■飲み会をオンラインですることに噴飯した

 とある、回らない寿司屋ではカウンター席の間に透明の仕切りが出来た、というニュースを朝日新聞が伝えていた。客同士の飛沫感染を防ぐため、という理由だが、板前やバイトが咳をしたら終わりで、科学的根拠はない。寿司屋に入る前に客が満員電車に乗っていてもすべてが終わりである。

 だが満員電車は全く規制されていない。ただのポージングというか、自己満足に陥っている。本当に感染を徹底して防ぎたいのであれば、核シェルターかパニックルーム(非常時避難室)に籠るのが第一選択だ。
しかし「唯一の被爆国」を標榜しておきながら、日本の標準的住宅の核シェルター配備率は世界的にみて飛びぬけて低く、またパニックルームの備えも基本的には無い。そういう危機の発想自体が日本の住宅構造の中にない。日本の住宅の危機意識は耐震一本槍である。だがこう言った根本的な事柄への議論は無い。なぜヒトはこんなにも愚かなのだろうか。

 テレワークというのがまたぞろ推奨されている。私のような物書きは、10年前からテレワーク(電話で受注、メールで納品)をやっているから「何をいまさら」と思うが、これが濃厚接触を避けられて良いという。だが私からすれば、それで仕事ができるのなら、なぜコロナ禍の前からテレワークを実行しなかったのかと感ずる。
要するに日本の職場の「通勤信仰」が強固なのである。果たしてこれまで通勤専従だった労働者が急にテレワークなる試みをして成功するかについては甚だ疑問である。

 噴飯ものなのは企業内の飲み会をテレワークでやるというもの。最初聞いた際、何のことだか分からなかった。曰くチャットで参加者を全員繋いで宅飲みを相互中継するというものだ。何の意味があるのかよくわからない。そこまでするんだったら飲み会など辞めればよいのではないか、という意見が出ないところに翼賛的思想の残滓を感じる。
要するに、テレワークなどと横文字を吹聴しておきながら発想自体は国家総動員体制のままなのである。滑稽だ。