大切な言葉は「ありがとう」
監督室?にも毛書体の額が飾られてるほど
部員は指導を受ける度、「あざっす!」と答える。

中井も広陵の野球部出身。
1978年入学。
当時の部はいじめやしごきが蔓延。
試合にも弱かった。
中井ら同期部員13人は自分たちで改革しようと決断。
意地でも甲子園に行くことも決めた
3年になると無意味な上下関係を一掃。

中井の父・千之(ちゆき)は中井にこう聞いた・
「野球で一番つらいことは何か?」
中井は「300本ノック?」
父「違う!レギュラーになれなかった部員が
控えになってレギュラー部員の手伝いをすることだ!」
「これはつらくてみじめだ。だから控えの部員こそ
大事にしろ!」
1980年。中井3年の時、広陵は甲子園出場を果たす。

当時の中井と同期部員だった岡秀一さん。
現在は地元で惣菜店経営。当時をこう語る。
彼は控え部員だったが、レギュラーの中井らが
岡に甲子園出場のメダルをかけて写真を撮った。
「レギュラーだけの功績じゃないで」と言われた。

中井は大卒後の1986年、広陵の社会科教師になった。
1990年、27で野球部監督に。
1年後、甲子園春大会出場。