【陸軍】日本軍航空部隊パイロット総合6 【海軍】
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>>79
それ、陸軍じゃないの?
日本人初飛行の人。 >>81
ごめん手記だから信憑性はかなり低いと思うけどさがして見る 徳川好敏(陸軍)はこのスレでは常識以前の一般常識だろ。
清水徳川家当主で日本人初飛行。
当たり前過ぎて、まさかそんな事を聞いているとは誰も思わなかったんじゃない? >>83
海軍だから
手記だから本当に徳川の血を引いてるか信憑性は低いけどそこの記述を探してくるってこと
誤解しないで 徳川忠永中尉だ
海軍兵学校出の艦攻操縦員で昭和18〜19年頃に鈴鹿海軍航空隊の教官って事は分かったけど
他にも情報あったら教えてください 凄いパイロットほど戦死してるかほとんど表に出てこなかったから情報が少ない
無名の名パイロットはまだまだいたのだろう
ほら吹きさぶちゃんのようにポリシーのない無駄話はいくらあってもゴミでしかないからな
本当に残念 そういう人ってあんまり取材に応じないんじゃない?
職人気質というか ゴミというのは>>87のようなレスのことだよねw
坂井氏の本が世界中で売れた事実も知らずにゴミとかアホだなぁ >>89は日本で売られてる坂井の本と海外で売られてる坂井の本が
全く別物であることも知らないのか?
出版する国によって経歴も思想も変わる男の話なんて何の役に立つんだ 海外での坂井の本のあらすじが少し紹介されてる
「大空のSAMURAI!1」 - ネイビーブルーに恋をして
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/6b046aaa265b6f1ccba19b000ee02a0c
坂井三郎のほらを掘り下げてるスレ
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1427629202/
坂井三郎がただのほら吹きだったというのは軍事板では常識なんだが
隠ぺいしてるマスコミのせいで専門書を読まない初心者には寝耳に水かもな 売れてるかどうかと、内容の信憑性は全く無関係だしなあ >>90
意味不明。
それと売れたことになんの関係が?
この馬鹿アンチは坂井氏の著作を学術書か何かと勘違いしているようだ
ID:CaZb36b8=ゴミと図星つかれて必死wなのはわかったが ちなみにここを覗く皆には周知だろうが
ID:CaZb36b8は有名なキチガイ坂井アンチです
そのキチガイぶりはこのスレでも(>>32>>33>>41>>42>>45>>46)を読むとわかります 嘘でも売れさえすればいい、というだけの本だからゴミ以下の価値しかないよな
坂井三郎のように自己宣伝に没頭した風見鶏から得られるものは何もないし… >>96=キチガイアンチは読んだことの無い本をよく妄想できるなw 売名のために死なせた部下までなかったことにした坂井三郎
金や名声がそんなにほしかったのかねぇ
化けの皮がはがれた牟田口や坂井を今も必死に擁護してるのなんか土足だけだわ
売国奴どものいいわけに加担するクズもさっさと死ねばいいのに 撃墜しすぎて公職追放になった岩本徹三の手記が亡くなるまで出版されなかったのと比べると
最初の数か月しか戦地にいなかった坂井三郎が有名になったのは自己宣伝のおかげだよな
当時の新聞などでも表彰されてるのに名前だけしか伝わっていないような名パイロットもけっこういる
岩本はいまでこそ名前も有名になったが、他の埋もれた人たちが再発掘されることはあるのかな カメラマンの人なんかがすでにやってる以上、もう撃墜数がすごいなんて人は出てこないよ
もう当時の人のほとんどが物故されているんだし 確かにシナで有名になって対米戦で戦死した人なんかは脚光を浴びてない気がする >>99
そこらへんは渡辺さんがやってるくらいか
ここ数年の掲載コラムや短編集読む限り、当事者関係者が亡くならないと出せない話は相当持ってるみたいだし ★海軍は日中和平交渉を妨害する目的で自作自演の謀略によって大山中尉に自爆させ日中戦争を正当化する宣伝を行った。
『大山勇夫の日記』
日記は、事件前日の8月8日で終わっていて、その日のところに大山中尉の遺髪と、出征に際してお母さんが贈ってくれた半紙大の絹布で作った千人針と、絵葉書が挟まれていた。
その絵葉書には「自分が明日、突撃して死ぬ」という覚悟と、恋人のことが書いてありました。つまり、大山中尉の遺書になります。
おそらく、8月8日に、「お国のために死んでくれ」という「口頭密命」を受けた。8月8日の夕食後、書類整理をして、自分で書類焼却を行い、身辺整理を済ませ、
最後には風呂に入って、襦袢と褌を新しいものに着替えた。 翌日の「死」を覚悟していたことが分かる。
事件当日の8月9日には、起床後、浴室において冷水で身を清めた。斎戒沐浴である。武士道で言えば、死を覚悟しての出陣・自害の儀式である。
★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要
しかし、昭和十七年(1942年)5月の初めでした。その搭乗員たちにもついに最後の断が下りました。
山本五十六長官によって、これを自爆させろという命令がまいりました。
その頃、私たちはポートモレスビーのアメリカ軍機と戦っておりましたが、五月の初めに前進基地のニューギニアのラエという基地に、
森玉部隊から 二機の九六陸攻が飛来いたしまして、一機は彼らが搭乗していました。
そして、もう一機には飛行長が乗っていて、彼らの最後を見届けるためにやってきました。私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、
とても私たちの意見は通りません。
『知られざる坂井三郎』大空のサムライの戦後 【第一章】坂井三郎のラスト・メッセージ 日本外国特派員協会講演<1>(1992年6月15日) 岩本徹三さんの「バカな参謀サヨーナラだ。」っていうエピソードが好きなんだけど、
鹿屋から爆装戦闘機を輸送しろと命令されたのって、もしも鹿屋に行ってたら、
特攻に行かされてたのかな?
詳しい人、どう思いますか? 頭のイカれたお馬鹿な参謀でも、岩本少尉の事くらいは知っていたでしょう。
特攻援護機で出撃じゃないかな。 鹿屋の参謀はバカが多いイメージだけど、イニシャルを書いてない所を見ると
戦後も生き残ってる感じ
例の「台●沖航●戦」に出てた人じゃないのかな?
日吉に呼び出されて、(おそらくこっぴどく絞られたのを)すっかり忘れたとしらばっくれてるのを見ると、
相当腹黒いと思った。 >>105
ぶっちゃけ名うての古参だろうがしょせん下士官・特務士官程度…
あの時期なら安々と使い捨てられそうな気がするけどなぁ
出身や階級に比較的平等な陸軍でもある程度の温度差は感じられるのに、そこらへん差別が激しい海軍ならなお更 >>107
343空で武藤少尉のような古参の引き抜きが大変だったことを知っていれば、そんなおかしな考えはしないと思うが 岩井勉さんの僚機で、見捨てて逃げた長與走って戦死してたんだw
良かった良かった 渡辺洋二って本やコラムにまとめた関係者対談でたまに毒吐いてるとこがいいよな
あれだけの海千山千の旧軍航空の関係者を取材してたらそういう目にあうこと多々あるのはわかるけども
大抵は遠まわしにぼかしまくって愚痴ってたりするんだけど、たまに名指しだったりするのはよほど癪だったんだなとw >>110
> 関係者対談でたまに毒吐いてる
kwsk 戦中は川崎の技師で戦後は日飛社長のN氏を荒蒔さんの仲介で同行取材した後日、
「性格の固い真面目人間」と前置きしながらも、会社宛に本人の写真借りる為に手紙出したけどナシの礫だった、
ていう話は渡辺さん本人実はそこそこ癪だったんだろうなぁとは感じられた
荒蒔さんの仲介や社会的立場の差をあげて自身謙遜恐縮してるようにみえて
「新米社長の彼にしてみれば、どこの馬の骨か分からぬ奴に変なことを書かれちゃかなわん、と考えるのが当たり前なのである」という余計な一文から負の感情がひしひしと
「新米社長の彼にしてみれば」って言い草はどうよっていう >>112
意外と皮肉屋なんだな
普通に本文読んでるだけだともっとひたすら折り目正しそうなイメージだったがw >>112
負の感情というより渡辺氏自身が年を重ねて当時の相手の心境を慮る余裕ができたのだと読み取れたけどなぁ
逆に断られた当時は相当怒っていたんじゃなかろうか 渡辺さんのあとがき、好きだなあ。
朝日ソノラマ版「屠龍」では、取材依頼した人がちょっと困った人だったようで・・・
「お前が取材出来ないように関係者に回状を回してやる!」と、すごまれたりしてる。
「気にしなさんな、貴方は取材して文章を書くのが仕事なんだから」と、荒蒔さんに
慰められてるよ。 そのくだり、ここ最近出た光人社の短編集にも収録されてたぞw
「我々で金儲けしようとする奴には関係者に回状を回してやる!」ってやつだよね
それに対して渡辺さんは「(大した)金になんてならないのだが」って皮肉というか反論してるという
>>113
海兵○○期の人たちは当時気負いしすぎてたせいか面倒な人が多い、なのにこの期の○○氏(取材相手)は良い(意訳)、とかそこそこ皮肉屋だよw
>>114
そこの特集でも明らか取材内容が薄いから、ほんと扱い悪かったんだろうなぁと
逆に読者からしたら荒蒔さんの人望人脈の凄さをさらに理解できたんだけども Me262の取材であるパイロットは手紙を出しても返事の一つもくれなかったのにガーランドは丁寧な返事をくれたとか、
たくさんの軍関係者に取材してきたけどある海軍パイロット(おそらく坂井三郎)だけは全く取材する気にならないとか、
書かなくてもいいことをポロッと書くところが渡辺洋二はおもしろい 昔から延べ1000人以上に取材しておきながら良くも悪くも有名な坂井三郎はあがらないのはやっぱ理由あったんだな… 渡辺洋二と喧嘩別れ?した航空イラストレーターって誰なんだろうね
陸軍機塗装について軍神加藤少将の遺族が持つ明野飛校献上隼模型を取材のくだり、
檜さんと交流がある渡辺しか訪問出来なかったことに嫉妬したレーターがいらんこと言って疎遠になったっていう 渡辺さんの毒吐きといえば「5航空艦隊の参謀を白菊胴体に乗せて(ry)」が良かったな。 調布で墜落した5人乗り機長は総飛行時間数百時間となってるが
これとんでもないひよっ子じゃね?
大戦末期の速成教育受けた新米パイロットくらいだろ >>121
>>総飛行時間数百時間
>>数百時間
数百つったら500前後程度は想定していいんじゃね?
ベテランとはいえんが十分な経験だろ 日航123便墜落事故も以前に尻餅やった機体だったし、今回のも丘珠で操縦ミスで着陸失敗したことのある機体か 機長は約1500時間の経験らしい
数百時間は今の会社での飛行時間かもしれない
大戦機だと1500時間はベテランじゃね?
空自の戦闘パイロットでも36歳だとそれくらいだと思う
油井亀美也さんが空自を辞めた39歳の時点で約2000時間だったしな
現代だと戦闘機ではベテランになったくらいで民間では中堅になったばかりといった飛行時間じゃないかな 俺は君のためにこそ死にゆくみたんだけどあれモデルの兵隊さんて誰なんですか?
空母に突入したって事はモデルにいると思うんだけど
後は零戦の風防開けはなしって事に驚いた
しょんべんと捨てるときだけ開けるんじゃなかったんだね 天蓋は結構開けるもんだと思うが風防を開けてしまうのはマズいな<重箱の隅ツッコミ> 梅本本のインタビューだと結構開けてたって話だよね。
「俺は君の〜」はたくさん空中勤務者がいるので分からん。
遺書一つとっても元ネタあるし。 ttp://www.warbirds.jp/truth/ace.html
ここのインタビューでも開けてたって言ってるな
零戦とかに比べて、隼は曲面ガラスの歪みが強くて、天蓋開ける必要性も大きいのかな?とも思う 海軍=開けない 陸軍=開ける、と多数派が陸海軍で異なる 元自衛隊空将が証言・・・UFOが原発周辺で多数目撃!
http://wpb.shueisha.co.jp/2014/12/26/41148/
【UFO】 火星人類 VS ダメリカ・ゲスラエル・その他のポチ屑国連合 【F22】
バカウヨを守る米軍基地を追い出して、日本をサヨクの聖地にしよう!
メドヴェージェフ『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた。アメリカが公式に認めないなら、クレムリンは独自に情報公開する予定だ』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ
火星には地球上よりも多くの火星人がいます。火星の人々は地球人よりも小さいです。
私たちにとっては彼らの姿は見えません――エーテル視力を持たないかぎり。テクノロジーに関しては、私たちは何千年も遅れています。
ahjzfl-1/r63ukg/m0gkne
Q UFOを見ることができますか。
A それはエーテル視力を持つ子供たちがどんどん生まれてくるにつれて次第に生じるでしょう。
swl9d8/04zpzf/98tohe
今後ますます、エーテル視力をすでに発達させた子供たちが転生してくるでしょう。それは眼の発達です。
swl9d8/pzytyf/88eb4r
いま既に、新しい時代のために適応した子供たちがよりたくさん生まれてくる時期に入っています。
lutefl/kxz1kf/r7dugh
核エネルギーの放出が起こるのはエーテル・レベルであり、それはかつて地球上で起こった最も致命的なエネルギーの放出です。
swl9d8/ndshrf/p75kwp
2歳を過ぎたころには「放射能があるから砂は触れない」「葉っぱは触っちゃだめ」などと口にするようになったという。
りうなちゃんは去年の暮れ、脳腫瘍のために亡くなった。
https://twitter.com/TomoyaMorishita/status/648628684748816384
川島なお美(享年54) 善意の人たちが犠牲になっていく。安全プロパガンダした政府の罪は重い。
マイトレーヤ 「国民の意志を裏切ることは危険な過程を始動させる−−この萎縮は非常に破壊的であり、精神的な過労や、自殺や殺人にまでつながる。」
magazines/si5n7k/04zpzf/bf1tqd
株式市場の暴落が起きるとき、マイトレーヤは出現するでしょう。UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう。アメリカによる他の国々への虐待に反対の声を上げなければなりません 正直ソロモン以降一気に日本が弱くなった理由が分からん
確かに大量の熟練が散っていったけどその間に人財育成はされなかったのか てか熟練だけじゃなく中堅もゴッソリ逝ってしまってる >>134
対米開戦前に数年かけて育成したベテラン、中堅をごっそりやられれば急激に弱体化するのは当たり前だ。
開戦してからわずかな時間ではとても育成できない。
戦時にそぐわない冗長なマニュアルにも問題はあったけどな でもアメリカは後から後から出てくるじゃん?
やっぱり出撃頻度とかの問題? >>139
キミ、空母スレでも初心者スレみたいなこと質問しているけど少しは自分で調べてから訊ねなよ 調べようがない
Google様でも宜しいのなら調べてくるけど グーグルで十分だ。
wikiの両洋艦隊法を読んでくればわかるよ。
この大増強計画と開戦により、米軍は大量のパイロット育成を行い、43年後半以降に続々と実戦投入させることなった。 343空の現実知ると日本のエースの実際の撃墜数って1/3がせいぜいだよな。 >>143
ビルマ方面の撃墜判定は正確というか、
ピタリと一致させていることがおおいぞ。
実際の陸海軍最多撃墜者は黒江さんだったのかも。
>>139
日本側が航空超重点政策に入ったのは昭和18年
ソロモンの大消耗戦の影響を受けてからだから。 あとアメリカは戦前から大学生や高専の青田買いをやっている。
それを模倣して日本側も学徒出陣による航空大増強を計った。
といってもアメリカの場合でも艦隊の拡張に搭乗員の補充が間に合わず、
発着艦事故が多発して問題となっている。 日本では昭和初期からパイロットの大量育成を目指し予科練や少飛を作っていた。
支那事変勃発でアメリカより先に千人単位のパイロット育成に踏み切っている。
でもWW2勃発でアメリカが万人単位のパイロット育成を始めると、
一気に逆転されることになる。
万単位のパイロットを乗せるだけの飛行機を作るという決断に時間が掛かった。
アメリカには簡単なことかもしれないが、日本にとっては空前の大事業だから 戦前にすでに車社会になっていたアメリカと中学に行けばエリートという日本の地力の差だね(´ω`) 車が身近な存在であったことや、優れた生産設備があったことは事実だけど
兵士に志願する年齢のアメリカ兵が自動車免許を持っていたかというと、そうでもないし
移民上がりの英語の読み書きも怪しい若者も多いから、何もかもがアメリカ有利ってわけでもない しかし免許は無くても車の運転は出来そうなイメージw てかアメリカだってパイロットになれるのはごく一部の文武両道エリートで、下層がどんなだろうと関係ない
四発爆撃機のガナーだったらどんなアホでもなれるが よく>>147のような「車社会のアメリカと車を見ることも都会以外では希な日本では〜」というモータリゼーションの違いを強調するもっともらしい説明があるけど
あれは別に科学的な根拠があっての話ではないという。
で、ある程度調べてみると
日米の違いはマニュアルの判りやすさと訓練内容(燃料、弾薬を潤沢に使えるかどうか)の違いだと思うんだよね。 >>134
第一次ソロモン海戦も日本に既に制空権無いから夜戦部隊だったんだろ
制空権あるなら速度の遅い戦艦で好きなだけ砲撃で飛行場と基地を砲撃しまくれる
そもそもメインの攻撃目標はポートモレスビーで
これは既に珊瑚海海戦で頓挫
以後とてもポートモレスビーを落とす戦力がないので
お茶を濁して始めたのが、ガ島方面の戦い >>146
すまんが戦前のアメリカって1000人単位の育成してないの?
初耳だわ。もし宜しければ出典を教えてくれ。
あと日本は万単位での育成を開始できる?ようになったのは
昭和一八年航空超重点主義をうけてからで、実際、育成が実現したのは昭和一九年春から。
ここで問題になったのは資材でなくよりも人員。
陸軍が行った二万人増員では陸軍操縦者七千名のうち必要なインストラクター数は四千五百名。
苦肉の策としてカリキュラムの大幅短縮、教官、助教の削減を行ってる。
海軍もアメリカをまねて模倣して予学の大量増員を行ったけど、似たような状況。 >>153
とりあえず>>146ではないが
米海軍だと開戦半年で前線に配備された戦闘機パイロットはわずか138名(5個戦闘飛行隊)
ガ島戦までの残り半年すら138名のうち50名と136名の計224名で戦ったにすぎない。
海兵隊もウェーク島とミッドウェー島の2個飛行隊40名にこの生き残りを含めたカクタス約130名でガ島戦を戦っている。
開戦から1年間を米海軍と海兵隊はたった350名前後で戦い抜いたといえる。
1000名単位で育成していたらありえない数字だろう。 >>154
ガ島のメインは海軍じゃなくて
海兵隊飛行隊
それとサブにニュージランド空軍
海軍航空隊の基地運用もそれなりにいるけど、メインじゃない
米陸軍航空隊とオージー空軍のサポートもあり
それとニューギニア島南側(ポートモレスビー)は
米陸軍航空隊とオージー空軍がメイン >>156
>>154で、ガ島のメインを海軍航空隊と書いているわけでもないし、そのレスの意図がよくわからないのだが・・・
海軍はガ島争奪戦で生起した海戦や陸揚げされたヘンダーソン飛行場で日本軍と交戦している。 米軍パイロットはちょっと戦ったらすぐ交代して後方に下がってバケーションもらえたんじゃないの
前線にいたパイロット数はさほど多くなくても全体の規模が桁違いなんでは? >>155
すまんが海兵隊の戦闘機部隊だけの人数を取って千人単位の養成を米国は行ってないという
レス自体がよく分からない。
日本も戦闘機超重点主義になるまで、他兵科に行っていたよ。寧ろ爆撃偏重。
あと>>146に関して、陸軍はシナ事変による影響で航空増員されたというよりも、昭和一二年の航空充備計画
と昭和一四年の修正軍備充実計画に則って拡大したはず。(当時、大陸があんなに泥沼化するとは思っていないし、修正軍備計画ではシナ方面の軍備を削ろうとしている。)
海軍が航空拡充を始めるのは、シナ事変でなく対米戦が懸念され始めた昭和一五年から。
アメリカに関しては昭和一三年にルーズベルト直々に航空要員の問題を取り上げているので
てっきり千人単位の養成をしていると思っていた。興味があるのでどういう実態だか教えて欲しい。 >>159
>すまんが海兵隊の戦闘機部隊だけ
ああ、補足が必要だったか。まず、海兵隊だけでなく、「海軍」も書いてあるのは大きな違いなのでしっかりレスは読んでほしい。
米海軍では開戦時の艦上機3種、戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機を1:2:1の割合で搭載している。
艦上機のほかに水上偵察機や飛行艇もあるので戦闘機パイロットの割合はおおよそ海軍航空隊の総数の1/5程度であると推察できる。
そして、緒戦の米陸海、海兵航空隊に共通していたのは少数のベテラン、中堅と大量の新米パイロットで飛行隊が構成されていた。
もちろん、他にも教育航空隊で教員として勤務していたパイロットも多数存在はしていたが、
開戦前から千人単位でパイロットを育成していれば、
外洋で戦うことを前提としていた海軍と海兵隊ですら多くの新米を含めて400名足らずしか開戦1年で実戦に出せた戦闘機パイロットがいなかったという
>>155のレスのような事態にはなりえないというわけ。
ちなみに、開戦前の米陸軍航空隊に至っては
そもそも外征を考えていない軍隊だったので(B-17は沿岸警備用に開発)参戦が決まる前から大量のパイロットを育成するというのは議会が絶対に予算を許さなかっただろうね。 いや補足とかでなく・・・
前線の部隊に張り付いた戦闘機数だけ数えても意味がないじゃない。
昭和一四年から五ヵ年計画で航空増員をしていた陸軍の開戦時の作戦機数は
予備機併せても一三七五機だよ。
あとガ島攻防戦を例に挙げて一〇〇〇人も養成していないというけど
昭和16年にアメリカは一万一〇八〇人のパイロットを前線に送り出しているよ。
上にも書いたけど開戦前にアメリカはパイロットの学生や高専生を青田買いをして
大拡充をしている。 >>161
>前線の部隊に張り付いた戦闘機数だけ数えても意味がないじゃない。
意味がないわけがない。
パイロットの総数の増加と前線の戦闘機パイロット配備数は相関関係にあるのだから。
海軍を抜かしたり、パイロットの人数を「戦闘機の数」と誤認したり、またレスをきちんと読んでないみたいだね。 いやだからさ・・・
昭和16年だけでアメリカは1万人以上のパイロットを前線に送り出しているの。
(Japanese Air Poer参照)
ガ島攻防戦までを例にとって>>161の
アメリカはパイロットを1000人単位の育成していないと言うのはおかしいでしょ? ガ島のメインは
海兵隊の
VFM214
VMF124
VMF223
辺りじゃない
VMF223はヘンダーソン基地一番乗り部隊
VFM214はエースを大量に排出
ボイントン中佐は元フライングタイガースで著作がTVドラマ化されたほど
それぞれの経歴はこんな感じ
http://www.geocities.jp/frank_black0912/ace_pilot/amerikaKAI.html >>163
>昭和16年だけでアメリカは1万人以上のパイロットを前線に送り出しているの。
パイロットとナビゲーター他を区別できていないのでは?
40年に1万人以上前線にパイロットを送り出していたなら海軍と海兵隊の戦闘機パイロットがたった400人以下なんて事態にはならんでしょ。
知っていると思うけど、飛行隊は航空機の数<パイロットの数だからなおさら。 上にも書いたけど、日本の場合2万人増強のさい
昭和19年の陸軍パイロット数7000人中4500人必要だから
無理矢理教官、助教を大幅に削減しているの。
アメリカの教育システムは詳しく知らないが
昭和16年に1万人パイロットを育成したからといって、そのまま全員が最前線にいけるはずもないし
そっから分科もするしで、全員が戦闘機隊に来ません。
てか卒業生全員がガ島に配備なんて、米軍はどんだけ仲良しな軍隊なんだよ。 あと追記すると米軍のパイロット育成数は昭和18年には八万人を超える。
これを維持するには、相応のパイロット数が必要だと思うよ。 ちなみにアメリカの昭和16年度の航空機生産量は19433機
ガ島の戦いが始まった昭和17年は49445機だから昭和16年の時点で1万人近く育成されてても問題はないよ それは民間機と区別できていないのでは?
とFFAAjRCbなら言ってくれそう。
しかし読み返してみると
レスをきちんと読んでないみたいだね。
ああ、補足が必要だったか。
となんで相手を馬鹿にしたような言い方なんだ。
挙句へ理屈ばっかり捏ねるし。
わけわからん。 >>170
ただ自分の間違いを認めたくないだけでしょ >>167
>昭和16年に1万人パイロットを育成したからといって、そのまま全員が最前線にいけるはずもないし
>そっから分科もするしで、全員が戦闘機隊に来ません。
>てか卒業生全員がガ島に配備なんて
>>160
>米海軍では開戦時の艦上機3種、戦闘機、急降下爆撃機、雷撃機を1:2:1の割合で搭載している。
>艦上機のほかに水上偵察機や飛行艇もあるので戦闘機パイロットの割合はおおよそ海軍航空隊の総数の1/5程度であると推察できる。
>そして、緒戦の米陸海、海兵航空隊に共通していたのは少数のベテラン、中堅と大量の新米パイロットで飛行隊が構成されていた。
>もちろん、他にも教育航空隊で教員として勤務していたパイロットも多数存在はしていたが、
>開戦前から千人単位でパイロットを育成していれば、
>外洋で戦うことを前提としていた海軍と海兵隊ですら多くの新米を含めて400名足らずしか開戦1年で実戦に出せた戦闘機パイロットがいなかったという
>>154のレスのような事態にはなりえないというわけ。
誰も全員が最前線とも、戦闘機とも、ガ島だけとも書いていないことがわかった?すべて的外れだよ。
1941年12月〜42年12月の期間、太平洋戦域において米海軍、海兵隊戦闘隊が参加したすべての戦闘、
つまり、 真珠湾攻撃から始まり、ウェーク島、ラバウル空襲、珊瑚海海戦、ミッドウェー島、ガ島攻防戦など太平洋戦域で行われた海軍航空隊と海兵航空隊が参加した戦闘が
前線に配備された>>160で書いたわずか400名以下の米パイロットによって行われている。
開戦前から1万人のパイロットを養成しておきながら、
開戦からの1年間で米海軍と米海兵隊は太平洋戦線の前線に訓練学校を卒業したばかりの新米まで含めて400人しか送り出せなかったというのはどういう思考をすればできるのかい教えて欲しい。 >>172
ラバウル空襲とか
ニューギニア南北の戦いに関しては
基本的には米陸軍とオージー空軍の方が主力
ガ島方面の戦いはあくまでサブ
ニューギニア南北の
米陸軍・オージー空軍と
日本陸軍航空隊の戦いがあくまで主軸
オージー空軍の参加規模は結構大きい >>172
すまん。
読むのがメンドクサクテ、君が書いた部分の解釈は適当だから
気にしないでくれ。
とりあえず戦略爆撃調査団に米海軍戦闘機隊の人数が少ないんだから
おたくらが書いた昭和16年の米パイロット育成数は千人もいる筈がないと言ってくれ。
あと航空増強の教官や助教の数は渡辺洋二氏の本を参考にしてるから氏にも。
しかし初期の日本の航空兵は選抜しすぎだよね。
もう少し敷居を下げれば少しはマシになっただろうに・・・。
といっても戦争が始まらない限り、人事の関係で無理だったんだろうけど・・・。 >>163
アメリカがパイロットの大量養成を始めたのはWW2開戦直後。
だから昭和14年のこと。 >>175
上にも書いたけどルーズベルトが昭和13年に航空増員について提言している。
更に昭和15年、ww2によるドイツ軍のフランス侵攻により航空機の威力を知り
大増産宣言。そして大学生や高専生を青田買いし民間の飛行学校まで使いパイロット養成。
これらが翌年の1万1080人へと繋がる。 その1万人が17年では何処へ消えたのやら
>>172を読む限りは海軍や海兵隊はその大増員の恩恵を受けてなさそうだ。
陸軍が大増員されたのか、まだ育成中で前線に配備されてなかったのかな >>177
昭和16年パイロット11080人飛行機生産19455機
昭和18年パイロット82741人飛行機生産85898機
昭和17年のパイロット育成数は書いてないけど、飛行機生産数が47836機から考えると
4万人前後が育成されてるんじゃないかな。
これらの人数を育成するのに使われたんじゃない。
昭和19年には大した増加をみせていないので昭和18年以降の米軍の物量にも説明がつくかと。
てか読む限りとか言ってるけど同一人物じゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています