親衛隊について語るスレ第5SS装甲師団ヴィーキング
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>>293
典型的な「実は反対していました」言い訳は生き残り連中にありがちだからなあ ベルリンから東に行くとオーデル川に突き当たるけど
そのちょっと北西だろ。 28師団って装甲擲弾兵師団だったっけ?
擲弾兵師団じゃなくて >>309
勧誘ポスターだと「装甲師団」
でも実際は擲弾兵師団 >>310
d
20〜30番台師団の悲哀を感じるなぁ シェレンベルグの鉄十字章てなんでもらえたの(・ω・)? フェンロ事件でイギリスの諜報員とっ捕まえたからじゃなかったっけ
まぁ、鉄十字章は従軍看護婦なんかも貰ってるからな いやに東京電力勤務が気になるらしいな。
年末までにラスカン出たら
この非常時に何やってるんだと、たたかれること必定。
いや、俺も叩くけどな。 なんでこんなに過疎ってるの?ドイツオタなんて軍板では沢山いるだろうに >>322
最近のトレンドは共産趣味と英国面
かくいう私も共産趣味者でしてね… アシカが成功してたらSS義勇装甲擲弾兵師団「サンクト・ゲオルク」(イギリス第1)が編制されたりしたのか >>327
SS義勇騎兵師団「デニス・ムーア」(イギリス第2) ディルレヴァンガー師団に配属された囚人兵たちの中に、「密猟者」が300人くらいいるようですが、
彼らは何を密漁して捕まってたんでしょうか。
密猟者って言葉だけからすると、禁猟区で狩りしたり、休猟期に狩りをするイケナイ人、ってことだと思うけど、意外と細かく意味を書いた本を見かけない
ひょっとすると邦語文献に出てきても単なる直訳かも
どっちみち油断できない悪い人というイメージ
どなたか詳しい方おられませんか 復活したかな?
ディルレヴァンガーが集めたのは「罠ではなく銃を使う連中だった」とヒムラー自身が述べているので
森で鳥獣を撃っていたんだろうが、具体的に何かというと……
ドイツ狩猟博物館の展示イメージからすると猪、鹿、熊あたりかね?猪は特に有名だな
ちなみに密猟者はWildererの訳
日本でも昔は殿様の狩り場へ勝手に入れなかったように、ヨーロッパでも狩りをする権利は領主権力と
密接に結びつけられていたので、ドイツだと近代まで密猟は基本死刑の重罪だった 山賊も兼ねてたし
シラーのお陰で一部の密猟者は義賊扱いされて人気があるが、第36師団の連中が義賊扱いされることは
まずないだろうなw >>334
333さんじゃないんですが密猟者の話に合点がいきやした。ありがとうございます。
あと、第36SS師団に義賊的要素は微塵も無いでしょうねw ドイツは森林監督官舎があちこちにある印象だな
やたら防御拠点として出て来たり、作戦の道案内とかに関わったりしてるイメージ
334さん、御教示多謝
でもさらに教えて欲しいのは、第三帝国時代は封建領主の時代ではありませんが、ユンカー等々の荘園領主はいたから、そこでイケナイコトした、というわけですね ディルレヴァンガーと聴いて
ロシア語のサイトだけどレアな写真が結構載ってる
他にもワルシャワ蜂起鎮圧時の進行図など
ttp://reibert.info/forum/showthread.php?t=11922 >>338
色んな写真があるものですね。
ディルレヴァンガーには色んな連中がいましたね。
ロシア軍が目前まで迫ってきて、SS刑務所から2500人補充したとか。
彼らは武装SSで何かやらかして刑務所にいたのかな。 イギリス人武装SS師団「クロムウェル」「ネヴィル・チェンバレン」「ブラディ・メアリ」「ウィリアム・コンカラー」「アルトリウス」 >>337
あと公有地、日本でいうところの国有林での密猟とかね なんせこの場合、相手は国になっちゃうから
ユンカーよりさらにヤバイ
それからあの後「なんか密猟関連で記憶に引っ掛かるなー」と思って本棚浚ってみたら
「ヒトラーのテーブルトーク」で1941年10月と1942年9月に狩猟関連の発言があった
41年10月の発言はフォン・リッベントロップ主催のチァノ外相歓迎狩猟会に参加したヴォルフSS中将を
散々からかったり「狐を禁猟にしたら卵が荒らされてひどいことになっている」と嘆いたりするものだが、
42年9月の発言はちょっと興味深い
「畑を荒らす野ウサギを密猟したからといって重い刑を科すのは不公平」
「密猟者は罪を償わせるためにパルチザンと戦わせればよい」
「ティロルやシュタイエルマルクではカモシカを狩る密猟者を党から追い出すことなどできない」
など、密猟者側に同情的とも思える発言をしている
どうも上流階級の娯楽としての狩猟は好きじゃないが、地元民が害獣駆除として密猟するのは已む無し?と考えてたのかも
もっともディルヴァンガー部隊は40年の編制だから、42年発言が直接の元になってはいないだろうけど >>342
再度の御教示深謝
陸軍の山岳猟兵や歩兵の狙撃兵では猟師さんは即戦力として重宝したようですが、密猟者の方が強そうだし、陸軍はイケナイヒトはイラネだろうし、密猟者は武装親衛隊向きの人材かも
また、ヒトラーもヒムラーも狩猟は嫌いなようですが、昔のドイツの指導者は狩り大好きらしいから、イケナイヒトだけど腕は認めて、でも社会からは駆除したくて、と良いことづくめなんでしょう
話脱線しますが、小生長期のドイツ勤務を終えてベルリンから帰朝する前、東ドイツ人民軍予備役砲兵少尉の同僚が「良いとこ連れて行ってやる」と行ったのがシュルフハイデのカリンハル跡とヴァンドリッツの元東独高官居住区で、どちらも狩りには最適な森の中
密猟者にはドタマに来てたでしょうね >>338
その写真だと、普通のまともな部隊にしか見えないなw 日本でも、刑務所の方が栄養状態が良かったなんて話も有るし
規則正しい生活をしていて森林活動に長じて体力も有って戦傷での障害も無しな人材なんて、末期にはお宝だったかもね。 >>343
カリンハルってゲーリングの別荘があったとこのはず ゲーリングは狩猟を好んでいたのでしょうね。
>>343
東ドイツ人民軍予備役砲兵少尉殿は何か、興味深い話はしてませんでしたか?
ソ連の野郎!とか・・・ なんたって国家狩猟監督官兼国家林業監督官で、ドイツにおける環境保護の父だからねw>>ゲーリング
密猟を厳罰化した狩猟法を34年7月に、植林を推奨する森林保全法を35年6月にそれぞれ制定した上、
特に数の減っていた大鹿・野牛・白鳥・野鴨などをスウェーデン・カナダ・ポーランド・スペインから
輸入して森に放ったり植林事業を推進したりとお前ホントに狩りと森が大好きなんだなとw
ヒムラーについては当人ジレンマあったんだろうなと思われる節がある
本音はゲーリングの悪口いうくらいに狩猟嫌いなんだけど「ドイツ騎士団」とか「ハインリヒ獅子王」とかを
謳い文句にしてるもんで公けには全否定することもできないw
SS高官には伝統貴族階級も多いしね
そのせいかどうか>>342で挙げたフォン・リッベントロップ主催の狩猟会にはヒムラーも参加してるんだよな >>346
カリンハルは本邸なのか別荘なのかは知らないのですが、ゲーリングの住まいって、どこが自宅で、どんな官邸をあてがわれて、どんな具合だったんでしょうかね
帝国議会議長だったからベルリンの帝国議会の後ろに議長官邸があったはず
プロイセン州首相の官邸もあるだろうし
でも、ヒトラーのミュンヘンはプリンツレゲンテン広場のアパートのような純然たる私邸ってゲーリングでは余り聞きませんね
>>347
東ドイツでは徴兵で予備役将校になったほうが、大学に行きやすかった様で、同僚は人民軍予備役砲兵少尉に任官したあとベルリンのフンボルト大学で学び、日本に留学しています
イデオロギーでコチコチだと実務では使い物にならなくなった時代の人なので、ソ連もソ連の事情があるしねえ、大変だねえ彼等も、といったノリでした
ヒマな時には二人で歴史ネタをパロって遊んでました
>>348
書き込んでいただいて手間が省けました
深謝 カリンハルはゲーリングの「狩猟館」ですね。
カリンハル近くに形成されたシュヴェット橋頭堡には、HG師団からも兵員が位置されていまして、
ゲーリングは酒を持って来て、前線視察までしてます。 議長公邸については「家具が気に入らない」という理由で公式行事以外には使わず、
政権獲得後もカイザーダムのアパート(1931年のカリン死後に自宅を引き払って引っ越し)で暮らしてたが
後にカリンハルが完成するとそちらへ移った
ただ、ベルリンのライプツィヒ広場にもシュペーアが設計した大邸宅(『気に入らない』と評した議長公邸と
広場を挟んだ反対側に建てた)を持っていて、ベルリンオリンピックの時には各国の選手団を招待してる
あとベルヒテスガーデンの別荘とロミンテン(東プロイセンの端っこ)に狩猟用ロッジも持っていた
当人の意識としては多分カリンハルが私邸でライプツィヒ広場が公邸なんだろうが、実はカリンハルも
>>350が書いてくれたようになんと名目上は国家狩猟監督官・国家林業監督官の現場オフィスとして
公有地に税金で建ててるんだよなw
そういう意味では純然たる私邸ってカイザーダムのアパートが最後なのかもしれんねw エクスペルデがRKもらう時にはカリンハルへの招待と其処での狩猟もセットだったけか、
空軍元帥閣下は密猟者はお嫌いだったろうな。
>>297
ギレはヴィーキング付の政治思想監督官だったフィックが軍服を着ずに部隊を視察した時に
「褐色のシャツを着る者は我が部隊では許さん、出て行け」みたいな事言ってヒムラー経由でかなり際どい抗議受けてる筈
政治には興味の無いプロフェッショナルな砲兵将校って所ではないかと
いやぁ、33年3月にブラウンシュヴァイクで起きた鉄兜団蜂起に関係して一時期はSSと党を追放されてるからなぁ>>ギレ
全然興味がないって訳でもないような気がする
まぁ、結局は復党と再入隊の為に一生懸命運動して34年4月にはSSにも党にも復帰するんだけどw
∧,,∧ .∧,,∧
∧∧(`・ω・´)(`・ω・´)∧∧
(`・ω・´).∧∧) (∧∧(`・ω・´) >>354-355は
| U (`・ω・´)(`・ω・´) と ノ 懲罰大隊送り
u-u (l ) ( ノ u-u
`u-u' `u-u' そのままにシュタイナー
主体性がないとシュタイナー つべにロシアのネオナチバンドのディルレヴァンガーの曲がアップしてあったっけ
ほかにもGreroi ROA(解放軍の英雄達)とか結構好きだ ロシアのネオナチには驚いたけど、ロシアからイスラエルに移民した連中に
ネオナチがいるとは・・・
彼らは何を目指すのだろうか。 関連スレ
WW2ドイツの防空警察や一般警察などなど
憲兵・国際法・民間防衛(警察・警備会社・消防・災害)007
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1320300847/ 作者自身が44年の中央軍集団崩壊みたいな混乱に巻き込まれてるしねぇ
やっぱり無理みたいですね。
原稿は全て揃っているというのに・・・ バグラチオンをモロに喰らった中央軍集団って、軍団長が2名戦死で4名が捕虜なんだな
こりゃホントの地獄だわな Alexandre Galopinというベルギー財界の大物が1944年にRobert Jan VerbelenというSS大尉に殺されてるんだけど、
ネットでちょこちょこ調べてたら電波本を紹介してるサイトでレジスタンスに殺されたことになってたw
フラマン民族同盟分派の「旗」にいたヤツがレジスタンスとかねーわ
それともベルギー政府に対するレジスタンスって意味なんだろうかww ラスカンV、2012年3月発売。
信じて・・・良いのですよね・・・ wikiのベルギー周辺の師団の記述がすごくなってる件 知恵袋に
第5SS装甲師団「ヴィーキング」は第何軍団に属していたのでしょうか?
時期としては1941年10月から1941年12月までの間です。
ってあったけど、ここで聞けば良かったのに 確か第14装甲軍団じゃなかったっけ?
待てよ?
その質問者はひょっとして「1941年に『SS師団』はあっても『第5SS装甲師団』はありません」とでも回答して欲しいのかもしれんw うん14軍団
この師団がPanzerdivisionに改称されたのが44年2月って資料もあったり コルスンポケットの頃にはもう装甲師団だったような
もっともあれで大損害出してまた補充と再編成やってるからそういう見方もあるのかもな>>44年2月改称 連隊本部と第一大隊がゼンネだかメイ・イールカンだかでパンター待ちしてたから、実質一個大隊だったけどな。
ミュレンカンプも本国帰っていてポケット内の機動防御の重責は唯一の(他に239突撃砲旅団も有ったけど)装甲部隊の大隊長だったハンス キョーラーの一身に掛かってたんだから大変ではあったろうな。
44年2月改称説は根拠が不明だけどね
名称の変化ではFeb.1944と書いてるのに、本文にはOct.1943になってるという
謎の展開が・・・
後、Tessinの正誤表書いてるトコには43年8月だと
>>381
ハンス・ケラーKöller
あの本は信用するなw 8月は早すぎる気がするな
まだドニエプルで走り回ってる頃だろ? >>375
ノルトラントも細かいところ追加されてるぞ
セント・ジョージ部隊の配属先とか 末期師団に較べてヴィーキング記事の短さは異常。
とても初期精鋭師団の扱いとは思えんw まぁ、有名師団だし本も出てるからな
リイド社のはちょっとアレだがw 「ラスカン」連載がMG誌に復活とな・・・
実現してほしいねえ。
MG?うーむAMじゃないのか
まぁ、復活するだけでも喜ばねばな バトルオブカンプフグルッペの連載はいつまとまるのか
45年のエーゲ海に取り残されたドイツ部隊とかあったよな 島で海上輸送路を絶たれてしまって・・・
敵は来ないけど飢餓に襲われたという・・・ フォン・リッベントロップの息子ってまだ生きてるんだね
SS関係の有名人じゃ最後かな ギュンター・グラスとかの末期に引っ張ってきた連中でもないともう生き残りを探すのは難しいかもね http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120119-00000046-reut-int
[ワルシャワ 18日 ロイター]
ポーランドで、ナチスドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが総統大本営として使用した通称「狼の巣」を観光地として整備しようと、
投資家を探す動きがで出ている。
この施設はポーランド北東部ケントシン市の森林内にあり、現在は荒廃した状態となっている。
「ワルキューレ作戦」として知られる1944年のヒトラー暗殺計画の舞台として有名で、2008年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」で認知度を広げた。
施設は地元の森林当局が管理し、一般にも公開されているが、深い森の中に位置し、泥道を通らなければたどり着けないため、多くの観光客が訪れる場所ではないという。
地元の森林当局は現在、同施設を観光地として活用するための投資を募っており、その条件として、1年を通して営業できる博物館の整備などを求めている。
しかし、関係者によると、これまでのところ投資の申し出はまだないという。
求む、投資家。 高橋さんのラスカンは、AM誌上で復活だって。
MG誌では無理でしたか。 編集長が代わってから近所の本屋が置かなくなった >AM いまはラスカン3待ちになっちまうのかな
春の予定だそうだが・・・ ラスカンVは5月発売予定となってますね。
順調に遅れて・・・夏頃かなあ・・・ 南京大虐殺は皇族が師団長の部隊が引き起こした、天皇の戦争責任に直結する事案。
天皇を神と崇め国家神道の元に引き起こされた宗教戦争の側面をも持つ。
恐るべき大虐殺を引き起した国家犯罪の源泉は、盲信を強いた天皇制度及び国家神道にあり、両方共に日本社会から消えるべきだ。 日本の諸悪の根源・天皇制を出来るだけ早く廃止しましょう。
民主主義の日本で、生まれながらに、一生遊んでるだけで
喰ってゆける一族を認めることが、その周りに、同じように
遊んでるだけで喰って行きたい人種(役人・神社・右翼)を集め、
日本の本当の民主主義を妨げ、腐敗の温床を作っています。
将来の憲法改正時に、天皇制を憲法上から完全に削除し、
本当の民主主義を実現すべく、大いに議論しましよう。 明治天皇が優秀で狡猾すぎた
だから、昭和天皇もじーさんの築いた絶妙な位置関係で助かった
ただね、まともな神経していたらやっぱり色々な取りざたされてる発言・言動はできないと思うよ
やはり自分だけ御所でのんびりしてたわけだから、戦争の実感がないのかもしれない
そのへんが実際に戦った弟の三笠宮とのギャップじゃないのかなぁ
三笠宮は今も中国での残虐行為について、深く悔やんでおられるようだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています