>>126
これまで見てきたhaskellを推す人の論調って、下手な営業のセールストークみたいに勢いと雰囲気だけで自分の論を押してくるだけで、相手の疑問を解消して良さを理解してもらおうと言う視点が欠けてる人ばかりだったから、未だに理解しがたいなと思う。
良いとこ採りというけれど、具体的にどこがいいのだろうか。都合のいいところだけを見て良いとこ採りできてると思い込み、その裏では多くのデメリットもあるんでないの?そして一般の人にとってはそちらこそ無視できない重要な差異なのではないだろうか。思うぞ。
普通の言語として普通に使えばというが、その普通が困難なことだと言うことに気づいてみなやめてしまうのではないの?けして飽きっぽいからやめてしまうと言う訳ではないと思う。
確かにhaskellで書きやすいパターンの利用例はあるだろうが、別のケースでは他の言語で簡単に書けるのに何でhaskellではこんな面倒なことしなければならないのと言う場面も頻繁にあるのではないの?
ダラダラかいてきたけど、言いたいことは、安易に良いとこ採りだなんて言えるような代物ではないのではないか、ということ。