戦争は、なお熾烈を極めていた。日本海では、日本軍と朝鮮軍の艦隊が、戦い合っていた。
すでに双方の戦死者は、四千人に達していた。それでも、日本の国分寺も、朝鮮の首席・キム=ソンメイも、戦いを止めようとはしなかった。
 そんな、十二月、東京に雪の降る夜だった。テレビ局の仕事中、亮に知らせが届いた。
 「本田首相死去」
 日本は、大きな柱を失った。亮は、
 (俳優では、戦えない・・・)
 そう、天国か地獄かは知らないが、本田に言葉を掛けた。本田首相病死の報は、全世界を駆け巡った。

 三日後、本田壮一の国葬が、盛大に執り行われた。国民は、こぞって参列し、テレビ局は、全局がこれを中継した。
 葬儀で、国分寺は、マイクで、本田に話しかけた。
 「総理、あなたのした事は、後世、永久に我々日本人の記憶に残るものであります。私は、あなたの意志を引き継いで参ります。
あなたによって勝ち取られた、日本の強さ、国民の教養の高さ、そして、なによりも国民の団結心に訴えます。
あなたの志を引き継がせて下さい。私に力をお与え下さい。私があなたの意志に背くような事をしたならば、どうか、遠慮なく、叱責して下さい」
 みなは、どのような気持ちで、この挨拶を聞いただろう。亮は、ただ、腹立たしかった。
 葬儀のとき、ふと、閃いた。
 (そうだ。政治の事なら、政治家に聞けばいい)
 本田が、話しかけたのか、亮は、そんな事を思い付いた。