>>458
福岡連隊じゃった高崎伝氏は、泥棒部隊であったことを誇らしゅう書いておられる
けど。ほいから、敵を武器を奪うなんか、広島師団が南寧戦で武器がのうなって
竹槍を造って、敵兵を刺し殺して武器を奪い戦闘を継続したよう、中国地方や四国、
九州の機敏な特質を持つ兵団しか出来る芸当じゃないよ。鈍重な東北や北陸の兵は
無理じゃし、関東や東海の兵も得意じゃ ないけんのう。
高崎伝氏の文から要点を抽出しとこう。
『糧秣受領にゆくというのは、ドロホーにゆくという、百二十四連隊の暗号で、
他部隊の者はおそらく誰も知らなかっただろう。兵隊たちは掴まりそうになったら
カシの棒で警備の兵隊をぶん殴って気絶させたそうである。
「おい戦友、堪忍やぜ。俺を恨むなよ。恨むなら、うちの親分を恨めよ。警備に
立ったら、日本兵やからとて油断するなよ。これも訓練の一つだ。こんど
来たときゃァ、素直に盗らせてくれよな」まさに説教強盗も顔負けである。
工藤軍曹の話。「昨夜、道端に輜重の兵隊が脳天を割られて、血だらけで倒れていた。
もういまごろは死んでるじゃろう」手口から見て、犯人はどこの部隊か、おおかた
わかるような気かした。まさに「ああ壮烈!ドロボー部隊」と辻参謀が戦記に
川口支隊(福岡124i)をドロボー部隊と書いた気持ちもわからぬでもない。泥棒は
日本兵だけでなく、高射砲の印度兵も また同じであった。暗闇の中で、変な日本語で、
「ヘイ!マスター、ドロボーか、ワタシモドロボー、ナカヨクネ」
「おう、ユー・インドか。うまくやれよ。」そういって別れた。
まあ、軍隊じゃあ、同じ日本軍でも、ぽさっとしよって盗られる方が悪いけえ、
九州兵の云われることは概ね正しいよ。まあ、九州兵とインド兵に規律を求めても無理じゃ。
隙さえあれば、味方の物でも盗むけんのう。ガ島じゃあ東北や北海道の兵士も多かったけぇ、
そりゃあ盗り易かろうて。 じゃが九州兵はマレー戦じゃエースの機敏な広島師団から盗めんで
残念じゃのう。