親衛隊について語るスレ第5SS装甲師団ヴィーキング
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>521
有難うございます。
フォン・パンヴィッツはSSの階級を持っていたんですね。
以前
"Axis History Factbook"の部隊史関係
"The German Order of Battle:Waffen SS and Other Units in World War II"
"Hitler's Legions"
辺りを調べた時の記憶で書いたのですが、知ったかしてしまった…
今回の件が無ければ誤解したままだったので>>507さんには感謝してますw "The German Order of Battle:Waffen SS and Other Units in World War II"
って1944当時が基準だろ。載ってるわけないよね。
>>525
1944年時点のドイツ軍に付いて米軍が調査した物をベースにした本ですが、他のマイクロフィルムや書籍で前後の年代も補完されていますよ?
コサック騎兵に関しては、1945年3月17日付けOKHの記録からの引用や、5月の英第6機甲師団への投降の事も載っていますし。
確かに著者の勘違いや編集ミスの多い本では有りますが、代わる本を知らないので・・・
数年振りに再開したので古い本がソースで申し訳ないです。
編制や戦闘序列関係でオススメの近刊は何か有るでしょうか? >>524
いやまぁ、あくまで可能性の話なんだけどね。
forum panzer archiv では数年前に話題になってるがドイツ人の間でさえ
「軍団長はフォン・パンヴィッツ中将……」「SS中将だろ?」みたいなやり取りがあるくらいだし。
ttp://forum.panzer-archiv.de/viewtopic.php?t=7519&postdays=0&postorder=asc&start=0
ということで>>507が早く正解を挙げてくれれば、本来は外野の筈の我らが悩まなくても済むんだが。
>>522
キタキタキタキタキター! あのーヴィットマンのティーガーに搭乗していた他の乗組員の名前と階級
を教えてください。自分が知ってるのは
ミハエル・ヴィットマン親衛隊大尉
バルタザール・ヴォル親衛隊曹長 1944年1月 騎士十字章受章時
ミハエル・ヴィットマンSS少尉
バルタザール・ヴォルSS伍長 (砲手)
オイゲン・シュミットSS上等兵(操縦手)
ヴェルナー・イルガンクSS二等兵(無線手)
ゼップ・レスナーSS二等兵(装填手)
1944年8月戦死時
ミハエル・ヴィットマンSS大尉(車長)
カール・ヴァグナーSS軍曹(砲手)
ハイン・ライマースSS軍曹(操縦手)
ルディ(ルドルフ)・ヒルシェルSS上等兵(無線手)
ギュンター・ヴェーバー SS上等兵(装填手)
大変ありがとうございます!。
でも1944年8月の時ヴォルは・・・・?いったいどこえ ヴォルは負傷して本国
4月以来もう砲手ではなく戦車長だよ。 破れかけのタロット投げてライヒの行方を占っておりました。 何年か前、バルティは体調を崩して、過去の記憶をほとんど失ったと何かの雑誌で読んだような気がする。
その後の容態はどうなったのだろう。
>>536
英語版Wikiだと1996年5月18日に死亡となってる そうですか、バルティはかなり前にお亡くなりに。
合掌。 あのプライべートライアン観たんだけど映画みたいに第101SS重戦車大隊に
ヴィットマンより上の指揮官ていたの?映画では親衛隊少佐だったけど・・・ だからヴィットマンは第2中隊長で
大隊長はヴェスターンハーゲン(ヴェステルンハーゲン)SS少佐だっちゅうの。 今月号のアーマーモデリング誌に、高橋さんのラスカンが出てますね。
おフランスがネタです。 武装SSだけじゃなく一般親衛隊とかゲシュタポなんかは
扱うのかここ? >>545
以前ヴァーヴェルスブルク城の現地ルポをしようとしたら断られたので、純粋にWaffen-SSの話だけにした方がいい >>545
>>1には
>基本は武装SSのスレだが一般SSの話題もあり。
と有るから大丈夫では?
バルタザール・ヴォルって最初髑髏歩兵連隊に配属されてデミャンスク戦にも参加してたんだね。
てことはデミャンスク・シールド貰ってるのかな? ハイドリヒは暗殺されなかったら、ヒトラーの後継者に成り得ただろうか? 戦に負け一代限りで消えた帝国に後継者が居ても・・・ >>552
殺るか殺られるか、どちらが先に行動したかね? 第二世代指導者たちの中では有望株だけれども、まず最初にゲーリングを排除しないことにはw >>554
ヒトラーあってのナチスだから、それはない。 ハイドリヒ、ドキュメンタリや伝記読んでて思うんだが、
他の連中と比ると扱いが悪い気がする。 549たぶん・・・貰ってないんじゃかな・・・記録写真見ても着けてないし
第11SS山岳猟兵連隊「ラインハルト・ハイドリヒ」 えらい人物の名前を付けたものだねえ。
迷惑じゃなかろうか・・・ じゃあ、第1SS装甲師団「アドルフ・ヒトラー」なんて、大迷惑か? 第18SS義勇装甲擲弾兵師団「ホルスト・ヴェッセル」とか第6SS装甲擲弾兵連隊「テオドール・アイケ」とか
第13SS山岳猟兵連隊「アルトゥール・フレプス」とかもあるしなぁ
ホルスト・ヴェッセルは恋人の売春婦の家で、刺されて死にました。
それが・・・何故か・・・ナチス党に殉じた事に・・・ 闘争時代だったし、特にベルリンは左翼の牙城だったからテコ入れに殉教者が欲しかったんだよ なんかアメリカでやるドイツ軍の服装したりするサバイバルゲームの画像
見ていたら。なんかアメリカ人もドイツ軍の軍服も似合わないし・・・・
やっぱりドイツ人しか似合わないなーと思った ハイドリッヒの場合、長いナイフの夜などでレームらを失脚させたり、カナリスとの確執、部下には陰で金髪の野獣と恐れられていたしね。 >>518
亀だが……
エストニアでは独立回復後に「エストニア独立の為に戦った兵士の記念碑」が2002年、
「エストニア独立の為に戦った兵士像」というのが2004年に設置されたけど、
ロシアやエストニア国内のロシア系住民の反対で撤去されてる
特に2004年に設置された像は武装SSの格好でつくられ、除幕式には元武装SS隊員たちの生き残りも
出席したとのこと
一方でソ連時代に設置された「エストニア解放の為に戦った赤軍兵士像」の撤去は2004年の選挙戦で
ひとつの焦点となった後、撤去派連立政権の成立下でようやく行われた
かようにロシアやロシア系住民の政治的影響力は今でも大きいが、それゆえの反発という形で
大戦中のエストニア兵を称揚する人々もいる
ちなみに、独立回復直前の取材で書かれた「民族の運命」という本にはエストニア政治犯協会という名で
元武装SSや元国防軍に所属していた老人たちが集まっている様子が書かれている
彼らの殆どはもう死んでいるのだろうけど、エストニア版HIAGみたいなものというところかな >特に2004年に設置された像は武装SSの格好でつくられ
おお、それいいなぁ。撤去とは残念だ。 >>571
撤去後はタリン近郊にある私設の戦争博物館が引き取ったという話なので、エストニアで丹念に探せば
見られるかもしれないぞ >元武装SS隊員たち
戦後は、さぞ苦労した事でしょう。 反共独立組織「森の仲間達(友達)」はエストニアだっけ? 「民族の運命」では森の兄弟とも訳されているね
最盛期の1945〜46年には約5000人いたともいわれるが、孤立無援の状態で1947〜48年には急速に
弱体化していったようだ
それでも最後の一人とされる人物が追い詰められ川へ身を投げたのは実に1978年!と伝えられている
元武装SS隊員については、チェコスロバキアで降伏した第20師団に所属していた隊員の回顧が
載っているのだが、チェコのパルチザンに捕まる→入れ墨を見つかりSSだとバレる→チェコで強制労働→
一年後、ソ連へ送還される→チェコでこっそり作った偽造証明書でなんとか木こりの仕事につく→
しかし、昔の旧友にばったり会い密告されて捕まる→レニングラード経由でシベリア送り……と劇的である
他にはスウェーデンに亡命し1988年まで帰国できなかった人物や、戦後も森の兄弟に所属していたので
15年のシベリア送りとなり両手が不自由になった人物などいろいろ
まぁ、これらの人物は生きて取材を受けているのだからまだマシと言えるのかもだが…… SS第38擲弾兵師団 ニーベルンゲンって実在疑われてるって聞いたけど本当なんでしょうか?
師団シンボルが創作っぽいのは知ってたんだけど・・ ウィキ見るかぎり全部創作とは思えんがな〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/第38SS擲弾兵師団
「師団章が創作」って話が「師団自体が創作」に変わったんじゃないの? ありがとうございます。
この師団って書籍みても、ググってもぜんぜん情報ないから、創作って信じちゃったんだよなぁ ?
ttp://www.feldgrau.com/38ss.html
とか
ttp://www.axishistory.com/index.php?id=761/
とか
ttp://www.lexikon-der-wehrmacht.de/Gliederungen/GrenadierdivisionenSS/Gliederung.htm
とかネット上には他にもいくらでも情報があると思うが……
ttp://www.bild.de/news/aktuell/news/grass-hardy-krueger-737574.bild.html
みたいにハーディ・クリューガーが過去を告白する際、わざわざ創作上の師団に所属していたことにはしないだろう >ユダヤ人元上官の保護指示 ヒトラー、文書見つかる
>男性はエルンスト・ヘス氏(1890〜1983年)で、ヒトラーが第1次大戦で従軍した際の上官。
>文書は40年8月19日付で、ナチス親衛隊(SS)隊長のヒムラーが警察幹部に宛て
>「総統の希望による」としてヘス氏の保護を求めた。
部下には優しくしとくものだな。 一次大戦ではヒトラーは非常に優秀な兵隊でした。
こと、伝令としては異常に能力を発揮。
ので、有る上官はヒトラーを昇進させず、ずっと手元に置きたがったとか・・・
41年には収容所送りになり戦後に語った部下時代のヒトラー評は
友人はおらずとるに足らない男
ek1推薦したのこの人なの?
そりゃ戦後評はなぁw
一級鉄十字章推薦者はフーゴ・グートマン中尉
37年に拘束されたが、連隊時代の戦友で当時はまだ総統副官だったヴィーデマンが介入して解放され、
38年にベルギー、40年にアメリカへ移住した
71年にアメリカで死んでる そもそも、ほぼ開戦から終戦まで参戦していて、
かなりの期間を連隊本部付きの伝令兵として過ごしてたなら
元「上官」にあたる人物なんて何十人も居るんじゃ? 97歳ナチス最後の大物ブダペストで拘束 - 国際ニュース : nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20120718-985661.html
ハンガリーの地元警察官がナチス高官てどーなのよ ヴィーゼンタールセンターも自己保全に必死なんだろう
戦犯がいなくなったら存在価値ないから一生懸命に戦犯を作る 元々、去年の11月の予定じゃなかった?
一年遅れか・・・ wikipediaでヴィーキングのページ読んでるんだけど英語よくわからん…
SSの大ドイツの元で歩兵連隊として組織されたのがゲルマニア師団として独立して、自動車化して改称したのがヴィーキングってことなの? GD師団は陸軍だよ。
パウル・ハウサーのSS-VTからゲルマニア連隊が抽出されて編成し直してヴィーキング師団になる。
残りのSS-VTはダス・ライヒ師団になる。
この二つの師団はゼップ・ディートリヒのとこのLSSAHとHJ(12SS)みたいに兄弟ってこと。 >>596
SS-Verfugungstruppen-DivisionってのがSS-VTか。
SS-VT→ゲルマニア連隊(→ヴィーキング師団)
→残り(→ダスライヒ師団)
って感じか。ゲルマニア連隊の穴は別で補填されたって理解でいいんかな 国防軍のグロスドイッチュラントとSS-VTのドイッチュラントを混同したみたいだね。 ウィーキングは1941年4月までに作戦可能になったとあるけど
再翻訳されたらしいEuropean Volunteers 2006年版では、4月にホイバーク演習場に移動して
6月に作戦可能と判断されたとなってるんだよね そのあたりは「バルバロッサ」の発動最終決定が4月でその時に参加予定兵力として数えられていたので
すでに戦闘可能だったと考えるか、でも「マリタ」には参加してないからやっぱ訓練足りなかったんじゃね?
と考えるか、どっちの見方をするかの違いになってくるんじゃないかな
個人的には真ん中を取って戦闘可能なったのは5月とかw
>>597
「ゲルマニア」連隊の後は、髑髏部隊の第11連隊が第11SS歩兵連隊に改編され編入された(1941年2月)
この連隊は独ソ戦で大きな損害を受けたため解隊され(1941年10月)、生き残りは「ドイッチュラント」連隊と
「デァ・フューラー」連隊とに分散吸収された
その後一時期だけ「ランゲマルク」連隊が指揮下にあったが、第2SS戦車連隊「ダス・ライヒ」が編制され、
最終的には「ダス・ライヒ」・「ドイッチュラント」・「デァ・フューラー」の三羽烏となる 年内には出てくれないかなぁ
最初の予定では昨年の11月だったから… 著者が病魔に犯されているんだから仕方あるまい。
遺稿として出版されるんじゃないか。 >604
そんなバカなとBBS見たら・・・手術だって?!
9月末が原稿最終入稿とあるけど・・・大丈夫かなあ。 ハインツ・ヨストが干された原因てなんなの?
シェレンベルクに嫌われたの? >>607
シュターレッカーの死で特別行動部隊の指揮を執ることになったものの、
部隊の性質がズデーテンの時とは比べものにならない完全な屠殺業になっていたことに参ってしまい、
「働きたくないでござる」症候群にかかったことと、後ろ盾してくれてたハイドリヒが暗殺されたことの二つで
ヒムラーから見限られた ラインハルト・ハイドリヒなんていう名称を付けられた部隊は・・・
気の毒だねえ。 >>610
そんな師団あったか?
第56SS山岳師団「プゲラッチョ」 ラスカン3は10月末発売予定とあるが・・・
本当かしら。 あくしずでヴィットマンの最期の戦いを読んでたらヴィットマンの最期の服装
てなんだ?と思ったあくしずでは迷彩服だけど実際はu-ボートジャケットだと
思うんだけど?誰かわかる人教えてください
シーシェパードは動物保護やれば女にウケるってガセネタ信じたキモオタの集まりだからね Uボートジャケットはイタリア軍から接取したものだからね。
8月には損耗してSSの迷彩服になったという解釈じゃないの。源文さんとかは。 >>619
One man can make difference.... ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています