親衛隊について語るスレ第5SS装甲師団ヴィーキング
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リヨンに赴任した時は同地区の保安警察=SD指揮官(KdS)としてだったので、
SDだけでなくゲシュタポへの指揮権も持っていたため混同されやすいですが、
元々は>>205の言う通りSDの人ですね 占領都市って
SSの代表、RSHAの代表、ゲシュタポ、SDの代表がいて訳がわからん
結局指揮系統って
HSSPF→SIPO→KdSおよびゲシュタポ指揮官って感じ?
あとアイヒマンの組織って独立して動いていたのかな? 占領地域ということであれば……
保安警察系はRSHA→保安警察=SD司令官→保安警察=SD指揮官→刑事警察&ゲシュタポ&SDの各現地支部
治安警察系はHAOrpo→治安警察司令官→治安警察指揮官→SS=警察連隊
基本的にこの二系統に対し、HSSPF→SSPFのラインと、あと必要に応じてパルチザン討伐部隊総指揮官が口を挟みます
どこまで口を挟めるかは当人たちの権力と後ろ盾と戦況次第ですね
アイヒマンの権限については二種類あって一つはゲシュタポのユダヤ人担当課長としてのもの、
もう一つは東方占領地域での保安警察による非ユダヤ化の実行についての監察官としてのものがあります
後者がハイドリヒ直属の役職だったのでRSHA内部に関していえばアイヒマンは結構横車も通せる立場でしたが、
外部に対しては何か超越した絶対的権限を持っていたわけではない、というのが実際のところだと思います 北アフリカにSSっていたのか?
http://revisionist.jp/elam_01.htm
これによるとヴァルター・ラウフはチュニジアにいたことがあるらしい。 42年秋にヴィシー領が占領された後、ラウフSS中佐の特別行動コマンド「チュニス」がチュニジアで活動してる
元々は特別行動コマンド「エジプト」として中東方面で活動する予定だったのが戦局に伴い活動地域の変更を余儀なくされたようだ
もっとも、43年春には脱出してますから活動期間は長くても半年程度か?
ちなみにアフリカの袖章をつけたラウフの写真と言われているものが↓だそうだ
ttp://forum.axishistory.com/files/322_1035522918.jpg 中東方面か。
ってことはロンメルがエル・アラメインで勝利していたらアインザッツグルッペンがエジプトに出現することになったのかな? あと話は変わるが武装SSの師団がアフリカ軍団にいたとする。
その場合武装SSも捕虜を人道的に扱うのかな?
アフリカ戦線では双方が捕虜を人道的に扱ったと言われているが武装SSが北アフリカにいたらどうなっただろう? >>213
その腹積もりだったらしい
トブルク陥落後にロンメルがエジプト侵攻という大風呂敷を広げたために
エジプトと、将来的にはさらにスエズを越えパレスチナ(!)での活動も視野に入れて
42年の夏に特別行動コマンド「エジプト」が編制され、アテネで待機していたそうな
しかしロンメルがエル・アラメインで敗北したのでエジプト派遣は中止になった矢先、
連合軍の「トーチ」作戦がはじまったので独伊がチュニジアを占領することになり
ちょうど暇してた彼らが特別行動コマンド「チュニス」と改名され派遣、という流れ
あと武装SSが北アフリカにいた場合だが、捕虜の扱いはお互い様な部分があるから
自分たちが捕虜になった場合のことを考えれば無茶はしないだろ
赤軍みたいに最初から慈悲を当てにできない相手じゃないし、西部戦線みたいに
大戦末期でお互いに殺気立ってた時期でもないし(クノッホラインみたいな特例は
まぁ脇に置いとくとして) 長文スマソ SAって戦時中は何してたの?
後方支援とかしてたらしいけど、
それって一般SSと具体的にどう違うの? 中東にアインザッツグルッペンの狩りの対象って存在するのかな
>>218
パレスチナなら存在するだろ。
あとエジプトにも存在するかもしれない。
>>216
なるほどな・・・・
しかしSSがチュニジアにいたという話はほとんど知られていないよな。
なぜだ? アフリカ戦線にはユダヤ人部隊とかもいましたしね
>>217
最初、戦時中のSAはHJの年長隊員に対して軍事教練を担当することになっていましたが、
フォン・シーラッハの反発により国防軍が指導を行うことになった上、開戦後は武装SSも割り込んできたので
SAの影響力は結局大したものにはなりませんでした
ただ、全国組織としては存続していたので末期には国民突撃隊の指導と訓練を担当する例もあったようです
あと、古参のSA将官の一部はフォン・リッベントロップやローゼンベルクと外交・東方政策に関する反SS同盟をつくってましたw
>>198のジークフリート・カッシェSA大将などはその口です >>220
横レスになりますけど、活動期間が短かった・ヴィシーのユダヤ人狩りとも絡む問題の上、フランス本国ではなく植民地でのことなので
研究が遅れた、の二点ではないでしょうか
確かこの件は欧米でも21世紀になってからようやく知られるようになったはずです
イギリス人はロンメルという偶像を大事にしたいでしょうから背後にSSが待機してましたなんてことは目をつむりたいでしょうし、
フランス人は本国でも植民地でもなるべくレジスタンス神話にしがみつきたいでしょうからね >>222
背後にSSがいたとしてもそれでロンメルの評価が下がるってなるのは変な話だと思う。
SSが虐殺を起こしたとしてもそれはロンメルの責任ではない。
ロンメルがアインザッツグルッペンを支援するなんてのはありえないし。
>>220
ひと言でいうと「書かれなかった・訳されなかった」からだろうね
アフリカ戦関係の本でもチュニジアあたり、特にロンメル離任後の戦況となると
扱いや記述がぞんざいになるだろ?
そうやって埋もれてしまい紹介されないまま、ずっと来てしまったんだろう
あと上でも言われてるが「チュニス」の活動期間は実質半年に満たない短いものだし、
犠牲者数も2000〜2500人と他地域に比べ(あくまで比較論上の話だが)少ない
しかも場所が形式的には仏領チュニジアなので犠牲者はフランス系ユダヤ人扱いで
カウントされ、アフリカでユダヤ人狩りがあったという点が意識されにくかったことも
理由のひとつになるだろう あと、ロンメルについては特別行動コマンドの活動を現地部隊が後援するという
SSと陸軍との間での協定上、特別行動コマンドの存在や活動を知っていたものと
考えられるが(というのもラウフSS中佐はエル・アラメイン戦の直前に一回、
打ち合わせのためにアフリカ入りしている節があるので)
困ったことに古典的なロンメル伝の代表作であるヤングあたりからこっち
「ロンメルがSSの活動について知ったのは北アフリカを離れて以後」「アフリカでは
『紳士の戦い』が行われていた」という伝説が長らく続いていた(いる)のも確かで
このあたりについてはもっと掘り下げた本やなんかが紹介されるのを待つ必要が
あるだろうね 再び長文スマソ
さぁ!ようやく明日から旅行だー!!世間と休みがずれてるのはこういう時ありがたいw SSの資料は色々出てるけど、
SAの本とか出てないから困るよな RSHAで課長だったルドルフ・レヴィン(Rudolf Levin)SS少佐とか
武装SSのマックス・シモン(Max Simon)SS少将とか
SSにもコテコテのユダヤ姓を持つ人がいるのが面白い >>225
でもロンメルにはどうにもできなかったのでは?
ロンメルはアインザッツグルッペンの行動を知ったら不快感を示すだろうが、ロンメルがアインザッツグルッペンの行動を止めさせるのは不可能だと思われ。 結局マンシュタインやルントシュテットの場合と同じで
不快には思ってても無関心を装うのが関の山ということで EGの話ついでに質問
アインザッツコマンドとゾンダーコマンドって任務に違いがあるの? アイヒマンって軍事輸送で過密状態のダイヤなのに
鉄道省に無理やりユダヤ人輸送のための貨車とダイヤの手配させて
しかもそれが通ってるんだよな
ユダヤ人絶滅作戦と戦争遂行の優先度が同格だったのがすごい
前の大戦で負けたのは背後からの一刺しが原因でそれを扇動したのがユダヤ人やアカだったという
神話がドイツでは党や軍部から庶民まで根強く生きてたからなあ。 アイケとディルレワンガーはSSきっての気違いだからしょうがない
二人とも戦争がなかったら殺人事件起こして絞首刑になる人間 ディルレワンガーは逃亡兵を自ら射殺するサディストだからなw カミンスキーは至って普通の反共主義者だよ
ディルレワンガーみたいな気違いDQNサディストとは違う カミンスキーはウクライナ人か
SS所属の外国人で生き残った一番の超大物はレオン・デグレールの他あるまい
スペイン亡命中も平然と親衛隊の制服着たり
ヒトラーをヨーロッパの完全赤化を阻止したと賛美するなど
戦後極右のカリスマだったからな 91歳の元ナチス看守に禁錮5年 独裁判所
http://www.sankei.jp.msn.com/world/news/110512/erp11051222320006-n1.htm
>デミャニューク被告は、1943年にナチスが占領していたポーランドのゾビブル強制収容所で、計約2万8千人のユダヤ人殺害をほう助したとして起訴された。
デミャニュクの弁護士がドイツは罪から逃げたくてスケープゴートにしたって言ってるけど
イスラエルや米から押しつけられた段階で無罪放免は無理ぞやて >>240
wikiよりは
デグレルの著作
『ロシアン・キャンペーン』
とか和訳してほしいね
独陸軍に一兵卒として志願してカフカスで戦功挙げ鉄十字章受賞して下士官に昇進
チェルカッシィやタルトゥの激戦経てSS旅団指揮官にまで昇進した人だからな
しかもワルーン人部隊は片目片腕を失い兄弟も戦死しても戦い続けたレロイみたいな
狂信的ファシスト戦士がいた部隊史見てみたいね
また多少のバイアスがかかっても
ソ連軍による自国民に対しても含む残虐行為も生々しく記載されているだろう
『武装親衛隊史』
も和訳してほしい
生粋の外国人親衛隊員の大物の贔屓の引き倒し的バイアスがかかった記述を見てみたい 俺が翻訳を望む本
カルテンブルンナー回想録
フェリックス・ケルステン(ヒムラーの専属マッサージ師)回想録
ネーベ(刑事警察局長)の親友だったギゼビウスの「wo ist nebe? 」
リナ・ハイドリヒ回想録
だなあ
皆何十年も昔の古い本だけどね >>243
youtubeにはインタビューとかかなりあるね デグレルはアラン・ドロン(ゾロの格好)とのツーショットもあるし・・・
やっぱ戦後のヨーロッパで多かれ少なかれ有名人だったんだなー、と思う。 デグレルの場合
兵、下士官時代に一級、二級鉄十字章だけでなく
白兵戦章も受賞しているからホントのたたき上げ
恐れ入る しかもベルギーじゃ戦前から右翼の大物だったっていうからね
普通戦場には行かずに行かせる側だよな
それが「私に息子がいるならかくあって欲しい」ってヒトラーに言わせるくらいだから 富士美術館に
ロバート・キャパが撮影した
レックス党党首だった頃の演説する
レオン・デグレルの写真がある。
あのシュールレアリストで戦後、ベルギー共産党員になった
ルネ・マグリットも「デグレルの素顔」という
ヒトラーと二重映しになった肖像画を描いている。 1936年の選挙では
200議席中21議席
半数はフラマン人が投票する中で
ワロン人政党としては
小党乱立状態の戦前ベルギーでは割と勢力があった方では? >>241
最近法廷に引っ張り出された97歳のケピロ被告が
つべに動画出てるけど末期痴呆患者みたいだった
もう歩けないしヨボヨボ。おそらく何も覚えてないだろう >>254
Allen Brandt "The Last Knight of Flanders"
ttp://www.amazon.co.jp/Last-Knight-Flanders-Sturmbrigade-Langemarck/dp/0764305883 >>256
「ドイツ武装SS写真史2」に、オランダSSが取り上げられていますよ。 ヒストリーチャンネルの武装SS見たら16歳くらいの兄ちゃんも
志願して東部戦線に行ったみたいね 1926年生まれで
1943年春に武装SS入隊(16歳と半年)した人もいたけど、
戦場に出たのは1944年だから・・・17歳越えてるか。
どっちにせよ若い・・・ デミヤンスク戦を戦っていた髑髏師団に配属された
ダンマルク軍団(レギオン)のデンマーク人たちのその後はどうなった?
師団要員として既存部隊に吸収された?
それともノルトラント連隊に配属替え?
但し後者だと
デミヤンスク戦を戦っていた髑髏師団と
ノルトラント連隊が配属されたヴィーキング師団のカフカスでの戦いの期間が
重複してしまう >>238>>239
カミンスキーをもっとうまく使って、
ロシア亡命政府を組織させたりしてれば、
東部戦線はもっとうまくいったかもね
スラブ人奴隷化とか言ってた政策が敗因か・・・ >>261
デミャンスク以降のダンマルク軍団はこんな感じです。
【1942年】
5月 先発隊がデミャンスクに到着
6月 指揮官シャルブルク少佐戦死
8月 前線から引き上げ
10月 コペンハーゲンで凱旋パレード
11月〜 再び東部戦線へ
【1943年】
春頃 ドイツのグラーフェンヴェーア演習場に帰還
5月か6月 解隊
武装親衛隊での勤務継続を希望したデンマーク義勇兵は
その頃にノルトラント連隊を基に創設されたノルトラント師団に配属。 >>263
調べて頂いてありがとうございます
なるほど
ノルトラント連隊には
ダンマルク軍団→ノルトラント連隊
ノルトラント連隊生え抜き
の二系統あったというわけですね
するとノルトラント連隊には
デミヤンスク・シールドの刺繍を腕にしたデンマーク義勇兵がいた可能性もありますね >>264
どうでしょう・・・? デミヤンスク・シールドを着けた
デンマーク人義勇兵がいた可能性は極めて低いかと。
なんせダンマルク軍団がデミヤンスクに着いたのは
デミヤンスク包囲戦が終わった後でした。 >>198
そういう、ナチス時代の各国に派遣された外交官とかの資料って
どこにあるの? フォン・リッベントロップが中欧諸国に外交官として送り込んだSA将官たちなら「髑髏の結社」に載ってますね
クロアチア カッシェSA大将
ハンガリー フォン・ヤーゴウSA大将
ルーマニア フォン・キリンガーSA大将
スロヴァキア ルディンSA中将
ブルガリア ベッケルレSA大将 >>265
そうですか
デミヤンスク戦後だと髑髏師団も大損害で髑髏部隊出身者もかなり死傷して
まともな戦闘訓練受けたSS-VT出身者が多く配属されたと思うから
髑髏師団もまともな戦闘部隊になったと言えるのかな
もっともベッカーのような髑髏部隊出身の異常者も在籍していたけど ラスカンの3巻では、前2作では未収録のニーベルンゲン師団の記事が入ってるといいな。 武装SS写真史が売れないので、次はラスカンが出る・・・はず。
大丈夫かな・・・ >>272
なにかあったのか?
写真史だすんだった
メジャーどころは師団ごとに
外人義勇兵は北西欧、バルト、東欧、民族ドイツ人ごとにまとめて出さないと売れないかもね 高橋さんは仕事が早いですよ。
原稿はほとんど完成。
写真は揃ってる。
あとは・・・出すだけですが・・・
売れません。 当人のサイトなり著者紹介なり見てれば事情の見当くらいつくと思うが・・・ 空軍のロシア人
パイロットなんて居たのか
ttp://bka-roa.chat.ru/luftwaffe_eng.htm >>278
これか
ttp://fremd.sweb.cz/c25.htm 昔、NHKの美術番組で、なんとかアイグルーバーっていうSS隊員が出てきたんだけど、
この人のフルネームを含む詳細な情報知らない?
・アウスゼーの炭鉱(岩塩鉱だったか)で、終戦間際に「ゲントの祭壇画」を爆破しようとする
・戦後、処刑される
このぐらいしか覚えてないんだけど、知ってる人がいたら教えてください。 カルテンブルナーのページにもあたってみた
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Kaltenbrunner
ヒントから推察するに、かなりの確率でアウグスト・アイグルーバーさんのことだな
NHKといえば昔
ゲシュタポ局長ハインリヒ・ミュラーの隠し子が
行方不明になった父親を探すって言う45分番組があった
あれ録画したんだけど最後の15分録画がずれてて見れなかった
あの番組結論はどうだったのか知ってる人いるかな? いま現在も無茶苦茶多忙だろうからな
編集との打ち合わせとかできないだろうし出版社もしばらく様子見なんじゃ? >>281はこれからスレ維持age係な
嫌なら肉まん毎日3つ買って来い、ダュシュで。 相当スレチなんだろうけどFSS(永野護)からSSに入った人っている? 私は世界一性能の良いレンズを制作している天才レンズ製作者です。
アポクロマートレンズを対物かAFに使った自動絞り機構付きの全玉抜き改造レンズの事ですが、
全玉抜きで自動絞りが付いる、改造レンズの話をしたいです。
現在、多分このシステムは私以外にはあと一人ぐらいしかいないと予想しています。
将来的には、たくさんの人に使って欲しいと考えています。
普通に作れば、周辺減光の問題でまず失敗します。
重要な注意点は、
マウント付近の開口が大きい事と
絞りの位置のコントロールです。
話はかわりますが、、、
どなたか私のアナルに臭差出まくりのぶっといチンコを突っ込んで
いただけないでしょうか?
イギリス貴族の血を引く由緒正しいアナルですので「楽しめる」と思うのですが。
ちなみに女性とのセックスはママとしかした事がありません。
アナルバイブでのオナニーももう飽き飽きしましたし、アナタの奴隷になりたいのです。
汚い尻ですが一生懸命振ってご奉仕させていただきます。
どこに行っても誰も相手にしてくれないので体が火照ってどうしようもないのです。
金玉抜き絞り残しの処女アナルですので誰か味わってみやがれですううww
私の言うこと良く聞いたほうが得ですよ、、、
私が切れるとほんとうに死にますよ?????
いろんなスレに貼って募集してみようかと思う。その方向で行こうかと思う。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/dcamera/1306465901/l50
1944−45年くらいになると、武装SSの将校の中にもヒトラーはやばいんじゃないか、と思ってる人は結構いたのかね?
ビットリヒとかはそんな感じだったらしいな。ディートリヒもそんなことを思ってたとか。
ディートリヒはロンメルに「私の命令が総統の命令と違っても貴方は従うか」と聞かれたときに「従います。元帥閣下」といった感じの回答をしたらしい。
暴れん坊親父(ディートリッヒ)とプロの老将(ハウサー)、どっちもステキ >>293
フェリックス・シュタイナーも反ナチ、反ヒトラー主義者だったんじゃね? ディートリッヒなんざヒトラーがいなきゃ単なるガソリン給油係りだぞ
総統のお陰で出世して機甲軍指揮までさせてもらったのに何たる不義理 >>296
シュタイナーもそうだな。
7月20日のグループにクーデターが成功したら協力すると言っていたらしいし。
>>298
ハルメルは試験で陸軍士官になる道を断たれたらしい。
陸軍士官になれなかったからSSに入隊したという感じだから思想的にはもともと純粋な軍人だったんじゃない?
>>297
ギレもそうだな。確か東部戦線で総統命令に抗議したことがあったはず。 アイケが生きていれば最終的にどんな態度(行動)を取ったんだろうか? 髑髏部隊や一般SSは体制維持派じゃないと生き残れないだろ
ソ連では武装SSでも髑髏部隊所属の親衛隊員は即射殺 >>301
自決していたと思う
戦後裁かれた場合はほぼ確実に死刑だろうし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています