ただ、トレンドがどうであっても、普遍のものはあります。
軸が乱れずコマのように美しく回る回転、バランスを崩すことなく完全にコントロールされて降り立つ着氷、
必要な数の回転を空中でしっかりと回り切る正当さ…時代や趣味趣向に左右されない根っこはあるのです。

それを羽生結弦は備えている。

「ノーミス」でやり切ったときに、普遍のものは必ず浮き上がる。

「ノーミスしたい」の言葉を聞いて、
その普遍のものがどう評価されるのかを確認しにきたのかなと僕は感じました。
変わらないもの、自分が備えたものが普遍的なものであることを改めて確かめようとしたのかなと思いました。
ミスによって削られなかったとき、羽生氏の備えた普遍のものはどう評価されるのか。
正しく評価せざるを得ないはずのものが、その通りに認められるのか。
ジャンプに限らず、ひとつひとつにおいて、それをやりきる。それはきっと、今の「ざわつき」を鎮め、「不可解」を払拭することになるだろうと。