スピットファイア MkT
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凄いなコールドウェル一言も触れずに論破した気になってる インパール作戦でもスピットファイアは大活躍してるんだな。 スピットファイアが二機編隊でパトロールして、地上に日本軍を見つけると空から機銃で襲撃した。 ナガ族の集落で米の挑発をしていた日本軍を見つけるとめざとく襲撃 昼間に休息してる日本軍を見つけるとめざとく襲撃。 撤退中の日本軍もたびたび襲撃して死者多数。 このせいで日本軍は補給線を絶たれてインパールで惨敗を喫することになる。 >>783 >インパール作戦でもスピットファイアは大活躍してるんだな。 −P.クロステルマンは、1944年の状況について次のように書いています。 「…フォッケウルフFw190やメッサーシュミットBf109との戦いでは、タイフーン部隊はしばしば12機中6〜7機 の損害を出していた。スピットファイアは無力であった…」 タイフーンというのはイギリスの戦闘爆撃機で、戦闘機スピットファイアがこれを護衛したわけです。それで質問なのですが、 あなたのいた戦闘機連隊が護衛した襲撃機も、1944年には同じような規模の損害を出していたのでしょうか? いいや。あんた、何を言ってんだ?!12機の襲撃機で出て6機落とされるなんて、護衛機の隊長は軍法会議ものだよ。 議論の余地もないね。1944年はおろか、1943年だって許されないレベルの損害だ。 −それでは、どの程度の損害までなら許容されたのでしょうか? 12機なら1機、多くても2機だな。もしも6〜10機のヤクに対し、12〜16機の「メッセル」が襲ってきた場合の話だ。 それだったら、あるいは許してもらえたかもしれん。許してもらえるといったって、それは軍法会議にかけられないだけの話で、 いずれにしても護衛隊の長機は陰で色々言われることを覚悟せにゃならんがね。 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/YAK.html グリフォンスピットの事を調べるとなんでわざわざスパイトフルを作らにゃならんかったか よくわかるな。グリフォンスピットは言われるほどいい機体ではない。 >>785 スパイトフルが何故打ち切りになったかわからないのかよ >>787 そりゃ常識的にジェットが安定的な性能を確保したからだろうな。 >>788 戦争が終結した、という身も蓋もない現実から目を背けてはいけない 戦後のイギリスは石油やらレンドリースの支払いで 財政的にオケラだからなぁ >>789 失速特性が悪くて空軍から切られたんだろw グリフォンスピットが1948年まで作られてるし 失速特性で切られたという話はないなあ。>>788 >>789の理由以外 聞いたことがない。 シーファイアの美しさは異常 ttp://yaffacdn.s3.amazonaws.com/live/flying/images/dmImage/SourceImage/Seafire%20Supreme51.gif >>783 9月6日、クラコールの戦隊医務室で若松清治上等兵が戦死。昭和16年12月7日以来 失った空地の勤務者166人目、64戦隊最後の犠牲者となった。 一方、勝利を収めた英空軍は、東南アジア全域における日本軍との戦いで、空中勤務者 4,858名が戦死または行方不明になったと記録している。 ビルマ航空戦 梅本弘著 The Battle of Britain, Participants included Poles, New Zealanders, Canadians, Czechs, Australians, Belgians, South Africans, French, Irish, Americans as well as a Jamaican, a Southern Rhodesian and a flyer from the Palestinian Protectorate. Five hundred and forty-four lost their lives.(544名が命を失いました) http://www.rcaf-arc.forces.gc.ca/en/battle-britain/history.page Luftwaffe 2,698 aircrew killed 967 captured 638 missing bodies identifie https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Britain 東南アジア上空の空中戦 日本軍戦死166:英軍4,858 バトルオブブリテン ナチ4,293対英軍544 って知ってたか? たった166人しか死んでないのに航空優勢をさっぱり保てない日本軍はどうしようもないタコってことか >>796 イギリス空軍ではなくて、アメリカ空軍に負けたから。 >>796 スピットファイア8と隼の対戦レートが1対22だからな。 危険な地上攻撃にも大活躍したスピットと、わざと会敵しないようなルートを定期哨戒してただけの隼飛行隊の違い。 なんかどう考えても343空より64戦隊の方が偉大だよな。しかしあの軽武装の機体でどうやったら あんな成果出せるんだか。 確かに軽武装ではあるけど撃墜できないほど弱いわけではないし 機体軸線上に武装が集まってるのは命中率考えると有利。 >>795 関係のないコピペを繰り返す以外能のない基地外に言っても無駄なのはわかってるが、 英軍全体の戦死行方不明者と帝国陸軍の一戦隊の被害を比べて悦に入るとかどんだけアホなの? 戦闘飛行戦隊で166人も死者だけで出したら、3〜4回はメンツが入れ替わってる大消耗なんだけどな >>801 人が他のスレに書いたレスまんま貼り付けるアホさも大概だが スピットファイアの拡張性凄すぎワロタ!なんでこんなに拡張性高かったの?教えて、軍オタ! [無断転載禁止]©2ch.net [264293405] http://fo x.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1451908474/ >>801 英軍死者4858人ってのは、ビルマ戦での英国兵4年間の戦死者の合計みたいだね ルイアレンの著書の数字とほぼ一致してる。 これに対応する日本軍死者は185149人だ。 >>805 他に員数外のグルカ兵が大量戦死してたりしないん? >>805 >英軍死者4858人ってのは、ビルマ戦での英国兵4年間の戦死者の合計みたいだね >ルイアレンの著書の数字とほぼ一致してる。 >これに対応する日本軍死者は185149人だ。 この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。 蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、 ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。 ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ ての援助を停止すると警告した。 スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。 スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、 大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、やつを突きぬいた」 「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会) >>805 >英軍死者4858人ってのは、ビルマ戦での英国兵4年間の戦死者の合計みたいだね >ルイアレンの著書の数字とほぼ一致してる。 >これに対応する日本軍死者は185149人だ。 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、 死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、 世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。 http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害 人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万 以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、 負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の 中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。 http://www.china-news.co.jp/node/4456 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、 興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、 興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、 人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1 6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。 http://www.jade.dti.ne.jp/ ~kaworu/cont/sankotou.html なんでスピットファイアはどんどん強くなったのに、 零戦はダメになって行ったんだろう・・・ >>809 >なんでスピットファイアはどんどん強くなったのに、 >零戦はダメになって行ったんだろう・・・ 連合軍による(元)蘭印(インドネシア)などへの攻撃に、 オーストラリアの基地が使用される事を遅らせるため、 日本帝国海軍や日本帝国陸軍の航空機が、 1942年2月19日〜1943年11月12日まで計64回にわたり、オーストラリア本土、 地域の主要空域、周辺諸島、沿岸輸送ラインの船舶などを攻撃した。 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-523.html 昭和18年初春から行われたオーストラリアのダーウィンに対する、チモール島からの日本海軍 のキャンペーンでは、ゼロ戦と中攻部隊が健闘しています。 753空(一式陸攻)と202空(ゼロ)のコンビ+陸軍の百式重が参加し、相手は欧州戦線で鳴らした クライブ・コールドウェル中佐率いる1FW(457sq&457sqRAAFプラス54sqRAF)のスピット5型で、 アゴフィルターつきのやつです。 同年3月から9月までの半年間、戦闘損失はゼロが3機に対して、スピット38機(双方ともすべての 未帰還機の累計)です。これは双方の自軍損害レポートによるもので、いわゆる「誇大戦果」ではありません。 日本側の出撃回数は半年間で大小合わせて20回足らずですが、そのうち200キロメートル内陸部、 USAAFのB-24部隊がいたフェントン飛行場へは6回攻撃をかけています。いずれも高度は7000メートル以上。 相手のスピットを考えての行動であり、特に他の戦線に比べて陸攻の被害も少なく、豪側からは「爆撃機 の防御砲火も比較的堅固であった」のようなコメントもあります。 追記2006/02/06 一式陸攻は高高度性能に優れていて、ダグラスP-70(A-20ハボックにレーダーを搭載 して夜間戦闘機としたもの)などは上昇性能で及ばなかったといいます。 戦訓による陸攻の自動消火装置も有効に作動した、と記録に述べられています。 (資料出所:「第8章 ダーウィン上空の零戦」、秦郁彦著「過信の結末(下巻)」から、中公文庫#532) http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Zero_VS_Spit.html スピットがカタログデータはともかく実際の戦力として役に立っていたか 性能を生かせていたのかは大いに疑問があるが >>810 がその実例を表してはいないだろ。 43年と言えば42年夏に就役した二段マーリン60シリーズの応急型IXは元より XV.VUも就役してるし最初のグリフォンXUも就役していた。 つまりVは相当の草臥れてる機体だししかもボークスフィルター付きは更に低性能型だから例とて上げるのは不適切。 スピットファイアが優秀だったというよりマーリンが優秀だった。 大排気量極細エンジンを必死で開発してた日本がかわいそうに思えてくる。 スーパーチャージャーとガソリンのオクタン価だけで飛躍的な性能上昇になるのは卑怯。 >>812 >スピットファイアが優秀だったというよりマーリンが優秀だった。 米国製バッカードマーリンは、イギリス国産のマーリンとは別だそうだが? Mk. XVI マーリン60系エンジンの供給に不安を感じたため、米国パッカード社で生産されていた パッカード・マーリン 266エンジン(マーリン 66のライセンス生産)を搭載した機体である。 英国と米国との製図法の違いなどから、本エンジンを搭載した機体には、 新たにMk. XVIの番号が振られている。性能的にはMk.IXと同等であるが、 マーリン266がマーリン66と細部が異なるため、エンジン・カウルの張り出しやフィルター キャップの位置が異なるなどの変更がなされている。しかしながら、本エンジンの供給 が遅れたために生産は1944年までずれ込んだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3_%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2 >米国製バッカードマーリンは、イギリス国産のマーリンとは別だそうだが? だからなんだ?そんな事普通は知ってるだろw あんた馬鹿? >>812 >大排気量極細エンジンを必死で開発してた日本がかわいそうに思えてくる。 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、 死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、 世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。 http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害 人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万 以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、 負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の 中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。 http://www.china-news.co.jp/node/4456 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、 興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、 興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、 人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1 6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。 http://www.jade.dti.ne.jp/ ~kaworu/cont/sankotou.html >>817 日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だということが、しっかりお分かり頂けたかな? けれども日本軍の防空がどうあれ、チャンコロは日本軍にまるで歯が立たなかった。 日本軍機が二流以下でも何でもいいが、大陸打通作戦は連戦連勝快進撃だった。 チャンコロは日本人の軍刀に斬り伏せられるためだけに生まれてきたみたいな生き物だった。 中国人を老若男女問わず徹底的に3500万人虐殺して、南京大虐殺の30万なんてどうでも良くなった。 日本刀で中国人を斬って斬って斬りまくって、昭和20年の3月まで進撃を続けてた。 レーダーが防空がなんてどうでもいいから、中国人をもっともっと虐殺しておけば良かった。 南京大虐殺の冤罪が晴れないならいっそのこと中国人絶滅収容所を作っておけば良かった。 より優れた技術大国ドイツなら、アインザッツグルッペンがパンター戦車に乗って ウルツブルグレーダーと88ミリ砲担いでMe262でシェンノート空軍を壊滅させ、 大陸消滅作戦を発動して中国人を一人残らず虐殺してたはずだ。3500万なんて少すぎ。 P-51にとって日本軍機は撃ち抜けても、中国人の腐った脳みそは撃ち抜けなかった。 さらに言えば、中国人の敵は日本軍ではなく、中国人の脳に涌くウジ虫だった。 バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。 ドイツ軍と比較するなら、ドイツ軍なら絶滅収容所で中国人を皆殺しにしてたでオシマイ。 どんなにしつこい日本軍へのネガキャンも、大陸打通作戦にだけは歯が立たない。 思えば明治以来、大陸打通作戦ほどに非の打ち所の無い完璧な名作戦は類を見ない。 スパイトフルとかシーファングの話はこのスレの案件でいいのか? みたびお世話になります 主脚間の狭さが問題になっていなかったかを追究していた者ですが、 Bf109に詳しい人から指摘を受け、どうやら解決しました 指摘によると、初期のBf109に着陸事故が多かった理由は、 主脚に強度不足の部品があったため、接地時の衝撃に耐えられず、 主脚が変形してしまうことがあったということでした 着陸速度はスピットファイアよりもむしろBf109の方が若干低いほどであって、 翼面積の違いによる低速域安定性も関係なく、 主脚間の狭さが事故原因だとするのは俗説だと説明されました とりあえず、これですっきりしました Bf109はプロペラ軸の位置が低いために主脚を長くする必要が生じ、 長くなれば、必要な強度も高くなる 脚の強度の問題だったとしても不思議はないような 脚の長い力士は不利と言うからな。 それと同じことだ。 >>822 だからBf109関連スレでも書いたがBf109の着陸事故が多い直接の原因は 主脚の強度不足じゃなくて構造を簡易化して重量と作業工程の削減を図る 簡素なロック機構の不具合なんだって。 基本的にホイールトラック(トレッド)の狭い機体は着陸事故は多い。 Bf109、スピット、F4Fなど固定脚から引き込み式形式になった初期の機体は 大抵狭いから事故は多い。 スピットファイアはそこまで事故多くなかったような覚えがあるんだが シーファイアのほうは脚の狭さじゃなくて着艦フックの取り付け位置に問題があっただけだし ロシア人の多くは、ソ連は第二次世界大戦で、同盟国なしに勝利することが出来たはずだと考えている。 社会学者たちの調査によって明らかになった。 ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、 ソ連は第二次世界大戦で同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、 それに反対の見解をとっている。 1941年6月22日に行われたドイツの攻撃に関しては、回答者のおよそ半分が、ソ連指導部にとって予期しない ものだったとの考えを表している。 ロシアでは、第二次世界大戦開戦日の6月22日、「記憶と悲しみの日」が制定されている。全ロシア世論研究センター はこの日を前に、第二次世界大戦参戦国の国民に対するロシア人の現在の見方について調査した。 調査の結果、好感度が最も高かったのは、共に39パーセントを獲得したイタリア人とフランス人だった。続いて日本人、 英国人、ドイツ人、フィンランド人となっている。最も好感度が低かったのは、ポーランド人と米国人だった。 全体的には、52−60パーセントのロシア人が、第二次世界大戦参戦国の国民に対して無関心であることが分かった。 http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/ メッサーシュミット109の主脚は、車輪からして不斉地運用に向いてないでしょ。 ちょっと片側が深くめり込んだら一気にグラウンドループしそうだ。乗る前からわかる。 >>806 日英戦ではこんな感じだ。グルカ兵はインド兵に含まれる。 日本軍は負傷者の割に死者がやたら多く、イギリス戦が皇軍にとって極めて厳しい戦場だったわけだ。 これでも日本側は、陸軍航空隊と、海軍の資料が焼却されて残ってないので不明。 一説にビルマで海軍7000人、陸軍航空隊と合わせて15000人死んだという推測あり。 戦死者 負傷 捕虜 日本 213,445 13,840 811,000 日本兵 210,830 12,840 750,000 インド国民軍 2,615 1,000 40,000 ビルマ国民軍 11,000(イギリスに寝返り) 戦死者 負傷 捕虜 イギリス 15,210 41,620 14,0450 イギリス兵 5,670 12,840 53,230 インド兵 6,860 24,200 68,890 その他 2,680 4,580 18,330 >>809 機体がスピットファイアのほうが頑丈だったからだろうね。 ハリケーンに同じエンジンを載せても、こんなに性能は上がらないから。 >>831 >日本軍は負傷者の割に死者がやたら多く、イギリス戦が皇軍にとって極めて厳しい戦場だったわけだ。 >これでも日本側は、陸軍航空隊と、海軍の資料が焼却されて残ってないので不明。 >一説にビルマで海軍7000人、陸軍航空隊と合わせて15000人死んだという推測あり。 対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」 フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、 1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。 1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準 で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。 1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、 対日戦参加のために中国に来た。 31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、 みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」 というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、 積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。 また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。 10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。 http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm >>831 >日本軍は負傷者の割に死者がやたら多く、イギリス戦が皇軍にとって極めて厳しい戦場だったわけだ 英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、ソ連の参戦であったと指摘した ことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」 の著者である英国の歴史家ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは 4日間でやってのけた。」と書いたとき、 http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/ スターリン元帥は、これらの条件が満たされない場合、自分とモロトフにとり、なぜロシアが対日戦争に参加しなければ ならないのかソヴィエト国民に説明するのが困難となるのは明らかである旨述べた。彼らは、ソ連邦の存在そのものを 脅かしたドイツに対する戦争は明確に理解したが、何ら大きな問題を抱えている訳でもない国を相手になぜロシアが 戦争に入るのか理解しないであろう。他方、彼は、もし政治的諸条件が満たされれば、国民は右に関わる国益を理解し、 かかる決定を最高会議に説明することも格段に容易となろう、と述べた 」。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf 「間違えると北海道までソ連に占領されていた」との発言は、全く歴史に反した、冷戦時代の悪質な 反ソ宣伝の焼き直しである。 そもそも、長崎原爆投下は、ソ連参戦の後に行われているので、 ソ連参戦を阻止するためでないことは、はっきりしている。広島原爆投下の後も、日本政府はポツダム宣言 を受諾していないが、ソ連が参戦すると、あわててポツダム宣言を受諾した。このことからも、 日本のポツダム宣言受諾に、ソ連参戦は決定的に重要だったことがわかる。 <中略> イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、 ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、 イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。 http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254 >>832 い、いちおうビルマ航空戦でも2位くらいの活躍したし >>831 >日本軍は負傷者の割に死者がやたら多く、イギリス戦が皇軍にとって極めて厳しい戦場だったわけだ イギリスは終戦までマレーを奪回できておらず、「おまけの片手間な対日戦争」であっても、 満州千島をわずか二週間で奪い取ったソ連と比べてさえ見劣りがする。 米国が期待したのはイギリスの参戦ではなくてソ連の参戦。 ソ連はおまけの片手間で日本軍を一蹴して、満州千島を奪っていったわけだが、 その戦闘能力はイギリスとは段違いで、それは敵ながらあっぱれと言わざるをえない。 ベトナムに関していえば、まさにファシスト・ドイツが無条件降伏したという知らせが入った後、ベトナム共産党は、 人民蜂起の準備を活発化し、その勝利がベトナムに自由をもたらしたのです。第二次世界大戦は、 人類の歴史に新しい時代を開いたと言ってよいでしょう。そして、その時代の特徴となったのは、ソ連の影響力の拡大と アジア・アフリカ諸国民の独立を目指す戦いでした。」 http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_09_02/86931349/ 旧ソ連の核開発 1949年 8.29. セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結させる 1953年 8.12. 水爆実験に成功 イギリスの核開発 1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される 1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加 1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進 1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功 1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html ソ連の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。 ソ連の核兵器は一人の人間も殺すことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。 ソ連の戦争は祖国防衛戦争で世界を変えたが、イギリスの戦争はただの植民地戦争で影響力ゼロ。 1. 第二次世界大戦終了60周年記念式典 冒頭、小泉総理より式典参加は意義深かったとして、式典の成功に祝意を述べたのに対し、 プーチン大統領より「隣国であり重要なパートナーである日本の総理が参加されたことは 極めて重要である。」と述べて、小泉総理の参加に対して謝意の表明があった。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/j_gmn_05/j_r_gai.html 小泉総理は日本代表として、モスクワの第二次世界大戦終了60周年記念式典に出席し、 式典の成功に祝意を述べた。赤軍がナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたのは、 自由主義共産主義の理念対立を越えた偉業であり、日本人の一人として自分も祝意を表明する。 満州はともかく北方領土はソ連の貧弱な上陸部隊は海まで追い落とされて日本政府から 守備隊に降伏命令が届いてやっと武装解除できた有様で北海道上陸もできず大失敗だろう スピットファイアは戦闘機として以前に航空機・飛翔体として美しい そして高性能でエピソードにも恵まれている 救国の名機という別名語られる航空機なんて他にあったか? シュトゥルモビクあたりは救国の名機と呼ばれても不思議じゃないくらい活躍してるな。 襲撃機という一般名詞を固有名詞化するほど働いたし。 性能も素晴らしいし美しいと呼べないこともない。 シュトルモビクは美しいというよりかは無骨で格好いい機体じゃないかな 美しさというか雰囲気はスピットファイアよりハリケーンに近いと思う 零戦は裸に刀一本で大国に挑み結局力尽きて敗れたが ただ一つ、有色人種に対する白人の偏見を打ち破るという遺産を遺した 米海軍を救ったF4F 連合軍を支えた働き者P-40 このあたりも誉めてやりたい BoBではスピットよりドイツ空軍機を撃墜し 北アフリカでは40mm機関砲を搭載してロンメル戦車軍団を駆逐した針剣 トレッドが広く着陸も楽で失速も低いから格闘戦も強くおまけに修理も金属機より容易 二次大戦初期だと昔ながらの鋼管布張が幸いしてかなり生産しやすかったハリケーンはイギリスの影の立役者 まあまあ、イギリスの親父じゃないんだからそこはまったりと BoBの何十周年記念だかの記念ラベルになってるのを帰りに買って帰ろうとして重さに負けて断念したのを思い出してしまったじゃないか サッカーブッシュ日本代表日程ぷあたんしゅっちょう社長交代春文40代売上チョコレート https://www.youtube.com/watch?v=NDq1QoJY0nY 宇ドナルド サッカーブッシュ日本代表日程古本屋まんびきしゅっちょう ディーラー税務署天才開発者死亡詰みヨミドクターサービス不足 サッカーブッシュ日本代表日程ぷあたんシフト光金さかい強制バイト問題 ニューヨークラスベガスソルトレイク福岡横浜課金パチシフト強制バイト問題新潟米センター生残 オーチスエスカレーター転落 やっぱ強ええなスピットファイア 強さだけならマスタングより強いんじゃね? マスタングは総合力だから スピットファイアがプロペラ機では最強か 漠然と強いなーって言われてもね・・ サブタイプとか言ってもらわないとレスのしようがないね。 アリソンを積んだスピットとP-51Aどっちが強いかな アリソンってエンジン名じゃ無くて会社の名前なんだけどねw 言いたいことは分かるが結論は分からない。 大体マーリン積んだ実在機同士の比較も難しいってのに。 フライトシムでタイマンしたらP-51なんか三式戦に乗っても一捻りで落とせるな むしろあんな曲がらん戦闘機で日本機落とせる奴のが尊敬する インパール作戦に皇軍が約50機の三式戦を直衛部隊として参加させていたら、 勝っていたと思うんだけどどうでしょう??? >>861 一式陸攻を、二式単戦と三式戦が護衛することなんないだろwww(^o^)丿誇大戦果ですね 多分Mk.\が一番高いレベルでバランスが取れた機体 グリフォンスピットも格好いいけどね バッタバッタと敵をなぎ倒すんですよね。 そういうことにしといてください。 >>860 この頃の連合軍との戦いだと 50機とか一回の戦闘でほぼ消耗する >>863 60系二段マーリンタイプが見た目もロングノーズ・4枚ペラでバランス良いし、 性能的にも最もバランス取れていたんじゃないかな。初期グリフォンエンジン機よりも性能は上だしね。 Mk-14以降のは性能紙上の性能は凄いけどタキシングでさえ経験浅いパイロットはまともに出来ないしもともと短い航続距離は更に短くなってからね。 本来迎撃機だから致し方ないが戦局としては防空機の貢献度は低い時期だし、ミーティアなんかもあるから存在感は薄い。 性能的にも存在もMk-IX以降は無くても良い機体だったな。 レアとはいえMe262やTa152も出現してるさ中グリフォンへのアプグレードは好適かと まあ後知恵で考えればいらなかったかもしれないがあくまでも結果論だからね〜。 本国防空やってりゃよかった時期はともかく、 敵地に侵攻するのにあの航続距離はやっぱ大問題だけどな 英国も、地味ぃ〜に後続機の開発失敗気味だからなあ 日独ほど致命的なレベルじゃないけど >>870 馬鹿だな、ノルマンディー後は スピットの当初の想定通りの戦いだよ EUの大陸の単発機の戦いは 前線の10数km後ろから、一日何往復もバンバン反復攻撃する ノルマンディーの頃は、時代遅れのスピットVすらかりだされてる グリフォンスピットというと戦闘機型ばかり語られがちだけど、 アレの真価は偵察機型にあると思う Mk.XIV以降のグリフォンスピットは大半がFRタイプだから偵察としての役割を 重要視した事は確かだが偵察機は航続距離はより重視されるから短いと使用が限定され 重要性は戦闘機型と同じであまり高くなかったと思うよ。 性能は一流だけど航続距離が短くて・・・・ってBACライトニングあたりまで受け継がれてしまう伝統かなw 退役時に増槽を装備したF6でさえ平均ミッション飛行時間は55分しかなかったそうな・ 面白いのはライトニングは63年にスピットPR.19相手にDACTをやってるんだよね。 当時インドシナあたりでP-51を装備した国との紛争になる事を想定してのことだそうだが。 正直モスキートがあるのになんでわざわざスピットに偵察させるのと me262とコンニチワする事態にでもならなけりゃグリフォンスピット偵察機は概ね安全だけど、 モスキートはもうちょい補足される範囲が広い 夜ならともかく昼間はそこまで安全じゃないので そもそも補足される機会が稀ではあるが スピットファイアの日本語版記事で零戦や隼にやられた話だけ細かく書いてあって零戦・隼>スピットファイアを強調してるみたいで気持ち悪い スピット8を12.7ミリ二丁の隼にキルレシオで負けるような状況は英軍は どう考えてたんだろうな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる