統合失調症 認知機能障害のスレ Part2
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>>437 ジスキネジア、アカシジア、ジストニア、パーキンソン あまり区別がつかないです 舌とか肘関節とか眼球が変に凝ったり動きが変だったりするのは 何でしょうね・・・ 昔より凝る感じと不随意運動は悪くなってますね >>438 「5chもできず、入院しているとかでない限りまだマシなほう」なのか。 10年もすれば、日常生活くらいはふつうに送れるものだと思っていた。 統合失調症は加齢が有利に働く。だから老化でさらに状態が悪く なるとは考えていないんだよね。 >>441 >>統合失調症は加齢が有利に働く この意味がわからないと言うか、 知識もないしなんでそうなんでしょうか あの映画は先生とか患者本人じゃないけど 病気と関わりのある人向けなのかと思った そうでもない? >>441 「晩期寛解」で検索すると 「統合失調症のもともとの自然経過として年齢を重ねるとよくなるということがあります。 これは晩期寛解(人生後半に回復すること)と呼ばれています」とある。 >>445 でも晩期悪化例、晩期再燃例もあるらしい。 >>445-446 ライフイベント次第な気もします 自分はこれから悪いライフイベントばかりだと思うので 晩期にはもっと頭がおかしくなってしまうような気がしています それが控えているから毎日暗い感じなのかもしれません・・・ 家族に「おまえは異常だ異常だ」と言われ続けても もう何がおかしくて何をどう変えろとかわからないし、 良いとされていることは多少は分かるが気力体力が追いつかない 辛い。大声で怒鳴り続けられて自殺したくなる アドバイス?説教?わからないけど、 こうしなよ、ああしなよ、と言われるのですが、 その数の多さと、それをやる難しさがもう山積みのように感じられて、 とても普通に生きていけないと感じてしまいます。 もう生き方とか幸せの感じ方とかの認知も狂っている気がする 幼少から、親の指示をほぼ嫌々こなす、その合間に気分転換をする、 みたいな指示待ち人間の癖も、大きく人生にマイナスだったなと 気づいてきてはいるが治せない 生き方の根本というか癖が違うから認知が歪むし、 他人とうまく会話にならないのか・・・ >>452 文章よく書けてるよ 認知機能障害はないのでは? >>453 いや、酷いと思う あと何をしても失敗のような気がしてならない性格だったが、 最近もっとひどくなり、しょんぼり 頭の回転、物忘れとか、ものや文章をまとめるのは、かなり酷い状態 認知機能障害になる前はテレビの世界に逃げててそれで保ってた 今はそれすらも出来なくなって生き地獄みたいな感じ そんな私でも出来るストレス解消法が買い物 どんどん地獄に転がって行ってる感じ 発症する前まではそれなりに幸せな人生だった >>455 自分も発症する前はそれなりに幸せな人生 だった。でもどこかで少しずつストレスを感じて いたんだと思う。 発症した時、医師に「寝ていなかったでしょう?」と言われた。 図星だった。 なんか風邪のようにだんだんよくなっていくのが わかるという感じではないんだ。陰性症状(身体の だるさ)がずっと居座っている感じ。 よくなってきているなというのが一向に感じられない。 急性期と急性期じゃないときに分ければ そりゃ急性期は超絶恐怖で苦しいけど 急性期じゃないとき(陰性?)は 少しづつ脳の機能が衰えてる感じで上向くことは感じられない また、少しづつとはいえど、健常人よりはかなり速く衰えてる感じ 家族と怒鳴らず落ち着いて話すときもあるけど 洗脳してくるのに抵抗している感触ははひどく感じる だから家族からは、私の状況には興味がなく、 自分の思いどおりにしたいんだろうなって感じる 陰性症状と鬱病はどう違うの? 風呂は入れなくて店が遠く出かけられず一人で寂しい 一人が寂しいなんて感じたこと無いな一人が楽人と一緒にいる方がストレス 風呂は無理だし、なんか死にそう シャワーは頑張って3日に1度は浴びる やっぱくせーからな・・・ 陰性主体、陽性残遺、怠けもあるか 生活が崩れていく・・・ ゴミの中に住んでるって笑われた 統失+糖尿病なんだが、管理が悪いと頭悪くなる気がする インスリンがうまく効いた時、明らかに頭が冴える 太るんだけどな・・・ >>459 糖質の陰性は陽性ありきってか陽性の次に陰性になる人が多いと思う 鬱は陰性の症状のみ 私のように、昔見たテレビドラマを レンタルで見るといい。 ストーリー理解度で認知機能障害が分かります >>461 シャワーは3日に1度で十分だと思う。 俺も風呂(シャワー)になかなか入れない。 なんでだろうか。 全く安心がないし、むしろ恐怖で気分も真っ暗 家族に言わせると何で?とか軽く返される そこら辺が認知の歪みなのだろう 自分もスッと風呂入れない 風呂ってやること多いから 洗う順番とか決めないと入れないよな 髪→体→顔 ボディソープ変えた日とかは入れる コロナで生活変わったから自己管理地獄 独居だと間違っていても指摘者も居ない あとから失敗に大量に気づく しかも同じ失敗を繰り返してしまう 統失にならないためのターニングポイントは人生でいくつかあった。 そこを無視して統失に突っ切ってしまった。もう少し慎重に生きていれば。 悔やまれる。 少なくとも病気に無知でなければ、こんなに重くならないで済んだはず。 >>472 今思うとポイントはあったと思うけど、 それまでの育ちとかが悪かったから 結局それを選択してしまったのだと思う 無知でなければ、というのは育ちが良ければ、に近い感じだよ、俺は 親のせいにするわけじゃないけど、親の影響は大きい >>474-475 そうだろうね ただ絶対に育ち(親)は無関係じゃないし、 まだそれほど遠くに居るわけじゃないから とらわれないのは難しい 自分は完全に親のせいだと思ってる こうなってしまった分に何もどうしようもないから 攻めるわけじゃないけど金は出せって思う 働けなくなったのアンタのせいだからなって思う 嫌だったこと統合の症状でフラッシュバックする 父が倒れて身障者だったんだけど母は暴言ばかり浴びせて 父が亡くなったら即違う他人の男性家に連れ込むようになって 暴言の矛先は私に向かって 私が高熱出した時に うるさいので帰ってもらえませんかって頼んでも無視されてどんちゃん騒ぎ大笑いされた所らへんから 頭おかしくなって病気発症したからな こっちがどんだけ体調?具合悪くても めちゃうるさくされて 鏡やガラス叩き割ったりして帰れと叫び散らすところまで行かないと、帰らなかったからな、母の恋人の人 風呂から出た時に脱衣所入ってこようとされるってことが非常に多かった その後こっちは入院ってなっちゃったんだけど 脳神経がおかしくなっちゃってるからな マジではよ◯ねやって思うけど ◯なれても別にこっち治る訳じゃないからせめて 金出せな(にっこり)ってね >>479 他人の話でも想像できてしまう 自分も近い出来事があったからかな すごく怒りと寂しさとで苦しいよね 以前よりは衝動的にならなくなったが 生気がなくなってしまった あと、怒鳴られると、たまに怒鳴り返してしまう >>481 亡くなった父のことを思うと寂しいよ 怒鳴られたら怒鳴り返すのは当たり前だけど 自分はそれじゃ済まないなぁ >>483 父がなくなったら自分はどうなるだろうな 怒鳴られるということは嫌でも絡んでくれることだから 絡んでくれる人が居なくなるって寂しいもんだよな、多分 母親が20年前に死んだときは 自分のアイデンティティとか魂が半分になった気がした 依存してたんだなぁ 今日も一般人と異なった認知で クローズ作業に臨む ものすごく気重で苦しいなぁ 今日は睡眠不足と来てるし 仕事が終わって自分の時間が生まれた時、 することは、気分転換、気晴らしであって 趣味でも勉強でも自己実現の活動でもない クズなのか魂の造りが違うのか 私も今親と暮らしてるけどいなくなったら1人だ 長い間友達もいないし本当に1人ってどんな心持ちなんだろ でもその時になったら地域支援センターとかに行くかもしれない 認知機能障害なかったら勉強して取りたかった資格あった それも出来ない 勉強出来ないということがこんなにハンディキャップとは思わなかった 前に進めないもの >>467 一度見たときに理解できたドラマ(アニメでも良い)を再度見て、 認知機能障害の状態を確認する事ができます。 私は「特命係長」というドラマを見て、認知機能が60%ぐらいだなと 認識しました。 理解ある仕事先見つけて数年調子良く暮らしてても忙しくなると悪化したりするもんな いとこは暫く調子良かったけど原付で事故って入院になったからどうなることか 入院して管理してもらえるならむしろ安心かもしれんけど 慢性的に頭が冴えなくなってきている人が ある日から急に冴えるようになってきた、 とか、話聞かないからな 環境が変われば楽にはなれるかも 逆もあるだろうが・・・ >>491 10年単位とか聞くけど・・・ 一生涯とかも聞く 理解度20%くらいしかもうないわ 新しく情報取り入れるのが難しい上になんとか頭に入れても認知症レベルで直前のエピソード記憶ごと削れてく 歌唄うのも歌詞が頭に出てくるのが遅すぎて追いつけない程に頭の回転や想起の速度が遅い 1日の予定もほとんど立てられないし何が起きるかわからなくて前頭葉機能が死んでて終わってる >>494 同じく、物わかりが悪く、勘も悪く、 無能やノロマは嫌われると萎縮しちゃってる スケジュール建てるのとか苦手だわ タスクを上げる、それを並べ変える これがなかなかできない 想像力がないからかな お医者さん達の間でも意見が別れてるらしいけど 俺は統合失調症の認知機能障害はないと思う派だな。 ヤンセンファーマだったか忘れてしまったけど、 ・陽性症状 ・陰性症状 ・認知機能障害 とパンフレットにはっきりと書いてありますよ。 >>496 できてないとおもうけど、 色んな場面で苦しい事が増えすぎて、 さすがに理由を考えてしまうようになったんだよ あともともと自閉性格だから自分を見てばかりなのかなー >>497 お医者さん達の間で意見が分かれてる わけない。統合失調症の患者の8割程度に 認知機能障害がみられるとされている。 小さい頃、親は脅して俺を行動させるタイプだった だから未来に怒られないように、とか、殴られないように、とか 想像しながら考えたり、予防線張ったり、みたいな性格 それを、張本人の親に、そんな考えじゃダメだよ!とか言われるという・・・ >>501 ベイトソンのダブルバインド(二重拘束)説 そのまんまだなあ。 うちの親もそういうようなところがあった。 >>500 俺の主治医は優しい先生で丁寧に質問に答えてくれるけど 認知機能の低下を病気による障害だと定義し断言することは非常に難しいことだって 俺もその考えに賛同してる >>502 うちは教師が多い家系で、祖母も教師だったが ダブルバインドを、意識して使ってるフシが在るから恐ろしい 1. こういうことをすると、こんな良いことがあるかも! 2. こういうふうにしないと、こんな酷く辛いことがまってるぞ! 2.ばっかりで育てられたから、悪い未来の想像力を働かせる癖がついた また、進路相談のときはまるで見当がつかず、学校とかと真剣に揉めた いつも進路を決めるのはギリギリだし、機嫌を伺って言い出せないときもあった >>504 携帯からで毎度id変わっちゃってごめん 発症後に認知機能が低下することはあると思ってるけど それは障害と呼べるものではないと思ってる 障害のスレ じゃなくて 症状のスレ に変えれば・・・ 症状はあるし、 生来の頭の悪さ、偏りが、俺にはあるよ ID真っ赤にして1人でいっぱいレスしてるガイジ見ると寒気がする いやそういう人がいてもいいと思うけど 沢山いるとスレがすぐうまっちゃうけどね 今日母親に、自分はうんこ製造機だからと言ったら みんなそうだよ、みんなうんこするから って言われた 毎日怯えて暮らして 生きている意味ないなって 何となく思うようになってる 精神医療には科学的な検査方法がある、精神医学は他の医学領域と同じく科学的に進歩している、 と考える方もいらっしゃるかもしれません。 しかし、精神医学、精神医療の実態は、仮病や言いがかりを正当化する、診断ありきの詐欺であり、 歴史上、その診断に客観的な検査方法のあったことはなく、現在も存在しません。 精神医学、精神医療で進歩しているのは、科学的発見や医療技術の発展に便乗し、 詐欺であることをいかにごまかし、いかに法制度を作り、いかにカネの流れを作るかという政治的技術、 いわば、詐欺の技術になります。 出典:日本語では知らされない精神医学の嘘 精神科診断には、他の医療分野と決定的に異なり、客観的な検査方法がない、つまり、 診断の正しさを証明する生物学的、化学的な検査方法も、診断の誤りを証明する生物学的、 化学的な検査方法もない。 よって、“症状”の演技や、“症状”の報告(作文)があれば、“診断”は精神科医の主観、 都合や立場、もしくは、精神科医に影響力のある人物や団体のさじ加減で、どうにでもできる。 精神医学の言う“心の病”のメカニズム、“脳内化学物質のバランスの崩れ”(ケミカル・インバランス)理論は、 半世紀にわたる実証で完全否定されており、精神障害が仮病もしくはいいがかりでしかないことは明らかだが、 精神医学では、いまだ“脳の障害”を扱っていることになっている。 グローバル製薬企業各社は、1990年代前半から、うつ病用のSSRIをメインに日本市場開拓を考え、 ロビー活動等の後、2000年から、テレビ、新聞、雑誌等のメディア、公共広告を装ったメッセージ、 製薬企業がバックにいるとはわからないように作られた「うつ病診断サイト」などを使い、 「うつ病キャンペーン」、「精神医療に対する意識改革キャンペーン」を大々的に行っている。 出典:日本語では知らされない精神医学の嘘 怯えると言うか、ポンコツ装備で傷だらけになって死んでいくのを恐れる 何科に行くか決めた? 研修医・6年生集合 その94 https://mao.5ch.net/test/read.cgi/doctor/1532100015/ 129 名前:名無しさん@おだいじに[sage] 投稿日:2018/08/08(水) 21:38:18.38 ID:??? 精神科医は同業者からはともかく、患者本人および家族の視点からだとヤブ医者の判断がつきずらい。 患者本人はパーだし家族も精神病の身内への関わりがうすい。 だから医者間ではあの精神科医はクズだってわかっても患者や家族からは滅多に糾弾されない。 つまり、やりたい放題。 逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書) 以下は「医療化」の良い点と悪い点。 逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。 逸脱をより人道主義的にとらえること 逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること 医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること 逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること 医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ しかし,医療化には「暗い側面」もある。 個人の逸脱に対する責任を全く無視してしまうこと 医学が道徳的に中立的であると想定してしまうこと 専門家支配によって起こる様々な問題 社会統制のために使われる強力な医療技術 社会に存在する複雑な問題を個人化してしまうこと 逸脱行動を脱政治化させてしまうこと 悪を排除してしまうこと。 そして、「犯罪有責モデル」「医療無責モデル」のオルタナティブとして「犠牲者」モデルを上げる。 逸脱の医療化は,事実上の、社会政策として認識されるべきである。 逸脱の医療化の程度,ポリティクス,便益,費用などについての調査が,もっとなされなければならない。 医療による社会統制に対する一定の「対抗勢力」が創出されねばならない。 「犠牲者」モデルという形で,行為に対する責任ほ問うが,責めることは、しないという新しい逸脱モデルが必要である。犯罪か病気かという二分法モデルから脱却する必要がある。 http://archive.is/8JbMn 獣医がある牛の状態を診て病気と診断する場合、彼はその診断のみでその牛の行動を変えはしない。 つまり、牛にとっての病気は体験している生体生理学的状態であるにすぎず、それ以上の意味はないのである。 ところが医者がある人間の状態を病気と診断すればその診断によって医者はその人の行動を変えてしまう。 いうならば病気の意味を疾患に付け加えることにより、ある社会的な状態が生体生理学的な状態に付加されるのである。 次のような場合の帰結の差異について考察してみよう。 労働の無能力が怠状によるとされる場合、または単核症のためとされる場合、またはてんかんのためだとされる場合、 あるいは飲酒癖が道徳的な弱さのためとされる場合、またはアルコール症のためとされる場合である。 つまり医学的診断は人の行動、その人が自分自身に対してとる態度、他人がその人に対してとる態度に影響を及ぼすのである。 要約すれば、病気とはそもそもある状態に関する人間の判断に基づいた社会的構成物である。 病気はある意味では美意識と同じく見る人次第である。 これは部分的には疾患とは何かということに関して流布している文化的な概念に基づいており、 そうでない時、この方が西欧社会では殆どなのだが、生体生理学的な現象に基礎を置いている。 だが、いずれにせよ病気というこの社会的評価を下すという過程が病気や疾患の概念にとっては枝葉末節なことでなくむしろ中心的なことなのである。 論理的には(体系化された分類である)診断と治療が共に社会的判断を土台としている以上、両者は不可分なのである。 「疾患」の原因である微生物を確認することが重要な結果をもたらすのとちょうど同じ様に病気を社会的判断として認識することが重要なのである。 いうまでもないが、逸脱行動をめぐる病気の社会的構成は、明らかに生体生理学的な問題に比べてより多義的で解釈次第となりがちである。 この点から見れば病気と定義された状態は、社会的な価値体系とある社会の一般的世界観とを反映していることが理解できるのである。 批判的精神医学 : 反精神医学その後 D.イングレビィ編 177p. ■シンポジウム「『精神分裂病』(現統合失調症)とは何か」 クーパーとサズの来日講演 /東京で第72回日本精神神経学会総会 1975/05/12・13・14 まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べ た後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病と は何か?)」と題してそれぞれ講演している。 サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病(現統合失調症)なる ものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。 精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだ されたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神 分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比 し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者の どちらかが拒否すれば成立しないはずである。しかし、「伝統的な医学においては、医師は患者の代理行為者であるが、伝統的な精神医学においては医師は社会の代理 行為者」であるという現実上、医師によって患者が精神分裂病の診断名を冠されてしまうことにより、患者はどのように危険なのかも明確でないまま危険視され患者の 意思に反しても施設に監禁することが精神医学にも必要で法的にも正当化されていること、また患者はその診断や診断過程、診断によって正当化された治療を拒否する ことができず、そのような同意を得ないままの診断や治療が行われていることは暴行に等しいという(精神神経学会 1976:308 )。 『精神病が古来より政治的あるいは社会によって社会的弱者や少数民族を差別するために利用されてきたことは 歴史的に明らかであり、中世末期からルネサンスにかけてのヨーロッパや近世のアメリカニューイングランド地方に おいて「悪魔懸(つ)き」や「魔女狩り」という形で人々が弾圧されたり、 ドイツ、バイエルン国王であったルートヴィヒ2世が狂人と宣告されたため王位を剥奪されたといった事、 さらにはフランス革命で活躍したテロワーニュ・ド・メリクールが晩年、発狂したとして精神病院に入院させられ 晩年を終えたといった事が有名な事例である。 こうした中で統合失調症が数ある精神病の中で最も政治性、意図性が高い病気と言えよう。 以下においては、統合失調症の政治性、意図性に焦点を絞りって解説したい。 統合失調症の典型的症状とされる、「妄想」の具体例として「誰かに追いかけられている」、「誰かに見られている」、 「誰かが悪口を言っている」などの症状があげられる。一般市民も「誰かに追いかけられている」、 「誰かに見られている」、「誰かが悪口を言っている」「幻聴が聞こえる」などと考える人は 統合失調症の患者であると考える傾向が強いが、それがどのような科学的根拠に基づいているか明確ではない。 19世紀後半のヨーロッパでは当時、近代国家が成立し、中央集権国家やそれに基づく官僚制が整備され、 自由権が保障されたゆえに大規模な犯罪行為が可能になった市民に対する監視体制が確立していった時期であった。 時同じくして確立された大衆民主主義は大衆に選挙権を与えるが故に、大衆迎合を生み出し、 例えばヒトラーやムッソリーニ、スターリンの台頭のような軍国主義的な政治家や独裁者の台頭によって 民主主義の終焉をもたらす可能性があるため、資本主義と民主主義を守るための必要悪として危険思想や 危険な行動を取る資質を持つ人物を統合失調症により隔離・無害化する事が19世紀以降、歴史的に行われてきた。』 社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。 社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。 社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、 排除されるのではなく、社会の内に、しかしその周辺に集められ、包み込まれて無害なものとされるのです。社会はその外部をみずからの内にとりこんだのです。 刑法は犯罪者をその違法行為においてとらえますが、監獄の技術は囚人をその生活態度においてとらえます。 前者では違法性が問題とされますが、後者ではその非行生が問題とされます。刑法の建前では、監獄は犯罪者を更正させることになっています。 しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。 それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、 社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。 [それはちょうど、精神病院のありかたに似ています。精神病院はたてまえとしては精神病患者の治療をするためにあります。 しかし患者を閉じ込めることでかえって患者の社会への不適合を生み出してしまいます。 実際には精神病院は、社会不安を引き起こす者たちの閉じ込めと管理をしているというべきでしょう]。 http://archive.is/GEFMi シゾだけでなくうつ病などの患者でも病気になる前と性格が変わったという話をよく聞くが それは精神科医が他言無用の医療ツールで医師自身の意志で治療した結果なのである 病気になる前と、知能、意識の鮮明度、思考スピード、記憶力、ワーキングメモリ、感情、コミュニケーション能力、物事から感じる印象や雰囲気 人間関係なら自分も相手ももともとそんな性格だったか人間への印象を変えることもできる 現代医療の社会学-日本の現状と課題にも記してあるとおり精神科医は患者の全存在を診ている 断薬しても機密医療技術のパルスで脳を作り変えられていたら戻らないだろう 主治医を変えずに断薬や薬の調整を考えていては精神科医の掌の上である 絶望する必要はない主治医を変えれば何もかも変わる人生が変わる 精神科は日本の法律の外にあって社会にとってどんな危険な逸脱者や政治犯でも潰して懲らしめる事ができるようになっている 治外法権なので精神科医はやりたい放題だ だからこそ重症患者にこそ相性のいい(まともな精神医療を行っている)主治医を探してほしい 性格や知能やコミュニケーション能力等々前述した事も精神科医に治す気があればいつでも元に戻せるからだ 精神科医が患者の病気を機密医療技術で自由自在にコントロールしているので 当然重い患者が多い病院へ通院していたら自分が重い患者にされる危険性が高いし 軽そうな患者ばかりの病院へ通院していたら自分も軽い患者にされる可能性が高い メンクリでもここは緊張している患者が多いなとかここは錐体外路症状が出ていてキワモノみたいな患者が多いなとか ここは健常者のような普通の人しかいないなとか外来を見るだけでもそこの精神科医がどういう精神医療を行っているか分かるのである 先進国では異常犯罪者を周りに分かるように懲らしめると批判を浴びるから 単科精神科病院で表に出して懲らしめたくても懲らしめられない異常犯罪者を周囲に分からないように懲らしめるようにできている 精神科の看護師なんて視界に投影する医療技術で医師の指示通りに振る舞うだけだから 主治医と相性良ければ看護師全員が優しいのである 医師の指示は絶対でコメディカルは勝手な事はできないここが精神医療の特殊なところだ 単科精神科病院は異常犯罪者に懲罰を与えるところだから総合病院の精神科に行け 単科精神科病院はご存知の通り警察に連れてこられるような人も多い だから裏の精神医療の仕組みが治すように基本的にできていない 表に出して懲らしめたくても懲らしめられない犯罪者を精神病にして悩ませて苦しめる所なんだよ 総合病院精神医学リエゾン精神医学心身医学の方がまだまともと言える 主治医が裏テクノロジーで病気を作っているから精神科は特に主治医との相性がめちゃくちゃ重要なんだよ 患者の意識精神状態から何で悩ませるかも 精神科医は事細かに選択できる脳を自由自在に調整できるのである つまりプシコが変な言動を取ったらそれは精神科医がそうさせているのである プシコが変な患者であればあるほどその主治医が変な人だということになる 身体を対象にした制御 実は、これには、近代、特に18世紀の啓蒙の時代になって以降の医学の進歩が深く関係している。 バーバラ・スタフォードが「啓蒙された批評家の仕事は今や数学者のそれと似ていた。 この木立ちに剪定の鋏を入れて、永遠の原理に従って構想された秩序立ち、客観的で機械的な自然にと刈り込むのである。 身体が概念へ、蓋然が公式に変わるこの複雑な変化が完成するには丸一世紀を要した」と『ボディ・クリティシズム』などで論じているとおり、 18世紀を通じて身体はイメージを介して制御の対象となる(数値を用いてより科学的に制御が行われるようになるには、もうすこし待たなくてはならない)。 スタフォードが身体のイメージとその制御の例としてあげるのが、当時有名だった観相学者のラファーターが人の人相をコード化していく例だ。 身体は、要約され、コード化され、図式化されることで監視・制御の対象となっていく。医学の技術が政治的にも利用可能になる。 これが時代が降って19世期に入ると、ジョナサン・クレーリーが『観察者の系譜』で論じているように、生理学という人体制御に使える分野も成立しはじめる。 医学がその計測能力を高めたことがアガンベンのいう生政治が可能な基盤を作ったのだといえる。 医学の分野における、こうした発展とともに、政治が身体を通じて剥き出しの生を管理・制御の対象とすることが可能になったのである。 収容所の出現を許すかどうか? そのことは、アガンベンは本書でも指摘している。 実のところ、国民社会主義帝国は、医学と政治が、一つに統合されるという、近代の生政治の本質的特徴がその完成した形を引き受けはじめる瞬間をしるしづけている。 このことが含意するのは、剥き出しの生に関する主権的決定が厳密に政治的な動機や領域から離れ、 さらに両義的な領域へと移動していく、ということである。この領域では、医師と主権者が入れ替わっているように思われる。 ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生/ジョルジョ・アガンベン https://archive.is/MVZbo 俺がある病院で性格を最初と真逆に当てつけられまくって原型をとどめない認知にされてどう頑張ってもそうなってしまっていたのに 精神科医を変えると訳分からん所まで病気になる前のもともとの性格や知能やコミュ力に戻ったのは 精神科医に完全な脳のコピーのデータがあってそこに精神科医が視界に投影する医療技術でフタを並べていくので 元々の脳はどうだったか他の精神科医がどう治療したかも精神科医は完璧に把握しているのだろう 戻そうと思えばいつでももともとの脳に完全に戻せるのだ 嫌がらせをしないと気がすまない人の尾を踏んでしまった感 米海軍兵器センターの発言です。「我々は、細胞、組織、生体全体の行動を変化させることができる」。つまり、体のどこでも、です。 「胎児死亡率を6倍上げ、先天性異常を引き起こし、人体の細胞に悪性腫瘍を引き起こすことができる」。 2001年から2007年にかけて、秘密のコースが行われていました。このコースの第11番目の開始時には、こうありました。 「学生たちは、現在の知識を学ぶ。ガンのメモリー、脳の機能障害、目や肌へのダメージ、電磁波・周波数による先天性障害」。 ◆実験は特定のプロジェクトの一環だった どんな精神疾患だろうと、電磁波を使って引き起こすことができる、というのが彼らの自慢でした(それが可能なのは知っています)。 精神分裂病、パラノイアを誘発する事もできるし、目を見えなくさせたりすることもできます。 心臓発作、肝臓の機能障害、心臓の機能障害も引き起こせる。その内臓をターゲットにするだけで、人体になんでも引き起こすことが可能なのです。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200& ;c=400&t=6&k=2&m=295046 ↑このテクノロジーを医師が使用していると考えて間違いないだろう 国家機密レベルの話なので絶対に言わないが 「残基的ルール違反者が公けにレッテルを貼られる時に生じる危機のなかでは逸脱者は被暗示性が高くなり、 申しだされた狂気の役割を唯一の代替策として受け入れるかもしれない ……残基的ルール違反者が精神障害の枠組みのなかで自分の行動を組織化し、 彼の組織化が他の人びと、特に医師たちのような威信のある他者たちによって妥当化される時、彼は「ひっかけられ」て慢性的な逸脱の経歴をたどって行くであろう」(pp.88-89) https://archive.is/vItZC 医療従事者専用の身に付ける機器を必要としない視界に直接投影する装置は 患者の話したことを分析して投影する患者の気分をお天気マークで表示したり 本当かウソかも表示する得意げにしているとニヤリと表示したりかなり精巧に表示するのである だが看護師が見るものは医師が編集したものばかりなので本当でもウソと表示させたり 事実と異なっている場合も多い 大学教授の福島哲夫のブログが参考になる 精神科や心療内科に限っては大病院の方がいいとは言えないむしろ逆だ この領域では国公立や大学病院は必ずしもおすすめできないのが残念ながら率直な感想ですと記している 精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが治る見込みが大きい なぜなら精神科病院から最も遠いところにあるのが総合病院の精神科だからだと精神科医の斉尾武郎の本に記してある 精神科医のkyupinのブログにも単科精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが少しだけ治る期待が大きいと記してある 総合病院の精神科を10年以上経験している精神科医がもっとも当たりの先生である確率が高いと 和田秀樹の精神科医は信用できるかという本に記してある 「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、 この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、 この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、 彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、 こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、 家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、 そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、 患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。 R.D.レイン『経験の政治学』(128p.) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる