親衛隊について語るスレ第5SS装甲師団ヴィーキング
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>>451
背広に帽子だとゲスターポのイメージが強い 「遠すぎた橋」久しぶりに見たんだけどルートヴィヒ親衛隊少将(ハーディ・
クルューガー)の副官の戦車服着た親衛隊中尉かっこいい
でも・・・SS9装甲師団(ホーエンシュタウフェン)のグラブナー親衛隊大尉
率いるパンター装甲偵察大隊の戦闘シーンがやられぱっなし…武装SSは精鋭
部隊だからせめて強く描いて欲しかった。(まあ・・ドイツ軍=悪役だからしょがないか)
あと・・大戦後期の武装SSはフィールドグレーの野戦服じゃなく(将校・下士官除いて)
迷彩服だと思う。でもグラブナーの副官の親衛隊少尉とかは迷彩服だった
(でも・・プライベートライアンとかはほとんどが迷彩服・・)
でもあの映画は長いけど最高の映画。
>>454
>>1の日本語読めないお馬鹿さんですか >>456
SS装甲偵察大隊の突破シーンはだいたい史実だからしょうがない
実際は装甲車のプーマが先行して突破に成功してるが、その描写がないだけ
武装SSも基本はフィールドグレーの野戦服だよ
どこもおかしくない >>452
アイスランドも当時はまだデンマーク領だぞ >>455
ドイツ語読めないのだが、軍人恩給が貰えるように、なったのだろうか。 >459
さすがに、アイスランドから志願は・・・
スカンジナビアだと、あとノルトラントも・・・次スレか・・・・。 >>462
じゃあ何で武装SS仕様の44年型野戦服が存在するの? 第9SS装甲偵察大隊にプーマなんか配備されてるかよ >>452
>>459
>>461
ちょっとスレ違いかもしれないけど
アイスランドは1940年にはイギリスが侵攻して占領、
以後アメリカ軍が駐留している
志願どころか占領されて形ばかりの抗議だけして
実際には連合軍に協力してたのがアイスランド人 >>465
ソースは学研の『ヨーロッパ空挺作戦』
文句があるなら学研に言え そう言われるとそうだな
「SS装甲偵察大隊の突破シーンはだいたい史実だからしょうがない
実際は装甲車5輛が先行して突破に成功してるが、その描写がないだけ」
に訂正する
だがプーマの話は他の本でも見た記憶がある http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=15157&highlight=puma
ここで似たような話してるな。
編成表上、プーマは無い筈なんだとか。
231をプーマと間違えたのかも知れないみたいな話もあるな。 第9SS装甲偵察大隊は編成開始時の231232シリーズで1944年の東部戦線に投入されて以来
補充車両はないわけだ。
プーマが配備されるとしたらノルマンディの敗退後なんだが、
ベルリンへ引き上げる予定だったところを見ても
プーマが配備されてるわけがないんだわ。
あとグラプナーが乗ってるのは映画では251/3みたいになってるけど
ノルマンディー戦時に捕獲したハンバー・マークW(4輪)装甲車だからな。
へーそんなんだ。じゃあグラブナーはイギリス軍のハンバーを鹵獲して
使用してたんだ 当時の一般連合軍兵士の間で8輪装甲車=プーマみたいな認識が
蔓延してた説はどうだろう。 でもなんで映画ではハーフトラック?ハンバーも映画に出てたよ(まあ
…ドイツ軍はハーフトラックだしその頃まだちゃんとした資料がなかったかも
知れないししょうがないか…) >>474
ヘンテコな装甲車一杯出してたくらいだから
あんまり考えてないと思う
と言うか大半の戦争映画が車種の考証までやってないし 「女装親衛隊」という言葉を思いついた。誰かストーリー作ってくれ。Waffen TSでもOK。 SS101重戦車大隊の指揮官て誰?ヴィットマンそれともパイパー
解る人教えてください。 パイパーは1943年11月から第1SS戦車連隊長。
第101重戦車大隊長はヴェスターンハーゲンSS少佐
だけど病気がちだったので、しばしばヴィットマン
が臨時大隊長になってる。 >>445
フランスで師団史とかも出ているけど、やはり黒歴史なのかな?
シャルルマーニュ師団軍歌
「悪魔の唄/3番」
我ら親衛隊は悪魔の唄歌い、
フランスへと帰還する。
市民たちよ、我らの報復を、
凄まじき力を恐怖せよ。
我らは苦悩の叫びと声に
烈しい歌声を浴びせかけるのだ。
我等と共に魔王(サタン)は吼えて、
そしてお前たちを快活に笑い飛ばすのだ。
我らの征くところ、敵はみな自壊し、
そして悪魔が共に嘲うのだ。
ハ、ハハハハ!
焔は清く燃える。
我らの合言葉は「忠誠」なのだ!
(西洋軍歌蒐集館より)
1945年制定とは言え、祖国への凱旋と言うよりは、まるで進攻だよ… 黒歴史というか一般フランス人からしたら
悪魔の手先のような扱いだろうな〜
「SS戦車隊」にシャルルマーニュでベルリン戦を生き延びた
フランス人SS将校の手記が出てたぬ 彼らはドイツ共にベルリンの防衛戦に出て赤軍からヨーロッパを守ったのに
戦後彼らは胸張って祖国に帰ったら皆から嫌われ挙句の果てに処刑何てかわ
いそうだよ。 高橋慶史さんの「武装SS師団写真史」に、フランス人義勇兵チャンス大尉が出てますね。 将軍達の夜みました
陸軍の将軍で戦中にSSに異動した人いんの? まあーたしかに長官は大戦末期に軍集団の指揮官になってるな。 ラスカンに登場するという事は・・・
「冬至」作戦は・・・ 「冬至」作戦って、「至日」作戦って書いてるのがあるね。
どういう日本語なんだろうか。 >>499
中国語で夏至・冬至の事を「至日」というみたい >>502
dクス。漢語かあ。実は、児島襄の本なんだけどね。非常に読みにくい。 児島襄さんは「ヒトラーの戦い」が凄いね。
文庫本10冊組は圧巻だわあ。 >>504
今9巻まで読んだけど、地図が少ないので、部隊の配置を把握するのが非常に難しいんですわ。
ブリタニカの世界地図を見ながら、読んでますけどね。 教えてやらんでもないけど
ただなんだから、実名さらせとは言わんが
せめて、自分が何者であるとか
どこから武装SSに興味を持ったとか
なんでこの質問をするに至ったかどれかひとつぐらいは
情報さらせ。 何でそこまで・・・
第33武装SS師団「シャルマーニュ」師団長、グスタフ・クルケンベルクSS少将がそうかなあ。
第11武装SS師団師団長、ヨアヒム・ツィーグラーSS少将も陸軍組だね。
陸軍から武装SSへ移ってから将官となったのなら、違いますけどね。
>>507
実は親父が武装SSのOBなんですが、物故してしまい、
詳しいことが分からないんです。
親父の名前は、オスカー・ディルレワンガーです。
ここまで、個人情報晒しました。
デルレヴァンガーの歪んだ頭部の形状が、彼の苦悩を物語りますなあ。
>>508
>>489は単にSSと言ってるので武装SS限定ではない気もする。
となると国防軍からの戦中移籍組ではフォン・ヘルフが特に有名だが、彼は大佐で移籍しているので
>>489の言う将官の移籍とは言えないのが残念。
フォン・シュトラハヴィッツはRFSSの一員として迎えられているけれど、完全な移籍ではなくその後も
国防軍で戦い続けていますから彼も該当しないかな。
ライネファルトは警察では将官だったけど国防軍では尉官の上、移籍より出戻りと呼ぶのが妥当だし、
ヴュンネンベルクもSSに入隊した時にはまだ警察大佐だったからねぇ……
……はっ!そういえば>>489は単に陸軍としか書いていない!国防軍でなければルーマニア陸軍出身の
フレプスとかラトビア陸軍出身のバンゲルスキスなどは該当することに!?これは盲点だったかもw
まぁ、きっと>>507が真相を教えてくれるでしょう。 アルフォンス・レバネSS大佐
ヴォルデマルス・ヴァイスSS大佐 >>511
子孫らしい
ttp://www.hsu-hh.de/studbereich/index_pCBfxAmmukhAUiyy.html クルケンベルクSS少将は陸軍中佐→SS中佐で移ってその後昇進、
ジーグラーSS少将も陸軍大佐→SS准将で移ってその後昇進だったと思う
シュトラハビッツ陸軍中将は名誉SS少将になっているけど陸軍に残った
レバネSS大佐はエストニア時代も大佐じゃなかったかな
一応は准将扱いなんだったっけか?
バイスSS大佐はラトヴィアだと中佐だったような
佐官クラスの異動は結構あるけど戦争中に将軍で陸軍から武装SSへ移った人は
珍しいんじゃないかな ……あっ!一人忘れてた。
コサック騎兵軍団のフォン・パンヴィッツ!
紆余曲折の末、45年2月にコサックが国防軍から武装SSへと編入された際、彼もSS中将になってたはず。
あぁ〜なるほどいたなぁ確かに。陸軍の将軍で戦中にSSに移動した人。
>>511
おぉ、軍人貴族一家w レバネSS大佐ってエストニアでは英雄?
ロンメル扱いされてるみたいだが >>517
フォン・パンヴィッツは、第15SSコサック騎兵軍団の軍団長になってからも陸軍中将(Generalleutnant)のままだったみたいだよ。
軍団付き幕僚の階級も陸軍だし、コサック騎兵師団の将兵自体、親衛隊に編入後も陸軍の階級のままだった模様。
編入の理由が、親衛隊や警察部隊と一緒に対パルチザン戦に従事していたので、その方が管理や補給の面で都合が良かったからだし、
移籍させても事務手続きやら徽章の再支給が大量発生して大変だったろうしね。
度々「シャルルマーニュ」の名前が出るのでWikipediaを覗いてみたら充実していて驚いた。
翻訳記事では無く、日本語オリジナル記事みたいだしね。
しかも「シャルルマーニュ」のカテゴリーが出来てるしw
凄いこだわりだ。 >>519
あぁ、そもそもコサック騎兵軍団に関しては編入自体が45年2月だし、最末期に改名だけというのが
実態だったろうと私も思う。大体が武装SSとしての師団番号だってついてないんだしなw
ただ、ラスカンHPのdiaryの最終更新、2003年4月27日分に
ttp://www3.plala.or.jp/Last-Kampf/
>>なお、コサック軍団は武装SSに属していましたが、個人については武装SSには属さないという原則があり、
>>唯一、コサック軍団最高司令官フォン・パンヴィッツ中将がSS大将に任じられています。
と書かれているのと、
Axis Biographical Research Forum での彼の項目に
ttp://www.geocities.com/~orion47/WEHRMACHT/HEER/Generalleutnant2/PANNWITZ_HELMUTH.html
>>Promotions:
>>19.10.1914 Kriegsfreiwilliger (Einjahriger)
(中略)
>>11.02.1945 SS-Gruppenfuhrer und Generalleutnant der Waffen-SS
>>Career:
>>11.02.1945 Transferred from the Heer to the Waffen-SS.
とあるので、もし可能性があるとしたら彼くらいしかいないんじゃないかなと思って。
いや>>507が正解を挙げてくれればこんな推測もしないで済むんだがね。 アーマーモデリングの最新号で、ラスカンの内容が先行掲載されてるね
内容はフランス艦隊の自沈で、カタパルト作戦やカサブランカ海戦、アッチラ作戦などを三号に渡って連載されるそうな >>521
有難うございます。
フォン・パンヴィッツはSSの階級を持っていたんですね。
以前
"Axis History Factbook"の部隊史関係
"The German Order of Battle:Waffen SS and Other Units in World War II"
"Hitler's Legions"
辺りを調べた時の記憶で書いたのですが、知ったかしてしまった…
今回の件が無ければ誤解したままだったので>>507さんには感謝してますw "The German Order of Battle:Waffen SS and Other Units in World War II"
って1944当時が基準だろ。載ってるわけないよね。
>>525
1944年時点のドイツ軍に付いて米軍が調査した物をベースにした本ですが、他のマイクロフィルムや書籍で前後の年代も補完されていますよ?
コサック騎兵に関しては、1945年3月17日付けOKHの記録からの引用や、5月の英第6機甲師団への投降の事も載っていますし。
確かに著者の勘違いや編集ミスの多い本では有りますが、代わる本を知らないので・・・
数年振りに再開したので古い本がソースで申し訳ないです。
編制や戦闘序列関係でオススメの近刊は何か有るでしょうか? >>524
いやまぁ、あくまで可能性の話なんだけどね。
forum panzer archiv では数年前に話題になってるがドイツ人の間でさえ
「軍団長はフォン・パンヴィッツ中将……」「SS中将だろ?」みたいなやり取りがあるくらいだし。
ttp://forum.panzer-archiv.de/viewtopic.php?t=7519&postdays=0&postorder=asc&start=0
ということで>>507が早く正解を挙げてくれれば、本来は外野の筈の我らが悩まなくても済むんだが。
>>522
キタキタキタキタキター! あのーヴィットマンのティーガーに搭乗していた他の乗組員の名前と階級
を教えてください。自分が知ってるのは
ミハエル・ヴィットマン親衛隊大尉
バルタザール・ヴォル親衛隊曹長 1944年1月 騎士十字章受章時
ミハエル・ヴィットマンSS少尉
バルタザール・ヴォルSS伍長 (砲手)
オイゲン・シュミットSS上等兵(操縦手)
ヴェルナー・イルガンクSS二等兵(無線手)
ゼップ・レスナーSS二等兵(装填手)
1944年8月戦死時
ミハエル・ヴィットマンSS大尉(車長)
カール・ヴァグナーSS軍曹(砲手)
ハイン・ライマースSS軍曹(操縦手)
ルディ(ルドルフ)・ヒルシェルSS上等兵(無線手)
ギュンター・ヴェーバー SS上等兵(装填手)
大変ありがとうございます!。
でも1944年8月の時ヴォルは・・・・?いったいどこえ ヴォルは負傷して本国
4月以来もう砲手ではなく戦車長だよ。 破れかけのタロット投げてライヒの行方を占っておりました。 何年か前、バルティは体調を崩して、過去の記憶をほとんど失ったと何かの雑誌で読んだような気がする。
その後の容態はどうなったのだろう。
>>536
英語版Wikiだと1996年5月18日に死亡となってる そうですか、バルティはかなり前にお亡くなりに。
合掌。 あのプライべートライアン観たんだけど映画みたいに第101SS重戦車大隊に
ヴィットマンより上の指揮官ていたの?映画では親衛隊少佐だったけど・・・ だからヴィットマンは第2中隊長で
大隊長はヴェスターンハーゲン(ヴェステルンハーゲン)SS少佐だっちゅうの。 今月号のアーマーモデリング誌に、高橋さんのラスカンが出てますね。
おフランスがネタです。 武装SSだけじゃなく一般親衛隊とかゲシュタポなんかは
扱うのかここ? >>545
以前ヴァーヴェルスブルク城の現地ルポをしようとしたら断られたので、純粋にWaffen-SSの話だけにした方がいい >>545
>>1には
>基本は武装SSのスレだが一般SSの話題もあり。
と有るから大丈夫では?
バルタザール・ヴォルって最初髑髏歩兵連隊に配属されてデミャンスク戦にも参加してたんだね。
てことはデミャンスク・シールド貰ってるのかな? ハイドリヒは暗殺されなかったら、ヒトラーの後継者に成り得ただろうか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています