【戦闘機】日本陸軍航空部隊スレ 飛行第4戦隊 [転載禁止]©2ch.net
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>>112
帝国海軍はSBDの行き掛けの駄賃でずいぶん被害受けてるけどな
気づきそうなもんだが、単機で接近されると案外気づかない
単純な偵察の効率としては速度が落ちて航続距離が減ってと言い事ないんだが、
敢闘精神溢れる脳筋たちには単純な偵察よりやる気が出たりするらしい そういう場合報告送るのは攻撃前?攻撃後?
攻撃前だと無電キャッチされて警戒されるんじゃね
かといって攻撃後だと撃墜されるリスクもあるし… >>114
SBDの場合は攻撃は降爆になるから攻撃しかけたらしばらく高度取れないし、
優先度は偵察のほうが高いんだから攻撃前に無線打つだろ、多分 >>113
偵察の効率もそうなんだが
ほっとけばそのまま行動してくるだろうに、攻撃しちまうと警戒して欺瞞行動されて本体攻撃に支障が出る可能性がな
まあ敵に航空機がなくてずっと張り付いてられるなら関係ないけど
あるいは偵察なんてどうせばれてると割り切るとか >>113
ずいぶんって南太平洋海戦の瑞鳳以外に目立った戦果があったっけ? あ、瑞鳳を攻撃したSBDは2機だったから単機ではないか 偵察のSBDは日本の偵察機と接触したら積極的に撃墜にいってたんだよな
後期はその方法を他の機種の組み合わせでより徹底してたけど 零観も積極的に敵機を撃墜にいってるし、ジェロニモと呼ばれた甲木清実のようなエースもいる。
B-17を体当たりで撃墜とかしてる。 どっちも海軍機やないか〜
まぁ空母決戦時と普段の哨戒やら護衛の時ではちょっと違うとは思うけど
前者は主に零水偵だろうし 「永久の直協」なんて映画があったら見てみたい
血と砂の航空隊版のような… ここ数十年、特攻関係ない「航空映画」って日本は作ってないから観てみたいな
一から話考えるのは今の邦画にゃ力不足だし、するなら加藤隼戦闘隊のリメイク
海軍モノはいい加減やめて陸軍さんをお願いします… >>128
「無線が通じる!おかしい!!!」と軍ヲタがわめいて回ることになりそうな。 >>129
それは軍ヲタじゃないんじゃないですかね……>無線 海軍で申し訳ないが、東港航空隊キスカ支隊とか452空とか、北太平洋の物憂げな景色と南洋ほど地獄でない戦況からしていい映画出来そうなんだけどな。
陸軍なら85戦隊とかか アラスカの方から襲来したB-24やB-25を千島列島あたりで隼が迎撃してるのを映画化すればいい
ラストは吹雪でひっくり返った隼を見つめるシーン
原作は滝沢聖峰で 関西ローカルの終戦特番見てたんだが
元漫才師でタレントの太平サブローの父親が飛燕に乗ってたらしい(詳細不明)
多分伊丹あたりで防空任務についてたのかな? あとジャルジャル後藤の祖父が疾風に乗ってたらしいが
初陣が台湾沖航空戦として紹介されてた
?アレに疾風って参戦してたっけ? 帝国陸軍航空隊が行った最も大規模な航空作戦てなんだろう >>134
てか台湾沖航空戦自体海軍の作戦だったような…?
まあ関連して陸軍機が出動していても不思議ではないが
レイテと混同してるのが一番ありそうな 29 :名無し三等兵:2014/02/06(木) 22:45:24.76 ID:???
台湾沖航空戦で疾風の評価
飛行第11戦隊附四至本廣之丞大尉の回想
「グラマンF6Fの性能は、わが四式戦(キ八四)より優秀であり、
特にスピード、上昇、出足において優れていた。
艦爆は四式戦の良い目標であった。」
(戦史叢書「沖縄・台湾・硫黄島方面 陸軍航空作戦」) そもそも基本的に対艦攻撃は装備も訓練も基本的に海軍の役目やし
まだそれなりに戦ってたし、空も陸も競り合っていたという点では
ニューギニアの南北の戦いじゃないかな
アレはどっかが映像化して欲しい
以後は基本的にワンサイドゲーの展開ばっかだからな.....
台湾航空戦とかも一方的過ぎる >>134
疾風のとこだけ見れたわ
ご存命で知覧の疾風と対面してたね
あとフィリピンに進出予定の11FRが途中で台湾沖航空戦に巻き込まれてるよ
戦隊長や中隊長が戦死してしまって、残った>>137の中隊長・四至本大尉(エース)が戦隊長代理してる
ただそういうことは名門11FRの操縦者の可能性が高いけど、どうなんだろね
渡辺さんあたり取材してないのかな。疾風乗りの証言は希少 >>131
>>138
第64戦隊でいいじゃない
軍神加藤少将のいた初期はもちろん、後期でも主用戦線で実際に互角かそれ以上の勝負してたのは陸海軍ではここだけだし
市村さんが徹底取材した超イケメンの軍神中村三郎中佐とか主人公に最適
WWII日本軍は世間ではよく言えば再評価・注目、悪く言えば美化・過大評価されてるきらいのある昨今、
あの大戦後期に強力な米英相手に互角以上の戦果を残していた実在の「加藤隼戦闘隊」ってだけで注目はされるんじゃない
有名すぎる故に零戦に食傷気味な層からしても一式戦「隼」は新鮮だし
問題はCGや大道具やら撮影にかかる金だけど… 米軍からしたら
台湾沖航空戦自体が
キングII作戦の多数の機動空襲地点の一つに過ぎない上に
日本軍は乗っちゃいけない、航空消耗戦にまんまと引っかかってしまった
戦略的にも大負けやからのう
11FRとかも本来フィリピンまで出すべきじゃなかった
レイテが始まった時には作戦機300機なんてアメリカの思う壺になってしまった 19年以降だとほとんど米英の術中にはまってばかりという作戦しか思い浮かばないなぁ 陸軍の空中戦だと、ノモンハンが圧倒的に大規模だったらしい。 1944年の陸軍で成功した作戦といえば、疾風の大量投入で上空制圧に成功した、
第一師団のレイテ島オルモック輸送作戦がある。
ブラウエン飛行場などへのタ弾爆撃もかなり成功している。 1944年11月1日、掩護計画としては三式戦と一式戦が常時十数機船団上に3交替で張り付き、
危険度の高い早朝・夕刻・オルモック到着時に四式戦をその上層に配置することとした。
四式戦の出撃単位は6〜8機。
まず早朝、四式戦6機と襲撃機3機が出発。
0920のB-24によるパゴロド空襲があり三式戦・四式戦全可動機で迎撃して撃退、
ただしこのため船団掩護の四式戦が予定の半数の4機になる。
1010のP-38約20機による各飛行場攻撃は阻止できず。
戦闘機や基地に大きな損害を受け午前遅くに四式戦6機が出動。
オルモック入港直前P-38 12 機の触接を受けるもちょうど掩護機の交替時期のため
在空機が二十数機になっておりこれを撃退。 >>146
それ、成功した一番の原因が戦闘機がどうこうじゃなくて、単に米軍の隙でよかったねだから作戦成功の理由がしょぼい おまえバカだな、常時十数機船団上に3交替で張り付かせて、
四式戦を6〜8機、交代で飛ばせるってことは技術的に非常に大変なことなんだぞ。
そしてこういう作戦が本当の戦略的航空作戦。
第一師団は米軍を一ヶ月阻止し、退却にも成功した。 それに米軍に隙ができたのは10月末に連続して行われた、
51、52戦隊の疾風によるタクロバン飛行場へのタ弾夜間爆撃が成功していたのも大きい。
新型野戦戦闘機を使った理想的戦略航空作戦だ。 退却に成功ってwもともと第一師団の目的はリモン峠からカリガラ平原まで進出して米軍と会戦やって撃滅する事だったんだが?
そりゃリモン峠の奮闘は称えられるべきだが兵力は10分の1に減らしてるしこれを評価はできんよ それは第一師団の失敗じゃなくて、上陸地上兵力をはるかに過少視した大本営の責任だろう。
そもそも山下奉文はレイテ決戦に反対だった。
もちろん全体的には作戦は失敗に決まっているが、
疾風は事前のタ弾攻撃と上空援護によって第一師団の海上輸送を成功させた。
その後の展開はまた別のフェイズの話だ。 ネタ元
666 :名無し三等兵:2011/12/06(火) 21:12:11.61 ID:???
海軍
昭和19年11月1日
「第二次多号作戦/制空」
【編成】
零戦37機、紫電11機
【戦果】
不明
【被害】
不明
昭和19年11月2日
「オルモック泊地上空直衛」
零戦、紫電延約40機が、クラーク航空基地を発進。
【編成】
不明
【戦果】
不明
【被害】
不明 続き
677 :名無し三等兵:2011/12/06(火) 23:18:06.53 ID:???
>>664
例えば、陸軍側の視点から見た11/1の上空掩護の内容は一資料によれば以下の通り。
この日は四式戦だけではなく、三式戦も一式戦も上空掩護を行っている。
掩護計画としては三式戦と一式戦が常時十数機船団上に3交替で張り付き、
危険度の高い早朝・夕刻・オルモック到着時に四式戦をその上層に配置することとした。
四式戦の出撃単位は6〜8機。
まず早朝、四式戦6機と襲撃機3機が出発。
0920のB-24によるパゴロド空襲があり三式戦・四式戦全可動機で迎撃して撃退、
ただしこのため船団掩護の四式戦が予定の半数の4機になる。
1010のP-38約20機による各飛行場攻撃は阻止できず。
戦闘機や基地に大きな損害を受け午前遅くに四式戦6機が出動。
オルモック入港直前P-38 12 機の触接を受けるもちょうど掩護機の交替時期のため
在空機が二十数機になっておりこれを撃退。
・・・のみならず海軍側についても数十機を繰り出したとする
>>666のような記録があるのならなおのこと、
なぜ疾風だけの手柄になるのか、信者の願望ではなく資料に基づき述べて欲しいものだ。
資料に基づけば建設的な議論になるが、信者は知識も見識も持ち合わせていない。 比島の陸軍航空隊は練り上げて来た戦闘機の展開戦術をようやく実用に移して
「決戦」に挑めたって意味では頑張ったなぁと思う・・・うん
まぁ現実は想定を遙かに上回る損耗と劣悪な現地状況、とても休息に後方に下がるとか無理で
理想にはほど遠かったんだろうけど 戦果不明・被害不明じゃなあ。発進したことしかわかんねえし。 >戦果不明・被害不明じゃなあ。発進したことしかわかんねえし。
海軍側の記録があまり残って無いからな。
これが疾風部隊なら、数十機を一度にまとめて運用できるのはスゴイとか言うのだろう。 碇本によると、ネグロス島の第30戦闘飛行集団の10月24日の兵力は、
第1、第11戦隊が合わせて35機、第51、第52戦隊が合わせて13機、第200戦隊47機。
10月31日の第2飛行師団の実働の戦闘機の数は、隼20機、飛燕17機、疾風50機、合計87機。 当時の紫電装備と言えば
三四一空だろうな
10月29日に稼働機15機とあり
12月7日第8次多号作戦参加艦艇を11機とある
数的には他の部隊と一緒だろうが
紫電の機数から損失はそれほどではないように見える ここみると11月1日のオルモック上空の紫電は戦闘七〇一飛行隊で、
戦死者一人、戦果が地上炎上5機となっているが・・・、
http://pico32.web.fc2.com/kaigun/toku-sento/701-2-341.htm
なぜ船団援護で戦果が地上炎上? あるいは敵機を求めてオルモックからブラウエンやタクロバンの攻撃にいったのか・・。 11/1の紫電・零戦隊の役割は攻撃隊41機の制空隊としてのレイテ湾およびタクロバン、ドラッグの制圧だよ。
目的は事前の作戦要領に従い、輸送の間接支援。
またタクロバン等への夜間攻撃は10/26は午後・薄暮の51、52戦隊のほか、薄暮には27、45戦隊、夜には重爆。27夜は重爆、双軽、襲撃機。28、29夜重爆(両夜天候不良で引き返し)。30夜双軽。31早朝一式戦。
こんな感じで地道に各機種実施している。 レスを総合すると、陸海軍のあらゆる機種が協力して全力を挙げて昼夜連続の事前制圧、上空援護を行い、
第7空軍のP-38を地上・空中で徹底的に苦しめて、
成功させたのが第一師団のレイテへの海上輸送ということだな。 攻撃直後の現地はそうおめでたくもなくて、在地米航空戦力の活動が比較的低調だった理由を、米軍の飛行場整備がまだ十分で無い可能性をあげているな。 11月1、2日には一式戦とともにオルモック湾を制空し第1師団の上陸成功に貢献、この空戦において船団直掩の飛行第52戦隊・飛行第200戦隊の四式戦および
飛行第33戦隊・飛行第26戦隊・飛行第20戦隊の一式戦は、来襲したアメリカ陸軍第49戦闘航空群のP-38と交戦、
断続的に続いた戦闘で日本軍は6機(四式戦2機・一式戦4機)を喪失するも5機(第8戦闘飛行隊・第9戦闘飛行隊所属)を確実撃墜した。 疾風ホルホルコピペがしたいなら
疾風スレに行けばよかろうに タ弾による飛行場攻撃にしても、米軍機が進出しているのを確認したから攻撃しているわけだ。
実際に第49戦闘航空群のの第8、第9戦闘飛行隊はオルモックに船団を攻撃しに着ている。 総攻撃準備としての海軍のタクロバン他攻撃は、10/27午前(途中敵戦闘機との交戦で未実施)10/28薄暮零戦、紫電、陸攻計51機、10/31船団間接援護としてモロタイ島の大型機空襲抑止のため零戦ほか12機。
11/1は既述のとおりレイテ湾方面制圧。
11/2は揚搭中の船団援護のため零戦、紫電のべ40機が午前、午後オルモック泊地上空哨戒。さらに11/2夜、11/3朝、11/4は昼夜三次にわたり攻撃隊を出している。
海軍では11/4までのタクロバン飛行場について、多数機の進出にもかかわらずこの基地からの活動が活発ではなかった点に対し、日本側の攻撃効果もさることながら、飛行場整備ができていないことも一因かと判断している。 紫電とか先行して開発進んでたのに第三六一やら第三四五みたいに結局まともに
編成すら出来ず、出撃前に(その戦闘機隊としては)解散した部隊に比べれば
疾風でまとまった部隊作った陸軍はちゃんとやってた方か・・・ Bunzo‏@Kominebunzo
そう言えば、大塚さん、巷に伝わる紫電の生産数は多すぎないか、との、この間呑んだ時の話。
比島戦時の機体番号判明分から見ると造るそばから前線に出ているので、紫電改とのダブルカウントの可能性は無いよ。
誉の発動機番号もそれを裏付けているのが確認できた。
2:20 - 2015年7月31日 Bunzo‏@Kominebunzo
紫電は19年度発注数1300機をこなす為に全力で生産していて、却って前原謙治資料なんかは姫路生産分を無視しているくらい。
比島決戦前の2航艦なんて戦闘機の3分の1は紫電。同時期の疾風より多い。
2:28 - 2015年7月31日 紫電の出来がそんなに良かったんなら、紫電改は作られなかったろう? どんなに性能が良くて着陸の度にハラハラする飛行機は遠慮します Kominebunzo
十七試陸戦が無ければ紫電改も無い。そもそも紫電改の計画は次の水戦を低翼化するという十八試水戦とセットの発想。
昭和18年初頭はまだまだ水戦の需要があった。
二段引込脚も設計側としては当たり前の機構で、このまま熟成させた方が当面、合理的だからやったまでのこと。
紫電は横で陣風に向かう陸戦設計が走っていることを意識しないと勘違いしてしまう。
紫電を最初から低翼で造ったなら、というifは十七試陸戦/十八試陸戦、すなわち陣風の流れになってしまう。
十五試水戦の陸戦化は「できるだけそのまま」でなければ価値がない。
問題は十五試水戦の初飛行前に着手してしまったこと。初飛行後であれば別の道があったかもしれない。
2015年7月31日 梅本さんが11月1日と2日の日米の戦果検証をやってるな。 木俣本による極東空軍(第5、第13空軍)の進出状況。
10月25日、母艦を撃沈された艦載機100機がタクロバンに不時着。第96歩兵師団がドラッグ飛行場占領。
この日、タクロバンのプライスホテルにマッカーサーとケニー中将が宿泊。
10月27日、タクロバンに長さ1160mの鉄孔板敷き詰め完了。第49戦闘航空群(第8、第9戦闘飛行隊)のP-38、34機が進出。
この日、リチャード・ボングが31機目の撃墜。
11月4日、ドラッグ飛行場に移動したP-38は連日のタ弾攻撃で大損害を受け、バヤングに移動しようとするも設備不良で中止。 >>189
>10月25日、母艦を撃沈された艦載機100機がタクロバンに不時着。第96歩兵師団がドラッグ飛行場占領。
タ弾ナントカは
不時着機を壊して喜んでたんだな
それにしてもタクロバンも
戦闘機だけ進出してもな
船団攻撃も結局モロタイからの重爆だけか
艦爆や艦攻、双発爆撃機は進出できずか
運が良かったな >>176
11月1日以降の陸軍側のタクロバン他への攻撃は、どんな感じ?
>>168は10月31日までだよな >>19
>一号作戦では最前線の戦闘で肉薄中の歩兵大隊の、目の前の中国軍部隊に対して航空攻撃お見舞いして要地占領に貢献してる
大陸打通作戦が成功したのも 、米国がドイツ打倒優先で米軍主力をヨーロッパへ向けたから。
大陸打通作戦の輝かしい大勝利の裏には、ドイツの悲しい犠牲があったことを忘れてはいけない。 >>190
爆撃機隊の進出は11月中旬から、1月にかけて。 >>189
母艦が撃沈??
100機というと正規空母だけどそんな戦果あったっけ? >>195
10月25日と言えば
レイテ沖海戦の最終日
サマール沖海戦が起きた日 プリンストン+ガンビアベイでも80機くらいにしかならないな。。。 おなじみのコピペと時系列で並べるとこんな感じか
>10月25日、母艦を撃沈された艦載機100機がタクロバンに不時着。
>二十六日夕方、第十六飛行団の第五十一両戦隊は、はやくも敵
>上陸地点のタクロバン飛行場に進出していた百機以上の中小型機に対し、わずか
>十数機でタ弾攻撃をかけ、大損害をあたえた。
>10月27日、タクロバンに長さ1160mの鉄孔板敷き詰め完了。第49戦闘航空群(第8、第9戦闘飛行隊)のP-38、34機が進出。
> しかし、敵もさるもの、翌二十七日夕方にはすっかり立ちなおって飛行場が使えるよ
>うになり、日本からは機動部隊艦載機にかわって陸上戦闘機ロッキードP38がモロタイ
>島を発進したB24と戦爆連合で、ネグロス島のわが飛行場群に対する攻撃を開始した。
"日本からは"って何?転記ミス? コピペ追加
>二十五日朝第七艦隊の軽空母二隻が沈没、
>残りの半数以上の軽空母は作戦不能の状態にあった。
>10月25日、母艦を撃沈された艦載機100機がタクロバンに不時着。
> タクロバン飛行場では、日本軍機の執拗な妨害を受けたが、一五〇〇までに
>鋼製マット一、〇〇〇呎を敷き詰めた。
>二十六日夕方、第十六飛行団の第五十一両戦隊は、はやくも敵
>上陸地点のタクロバン飛行場に進出していた百機以上の中小型機に対し、わずか
>十数機でタ弾攻撃をかけ、大損害をあたえた。
日本軍の攻撃のうち四回は全然警報が
>でなかった。我々は壕を入ったり出たりした。これらの飛行機は超低空で
>進入して滑走路に沿って飛びながら掃射とともに破片爆弾を投下した。
>爆弾の四分の三以上は爆発しなかったが、そうでなかったら我々は大打撃
>を受けたことであろう。(注 「タ」弾攻撃と考えられる)
>10月27日、タクロバンに長さ1160mの鉄孔板敷き詰め完了。第49戦闘航空群(第8、第9戦闘飛行隊)のP-38、34機が進出。
> しかし、敵もさるもの、翌二十七日夕方にはすっかり立ちなおって飛行場が使えるよ
>うになり、日本からは機動部隊艦載機にかわって陸上戦闘機ロッキードP38がモロタイ
>島を発進したB24と戦爆連合で、ネグロス島のわが飛行場群に対する攻撃を開始した。
大損害を与えたが大打撃は受けていないようだ >>185
小峰って昔からだけど性格に難があるよなあ さらに追加
>二十五日朝第七艦隊の軽空母二隻が沈没、
>残りの半数以上の軽空母は作戦不能の状態にあった。
>10月25日、母艦を撃沈された艦載機100機がタクロバンに不時着。
> タクロバン飛行場では、日本軍機の執拗な妨害を受けたが、一五〇〇までに
>鋼製マット一、〇〇〇呎を敷き詰めた。
>二十六日夕方、第十六飛行団の第五十一両戦隊は、はやくも敵
>上陸地点のタクロバン飛行場に進出していた百機以上の中小型機に対し、わずか
>十数機でタ弾攻撃をかけ、大損害をあたえた。
>またタクロバン等への夜間攻撃は10/26は午後・薄暮の51、52戦隊のほか、薄暮には27、45戦隊、夜には重爆。
>日本軍の攻撃のうち四回は全然警報が
>でなかった。我々は壕を入ったり出たりした。これらの飛行機は超低空で
>進入して滑走路に沿って飛びながら掃射とともに破片爆弾を投下した。
>爆弾の四分の三以上は爆発しなかったが、そうでなかったら我々は大打撃
>を受けたことであろう。(注 「タ」弾攻撃と考えられる)
>10月27日、タクロバンに長さ1160mの鉄孔板敷き詰め完了。第49戦闘航空群(第8、第9戦闘飛行隊)のP-38、34機が進出。
> しかし、敵もさるもの、翌二十七日夕方にはすっかり立ちなおって飛行場が使えるよ
>うになり、日本からは機動部隊艦載機にかわって陸上戦闘機ロッキードP38がモロタイ
>島を発進したB24と戦爆連合で、ネグロス島のわが飛行場群に対する攻撃を開始した。 ネグロス島には飛行第五八戦隊の1中隊を改編し、海面捜索レーダである「タキ」一号を搭載可能なように改造した九七式重爆を使用した独立飛行第三十一中隊も進出していた。
装備定数は9機である。「タキ」一号は20隻以上の船団なら、飛行高度1,500mで50kmの探知範囲を有していた。 >>197
多分、沈められた船だけじゃなくて第77任務部隊第4群で戦闘に飛び立った
飛行機の多くが向かったんじゃないかな。
他の母艦もとても着艦出来る様な状況でもなかったろうし 10月25日は護衛空母サンティーとスワニーに特攻機が命中し損傷。
護衛空母セント・ロー沈没。護衛空母カリニン・ベイに特攻機が命中。空母イントレピッドが特攻機の命中で小破した。 多号作戦は多少運べてもこうなんだけどね.....
12月までに合計5万名に及ぶ兵力をレイテ島に運んだが、その大半が輸送途中に敵襲を受け、
海没する船舶が相次いだ。例えば第1師団の次に送られた第26師団主力は11月9日に
無事オルモックに入港したものの、上陸用の大発動艇の不足からほぼ兵員のみの上陸となり、
さらに後続の補給物資船団は到着前に次々と沈められた。それでも空襲を警戒して夜間に
海岸近くを航行していたので、船が撃沈されても兵隊が泳ぎ着く例は多かったが、軍需品、
糧食はその8割までもが海中に沈められた。おまけにかろうじてオルモックへの揚陸に成功した物資も、
自動車の不足と劣悪な道路状況などから前線への輸送が滞りがちだった。
その結果レイテに運ばれた日本軍を待っていたのはガダルカナルの戦いやインパール作戦にも
引けを取らない飢餓戦であった。ジャングルを彷徨うことになった日本軍は、
戦死というよりもむしろ多くは餓死で密林の中に消えていくことになったのである なんか毎日必死に日本軍ホルホルコピペしてる奴が笑えるw >>206
そのレス何か意味あるの?
もしかして、酷く矮小で偏狭な知識しかなくてお話に混ざれないから、どうも間違ってそうな劣勢な方を馬鹿にして自尊心を保っているのかな? >>206が図星さされて荒らしても困るんでスルーしてあげなよ
夏休みが終わってまた学校でいじめられる現実から逃避したいんだろうw 手土産に
モリソン太平洋海戦史から米軍視点
カミカゼ(ママ)のせいで
10.29〜30マニラを空襲した38.2と38.4が
損傷を受けてウルシーに後退
以後レイテ周辺の地上軍も艦船も
タクロバンの簡易滑走路からの少数の陸軍機の援護に頼らなければならなかった
機動部隊が戻ってくるのは11.5
多号第二次輸送成功ヨカッタね >>206
>なんか毎日必死に日本軍ホルホルコピペしてる奴が笑えるw
大陸打通作戦だけは、底抜けに痛快で、爆笑ものだよな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています