【陸軍】日本軍航空部隊パイロット総合6 【海軍】
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>>187
海に落ちるか陸に落ちるか、で確認のし易さ違うんでは >>189
それだとノモンハンでも事実誤認が多いからなんとも
ただノモンハンだと空戦の規模が段違いだったというのもあるからかもね。
分からないや。 銃撃加えて急降下で逃げられても全部撃墜なんてカウントしてたらそうなるわな
陸なら残骸がなければ考え直すだろうけど >>191
ソロモン方面といったら渡辺さんもまさにそのことを指摘してるね
攻撃受けたら即時急降下離脱して体制を立て直すF4FやP-40を日本海軍の操縦員は揃いも揃って撃墜判定してるって 降下離脱の敵機を墜落と勘違いしたのと、撃墜と思い込む希望的観測であった。それだけ
老練で沈着な搭乗員が減っていた
↑渡辺さんの記述。
ただ少し疑問なんだけど、ノ事変でのソ空軍に対しても
同じことが言えると思うんだけど、なんで大陸やビルマでは
それが少ないんだろう?(ままあったにせよ。)
残骸確認は一緒だろうし。 自分もそう思ってて、>>190に規模の違いかなと書いたんだけど
梅本本を読み返してたら
精鋭の11Fは到着早々のブナ侵攻でも誤認多数だったりするし
10機前後の小規模な船団防衛でも誤認したりするからよくわかんないや。
一番の原因は空中勤務者の疲労+熟練搭乗員の損耗なのかな?
ノ事変でも一日に何度も出撃して血のションベンが出たとか残存戦闘機パイロットが80名だとか
悲惨だったみたいだしニューギニアでも目薬さして飛んでたとか。。。 ソロモンで交戦していた連合国軍も同様に大量の誤認をしていたからなぁ
>>192の渡辺氏もそういう観点が全く無いのがな >>193ノモンハンでの誤認がすさまじかったのでそういう戦果確認を厳密にしてたとかでないかな。
まあ確認はできないけど。でも64戦隊とか何気にそういうのを厳密にしてた感じはある。 >>196
>ソロモンで交戦していた連合国軍も同様に大量の誤認をしていたからなぁ
対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」
フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、
1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。
1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準
で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。
1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して
アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、
対日戦参加のために中国に来た。
31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、
みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング
タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」
というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、
積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。
また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。
http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm フライングタイガースは懸賞金制度だからなぁ。
南寧では何故かピタリと戦果を一致させてる。 >>193-197
それって単に海軍と違って帝国陸空軍は編隊空戦ちゃんとやってたからじゃないの
海軍は精鋭でも好き勝手単機戦闘や格闘戦やっちゃってるから目撃者がおらん >>200
本土防空戦でも244Fの藤沢大尉の回想で
こちらは編隊がバラバラになるけど敵は崩れなかったとあるから
残念ながら日本にはロッテが根付かなかった模様。
そこらへんは梅本本にも記述があった記憶。日本陸空軍のロッテ云々 >>200ほらそれをやってた343空が大嘘三昧だから。なんか仲間同士で虚偽を許容してた感じ。 >>202
米英みたいな事は出来なかったという前置きがあるが、64Fだとロッテ導入で未帰還率は下がったみたいな成果が梅本本にあるぞ
ロッテ、編隊戦、無線運用、地上誘導を積極的に取り入れていた陸空軍でこれなら海軍はもっとお寒い状況ですなぁ お寒いなんていったところで陸海軍で損害に差がないのでは陸軍は積極的に取り入れただけムダだったとより悲惨なわけで・・・
戦後、航空自衛隊のジェットパイロットになった人も「戦前の日本の編隊空戦?米軍に比べればお遊びレベルだった」と証言しているしな >>205
マジ、ちょっと読み返してみるわ。
ビルマ航空戦の方よね?
>>206
ビルマ方面のキルレシオを考えると
結構重要なファクターなんじゃないかなぁとは思う。
まぁ多分、一番の要因は対空監視網の構築の是非だとは思うけど。
本土防空でも大陸方面から侵入したB29の損失は、結構馬鹿にならない。
大陸から済州島までB29の侵入情報が逐一入ってきて、有利な位置取りが
できてたみたいだし。 >>207
ラバウルなんかもブーゲンビル島他多数に監視哨があって
空襲の30分以上前から情報が伝わったので展開する時間があったのは大きいね。 アメリカに比べイギリスの編隊戦闘が稚拙だったという事じゃないかな。
だから陸軍はそれに救われたと。 確かにオーストラリアのスピット相手でも零戦と隼は善戦していたな そういえばイギリス空軍って編隊戦闘がうまいという感じしないな。
本家のドイツよりもアメリカが異様にうまい感じ。 サッチウィーブにしても実はあんま使われてなかったという話もあった気がするからどうだろうな?
(あくまで理論上の話であって、実戦で使うには難しい&かえって危険過ぎるとかいうパイロットの談話をどっかで読んだ記憶) 神立さんの本じゃなかったかな
一証言を載せたものだね
一方源田の剣なんかを読むと
よく使われている
その頃には
特攻機を落とす作業ばかりになって
気が緩んでるので強力な戦闘機隊と
遭遇したら交差機動で対抗しろとか
通達が出されている ボイントンの戦記を読むと、ちょうど落とされる直前、僚機と「左右に交差しながらカバーしあった」とあるな。
これがいわゆるサッチウィーブなんだろ。 >>212
サッチウィーブは基本的に戦闘機同士がお互い
交戦するの前提だが
実際には
サッチも参加したミッドウェーのように
空母戦闘機の役目は基本的に相手の雷撃機・爆撃機を叩いてナンボだからなw
戦闘機同士の戦いなんて
全体ではオマケでやるようなシロモノだよ >>215
戦闘機が爆弾抱えてまっしぐらに突っ込んできた場合は >>210
オーストラリアのスピットは格闘戦を挑んでる。
日本側は罠じゃないかと疑うほど稚拙な戦闘を挑んで完敗してる。
日本側は戦闘での未帰還はなし
>>217
ビルマ航空戦読めばごろごろかいてあるぞ。 >>219
それはアメリカ相手だから、というより
ラバウルのように日本軍として迎撃体制が整っていた戦域だからではなかろうか。 >>220
そうだと思うよ〜
英軍が劣るというよりも日本軍の防空網がしっかりしていたんだと思う。
ただ米軍は強ひ。 >>218
そういうのは戦闘機本来の運動性発揮出来ないんだから単なるカモじゃん… 97式中戦車チハは、チンピラゴロツキ殺戮マシーンであって、米英独ソの機甲部隊と戦うための戦車ではなかった。
さらに言えば、中国人の敵は日本軍ではなく、中国人の脳に涌くウジ虫であった。
中国人の先天的かつ絶望的な知能障害は、P-51の航空優勢さえも台無しにしてしまった。 サッチウィーブは一撃離脱と真逆の速度を失うシザース機動するんだから積極的にやる意味が無い
日本機の方が優位とか速度が出てないのに高度も十分じゃないとかで振り切れない時にする程度だろ 安倍の女性の活躍推進の影響で
パイロットに女性を配置することに「踏み切る」だって
やだなーある日突然戦闘機が突っ込んできたら >>225
これ本当なの?
何でもかんでも採用すりゃいいってもんじゃないでしょ 安倍の「1億総活躍」ってやつはさ、何だか「1億総特攻」みたいで
俺は嫌いだ。もうちょっとマシなセンスないのかねえ。 むしろ昔の精神主義みたいなノリが好きで敢えて使ってんじゃないの…? ID変えて日付け変わるのを利用して自演しないでええよケンモメン。 >>229
>227を書いたのは俺だけど自演って何?
何でもかんでも自演と決めつける奴は2ちゃんに多いが俺は自演してないぞ。 むしろ進め一億火の玉だとか欲しがりません勝つまではとか気の利いたスローガンにするべき メジャーリーガー足らぬ足らぬは工夫が足らぬはいつの時代でも使えるし何気に良い言葉 渡辺氏って海兵出身者に良い印象もってないのかな〜? >>236
渡辺洋二さん?
あの人は、「無責任な指揮官」は嫌ってますね。
「芙蓉部隊」では実名あげて書いてます。 そうそう渡辺洋二さん。
特攻について兵学校出身が温存されとるから怒ったり、どちらかというと予学の方を
取り上げた作品が多い気がする。取材比率が予学出身者の方が多いからというのも
あるけど。 真珠湾攻撃で未帰還になった平野崟一飛曹ってどんな人物だったんだろう。
分かっているのは甲種1期だということぐらいで撃墜数も不明だけど板谷茂少佐
の2番機を務めたぐらいだから相当技量は高かったと思う。
もし終戦まで生き延びてたらかなりの戦果をあげてたかもしれないと思うと
非常に残念だ。 真珠湾攻撃に参加したパイロットならこれに少しはあるかもしれない。未見だが。
真珠湾攻撃隊隊員列伝―指揮官と参加搭乗員の航跡
今を去ること70年前、日本海軍空母機動部隊はハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し、3年8カ月にわたる太平洋戦争に突入した。
本書はそのハワイ真珠湾攻撃に参加した日本海軍空母機動部隊の飛行機搭乗員に焦点を当て、総指揮官淵田美津雄中佐から各中隊長クラスまでの指揮官50人を中心に人物紹介をするものである。 ドキュメンタリードラマ「撃墜 3人のパイロット」の再放送
前編 4/9(土)14:30-16:00
後編 4/17(日)14:30-16:00 質問です
戦闘機のエースパイロットは撃墜数でわかりやすいですが
その他の偵察機や爆撃機や攻撃機では明確な戦果がわかりにくいです
良いパイロットかどうかはどのように判断されたのでしょうか? 操縦士の良し悪しなら戦場から戻ってきた回数じゃない? 偵察ならその成功率や報告の正確さ、爆撃機、攻撃機なら目標への命中率や損害の低さだろうね。 >>244-245
ありがとうございます
遠縁の親戚が海軍の軍人でパイロットの教官をされていて
戦時中はパールハーバーの空襲にも参加されたと聞きましたので興味を持ちました パールハーバーの作戦に参加とか、かなり練度の高い乗組員だったんだね 真珠湾攻撃のパイロットには練習航空隊を出てわずか半年程度みたいな若者も混じってるからそうともいえない。 五航戦(瑞鶴・翔鶴)は出来立ての新編成だから若輩が多かっただろ 開戦当時だって航空隊に配置されて半年も経ってたら十分に熟練搭乗員の扱いされるけどな
支那事変続行中で搭乗員の損耗は続いてたし、日米開戦睨んで訓練は厳しかったから飛行時間は十分に積み上げられた >>251
それは絶対にない。
開戦時の平均飛行時間や戦記での証言をみてもわずか半年程度の配置で熟練はありえない。 末期だったら、半年生き延びればベテランてのも分かるけど… 元零戦パイロットの原田要さん死去 真珠湾攻撃など出撃
ttp://www.asahi.com/articles/ASJ535332J53UOOB00G.html ボース墜落死
直前に操縦交代 元整備兵が証言
ttp://mainichi.jp/articles/20160512/k00/00m/040/138000c 昔家にあった陸軍名パイロットの本持ってたんだけど何処かに無くしてしまった
その中で陸軍で潜水艦5隻?だったかな沈めた人がいたんだけど思い出せん 確か坂口って御方だったかな?
戦後は自分で彫った仏像に毎日拝んでるって書いてあったのも覚えてる
思い出せん あとageでスマン 上坊良太郎さんの「五つの空」をようやく読んだよ。派手な表現とかはないけど、割と名文家じゃないかな。
それにしても、本当に自分の武功についてはひかえめで語らない人だ。戦友への思い、雲の描写が心に残る。
ただ一瞬の好機を逃すな、石橋を叩き過ぎては割ってしまうという表現は、やはり撃墜王だなと思った。 初心者スレより。
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1473686547/165-174
165 名無し三等兵 sage 2016/09/18(日) 11:45:21.39 ID:F853Bko0
旧海軍のパイロットだった祖父の経歴が簡易的に書いてある名簿のようなものを祖父の遺品から見つけたのですが、軍事に疎く調べてみてもよく分からないのでどの時期にどこで何をしていたかを分かるところで宜しいので教えて頂けませんか
http://i.imgur.com/lWrcSMb.jpg
173 名無し三等兵 sage 2016/09/18(日) 15:48:44.39 ID:F853Bko0
>>172
海軍に志願して操縦練習生に受かってパイロットになり、南方に行っている時に病気になったと聞いたことがあります。
戦闘機に乗っていたと聞いていたのですがアルバムには戦闘機と艦爆?の写真もあったのでどちらにも乗っていたということもあるのでしょうか?
http://i.imgur.com/rooV5bh.jpg
http://i.imgur.com/DkiIx5s.jpg
http://i.imgur.com/I0rNNUd.jpg 「ブラジル桜花会」いまだ消えず@ 脇田勅氏が特別寄稿
ttp://saopauloshimbun.com/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E6%A1%9C%E8%8A%B1%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9A%E2%91%A0%E3%80%80%E8%84%87%E7%94%B0%E5%8B%85%E6%B0%8F%E3%81%8C/
「ブラジル桜花会」いまだ消えずA 特別寄稿 脇田 勅
ttp://saopauloshimbun.com/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E6%A1%9C%E8%8A%B1%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9A%E2%91%A1%E3%80%80%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%AF%84%E7%A8%BF%E3%80%80/ 「ブラジル桜花会」いまだ消えずB 特別寄稿 脇田 勅
ttp://saopauloshimbun.com/%E3%80%8C%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AB%E6%A1%9C%E8%8A%B1%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%A0%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%9A%E2%91%A2%E3%80%80%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%AF%84%E7%A8%BF%E3%80%80/ パイロットなら戦闘機が花形だと思うけど
戦果を考えると雷撃機が一番派手に思う
爆撃機は急降下技術は難しい割に被弾多いし、命中しても威力微妙で
しかも生き残っても末期は特攻隊にされてしまう報われない部署
やはり戦前の振り分け時の人気だと戦闘要員>雷撃要員>爆撃要員だったのでしょうか? 海軍に限れば
まずパイロットとそれ以外の2つに分けられ、
パイロットは単座=戦闘機と小型機と大型機(含む飛行艇)に分けられた
爆撃機は急降下爆撃機ができてからであり、だいぶん後
人気は戦闘機>2座水偵=水上戦闘機>陸上攻撃機>艦上攻撃機>艦上爆撃機>陸上戦闘機>飛行艇>2座水偵以外の偵察機>輸送機 >>266
小型の艦艇なら一撃で沈めることもできる雷撃は確かに華々しいが
命中率も帰還率もめっちゃ低いぞ〜 しかも1機墜ちると少なくても3人死ぬから
コスト的に見合うんだかどうなんだか >>267-269
ありがとうございます
陸上戦闘機の人気が後ろの方で意外に思いました >>270
海軍の陸上戦闘機は早発の「月光」からなので、艦上爆撃機よりもっと後
96艦戦とかの艦上戦闘機を配備したけど、一切の離発艦訓練を廃した陸上戦闘機部隊は渡洋爆撃が本格化したマル4計画で初めて盛り込まれ、
紆余曲折の末に第一航空隊として昭和16年4月開隊、その主力がのちの台南空(1941年10月開隊)となる
もちろん、艦上戦闘機を用いた陸上戦闘機部隊(戦闘機)と「月光」を用いた陸上戦闘機部隊(陸上戦闘機)は全く違う >>269
まあ100機落とされても一隻主力艦沈められれば、人員の交換比率的には十分以上に見合う
艦隊航空戦ってそんな計算式の世界 2017年1月8日付 読売新聞朝刊
高橋淳さんのインタビューが掲載されています。
お元気そうで、なにより。 「新兵サンよもやま物語 続」 (富沢繁)に、こういう話があった
富沢さん(航空整備)の部隊は台湾に展開していたが、同じ部隊に
陣内という台湾出身の軍曹(搭乗員)がいた
人柄がよく誰からも尊敬されていたが、日に日に憂鬱そうになり
1945年にお詫びの書き置きを残し、飛行機に乗ったまま大陸に飛んで
いってしまった
終戦後、台湾・松山飛行場に国府軍の一団が武装解除にやって来た
その中に大佐の階級章を付けた陳金水(陣内軍曹)の姿があった…
それで「陳金水」でググったら、台湾版Wikipediaにその名前の項目が
あったんだけど、記述がちょっと違う
逓信省の学校で飛行士の免許を取った後、1930年に貿易業のため
漢口に行き、そこで中国軍に入隊し大尉として迎えられた、って
いうようなことが書いてある
そして日本軍と戦った後、1945年に接収委員として台湾・松山
飛行場に行ったと。戦後は1962年まで空軍を続けて退役
おそらく「よもやま話」の陳金水とWikipediaは同一人物だと思うし
富沢氏は陳金水の名前を知ってたんだから、本の方が本当なのかね
経歴が変えてあるとしたら、脱走したとしても、祖国に弓を引いた
ことが都合が悪いからかね 米本土で日本人が零戦操縦 “初飛行”の可能性
ttp://www.sankei.com/world/news/170412/wor1704120039-n1.html
あのじっちゃんは最悪だった b 628 名前:高度774m :2017/05/09(火) 21:53:37.85
日本の名機「零戦」がレッドブル・エアレース千葉2017に登場!!
http://rbar.jp/event/zerosen.html
第一報を見た時「去年の話と勘違いか?」と思ったらホントだった。
日本に戻って来たとの噂も聞かないが、レース機と一緒に日本に運び込むのかな?y 予科練・少飛出身の空自パイロットって比率はどうだったんだろ? 終戦後中国で空軍教育に携わった方も多かった
(捕虜 抑留) >>274
日テレの笑ってコラえての名前の旅で出演されてた。戦術の話は興味深かったな。
http://www.ntv.co.jp/warakora/next/20170628.html
戦闘機に襲われたときはとにかく低空を飛ぶ。上空から下降しながら
射撃し下に抜けていくように相手は飛ぶので、低空に居ればある所で
反転上昇しないとならなくなるので射撃機会が最小限で済む。
ただ真っすぐ飛ぶのでは的なので、曲がらなければならなわけだが、
バンクさせたりするとそっちに向かってるのが丸わかりなので、
横滑りさせて真っすぐ飛んでることを装って見越し射撃を妨害する。
夜間雷撃は先輩の教え通りとにかく低く飛ぶ、危険なのは魚雷を
リリースした後で、直後に上昇反転していった仲間は撃墜されていった。
すぐに安全な高いところに上がりたいパイロットの習性なんだろうねと。
自分は横滑りさせて高度を維持したまま敵艦の舳先を掠めて抜けていき、
十分に距離が離れた後に上昇し離脱するようにしていた。
実戦的な戦術を教えてくれる教本なんかなかったから、先輩から聞いた
戦術をアレンジして使った。やっぱり大事なのは酒の席wとのこと。 戦闘機の上空からの襲撃は2,3回避ければ陸攻の速度で振り切れたと。 ttps://twitter.com/katabuchi_sunao/status/880046980856037376
> 淳さん百歳になられましたか。相変わらずべらんめえで、長身そびえさせておられることなのだろうと。
> 離陸後に、夜間、海面の上で高度計を再調定する話は肝が冷えるような、爽快なような。
> 「いいか、オルジスでペラんとこ照らしてな、飛沫上がったらそこが0mなんだ。そこでセットすんだ」
> 高度計を再セットするのは、これから行く雷撃で、海面すれすれを飛んで対空砲火の下を潜るため。
> 極限まで高度ゼロに近く飛ぶために、高度計の誤差もゼロにしておくため。
片渕さんのツイートも興味深い、100歳はもちろん勘違いだがw
ちなみに「オルジス」って何? >>284
なるほどd
懐中電灯か何か積んでいくのかと思ったら、信号灯を流用したのか こんなやつかな
ttp://242.teacup.com/astroboy/bbs/8866
ttp://242.teacup.com/astroboy/img/bbs/0008866.jpg
ttp://242.teacup.com/astroboy/img/bbs/0008866_2.jpg
ttp://242.teacup.com/astroboy/img/bbs/0008866_3.png
単座の零戦でも使えたんだ
あと「ちなみに戦記物であるように信号を出す際にカシャカシャとは音は出ませんヨ。」だって ──盲腸の手術をしたことを忘れて敵機を追い払ったというエピソードもありましたね。
. 本田:手術後の6日目くらいで抜糸し、暇だったので飛行場に行ったのです。そしたらB17が低高度でやって来た。若いパイロットしかいないので攻撃してこないとみて、舐めている。それで手術後だったのを忘れて、飛び上がったんです。
機体を引き上げるときに重力がかかり、ものすごい痛みに気づいたので「やられた」と思ったが、どうもおかしい。触ってみたら手術跡から腸がはみ出ていました。手で押さえて着陸しました。
. ──はみ出していた腸を手で押し込んだまま操縦されたわけですよね?
. 本田:左手で押さえて着陸したのですが、止まったころに意識を失ってしまい、また病院に運び込まれました 「あと数分で死闘が展開される。轟々たるエンジンの爆音で騒々しいはずであるが、
なんともシーンとした感じで自分の心臓の鼓動すら聞こえる。
この時突然、目の前に大きく浮かんだのがオヤジ、オフクロでもなく女房殿の顔である。
ハッとして女房と当時腹の中に生命を受けているであろう子供に、サヨーナラと口に
三度となえてサッとバンクを振り突撃に移った。」 漫画とかみたいにネームドとかいうのは実際にあったの?
有名なのってほら吹きサブちゃんみたいなのばっかりな気がする
俺「この人すげえ」→嘘でした このパターン多すぎ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています