昔の仏教教団がなぜ何も持たず生活していたか、私達の視点から表現したいと
思います。彼らは人からも施しがなければ、生きていけません。それ以外に命を
育むことができないように暮らしていました。そして彼らは悟りの為に苦難と
探究を繰り返しています。どちらも無意識領域にとって尊い行動です。
そして、そんな彼らに施しをすることは、おおきな楽が得られることにお気づきで
しょうか。そうです。施さなければ、命がない。そんな彼らに施すことは、
本当に功徳「楽」があるわけですね。現代のお坊さん達もあのレベルまで自分を
追い込んでいれば楽を与えられます。特に食の施しがおおきな楽を与えてくれます。
食べなければ死にますから。どうでしょう。少し理解が深まりましたか?