>>167
>昭和16年に1万人パイロットを育成したからといって、そのまま全員が最前線にいけるはずもないし
>そっから分科もするしで、全員が戦闘機隊に来ません。
>てか卒業生全員がガ島に配備なんて

>>160
>米海軍では開戦時の艦上機3種、戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機を1:2:1の割合で搭載している。
>艦上機のほかに水上偵察機や飛行艇もあるので戦闘機パイロットの割合はおおよそ海軍航空隊の総数の1/5程度であると推察できる。
>そして、緒戦の米陸海、海兵航空隊に共通していたのは少数のベテラン、中堅と大量の新米パイロットで飛行隊が構成されていた。
>もちろん、他にも教育航空隊で教員として勤務していたパイロットも多数存在はしていたが、
>開戦前から千人単位でパイロットを育成していれば、
>外洋で戦うことを前提としていた海軍と海兵隊ですら多くの新米を含めて400名足らずしか開戦1年で実戦に出せた戦闘機パイロットがいなかったという
>>154のレスのような事態にはなりえないというわけ。

誰も全員が最前線とも、戦闘機とも、ガ島だけとも書いていないことがわかった?すべて的外れだよ。

1941年12月〜42年12月の期間、太平洋戦域において米海軍、海兵隊戦闘隊が参加したすべての戦闘、
つまり、 真珠湾攻撃から始まり、ウェーク島、ラバウル空襲、珊瑚海海戦、ミッドウェー島、ガ島攻防戦など太平洋戦域で行われた海軍航空隊と海兵航空隊が参加した戦闘が
前線に配備された>>160で書いたわずか400名以下の米パイロットによって行われている。

開戦前から1万人のパイロットを養成しておきながら、
開戦からの1年間で米海軍と米海兵隊は太平洋戦線の前線に訓練学校を卒業したばかりの新米まで含めて400人しか送り出せなかったというのはどういう思考をすればできるのかい教えて欲しい。