>>597
引用ありがとう、続き読みたくてリンク先行ってみた

高畑監督の以下の部分を読むと、>>595 のような反応は監督の予想の範囲内に見えてしまう


清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ! と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。
制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の”全体主義”がはびこっていたんです。
清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。
”純粋の家庭”を築く、というのはおそろしく反時代的な行為ですよね。
現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。
こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。

もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします」