(二行ほど
空ける)
 だが、言葉の実存こそ名言の条件なのである。「名言」は、言葉の年齢とは関係ない。
それは決して、年老いた言葉を大切にせよということではなく、むしろその逆である。
老いた言葉は、言葉の祝祭から遠ざかってゆくが、不逞の新しい言葉には、英雄さながらのような、現実を変革する可能性がはらまれている。
 私は、そこに賭けるために詩人になったのである。言葉はいつまでも、一つの母国である。
魂の連帯を信じないものたちにとっても、言葉によるつながりだけは、どうかして信じられないものだろうか?


 本当にいま必要なのは、名言などではない。むしろ、平凡な一行、一言である。
だが、私は古いノートをひっぱり出して、私の「名言」を掘り出し、ここに公表することにした。
まさに、ブレヒトの「英雄論」をなぞれば「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」からである。

 そして、今こそ
 そんな時代なのである。