歴史街道 2018年12月号
特集1 日米開戦・七十七年目の真実
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【総論】
戦争が起きる「メカニズム」を検証 五十年間、危機の連続だった日米開戦が破綻した“本当の理由”とは
中西輝政

 そこから「ソ連を崩壊させてなるものか」という思いが、ルーズベルト大統領にあの大きな決断をさせたのだと思われます。
その「決断」とは、日本の北進をやめさせ、逆に南進させようという目的で、対日石油禁輸と在米日本資産の凍結を行ったこと
です。ルーズベルトはこれによって日本を挑発し、日米開戦を経て、米独戦争、つまりアメリカのヨーロッパ参戦と、英ソの
直接救援を可能にせんとしたのです。
 戦後の日本では、「日本軍の南部仏印進駐への対抗として、石油禁輸と資産凍結が発動された」と我々は教えられてきました。
ところが、最近、明らかになったイギリスの暗号解読文書を読むと、すでに1941年6月末の時点で、英米は7月末の日本による
南部仏印進駐をいち早くつかんでおり、これを口実として対日石油禁輸へ踏み込もうという動きが出てきます。これは、石油禁輸
をされた日本は必ず南方の資源を求め、対英米武力行使に出ると見て、日本に「最初の一撃」を撃たせようとしたわけです。
しかし、日本は、対米開戦だけは何としても避けようとして、近衛−ルーズベルト会談を提案したり、日米交渉でギリギリの
対米譲歩案(暫定案)を提案したりしました。