【戦前戦中はガチの右翼だった法政大学】
・昭和8年、荒木貞夫(陸軍大将)が顧問に就任
・昭和12年、荒木貞夫、予科の修身科講座講師を務める
・昭和14年、大陸部(専門部)を新設、大川周明が部長に就任

昭和18年3月小山総長が辞任し、竹内賀久治学長が総長に昇格した。
竹内は、平沼騏一郎らの国本社に所属する国粋主義者であった。
荒木貞夫、大川周明らを左右に配し、盟友井上達三(陸軍中将)を
附属中学校長に推し、翌20年には予科長に任ずるなど、学内の
軍国色は一段と濃くなった。(法政大学 『法政大学の100年〈1880-1980〉』)