親衛隊について語るスレ第5SS装甲師団ヴィーキング
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カルテンブルナーのページにもあたってみた
http://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Kaltenbrunner
ヒントから推察するに、かなりの確率でアウグスト・アイグルーバーさんのことだな
NHKといえば昔
ゲシュタポ局長ハインリヒ・ミュラーの隠し子が
行方不明になった父親を探すって言う45分番組があった
あれ録画したんだけど最後の15分録画がずれてて見れなかった
あの番組結論はどうだったのか知ってる人いるかな? いま現在も無茶苦茶多忙だろうからな
編集との打ち合わせとかできないだろうし出版社もしばらく様子見なんじゃ? >>281はこれからスレ維持age係な
嫌なら肉まん毎日3つ買って来い、ダュシュで。 相当スレチなんだろうけどFSS(永野護)からSSに入った人っている? 私は世界一性能の良いレンズを制作している天才レンズ製作者です。
アポクロマートレンズを対物かAFに使った自動絞り機構付きの全玉抜き改造レンズの事ですが、
全玉抜きで自動絞りが付いる、改造レンズの話をしたいです。
現在、多分このシステムは私以外にはあと一人ぐらいしかいないと予想しています。
将来的には、たくさんの人に使って欲しいと考えています。
普通に作れば、周辺減光の問題でまず失敗します。
重要な注意点は、
マウント付近の開口が大きい事と
絞りの位置のコントロールです。
話はかわりますが、、、
どなたか私のアナルに臭差出まくりのぶっといチンコを突っ込んで
いただけないでしょうか?
イギリス貴族の血を引く由緒正しいアナルですので「楽しめる」と思うのですが。
ちなみに女性とのセックスはママとしかした事がありません。
アナルバイブでのオナニーももう飽き飽きしましたし、アナタの奴隷になりたいのです。
汚い尻ですが一生懸命振ってご奉仕させていただきます。
どこに行っても誰も相手にしてくれないので体が火照ってどうしようもないのです。
金玉抜き絞り残しの処女アナルですので誰か味わってみやがれですううww
私の言うこと良く聞いたほうが得ですよ、、、
私が切れるとほんとうに死にますよ?????
いろんなスレに貼って募集してみようかと思う。その方向で行こうかと思う。
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/dcamera/1306465901/l50
1944−45年くらいになると、武装SSの将校の中にもヒトラーはやばいんじゃないか、と思ってる人は結構いたのかね?
ビットリヒとかはそんな感じだったらしいな。ディートリヒもそんなことを思ってたとか。
ディートリヒはロンメルに「私の命令が総統の命令と違っても貴方は従うか」と聞かれたときに「従います。元帥閣下」といった感じの回答をしたらしい。
暴れん坊親父(ディートリッヒ)とプロの老将(ハウサー)、どっちもステキ >>293
フェリックス・シュタイナーも反ナチ、反ヒトラー主義者だったんじゃね? ディートリッヒなんざヒトラーがいなきゃ単なるガソリン給油係りだぞ
総統のお陰で出世して機甲軍指揮までさせてもらったのに何たる不義理 >>296
シュタイナーもそうだな。
7月20日のグループにクーデターが成功したら協力すると言っていたらしいし。
>>298
ハルメルは試験で陸軍士官になる道を断たれたらしい。
陸軍士官になれなかったからSSに入隊したという感じだから思想的にはもともと純粋な軍人だったんじゃない?
>>297
ギレもそうだな。確か東部戦線で総統命令に抗議したことがあったはず。 アイケが生きていれば最終的にどんな態度(行動)を取ったんだろうか? 髑髏部隊や一般SSは体制維持派じゃないと生き残れないだろ
ソ連では武装SSでも髑髏部隊所属の親衛隊員は即射殺 >>301
自決していたと思う
戦後裁かれた場合はほぼ確実に死刑だろうし。 1945年2月16日
ジャック・カペルSS中尉率いるSS第28義勇装甲擲弾兵師団“ワロニエン”SS第69装甲擲弾兵連隊第7中隊は
リンデンベルク高地で敵の猛攻を幾度もはねつけ一歩も退かず、最後の一兵まで抵抗し文字通り玉砕した >>293
典型的な「実は反対していました」言い訳は生き残り連中にありがちだからなあ ベルリンから東に行くとオーデル川に突き当たるけど
そのちょっと北西だろ。 28師団って装甲擲弾兵師団だったっけ?
擲弾兵師団じゃなくて >>309
勧誘ポスターだと「装甲師団」
でも実際は擲弾兵師団 >>310
d
20〜30番台師団の悲哀を感じるなぁ シェレンベルグの鉄十字章てなんでもらえたの(・ω・)? フェンロ事件でイギリスの諜報員とっ捕まえたからじゃなかったっけ
まぁ、鉄十字章は従軍看護婦なんかも貰ってるからな いやに東京電力勤務が気になるらしいな。
年末までにラスカン出たら
この非常時に何やってるんだと、たたかれること必定。
いや、俺も叩くけどな。 なんでこんなに過疎ってるの?ドイツオタなんて軍板では沢山いるだろうに >>322
最近のトレンドは共産趣味と英国面
かくいう私も共産趣味者でしてね… アシカが成功してたらSS義勇装甲擲弾兵師団「サンクト・ゲオルク」(イギリス第1)が編制されたりしたのか >>327
SS義勇騎兵師団「デニス・ムーア」(イギリス第2) ディルレヴァンガー師団に配属された囚人兵たちの中に、「密猟者」が300人くらいいるようですが、
彼らは何を密漁して捕まってたんでしょうか。
密猟者って言葉だけからすると、禁猟区で狩りしたり、休猟期に狩りをするイケナイ人、ってことだと思うけど、意外と細かく意味を書いた本を見かけない
ひょっとすると邦語文献に出てきても単なる直訳かも
どっちみち油断できない悪い人というイメージ
どなたか詳しい方おられませんか 復活したかな?
ディルレヴァンガーが集めたのは「罠ではなく銃を使う連中だった」とヒムラー自身が述べているので
森で鳥獣を撃っていたんだろうが、具体的に何かというと……
ドイツ狩猟博物館の展示イメージからすると猪、鹿、熊あたりかね?猪は特に有名だな
ちなみに密猟者はWildererの訳
日本でも昔は殿様の狩り場へ勝手に入れなかったように、ヨーロッパでも狩りをする権利は領主権力と
密接に結びつけられていたので、ドイツだと近代まで密猟は基本死刑の重罪だった 山賊も兼ねてたし
シラーのお陰で一部の密猟者は義賊扱いされて人気があるが、第36師団の連中が義賊扱いされることは
まずないだろうなw >>334
333さんじゃないんですが密猟者の話に合点がいきやした。ありがとうございます。
あと、第36SS師団に義賊的要素は微塵も無いでしょうねw ドイツは森林監督官舎があちこちにある印象だな
やたら防御拠点として出て来たり、作戦の道案内とかに関わったりしてるイメージ
334さん、御教示多謝
でもさらに教えて欲しいのは、第三帝国時代は封建領主の時代ではありませんが、ユンカー等々の荘園領主はいたから、そこでイケナイコトした、というわけですね ディルレヴァンガーと聴いて
ロシア語のサイトだけどレアな写真が結構載ってる
他にもワルシャワ蜂起鎮圧時の進行図など
ttp://reibert.info/forum/showthread.php?t=11922 >>338
色んな写真があるものですね。
ディルレヴァンガーには色んな連中がいましたね。
ロシア軍が目前まで迫ってきて、SS刑務所から2500人補充したとか。
彼らは武装SSで何かやらかして刑務所にいたのかな。 イギリス人武装SS師団「クロムウェル」「ネヴィル・チェンバレン」「ブラディ・メアリ」「ウィリアム・コンカラー」「アルトリウス」 >>337
あと公有地、日本でいうところの国有林での密猟とかね なんせこの場合、相手は国になっちゃうから
ユンカーよりさらにヤバイ
それからあの後「なんか密猟関連で記憶に引っ掛かるなー」と思って本棚浚ってみたら
「ヒトラーのテーブルトーク」で1941年10月と1942年9月に狩猟関連の発言があった
41年10月の発言はフォン・リッベントロップ主催のチァノ外相歓迎狩猟会に参加したヴォルフSS中将を
散々からかったり「狐を禁猟にしたら卵が荒らされてひどいことになっている」と嘆いたりするものだが、
42年9月の発言はちょっと興味深い
「畑を荒らす野ウサギを密猟したからといって重い刑を科すのは不公平」
「密猟者は罪を償わせるためにパルチザンと戦わせればよい」
「ティロルやシュタイエルマルクではカモシカを狩る密猟者を党から追い出すことなどできない」
など、密猟者側に同情的とも思える発言をしている
どうも上流階級の娯楽としての狩猟は好きじゃないが、地元民が害獣駆除として密猟するのは已む無し?と考えてたのかも
もっともディルヴァンガー部隊は40年の編制だから、42年発言が直接の元になってはいないだろうけど >>342
再度の御教示深謝
陸軍の山岳猟兵や歩兵の狙撃兵では猟師さんは即戦力として重宝したようですが、密猟者の方が強そうだし、陸軍はイケナイヒトはイラネだろうし、密猟者は武装親衛隊向きの人材かも
また、ヒトラーもヒムラーも狩猟は嫌いなようですが、昔のドイツの指導者は狩り大好きらしいから、イケナイヒトだけど腕は認めて、でも社会からは駆除したくて、と良いことづくめなんでしょう
話脱線しますが、小生長期のドイツ勤務を終えてベルリンから帰朝する前、東ドイツ人民軍予備役砲兵少尉の同僚が「良いとこ連れて行ってやる」と行ったのがシュルフハイデのカリンハル跡とヴァンドリッツの元東独高官居住区で、どちらも狩りには最適な森の中
密猟者にはドタマに来てたでしょうね >>338
その写真だと、普通のまともな部隊にしか見えないなw 日本でも、刑務所の方が栄養状態が良かったなんて話も有るし
規則正しい生活をしていて森林活動に長じて体力も有って戦傷での障害も無しな人材なんて、末期にはお宝だったかもね。 >>343
カリンハルってゲーリングの別荘があったとこのはず ゲーリングは狩猟を好んでいたのでしょうね。
>>343
東ドイツ人民軍予備役砲兵少尉殿は何か、興味深い話はしてませんでしたか?
ソ連の野郎!とか・・・ なんたって国家狩猟監督官兼国家林業監督官で、ドイツにおける環境保護の父だからねw>>ゲーリング
密猟を厳罰化した狩猟法を34年7月に、植林を推奨する森林保全法を35年6月にそれぞれ制定した上、
特に数の減っていた大鹿・野牛・白鳥・野鴨などをスウェーデン・カナダ・ポーランド・スペインから
輸入して森に放ったり植林事業を推進したりとお前ホントに狩りと森が大好きなんだなとw
ヒムラーについては当人ジレンマあったんだろうなと思われる節がある
本音はゲーリングの悪口いうくらいに狩猟嫌いなんだけど「ドイツ騎士団」とか「ハインリヒ獅子王」とかを
謳い文句にしてるもんで公けには全否定することもできないw
SS高官には伝統貴族階級も多いしね
そのせいかどうか>>342で挙げたフォン・リッベントロップ主催の狩猟会にはヒムラーも参加してるんだよな >>346
カリンハルは本邸なのか別荘なのかは知らないのですが、ゲーリングの住まいって、どこが自宅で、どんな官邸をあてがわれて、どんな具合だったんでしょうかね
帝国議会議長だったからベルリンの帝国議会の後ろに議長官邸があったはず
プロイセン州首相の官邸もあるだろうし
でも、ヒトラーのミュンヘンはプリンツレゲンテン広場のアパートのような純然たる私邸ってゲーリングでは余り聞きませんね
>>347
東ドイツでは徴兵で予備役将校になったほうが、大学に行きやすかった様で、同僚は人民軍予備役砲兵少尉に任官したあとベルリンのフンボルト大学で学び、日本に留学しています
イデオロギーでコチコチだと実務では使い物にならなくなった時代の人なので、ソ連もソ連の事情があるしねえ、大変だねえ彼等も、といったノリでした
ヒマな時には二人で歴史ネタをパロって遊んでました
>>348
書き込んでいただいて手間が省けました
深謝 カリンハルはゲーリングの「狩猟館」ですね。
カリンハル近くに形成されたシュヴェット橋頭堡には、HG師団からも兵員が位置されていまして、
ゲーリングは酒を持って来て、前線視察までしてます。 議長公邸については「家具が気に入らない」という理由で公式行事以外には使わず、
政権獲得後もカイザーダムのアパート(1931年のカリン死後に自宅を引き払って引っ越し)で暮らしてたが
後にカリンハルが完成するとそちらへ移った
ただ、ベルリンのライプツィヒ広場にもシュペーアが設計した大邸宅(『気に入らない』と評した議長公邸と
広場を挟んだ反対側に建てた)を持っていて、ベルリンオリンピックの時には各国の選手団を招待してる
あとベルヒテスガーデンの別荘とロミンテン(東プロイセンの端っこ)に狩猟用ロッジも持っていた
当人の意識としては多分カリンハルが私邸でライプツィヒ広場が公邸なんだろうが、実はカリンハルも
>>350が書いてくれたようになんと名目上は国家狩猟監督官・国家林業監督官の現場オフィスとして
公有地に税金で建ててるんだよなw
そういう意味では純然たる私邸ってカイザーダムのアパートが最後なのかもしれんねw エクスペルデがRKもらう時にはカリンハルへの招待と其処での狩猟もセットだったけか、
空軍元帥閣下は密猟者はお嫌いだったろうな。
>>297
ギレはヴィーキング付の政治思想監督官だったフィックが軍服を着ずに部隊を視察した時に
「褐色のシャツを着る者は我が部隊では許さん、出て行け」みたいな事言ってヒムラー経由でかなり際どい抗議受けてる筈
政治には興味の無いプロフェッショナルな砲兵将校って所ではないかと
いやぁ、33年3月にブラウンシュヴァイクで起きた鉄兜団蜂起に関係して一時期はSSと党を追放されてるからなぁ>>ギレ
全然興味がないって訳でもないような気がする
まぁ、結局は復党と再入隊の為に一生懸命運動して34年4月にはSSにも党にも復帰するんだけどw
∧,,∧ .∧,,∧
∧∧(`・ω・´)(`・ω・´)∧∧
(`・ω・´).∧∧) (∧∧(`・ω・´) >>354-355は
| U (`・ω・´)(`・ω・´) と ノ 懲罰大隊送り
u-u (l ) ( ノ u-u
`u-u' `u-u' そのままにシュタイナー
主体性がないとシュタイナー つべにロシアのネオナチバンドのディルレヴァンガーの曲がアップしてあったっけ
ほかにもGreroi ROA(解放軍の英雄達)とか結構好きだ ロシアのネオナチには驚いたけど、ロシアからイスラエルに移民した連中に
ネオナチがいるとは・・・
彼らは何を目指すのだろうか。 関連スレ
WW2ドイツの防空警察や一般警察などなど
憲兵・国際法・民間防衛(警察・警備会社・消防・災害)007
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1320300847/ 作者自身が44年の中央軍集団崩壊みたいな混乱に巻き込まれてるしねぇ
やっぱり無理みたいですね。
原稿は全て揃っているというのに・・・ バグラチオンをモロに喰らった中央軍集団って、軍団長が2名戦死で4名が捕虜なんだな
こりゃホントの地獄だわな Alexandre Galopinというベルギー財界の大物が1944年にRobert Jan VerbelenというSS大尉に殺されてるんだけど、
ネットでちょこちょこ調べてたら電波本を紹介してるサイトでレジスタンスに殺されたことになってたw
フラマン民族同盟分派の「旗」にいたヤツがレジスタンスとかねーわ
それともベルギー政府に対するレジスタンスって意味なんだろうかww ラスカンV、2012年3月発売。
信じて・・・良いのですよね・・・ wikiのベルギー周辺の師団の記述がすごくなってる件 知恵袋に
第5SS装甲師団「ヴィーキング」は第何軍団に属していたのでしょうか?
時期としては1941年10月から1941年12月までの間です。
ってあったけど、ここで聞けば良かったのに 確か第14装甲軍団じゃなかったっけ?
待てよ?
その質問者はひょっとして「1941年に『SS師団』はあっても『第5SS装甲師団』はありません」とでも回答して欲しいのかもしれんw うん14軍団
この師団がPanzerdivisionに改称されたのが44年2月って資料もあったり コルスンポケットの頃にはもう装甲師団だったような
もっともあれで大損害出してまた補充と再編成やってるからそういう見方もあるのかもな>>44年2月改称 連隊本部と第一大隊がゼンネだかメイ・イールカンだかでパンター待ちしてたから、実質一個大隊だったけどな。
ミュレンカンプも本国帰っていてポケット内の機動防御の重責は唯一の(他に239突撃砲旅団も有ったけど)装甲部隊の大隊長だったハンス キョーラーの一身に掛かってたんだから大変ではあったろうな。
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