジアアフリカ諸国の独立とは、>>819に書いたような『結果論』に過ぎぬのだ