武闘派集団の拓殖と国士舘もお忘れなく。

<拓殖短大応援団でリンチ殺人>
昭和53年5月10日午前4時、世田谷区三軒茶屋の三軒茶屋病院で全身打撲で死んだ拓殖短大経営学科1年の
応援団員、松島敏雄さん(20)の死因がおかしいと通報があり、松島さんは応援団の合宿でのリンチが原因で
死んでいたことがわかった。5月3日から応援団は群馬県勢多郡富士見村赤城山沼尻の拓殖大保養所
赤城山荘で31人で合宿を行い、午後3時、2年8人、1年13人が3列に並べられて3年によってリーダー旗
(直径2cm、長さ70cm)で殴られた。1年が練習で間違えると連帯責任で殴打されるなどして5月6日午後4時、
相撲見物中に松島さんが突然、倒れて村の病院に運び込まれ、5月7日には渋谷区幡ヶ谷の黒須外科へ、
5月9日午後7時15分に三軒茶屋病院に送られていた。5月10日午後11時20分、リンチを行った7人を逮捕、
拓大では松島さんの負傷について「階段から落ちた」などと処理しており、5月12日には応援団の10人を退学、
拓大応援団の永久廃止が決まった。5月27日には豊田悌助総長(75)が辞任した。