17日は上元門を右折した別の河川敷。
1万人が有刺鉄線で囲まれた広場に座らされた。
外側にはいくつもの機関銃発射台が高台にカモフラージュされて設置。
揚子江川の両端の松明が燈ったら乱射開始。
とどめの銃剣部隊が残りの生き残りや死体を刺殺。
この時、生き残りの捕虜に剣を奪われ殺された日本兵もいたそう。

番組は南京に飛び、当時の現場の特定をした。
16日の現場は現在は造船所になっていた。
陸からも川から船でも近づけない。
17日の現場はフェリー乗り場に。
当時の面影は一切残っていなかった。

小野のビデオインタビュー映像。当時の兵士だった老人の証言。
「当時の日本軍はキチガイだった。天皇の軍隊ということで
虐殺することに何も感じていなかった。
何万人と殺しているのは間違いない」

ここから番組は虐殺否定の一つ一つを論破していく

「捕虜の中には中国人の民間人を装った便衣兵がいる。」
捕虜になった時に武器は取り上げられ焼却されている。
虐殺された中に攻撃してこれる兵士はいない。

「両日の捕虜集結は捕虜を船に載せて解放させるため。
ところが対岸から中国船が攻撃してきた。
捕虜が戻ってきて暴動化したため
やむなく鎮圧のため機関銃を乱射した」
というたわごとが最近出版の南京虐殺否定本に書かれている。
これらの主張の根拠は何か?

するとそれらの根拠は1970年〜80年代の書籍の引用だった。