【戦闘機】日本陸軍航空部隊スレ 飛行第4戦隊 [転載禁止]©2ch.net
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大戦末期の第5飛行師団の戦力 昭和19年 4月20日 戦闘機60 軽爆16 重爆22 司偵10 計108機 6月末 出撃可能機数49機 7月末 同20機 インパール戦の攻勢時はともかく、守勢にまわり、撤退に追い込まれたころにはほとんど戦力を消耗している 残ったわずかな戦力でほそぼそと出撃を繰り返したのも事実だが イラワジ作戦においても寡兵で出撃を続けるも制空権は常に英印軍にあり、昭和20年6月に第5飛行師団は航空作戦を中止。 事実上、壊滅した。 ビルマ一国の守備に20機程度じゃ、英軍は日本機みないし 日本の方も空戦そのものは避けるよな >>399 むしろ出撃可能機も「離陸は出来る。空中戦?それ何(ry」状態だろうな 伝習とはいえ沖縄戦も始まってた時期によー東南アジア方面に5式戦とか送れたよなとはちょっと思う おかげでイギリスに今残ってるんだろうけど 本土がやばいときに東南アジアに送って何の意味があるんだか マリアナ戦敗北した時点でもまだ日本の戦費の6〜7割は中国に消えてましたし そりゃまあ支那派遣軍は100万規模で動員してたからその人件費だけで馬鹿にならんわな しかも、米国の統合参謀本部は、蒋介石とスチルウェルの中国連合軍と協同して大規模な攻勢をかけ、 ビルマ北部から日本軍を一掃し、ビルマと中国を結ぶビルマ・ルートを再開するよう英国に要求してきた。 この戦域での作戦の成功に必要な航空機と物資の補給を米国が握っていたこともあり、 英国はその要求を呑まざるを得なかった。 http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf 昭和18年初春から行われたオーストラリアのダーウィンに対する、チモール島からの日本海軍のキャンペーンでは、 ゼロ戦と中攻部隊が健闘しています。 753空(一式陸攻)と202空(ゼロ)のコンビ+陸軍の百式重が参加し、相手は欧州戦線で鳴らしたクライブ・コールドウェル 中佐率いる1FW(457sq&457sqRAAFプラス54sqRAF)のスピット5型で、アゴフィルターつきのやつです。 同年3月から9月までの半年間、戦闘損失はゼロが3機に対して、スピット38機(双方ともすべての未帰還機の累計)です。 これは双方の自軍損害レポートによるもので、いわゆる「誇大戦果」ではありません。 http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Zero_VS_Spit.html シェンノートは、揚子江にむかって前進中の日本軍を攻撃してもよいとの許可をあたえられたが、 多くの飛行機をビルマ作戦に転用されたうえ、中国東部にある基地の予備燃料がおそろしく少なかったため、 中国軍に適切な航空支援をあたえることができなかった。 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、 中国軍への航空支援を行わなければならなかった。 二〇〇機という数は、二つの任務をうまく果すためには、到底不十分な数であった。 http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/aircraft/chaina8.htm >>401 >むしろ出撃可能機も「離陸は出来る。空中戦?それ何(ry」状態だろうな 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、 独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。 <中略> とくに空軍戦力の差は、ひどかった。 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、 ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。 <児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁> 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、 総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、 救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を 失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ 損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団 に上るでしょう」と告げられた。 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵 をロシア側に奪われたのだった。 「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 ) 複数の大国相手に二正面作戦やったらあかん、という何よりの証明 戦費といっても海軍の場合戦艦、空母などの建造は戦前から金を如何にかけたか、だから単年度ごとに見てもあまり意味がない 結論ありきの人でそこに言及している人はいないけど パイロットや船乗りは歩兵や輜重兵のように速成教育できないからな。 歩兵なら大体3か月で一応訓練終わる。 開戦直後の1942年に訓練始めた奴が、1944年になってようやく実戦デビュー。 それまで空中戦支えていたのは開戦以前に訓練受けた奴。 訓練用の空母もなくて湖用の蒸気船を無理やり空母するありさま。 だいたい欧州方面の戦費は、飛行機や空母や戦車がアメリカ製でも、 中の人はイギリス人や、オーストラリア人や、ロシア人や、フランス人だったりする。 イタリア戦線でも中の人は南アフリカ人とか、ギリシャ人とか、ポーランド人とか、モロッコ人とか、ニュージーランド人とか、 日系人とか。 特に1943年の米軍は深刻な戦闘機パイロット不足で、 急降下爆撃機パイロットや、雷撃機パイロットや、飛行艇パイロットが、 コルセアに乗せられて、岩本徹三にボロボロ落とされていた。 >>414 これは酷い 1943年とかコルセアほとんど空母運用してない 1943年のコルセア乗りは海軍ではなく、ほとんど海兵隊 >>409 日本は米国には負けたが、中国には勝ってた。 >>397 >1943年12月以後はRAFに完敗してたのが実状 スリムも飛行機が必要だった。彼の第一四軍は、日量七五〇トンが物質が要る と算出されていたが、メイクテーラ作戦がフル稼働する三月以降は、これが 一二〇〇トンに上る。ある朝、インパールの司令部で上空を飛行機が飛ぶの を聞いたが、これは自分に割り当てられていたダコタ機三個中隊で、急に中国 へ向かうよう命令されたのだと知って仰天した。彼は、手に入る飛行機を全部 使って、日に七千回の出撃が必要なのに、予告なしに七五機を失うのはひどい 痛手だ(Lewin,Slim 217頁)。紛糾のもとは、中国情勢である。シェンノート 航空隊が、やがて日本本土を空襲するはずだ。その中国のアメリカ軍前進基地 に対し、その使用を封殺するために日本の中国派遣軍が一号作戦を発動し、 飛行場群の奪取を狙っているのだ。 <ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻 291頁> F6Fよりも高性能と言い切れる機体ってあるのでしようか? 四式戦五式戦では互角止まりですか? ヘルキャットに空母使って神出鬼没の運用ができる特技がある点では日本陸軍機は真似ができんが 好調な四式五式ならおおむね空中性能は優るんじゃね、なんだかんだでヘルキャットは重い 実際には四式五式が不調な機体ばかりだったとか野暮な事は言わないで下さい うむ 台湾沖航空戦で疾風の評価 飛行第11戦隊附四至本廣之丞大尉の回想 「グラマンF6Fの性能は、わが四式戦(キ八四)より優秀であり、 特にスピード、上昇、出足において優れていた。 艦爆は四式戦の良い目標であった。」 (戦史叢書「沖縄・台湾・硫黄島方面 陸軍航空作戦」) F6Fって零戦とのドッグファイトもほとんど互角にこなしたってんじゃなかったっけ? (零戦のベテランでもF6F相手には苦労したとか) エンジンの信頼性ももちろん防御力も日本機より断然上だし万能すぎるやん… F6Fは機体の強さだけじゃなくて、パイロットも全員空母着艦をこなせるかなりの凄腕揃いになってるからな いわば当時のトップガン >>424 着艦技術と空戦技術は異なる。 普通に初実戦のルーキーもたくさんいたし >>419 打通作戦は成功したが、米軍機にとっての敵は日本軍機ではなく、中国人の腐った脳みそ。 >>423 >エンジンの信頼性ももちろん防御力も日本機より断然上だし万能すぎるやん… 対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」 フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、 1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。 1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準 で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。 1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、 対日戦参加のために中国に来た。 31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、 みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」 というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、 積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。 また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。 10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。 http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm >>425 現代のアメリカ軍でも海軍パイロットはあんなに難しい着艦を出来るから空軍より上なのだ(`・ω・´)って主張に対して空軍側は離着艦の訓練ばっかりやってる海軍( ´,_ゝ`)って感じだもんな あまりの誇大報告に本国に送った零戦のレポートすら鼻で笑われて無視されたホラ吹き集団 ホライングタイガー 撃墜すれば給料があがる、自分たち以外に確認する人間はいない、どうせ自分たちの国の戦争ではない、となれば誇大報告になるもの当然か しかし穴吹智などは四式戦でヘルキャットをカモにしている。 実際アフガンなんかでも前線のヤバい任務は海軍とか海兵隊の航空隊ばっかがやってるし >>423 そりゃあ零戦の運動性能が落ちる速度域で格闘戦を挑んだのだろう。 F6Fの運動性が零戦を上回るのは高度9,000m以上で水平飛行もやっとのレベルの時 だが格闘戦はエネルギーの削り合いなので速度や高度優位でエネルギーが逆転される までに射撃位置を占めれるだけのエネルギー余剰があれば勝てない事も無い 具体的には速度100km/h程度の優位ならとても勝ち目が無いが高度500mほどの優位なら F6Fでも逆転される前に射撃位置を占守できる可能性がある 逆に言えば零戦が500mも上なら絶望して逃げるしかないわけだが >>435 格闘機動すれば速度は一気に上下するんで速度域なんて意味が無い どちらも得意に速度域で旋回をするからな 高速旋回が得意な機体ならローヨーヨーとかで加速旋回するし低速旋回が得意なら ハイヨーヨーで追跡する ベテラン同士の空戦はお互いに相手の未来位置に向かって旋回するんでビックリするよ >>436 零戦が得意な速度域だとすぐに追いつかれ撃墜される。 P-51は全ての日本軍機を簡単に撃ち抜くが、中国人の腐った脳みそは撃ち抜けない。 >>432 アフガンでのCASでF/A-18は2割くらいじゃなかったか アフガニスタンは内陸国なので空母の航空隊が使いにくかったからな >>437 零戦の得意な速度域での旋回について来れる欧米機が無い 具体的には上昇スパイラルみたいに極端に速度が落ちて急旋回する機動すると ついて行こうとするだけで失速して墜落する UFOと戦ってるようなもん そういう個人的な脳内空戦はもういいから 零戦は駆逐されたそれだけの事 >>441 P-51で零戦は駆逐できても、中国人の筋金入りの知能障害にはお手上げ。 いくら護衛戦闘機を付けても、命がけで襲撃してくるドイツ戦闘機を阻止できなかった米軍はへタレだったwww >>442 中国人の障害?零戦と何の関連が?お前は何を言ってるんだ? >>444 大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 >>441 >そういう個人的な脳内空戦はもういいから >零戦は駆逐されたそれだけの事 対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」 フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、 1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。 1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準 で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。 1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、 対日戦参加のために中国に来た。 31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、 みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」 というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、 積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。 また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。 10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。 http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm >>441 米軍の鹵獲零戦レポートにある"Do not dogfight with a Zero"が全て アメリカは終戦まで格闘で零戦に勝てる戦闘機を作れなかったのが現実 >>446 >>429 >>447 格闘という限定的な技能にこだわって護衛や制空がままならんのじゃ本末転倒 >>448 そんなのは運用の問題 米軍も護衛するより放り出して狩りをするのが効率がいいと分かったから爆撃機や 船団護衛でも護衛に敵をやっつけるまで追えと命令した 日本は護衛が敵を追っていくと護衛対象からすぐ居なくなると文句を言われるんで 離れる事ができなかった 米軍は見殺し上等で戦果を挙げてただけ 零戦が駆逐されたのではなく、日本軍そのものが駆逐された 日本がBf109G持ってても間違いなく駆逐された >>449 ハードとして出来る出来ないの選択肢が限られるって話を運用でカバーするならハードとして劣るとの結論に至るぞ >>451 逆、ハードとして優れてても運用が劣れば真価を発揮できない 結果が負けでもハードが劣るなんて結論にはならない >>452 その言い分はまんま旧日本軍に当てはまるじゃろうが 旧日本軍はハードソフト両面で劣るし >>453 でも日本人は、中国人よりは知能が進化してた。 その一方でイギリス海軍は何から何まで絶対的に零戦に劣る、 ファイアフライのような艦上戦闘機しか作れなかった。 >>440 その速度で旋回戦をやるなと米軍パイロットは言われてる。で一撃離脱に徹されると零戦は逃げるだけで 攻撃なんか思いもよらない事態に陥る。で結局落とされる。 >>456 >その一方でイギリス海軍は何から何まで絶対的に零戦に劣る、 バトルオブブリテンでイギリス空軍がドイツ空軍に勝ったと考える米国人は殆ど居なかったw If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war? Yes................................ 85% No................................ 8 No opinion......................... 7 http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm (1941年1月4日の米世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するという意見が85%) >>458 ナチスの巧みな宣伝工作で、米世論が狂っただけなのだが? 実際バトル・オブ・ブリテンでなんとか押し返したのも米国からの支援あってのものだし なかったら厳しかったんじゃないかねぇ 「嘘も百回言えば真実になる」とは良く言ったもので、ナチの宣伝相ゲッベルスは、 ロビー活動で米国の政財界にナチスドイツ空軍の大勝利プロバガンダを吹き込んで米国民を欺いた。 ナチスの巧みな宣伝工作とチャーチルの不手際で、バトルオブブリテンのイギリス勝利が正しく認識されなかった。 >>458 > (1941年1月4日の米世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するという意見が85%) ユーリー・レヴァダ分析センターが実施した世論調査の結果によると、ロシア人の60パーセントが、ソ連は第二次世界大戦で 同盟国の援助なしに勝利できたはずだとの確信を示している。なお、回答者の32パーセントが、それに反対の見解をとっている。 http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2011/06/22/52225119/ ■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。 アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。 勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html にっぽんのいちばん長い日に出てきた埼玉県児玉基地の陸海混成飛行隊の編制がわかる人います?ぐぐっても全然出てこない >>457 何度も書いてるけど格闘に速度域なんて意味が無い 上昇すれば速度が落ちるし降下すれば速度が上がるだけ いかに相手を釣って自分の有利な体勢に持ち込むかもベテランの技なんだよ 一撃離脱なんて言うのは簡単だが実際はオーバーシュート前提で有利どころか 自分が射線に捕らえられてる時間の方が長い 一撃離脱する方は奇襲でもしないと短い射撃チャンスに有効な射撃ができないんで オーバーシュートで敵機の前に飛び出したら後続機が続けて攻撃してカバーしないと むしろ返り討ちにされる可能性もある >>467 もしかして何かのゲームで一対一のドッグファイトばかりやって得た体験談とかかなー? > 一撃離脱なんて言うのは簡単だが実際はオーバーシュート前提で有利どころか > 自分が射線に捕らえられてる時間の方が長い 本当にそうだったら、日本側パイロットは一撃離脱されても何も苦労せずに敵を落とせたはずだぞ?? > オーバーシュートで敵機の前に飛び出したら後続機が続けて攻撃してカバーしないと 米軍側は圧倒的な数の力で押して来てるんだから、その「後続機のカバー」も十分期待出来るな あとヒットアンドアウェイはとりあえず大した技術がないパイロットでも実行しやすく、 なおかつ生還しやすい戦法であることも重要 そもそも高速で飛び抜けてく相手を射線に捉え続けられるなら誰も苦労しない件 お互いに速度の遅い複葉機の時代ならまだしも、太平洋戦争時代の戦闘機の速度域だと いったん攻撃した後は一瞬で数百メートル離れてしまったり射程圏外まであっという間だからね >>449 ビスマルク海海戦 ゼロ戦が船団をつきっきりで護衛していたが 為す術もなく、船団を守れずほぼ壊滅させてしまったが ゼロ戦だけは生き残った(無視された) まさにドッグファイトなど無用の長物 零戦を無視して、船団を壊滅させるのが正解 このようにつきっきりで護衛していても 全く無力な戦闘機では運用のしようもない >>469 一撃離脱を完全奇襲と混同してるように見える 基本的には格闘戦と同じように相手の進路に弾を送って敵機が射線に突っ込むように仕向けるのは同じ 格闘戦と明確に違うのはオーバーシュート前提で相手の前に飛び出した後は後続機のために囮になる事 逃げる敵機を撃つより見方を追いかける敵機を撃つ方が遥かに簡単だから 格闘なら吊った相手を自分で撃つように動くが一撃離脱はむしろ追わせるように飛ぶんだよ >>472 あれこそ戦術の差が出た戦いで零戦じゃなくてF6FやP-51でもお手上げだった 高空からB-17で爆撃、中空は戦闘爆撃機、低空は中型爆撃機で反跳爆撃 あの状況で輸送船を守れるのは現在のAEWに率いられたジェット戦闘機か イージス艦だけ >>474 >高空からB-17で爆撃、中空は戦闘爆撃機、低空は中型爆撃機で反跳爆撃 嘘はいかんなぁ 3月2日のB17の爆撃高度は2000m、翌3日の爆撃高度は3000mだぜ脳内フラシム君 >>473 ふーん、それで何が言いたいの? 反論になってなくね そりゃF-22が1個小隊いてもA-20だのB-17だのボーファイターだのが飽和攻撃してきたら船団は守れないだろうさ 海軍甲事件 P38が脇目もふらず山本五十六搭乗機を攻撃 これも零戦は簡単にP38に振り切られ 為す術もなくも一式陸攻二機とも迎撃される またもや零戦だけ全機生き残る 山本長官搭乗の1番機だけでなく、宇垣纏参謀長搭乗の2番機も撃墜されてしまった >>475 >まずブリストル・ボーフォート約10機が攻撃を試みたが零戦に阻止された。 次いで連合軍の大編隊が襲来。 ブリストル・ボーファイター13機が低空で進入し機銃掃射、B-17爆撃機13機が "高高度から爆撃"、これを連合国軍戦闘機約50が掩護する[4]。 零戦隊はB-17隊を最大の脅威とみて迎撃のため高度を上げ、低空への対処が 出来なくなる[6]。 3日目の攻撃の説明部分な フライトシムじゃ一定距離に近寄ったらハンデにならないように全部の機にドットが 見えて更に近寄ると機種が分かるアイコンも出たりする 実戦じゃ弾が当たるような距離でも敵味方がよく分からないくらいだが 子供の図鑑脳で最高速度が速い方が有利なんて言ってる幼稚な輩には想像もできないだろうけど >>478 海軍甲事件で交戦したP-38は16機に対して零戦はわずか6機 むしろこの劣勢で守れ切れたらF-22もビックリだな マリアナ諸島空襲 1944年2月23日のわずか1日の戦闘で、マリアナ諸島にいた日本軍機140機以上 貴重な機材と搭乗員がほぼ全滅 一航艦で生き残ったのはわずか3機で、夜間作戦可能に達していた761空の陸攻20機など比較的練度の高かった搭乗員を全て失った 真珠湾で太平洋主力を一瞬で全滅させられたアメリカの焦りは凄かっただろうな >>479 高度不明の与太話 せめて米軍側の記述を見ろ >>483 wikiの出展だと図説太平洋海戦史第3巻50-51頁 資料により参加航空機の違う異説があるとされてるんで米豪航空隊混成による混乱があったんだろう どこからどこまで高空と言うかなんて基準も無いのに何言ってるんだか >>484 >>474 >高空からB-17で爆撃、中空は戦闘爆撃機、低空は中型爆撃機で反跳爆撃 とトンでも設定して >>484 >どこからどこまで高空と言うかなんて基準も無いのに何言ってるんだか とか言ってるけどお前キチガイか何か? >>485 どれがどれと同時に来たなんて書いてないから別に間違ってないだろ どうでもいいような突っ込みしてケチ付けるしか知識が無いなら無理して張り合わなきゃいいのに >>486 同時じゃなけりゃ尚更日本軍が稚拙だろうがキチガイ >>487 wikiでも対応できなかった理由は出展挙げて書かれてるだろ 出展で書いてる書籍の著者より自分のが博識だと主張する基地外だったか ああ香ばしいなあ そろそろNGでいいと思うよ>ID:36PNrLuU >>488 3日の爆撃高度であるたかだか7500フィート程度から低空に対応出来ないならやはりポンコツでじゃねーか >>490 自己訂正 ×7500フィート ○7000フィート 7000フィート=2133.6m つまり零戦は高めを飛んでも2000mくらいの降下ですら対応出来ない訳だ ダメダメじゃねーか >>490 B-17の方が脅威だと判断して上昇攻撃したとなってるのに何が理解できないんだ? >>491 無知にもほどがあるだろ 当時の航空機でも500mも降下すれば350km/hも速度が上がってしまう 2000mも降下したらどんな機体も減速操作や機動でほとんどのエネルギーを捨てないと空中分解する またそれだけエネルギーを失えば当時のどんな戦闘機も上空の敵機に二度と追いつけない 航空知識がお話にならないレベルだな >>472 >ゼロ戦だけは生き残った(無視された) 0750から25分間にわたる米豪空軍参加兵力 第1波 ボーフォート7機(雷撃)+第65爆撃飛行隊B-17 数不明(水平爆撃) 水平爆撃で1隻沈没 零戦隊、爆撃の水柱で敵機襲来に気づく 第2波 第43爆撃航空群B-17F 13機(水平爆撃6,000m) 瑞鳳戦闘隊18機が正面攻撃を繰り返す(零戦18機中2機被撃墜、8機被弾) 第9、39戦闘飛行隊などP-38 28機が爆撃機へ向かう零戦隊と交戦 B-25C 31機(反跳爆撃)、A-20 12機(低空爆撃)、豪州空軍ボーファイター13機(護衛兼船団機銃掃射)が侵入 以上25分間の戦闘で米軍報告、輸送船7隻、駆逐艦3隻撃沈。 梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記1』 P.78〜82より戦闘状況箇所を抜粋 日本側参加兵力(>>494 の午前攻撃) 253空14機、204空12機、瑞鳳戦闘隊18機、252空8機 計零戦 52機(前日の損害から瑞鳳と253空を増派) 結論から言えば、ビスマルク海海戦の敗北は 格闘戦、ドッグファイトといった戦術レベルの問題でもなければ、零戦の戦闘機としての性能の問題でもなく、 ・当日の天候(当日は雲が多かったため、視界が悪く、船団が爆撃を受けた水柱を見て零戦がB-17の接近を知ったほど) ・無線もなく、各戦闘機隊の連携、船団との連絡もとれない状況(6,000mと低空での同時攻撃に対応できない) ・米陸軍、豪州空軍機の数の多さ、わずか25分間による集中攻撃 日本側は反跳爆撃の存在を知らなかったなど敗因は他にも挙げられるが、 以上のようなソフト面での劣勢が大勢を決したといえる。 詳しく調べずにいろいろ書いてる人がいるけどまずは調べてみては? >>495 >・当日の天候(当日は雲が多かったため、視界が悪く、船団が爆撃を受けた水柱を見て零戦がB-17の接近を知ったほど) 実際の映像、物凄い視界がいい中での攻撃 https://www.youtube.com/watch?v=ogzAJ-Ne5nE 逆に連合軍のB17・B25・ボーファーイター・A20・P38等は難なく 日本船団を発見し容易に攻撃 >・無線もなく、各戦闘機隊の連携、船団との連絡もとれない状況(6,000mと低空での同時攻撃に対応できない) これは機体性能の話 連合軍は逆に無線で緊密に連携 >・米陸軍、豪州空軍機の数の多さ、わずか25分間による集中攻撃 視界良好・無線連絡の緊密さの賜だな 零戦じゃ船団や爆撃機が襲われても、無線で伝えることもできない だから護衛に毎回失敗する >>497 横レスだが、動画の上空は雲に覆われている様に見えるが。 >>496 >問題の高度が6000mだって実施者側の資料が有れば異論は無いけど 挙げられたその二つのサイトは爆撃の「実施者」であるB-17の記録ではないようですが。 wikiはオーストラリア空軍に関する書籍からの引用。もう一つも同様にオーストラリア空軍の視点で米軍ではありません。 それに対して、先に挙げた梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記1』 によれば、 瑞鳳零戦隊が迎撃した第43爆撃航空群のB-17F 13機のうちの1機、ウッドロー・W・ムーア中尉の「カ・プフィオ・ウェラ」(ハワイ語でひどい災難の意)機の墜落状況で >米軍は、操縦席付近がB-17に当たった牧機は一瞬で火達磨となり墜落。 >当てられたムーア中尉機は爆弾を投棄した後、高度を失って行ったが、高度約3,000mで尾部がねじ切れ、海に墜落したと記録している。 「高度を失った後になお3,000m」と実施者であるB-17の米軍が記録しています。 また、これは迎撃側である日本の記録である >「瑞鳳」の岩井勉上飛曹(零戦初空戦の参加者でゼロファイターゴッドの渾名を持つベテラン搭乗員)は船団が爆撃の水柱に包まれるのを見て来襲を察知。 >B-17の第二波が3機、2機、2機、2機、2機の単縦陣、零戦と同高度6,000mで爆撃針路に入って来るのを発見した。 と、零戦と同高度の6,000m、高度3,000m以上であるという米側の記録と一致しています。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる