親衛隊について語るスレ第5SS装甲師団ヴィーキング
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>>160
ドラゴンボールにもケチ付けたらしいからな >>153
あれは元々、ローマ帝国時代の忠誠宣誓のやり方が起源だからね>>右手をまっすぐ伸ばす
>>158
元々は戦犯追跡が目的だったが、そっちがあらかた片付いてしまったので今や組織の存続自体が自己目的化して
あら探しに熱中するようになった
遅ればせながら光人社NF文庫の武装親衛隊を購入。
んで、前スレで言われたp258右下の疑惑の写真だが、元ネタらしきものを発見。
ttp://www.flickr.com/photos/pictures21/3747394527/
コメント欄を見るに、どうやら玩具で確定のようだ。
あと、この本、日本語としておかしな文章がかなり多いよな・・・・・・
あんまり校正に時間を取れなかったのかも知れないが、基本的にはよくまとまってる本だと思うので、
改訂版の発行を望む。 >>This photo was taken on July 22, 2009 using a Canon PowerShot S2 IS.
だからねぇ
まぁあれだ
「ジオラマ写真を実物と勘違いして載せちゃった本」という点で、初版は珍本扱いされて貴重品にw >>165
これだけじゃなく
この著者の執筆書は全てがこんな感じの文章 ttp://larsgyllenhaal.blogspot.com/2010/10/waffen-ss-viking-vampire.html
フロストバイトっていうヴァンパイア映画にヴィーキングが出てるらしい スウェーデンSSといえばいわゆる「スウェーデン小隊」だな
あれはノルトラント師団だっけか 高橋慶史さんの武装SSシリーズはどこまで出るんだろうか。
本文は全部揃っている。
お蔵入りは勿体ないね。 写真史の3巻はディルレヴァンガーとカミンスキーだっけか
解説と写真が楽しみだ 「写真史」はいったん中断。次は「ラスカン」となるかもしれないと、
BBSに書いてましたよ。 >>168
Dead Snowのナチゾンビの次はナチバンバイアかよw
両方とも見たい。 5thSS所属のスウェーデン人士官と吸血鬼ネタで自作黒歴史小説書いてたのに… しかも主人公のファーストネーム一致って…思考盗聴でもされたのかしらん >>165乙
毒にならないお笑いなのでむしろ良かったwwwww
残念というよりここまでくるとネタ
全体的には文自体は読みやすくて面白かったよ。 高橋先生が無事戦地から戻られたら、我がラスカンを上梓して頂けることを願っています >>152
>なんで少尉なんかに統治されてんの?階級低すぎだろ
戦時チェコの経済を支配してた
シュライヤー(戦後ドイツ赤軍に殺された人)だってSS少尉だよ
別に不思議じゃない このスレは
武装SSより治安行政系SSの話が好きっていう俺みたいなヤシはいないのかな?
>>171
ディルレワンガー師団って本が出来るほど写真残ってるの?
武装SSの兵士ですらそんな部隊戦争中は聞いた事も無かった
とか言ってたらしいけど テンプルトン・ペック中尉は
ブラジャーからミサイルまで ゲッベルスって一般親衛隊の階級とか持ってたの?
なんか、兵役経験が無いコンプレックスからSSに体験入隊した
みたいなことを何かで読んだけど、どの時期にどれくらいの期間いて、
階級はどうだったのかとかがわからない >>190
身体障害者だからそもそも無理だろ。
ベルリンのガウライターの肩書きあるから
SS大将と同等だとは思うけど。 ハンス・カムラーのwiki記事が
前に比べて大幅に書き換えられてるな
なんかオカルトチックになってるw なんでもかんでもすぐオカルト方面に結びつけたがる手合いは多いからなぁ >>190
SSだっけ?戦時中、国防軍で短期間勤務してなかった?
ゲッベルスがSSなんかに入るとは政治的事情からありそうにないけど。
誘われても余裕で断るでしょ。 国防軍というのも初耳
もし本当ならこれまたやはり興味深いね >ハロルド・トゥルネル
ハラルト・トゥルナーだよ
セルビアはゲリラが特に活発だったから行政官もSSから来てたようだね
それにHSSPFのマイスナーとRHSAの代表も当然いたからSSが統治してたようなもんだ
その代わりユーゴに係わったドイツ人は治安系は当然として
純粋な軍人から外務省の大使まで悉く処刑されてる
まぁ、カッシェは公使と言っても元々がSA大将で、モスクワ管区担当ライヒスコミサールになる筈が占領の遅れで暇してたところを
フォン・リッベントロップに声かけられてクロアチアに送り込まれた、ある意味なんちゃって外交官だから…… アレクサンダー・レールの処刑は有り得んわ
非SSの将軍で死刑になった人ってこの人くらいなもんだろ チトーは海外に逃げたウスタシ幹部にも
処刑部隊送って消させてたからな
ベオグラード爆撃が理由で処刑されたというのが通説らしいけど
1944年にチトー捕獲作戦レッセルスプルンクを命令したのもレールだからな。
(もちろんDead or Alive)
そっちのほうが本当の理由だったりして。
イギリスからユーゴに引き渡されたりしなければ生き残れたろうにね
>>199
カイテルとかヨードルとか……は別格として、クレタ占領部隊の将軍が確かギリシャで処刑されてたような
>>200も書いてるけどバルカン半島にかかわって当該国で裁判受けたら死亡フラグだなw クラウス・バルビーっていう超有名なSS大尉がいるけど
この人SDなの?ゲシュタポなの?
どこ見てもはっきりしないんだが リヨンに赴任した時は同地区の保安警察=SD指揮官(KdS)としてだったので、
SDだけでなくゲシュタポへの指揮権も持っていたため混同されやすいですが、
元々は>>205の言う通りSDの人ですね 占領都市って
SSの代表、RSHAの代表、ゲシュタポ、SDの代表がいて訳がわからん
結局指揮系統って
HSSPF→SIPO→KdSおよびゲシュタポ指揮官って感じ?
あとアイヒマンの組織って独立して動いていたのかな? 占領地域ということであれば……
保安警察系はRSHA→保安警察=SD司令官→保安警察=SD指揮官→刑事警察&ゲシュタポ&SDの各現地支部
治安警察系はHAOrpo→治安警察司令官→治安警察指揮官→SS=警察連隊
基本的にこの二系統に対し、HSSPF→SSPFのラインと、あと必要に応じてパルチザン討伐部隊総指揮官が口を挟みます
どこまで口を挟めるかは当人たちの権力と後ろ盾と戦況次第ですね
アイヒマンの権限については二種類あって一つはゲシュタポのユダヤ人担当課長としてのもの、
もう一つは東方占領地域での保安警察による非ユダヤ化の実行についての監察官としてのものがあります
後者がハイドリヒ直属の役職だったのでRSHA内部に関していえばアイヒマンは結構横車も通せる立場でしたが、
外部に対しては何か超越した絶対的権限を持っていたわけではない、というのが実際のところだと思います 北アフリカにSSっていたのか?
http://revisionist.jp/elam_01.htm
これによるとヴァルター・ラウフはチュニジアにいたことがあるらしい。 42年秋にヴィシー領が占領された後、ラウフSS中佐の特別行動コマンド「チュニス」がチュニジアで活動してる
元々は特別行動コマンド「エジプト」として中東方面で活動する予定だったのが戦局に伴い活動地域の変更を余儀なくされたようだ
もっとも、43年春には脱出してますから活動期間は長くても半年程度か?
ちなみにアフリカの袖章をつけたラウフの写真と言われているものが↓だそうだ
ttp://forum.axishistory.com/files/322_1035522918.jpg 中東方面か。
ってことはロンメルがエル・アラメインで勝利していたらアインザッツグルッペンがエジプトに出現することになったのかな? あと話は変わるが武装SSの師団がアフリカ軍団にいたとする。
その場合武装SSも捕虜を人道的に扱うのかな?
アフリカ戦線では双方が捕虜を人道的に扱ったと言われているが武装SSが北アフリカにいたらどうなっただろう? >>213
その腹積もりだったらしい
トブルク陥落後にロンメルがエジプト侵攻という大風呂敷を広げたために
エジプトと、将来的にはさらにスエズを越えパレスチナ(!)での活動も視野に入れて
42年の夏に特別行動コマンド「エジプト」が編制され、アテネで待機していたそうな
しかしロンメルがエル・アラメインで敗北したのでエジプト派遣は中止になった矢先、
連合軍の「トーチ」作戦がはじまったので独伊がチュニジアを占領することになり
ちょうど暇してた彼らが特別行動コマンド「チュニス」と改名され派遣、という流れ
あと武装SSが北アフリカにいた場合だが、捕虜の扱いはお互い様な部分があるから
自分たちが捕虜になった場合のことを考えれば無茶はしないだろ
赤軍みたいに最初から慈悲を当てにできない相手じゃないし、西部戦線みたいに
大戦末期でお互いに殺気立ってた時期でもないし(クノッホラインみたいな特例は
まぁ脇に置いとくとして) 長文スマソ SAって戦時中は何してたの?
後方支援とかしてたらしいけど、
それって一般SSと具体的にどう違うの? 中東にアインザッツグルッペンの狩りの対象って存在するのかな
>>218
パレスチナなら存在するだろ。
あとエジプトにも存在するかもしれない。
>>216
なるほどな・・・・
しかしSSがチュニジアにいたという話はほとんど知られていないよな。
なぜだ? アフリカ戦線にはユダヤ人部隊とかもいましたしね
>>217
最初、戦時中のSAはHJの年長隊員に対して軍事教練を担当することになっていましたが、
フォン・シーラッハの反発により国防軍が指導を行うことになった上、開戦後は武装SSも割り込んできたので
SAの影響力は結局大したものにはなりませんでした
ただ、全国組織としては存続していたので末期には国民突撃隊の指導と訓練を担当する例もあったようです
あと、古参のSA将官の一部はフォン・リッベントロップやローゼンベルクと外交・東方政策に関する反SS同盟をつくってましたw
>>198のジークフリート・カッシェSA大将などはその口です >>220
横レスになりますけど、活動期間が短かった・ヴィシーのユダヤ人狩りとも絡む問題の上、フランス本国ではなく植民地でのことなので
研究が遅れた、の二点ではないでしょうか
確かこの件は欧米でも21世紀になってからようやく知られるようになったはずです
イギリス人はロンメルという偶像を大事にしたいでしょうから背後にSSが待機してましたなんてことは目をつむりたいでしょうし、
フランス人は本国でも植民地でもなるべくレジスタンス神話にしがみつきたいでしょうからね >>222
背後にSSがいたとしてもそれでロンメルの評価が下がるってなるのは変な話だと思う。
SSが虐殺を起こしたとしてもそれはロンメルの責任ではない。
ロンメルがアインザッツグルッペンを支援するなんてのはありえないし。
>>220
ひと言でいうと「書かれなかった・訳されなかった」からだろうね
アフリカ戦関係の本でもチュニジアあたり、特にロンメル離任後の戦況となると
扱いや記述がぞんざいになるだろ?
そうやって埋もれてしまい紹介されないまま、ずっと来てしまったんだろう
あと上でも言われてるが「チュニス」の活動期間は実質半年に満たない短いものだし、
犠牲者数も2000〜2500人と他地域に比べ(あくまで比較論上の話だが)少ない
しかも場所が形式的には仏領チュニジアなので犠牲者はフランス系ユダヤ人扱いで
カウントされ、アフリカでユダヤ人狩りがあったという点が意識されにくかったことも
理由のひとつになるだろう あと、ロンメルについては特別行動コマンドの活動を現地部隊が後援するという
SSと陸軍との間での協定上、特別行動コマンドの存在や活動を知っていたものと
考えられるが(というのもラウフSS中佐はエル・アラメイン戦の直前に一回、
打ち合わせのためにアフリカ入りしている節があるので)
困ったことに古典的なロンメル伝の代表作であるヤングあたりからこっち
「ロンメルがSSの活動について知ったのは北アフリカを離れて以後」「アフリカでは
『紳士の戦い』が行われていた」という伝説が長らく続いていた(いる)のも確かで
このあたりについてはもっと掘り下げた本やなんかが紹介されるのを待つ必要が
あるだろうね 再び長文スマソ
さぁ!ようやく明日から旅行だー!!世間と休みがずれてるのはこういう時ありがたいw SSの資料は色々出てるけど、
SAの本とか出てないから困るよな RSHAで課長だったルドルフ・レヴィン(Rudolf Levin)SS少佐とか
武装SSのマックス・シモン(Max Simon)SS少将とか
SSにもコテコテのユダヤ姓を持つ人がいるのが面白い >>225
でもロンメルにはどうにもできなかったのでは?
ロンメルはアインザッツグルッペンの行動を知ったら不快感を示すだろうが、ロンメルがアインザッツグルッペンの行動を止めさせるのは不可能だと思われ。 結局マンシュタインやルントシュテットの場合と同じで
不快には思ってても無関心を装うのが関の山ということで EGの話ついでに質問
アインザッツコマンドとゾンダーコマンドって任務に違いがあるの? アイヒマンって軍事輸送で過密状態のダイヤなのに
鉄道省に無理やりユダヤ人輸送のための貨車とダイヤの手配させて
しかもそれが通ってるんだよな
ユダヤ人絶滅作戦と戦争遂行の優先度が同格だったのがすごい
前の大戦で負けたのは背後からの一刺しが原因でそれを扇動したのがユダヤ人やアカだったという
神話がドイツでは党や軍部から庶民まで根強く生きてたからなあ。 アイケとディルレワンガーはSSきっての気違いだからしょうがない
二人とも戦争がなかったら殺人事件起こして絞首刑になる人間 ディルレワンガーは逃亡兵を自ら射殺するサディストだからなw カミンスキーは至って普通の反共主義者だよ
ディルレワンガーみたいな気違いDQNサディストとは違う カミンスキーはウクライナ人か
SS所属の外国人で生き残った一番の超大物はレオン・デグレールの他あるまい
スペイン亡命中も平然と親衛隊の制服着たり
ヒトラーをヨーロッパの完全赤化を阻止したと賛美するなど
戦後極右のカリスマだったからな 91歳の元ナチス看守に禁錮5年 独裁判所
http://www.sankei.jp.msn.com/world/news/110512/erp11051222320006-n1.htm
>デミャニューク被告は、1943年にナチスが占領していたポーランドのゾビブル強制収容所で、計約2万8千人のユダヤ人殺害をほう助したとして起訴された。
デミャニュクの弁護士がドイツは罪から逃げたくてスケープゴートにしたって言ってるけど
イスラエルや米から押しつけられた段階で無罪放免は無理ぞやて >>240
wikiよりは
デグレルの著作
『ロシアン・キャンペーン』
とか和訳してほしいね
独陸軍に一兵卒として志願してカフカスで戦功挙げ鉄十字章受賞して下士官に昇進
チェルカッシィやタルトゥの激戦経てSS旅団指揮官にまで昇進した人だからな
しかもワルーン人部隊は片目片腕を失い兄弟も戦死しても戦い続けたレロイみたいな
狂信的ファシスト戦士がいた部隊史見てみたいね
また多少のバイアスがかかっても
ソ連軍による自国民に対しても含む残虐行為も生々しく記載されているだろう
『武装親衛隊史』
も和訳してほしい
生粋の外国人親衛隊員の大物の贔屓の引き倒し的バイアスがかかった記述を見てみたい 俺が翻訳を望む本
カルテンブルンナー回想録
フェリックス・ケルステン(ヒムラーの専属マッサージ師)回想録
ネーベ(刑事警察局長)の親友だったギゼビウスの「wo ist nebe? 」
リナ・ハイドリヒ回想録
だなあ
皆何十年も昔の古い本だけどね >>243
youtubeにはインタビューとかかなりあるね デグレルはアラン・ドロン(ゾロの格好)とのツーショットもあるし・・・
やっぱ戦後のヨーロッパで多かれ少なかれ有名人だったんだなー、と思う。 デグレルの場合
兵、下士官時代に一級、二級鉄十字章だけでなく
白兵戦章も受賞しているからホントのたたき上げ
恐れ入る しかもベルギーじゃ戦前から右翼の大物だったっていうからね
普通戦場には行かずに行かせる側だよな
それが「私に息子がいるならかくあって欲しい」ってヒトラーに言わせるくらいだから 富士美術館に
ロバート・キャパが撮影した
レックス党党首だった頃の演説する
レオン・デグレルの写真がある。
あのシュールレアリストで戦後、ベルギー共産党員になった
ルネ・マグリットも「デグレルの素顔」という
ヒトラーと二重映しになった肖像画を描いている。 1936年の選挙では
200議席中21議席
半数はフラマン人が投票する中で
ワロン人政党としては
小党乱立状態の戦前ベルギーでは割と勢力があった方では? >>241
最近法廷に引っ張り出された97歳のケピロ被告が
つべに動画出てるけど末期痴呆患者みたいだった
もう歩けないしヨボヨボ。おそらく何も覚えてないだろう >>254
Allen Brandt "The Last Knight of Flanders"
ttp://www.amazon.co.jp/Last-Knight-Flanders-Sturmbrigade-Langemarck/dp/0764305883 >>256
「ドイツ武装SS写真史2」に、オランダSSが取り上げられていますよ。 ヒストリーチャンネルの武装SS見たら16歳くらいの兄ちゃんも
志願して東部戦線に行ったみたいね 1926年生まれで
1943年春に武装SS入隊(16歳と半年)した人もいたけど、
戦場に出たのは1944年だから・・・17歳越えてるか。
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