イエメンの戦争勃発の経緯
イエメン王国をサウジが侵略し北部の領土をゴッソリと奪う
イエメンで社会主義革命が起こり王政が打倒される
イエメンを分裂させるためサウジが対立していた王党派(フーシ)を支援、エジプトが支援する政府軍と内戦に
サーレハにより王党派と社会主義政権の和解成立
サウジの圧力により王党派との和平破綻、サウジ/政府軍が王党派の本拠地サアダへ南北から侵攻するも敗退
アラブの春に乗じて米とサウジが介入してクーデター、サレハを失脚させスンニ派のハーディを大統領に
ハーディは首都サヌアを含む北部地域の解体を決定、裏切りに怒った軍部が離反
任期切れ後もハーディが選挙を拒んで居座り同胞団と組んで北部へ侵攻、王党派に敗退し2年後の選挙を約束
2年後、再度選挙を拒否して北部解体案を強行
デモが激化しハーディが辞任、王統派が政権掌握を宣言するもサレハが支配する議会と対立して睨み合いへ
ハーディが突如として辞任の取り消しとサウジへの介入要請
サウジ軍、何故かイエメン全土の占領を狙い政府軍への全面攻撃を開始
驚いたサレハ与党と軍部は王党派と和解し人民委員会を結成
西側メディアではこの人民委員会を反体制武装勢力フーシと報道し、政府軍に首都からの撤退を要求する暴挙へ