少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。
しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。
Hungry Youngmen(腹のへった若者たち)はAngry Youngmen(怒れる若者たち)にはなれないと知ったのである。
 そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。
詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。
私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。
 だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の痛手を癒すための薬に。
エーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。


 時には、言葉は思い出にすぎない。
だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。