Kominebunzo

十七試陸戦が無ければ紫電改も無い。そもそも紫電改の計画は次の水戦を低翼化するという十八試水戦とセットの発想。
昭和18年初頭はまだまだ水戦の需要があった。

二段引込脚も設計側としては当たり前の機構で、このまま熟成させた方が当面、合理的だからやったまでのこと。
紫電は横で陣風に向かう陸戦設計が走っていることを意識しないと勘違いしてしまう。

紫電を最初から低翼で造ったなら、というifは十七試陸戦/十八試陸戦、すなわち陣風の流れになってしまう。
十五試水戦の陸戦化は「できるだけそのまま」でなければ価値がない。
問題は十五試水戦の初飛行前に着手してしまったこと。初飛行後であれば別の道があったかもしれない。

2015年7月31日