日独の慰安婦問題より非道なソ連軍性犯罪を世界に [転載禁止]©2ch.net
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身柄の拘束など性奴隷にも見えるが、多くが当人の同意を得ていた慰安婦どころではない。
和姦はほぼ皆無、憲兵が取り締まるどころか、野放し状態で、参政権すらなかった
何の罪も無い日独の一般女性を毒牙にかけながら、「大祖国戦争」の名で、犯罪を隠蔽し続ける。
あれだけ世界に迷惑を掛けながら、日独と異なり、反省とは縁もゆかりもない。
今では人権先進国として世界中から尊敬を集める日本とドイツが手を組んで、
ロシアと中国のゴロツキ・コンビの反日宣伝に立ち向かおう。両国からドイツを切り離そう。
http://www.sankei.com/west/news/150723/wst1507230085-n1.html
米カリフォルニア州サンフランシスコ市議会の委員会で、
慰安婦の碑または像の設置を支持する決議案が審議される問題で、
姉妹都市の橋下徹大阪市長は23日の定例記者会見で、
「旧日本軍だけを取り上げるのだとすればアンフェア」と述べ、
決議案の内容を確認し、見解をただす文書を送る方針を明らかにした。 舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー
著者:山崎 正和出版社:中央公論新社装丁:単行本(363ページ)発売日:2017-03-21 ISBN:4120048837
https://allreviews.jp/review/31
満州医科大学教授(専門は生態学)を父として京都に生まれた山崎はコスモポリタン都市・奉天の空気を吸いながら
少年時代を過ごす。結核治療で戻った京都で「京都人の根性の狭さ」ゆえの激しいイジメに遭い、満州に舞い戻ったが、
そこにソ連軍がやってくる。「これは本当に『占領軍』というものでした。(中略)それは血に飢えた狼(おおかみ)でした。
おまけに無知蒙昧(もうまい)さは漫画の域です」
舞台をまわす、舞台がまわる - 山崎正和オーラルヒストリー
山崎 正和
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4120048837
カスタマーレビュー
オーラルヒストリーの金字塔
投稿者浜田山ベスト500レビュアー2017年4月7日
山崎の原体験は満州での大日本帝国崩壊であり、その直後に生じた阿鼻叫喚の「無政府状態」に対する恐怖と嫌悪である。
山崎は語っている。「私はどの政治学者よりも、無政府状態がいかに怖ろしいか知っています。そしてどんなに悪い政府でも、
無政府状態よりはましだという信念の持ち主です」と。大日本帝国と満州国が崩壊した後にやってきたのはソ連軍で、
その多くはソ連軍の中でも最下層の囚人兵の集団だった。彼らは収監時に手の甲に掘られた刺青を持っていた。その彼らは
白昼堂々街を歩いているロシア人女性、日本人女性、中国人女性、朝鮮人女性らを次々に強姦したという。彼らの無知蒙昧ぶり
は漫画の領域に達しており、腕から肩にかけて日本人らから取り上げた腕時計をし、そのまま川に飛び込んで泳ぎ始めるも、
時計は防水でないからあっという間に壊れた云々。こういう「原体験」があればこその反共であり反ソ連が山崎の背骨だった
のであろう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) ブックウオッチング
新刊 『満州開拓団の真実 なぜ、悲劇が起きてしまったのか』=小林弘忠・著
毎日新聞2017年11月1日 東京朝刊
ttps://mainichi.jp/articles/20171101/ddm/015/070/012000c
1945年8月9日、対日戦に参戦した旧ソ連は旧満州(現中国東北部)にも侵攻。日本から入植した開拓団の人々の
苦難が始まる。集団自決をした開拓団も多く、長野県北部からの「高社郷」もその一つだ。本書は同開拓団だけでなく、
他の悲劇や、日本の移民事業などの背景も丹念に調べ、開拓団を守らず退いた関東軍の体たらくや旧ソ連兵の悪行も
描いた。著者は元毎日新聞記者で本書刊行直前に死去した。(七つ森書館・2160円) 旧満州「大兵庫開拓団」の悲劇
(その1) 終戦、298人が自決した
ttps://mainichi.jp/articles/20171105/ddm/001/040/091000c
兵庫県の旧高橋村(現豊岡市)も現在の黒竜江省隆安村へ「大兵庫開拓団」476人を送り出した。だが1945年
8月17日、日本の敗戦を知って暴徒化した現地住民らに追われた開拓団の384人がこの丘から川に飛び込み、
自決を図った。岸辺に流れ着いた人などを除き、298人が川底に沈んだ。
(その2止) 語られぬ集団自決
ttps://mainichi.jp/articles/20171105/ddm/010/040/079000c
ソ連が対日参戦し、取り残された女性や子供たちは8月14日未明、開拓団本部から別の町に向かうよう命じられる。
その日のうちに到着したが、頼みの関東軍はいない。さらにハルビンへ逃れようとしたが、日本の降伏を知って暴徒化した
現地住民らに襲われ途中で断念。昼夜歩き続けて16日深夜、元の村に戻ったが、夜が明けると村は暴徒に囲まれていた。
打つ手はなく、開拓団の班長会議で「無残に殺されるよりは」と集団自決が決まった。武器も毒薬もなく、村はずれの
丘から、長雨で増水した川に入水することになった。 Red Army Veterans Talk About Rape and Murder of Innocents
https://www.youtube.com/watch?v=BTMlT7yafg4 ジョージア(グルジア)出身
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FYUBD DDR における妊娠中絶問題の歴史的展開
https://nfu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=1667&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=4&block_id=73
第 1 章 戦後混乱期の妊娠中絶問題強姦と性病
ヨール (1996) の精緻な統計的な推論によれば, 1945 年初夏から秋にかけて, ベルリンの少女・女性 140 万人のうち,
少なくとも 11 万人が赤軍兵士によって強姦されたという. また, ライヒリンクによれば, 赤軍の男たちがベルリンに
進行してくる間に, 190 万人の少女・女性が強姦されたという (ヨール 1996, p. 75, 95). そこで 1945∼46 年にかけて
ソ連占領地域では, 特別規定 (das Gesetz vom 29. 8. 1945 ber Unterbrechung der durch ein
Sittlichkeitsverbrechenverursachten Schwangerschaft) が設けられ, 強姦を理由とする妊娠中絶は事実上合法とされた2).
だが, この事態に対しては, 当時の産婦人科医の多く (男性) は中絶を拒否していたという (ヨール 1996, p. 76).
1946 年 10 月 5∼6 日にイエナで開かれた産婦人科医会議では, 「しばしば, 1945 年 8 月 29 日付の風俗犯罪に起因する
妊娠中絶に関する法律が濫用されていることに著しい非難が起こっていた. この濫用を防止するためにこの法律の廃止すら
求められた」 (ヨール 1996, p. 102 の図 10) ほどであった.また, こうした強姦の多発とその後の占領軍兵士との自発的な
性交の結果, 性病にかかる女性が, 戦前とは反対に増加した. 【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(22)まだまだある北の「日本遺産」 一企業がつくった興南工場
http://www.sankei.com/premium/news/180609/prm1806090017-n1.html
昭和20年8月19日、ソ連軍は、朝鮮東海岸の元山に上陸、それを後ろ盾にして朝鮮人共産主義者らによる
人民委員会が結成され、日鮮の立場が逆転する。殺害、暴行、略奪、レイプ…地獄のような行為が続くなかで、
興南工場も接収され、日本人従業員は社宅から追い出された。 スペイン3-4ロシア PK
ベスト8進出 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! w
スペイン 対開催国4戦全敗更新!w
(・∀・)ニヤニヤ brs Voice 2018年8月号
ヤルタの不正義をいまこそ正せ
中西輝政&渡辺惣樹
https://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12488
【渡辺】
米国立公文書館の論文では、46年には50万人ものドイツ人女性が売春行為で生計を立てていた、といわれます。 めくるめくカストリ雑誌
敗戦の傷抱え人々はどう生きたか 大衆娯楽誌に見る 西潟浩平
ttps://www.nikkei.com/article/DGXKZO33486910X20C18A7BC8000/
創刊と廃刊を繰り返すそれらの雑誌は3合(号)飲めば悪酔いしてつぶれる粗悪な酒「カストリ酒」にかけて、
カストリ雑誌と呼ばれた。46〜54年に約2000点が出回ったとされる。エログロナンセンスだけでなく、戦争、犯罪
などの時事ネタも取り扱った。
今では古書店でもほとんど見かけなくなったカストリ雑誌を30年ほど前から集めてきた。手元に集めて内容を
整理した約1500冊からは、終戦直後の世相や復興へ向けたわい雑なエネルギーを感じとることができる。
少年時代は単なる色本という印象を持っていたが、読み返すとそこに戦後の社会が凝縮されていることに気付く。
カストリ雑誌が出始めた46〜47年は庶民の生活はまだ苦しく、主な購読者は医者や高給サラリーマンらだった。
次第に大衆にも広がり、戦後民主主義の喜びや享楽を共有できるようになったのだ。
人間魚雷、引き揚げ時に受けた暴行といった生々しい戦争の話題が誌面に増えてきたのは、実は終戦から
しばらくたった49年ごろだ。復員が進み、戦争を振り返る社会・経済的な余裕が出てきたからだろうか。ソ連からの
引き揚げ者の手記など、鮮烈な記事は読者の感情をあおったに違いない。同時に戦争とは何だったのかと深く
考えさせられた。
カストリ雑誌は敗戦の絶望や食糧難など暗部だけでなく、復興、希望といった光明まで、ありのままの社会風俗を
記録し、小説や記事として描いている。貴重な資料であることは間違いない。戦後60年、70年の節目となった2005年、
15年には新潟県の十日町市博物館で、私のコレクションの一部を紹介する企画展が開かれた。
当時、人間がどのような状態に陥り、考え、行動したのか。カストリ雑誌は終戦直後の世相の記録だ。戦争の記憶
が薄れる今だからこそ見直されてほしい。 2018/08/11
【テレビ】 綾瀬はるか「貴重な証言をしてくれた」歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mn◆ewsplus/1533964566/
女優の綾瀬はるか(33)が戦争体験者の声に耳を傾け、その平和への願いを伝えるTBS系ニュース番組「NEWS23」(月〜木曜・後11時10分)の特別企画で、歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材した。
綾瀬は2010年から毎年、8月15日の「終戦の日」にあわせて取材してきた。今年は福岡を訪れ、あまり知られていない、
満州でソ連兵らから性暴力の被害に遭い、命からがら引き揚げてきた女性たちのその後を追った「綾瀬はるか「戦争」を聞く 〜語らなかった女たち〜」
戦後、福岡市の博多港には139万人の日本人が引き揚げてきたが、妊娠した女性たちも多く含まれており、引き揚げ船から海に身を投げた女性も少なくなかったという。
また、「二日市保養所」という中絶のための施設を国が秘密裏に設置。治療の際に、医師や看護師が泣き声をあげた赤子の命を奪うこともあったという。
このことは、当事者の女性たちもずっと口を閉ざしてきた。
綾瀬が訪ねたのは、10歳のとき満州で終戦を迎えた鈴木政子さん(83)。
鈴木さんはソ連兵に連行され、収容所で2か月を過ごしたが、そこで彼女が目撃したのは、昼夜を問わず繰り返された性暴力だった。
年頃の女性はみな標的にされ、鈴木さんが姉のように慕っていた当時18歳の「ゆう子さん」(仮名)も妊娠。
引き揚げてきた後、同保養所へ向かった「ゆう子さん」は、故郷の東北を離れて東京で就職したが、82歳で亡くなるまで独身を貫いた。
以下略 >>113
世界史板を荒らす嫌われ者、発達障害者の病的age専野郎が立てたゲスなスレを貼り付けるな! ソ連軍が満州やドイツで行なった強姦、輪姦【7】
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1291120614/
↑
この伝統のスレも>>113の糞スレを立てた低レベル反露スレ乱立・age専野郎”に荒らされて潰れた。 TBSで蓼丸も始まった!
満州の性暴力
今夜00:00-01:00から
教育TV 赤い背中 長崎の被爆
放映 【テレビ】 綾瀬はるか「貴重な証言をしてくれた」歴史の闇に埋もれてきた“女性たちの戦争”を取材
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/★mnewsplus/1533964566/
【動画】
綾瀬はるか「戦争」を聞く〜語らなかった女たち〜終戦当時10歳の少女が目撃したものとは20180815NEWS23
https://www.dailymotion.com/video/x6s24b4 終戦翌年10歳、満州で独りぼっち「なぜみんな死んだのか」
https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0815/kob_180815_3720475349.html
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201808/0011544174.shtml
東京城(とんきんじょう)の駅から、歩いて鏡泊(きょうはく)湖へ出ると、サクラソウが一面に広がった。
コイに鹿肉など豊富な食料。終戦までの数カ月、満州の夏は天国だった。ところが8月、ソ連軍が満州に侵攻を
始めると、生活は一変。ソ連兵や暴徒化した地元住民から逃れるため、集落全員で逃げだした。湖の向こうに
白い月が見えた。
野宿をしたり、国民学校の建物に身を潜めたり。途中、ソ連兵に男女別々にされ、飢えや寒さで亡くなる人も。
《ソ連兵に男女別々にされ、》 五木寛之のお母様もそういう目に遭われている
昔は引き揚げ者も健在で
朝鮮漬けとかキムチを呼んだ ロシア プーチン師 先ほど
無条件の日露平和条約を
今年中に妥結と提案 jjbczzduoln <戦争体験者は語る>11歳で旧満州から引揚〜(上)罪背負い続けた戦後
http://www.asiapress.org/apn/2018/09/japan/manchuria-1/
ソ連兵が四平にも入ってきた。「女を出せ」と、暴行と略奪を繰り返した。
「一度、家にソ連兵2人が来たことがありました。母親がいない時で、私はドアの前に立って
『うちには何もない』と言って追い返そうとしたのですが、弟たちは部屋の隅で震えていました」
<戦争体験者は語る>11歳で旧満州から引揚〜(下)「母と妹を殺めた」
http://www.asiapress.org/apn/2018/09/japan/manchuria-2/ 元朝日記者の損賠請求棄却
慰安婦記事巡り、札幌地裁
2018/11/9 17:10
©一般社団法人共同通信社
元朝日新聞記者の植村隆氏(60)が、従軍慰安婦に
ついて書いた記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられ
たとして、ジャーナリストの桜井よしこ氏(73)と出
版社3社に謝罪広告の掲載と損害賠償などを求めた訴
訟の判決で、札幌地裁(岡山忠広裁判長)は9日、植
村氏の請求を棄却した。
訴状によると、植村氏が朝日新聞記者時代の1991
年に韓国の元慰安婦の証言を取り上げた記事を「捏
造」「意図的な虚偽報道」などとする桜井氏の記事
が、週刊新潮など3誌や桜井氏のオフィシャルサイト
に掲載された。
植村氏は文芸春秋などに対しても同様の訴訟を起こ
し、東京地裁で係争中。
うむ (・∀・)ニヤニヤ 流石 プーチン師!!
ロシアも動き出したなw
(・∀・)ニヤニヤw qadjiiybvcht このあと01:10〜02:25は、NHK総合で、
特集ドラマ どこにもない国(後編) 「命をかけた満州からの脱出」
があります https://this.kiji.is/459764773200102497
安倍晋三首相は北方領土問題に関し、北方四島のうち
色丹島と歯舞群島の引き渡しをロシアとの間で確約で
きれば、日ロ平和条約を締結する方向で検討に入っ
た。複数の政府筋が20日、明らかにした。2島引き渡
しを事実上の決着と位置付ける案だ。qaopjhtf 北方領土の日 不法占拠使わず2/4(月) 2:33 掲載
北方領土(毎日新聞)
北方領土の日「不法占拠」使わず 大会声明、日ロ交
渉に配慮か
今月7日の「北方領土の日」に開かれる北方領土返
還要求全国大会を主催する官民の団体が採択する「大
会アピール」を巡り、「北方四島が不法に占拠されて
いる」との表現を使わない方向で調整していることが
分かった。昨年を含め従来、盛り込まれていた文言。
複数の関係者が3日、明らかにした。安倍晋三首相と
ロシアのプーチン大統領による平和条約締結交渉に影
響を与えないよう配慮した可能性がある。(共同通信)
[続きを読む]bfsthfg 「ソ連軍の要求するものは抵抗せずに」…シベリア女性抑留者、過酷な対応迫られ
https://mainichi.jp/articles/20190223/k00/00m/040/166000c
「ソ連軍の要求するものは抵抗せずに渡すこと。その第一は酒、第二は女」。モスクワのロシア国立軍事公文書館で
見つかった女性抑留者の名簿に隊員とみられる名前が含まれていた旧満州の陸軍第791部隊は、旧ソ連によるシベリア抑留で
強制労働を課せられただけでなく、上官から性接待を受け入れるように指示されたとも理解できる通達があったとの証言が
残されている。組織を守るため、同じ日本人からも過酷な対応を迫られていた可能性がある。 ソ連兵に性接待、帰国後はいわれなき差別…満蒙開拓団の女性たちが語り始めた悲劇
https://abematimes.com/posts/5880991 蛮行のヨーロッパ:第二次世界大戦直後の暴力 単行本 - 2018/12/22
キース・ロウ (著), 猪狩 弘美 (翻訳), 望 龍彦 (翻訳)
https://www.amazon.co.jp/dp/4560096570
ソ連軍によるドイツでの凄まじいレイプの実態、ルーマニアでのレイプの他、
仏植民地軍のモロッコ兵によるドイツでのレイプ、米軍による北アフリカでのレイプ
などについても触れられている。 (声)語りつぐ戦争 鴨緑江を南へ、最悪の収容所 【大阪】
無職 江種慶子(広島県 84)
45年8月、旧満州・新京の小学5年だった。9日のソ連軍侵攻の少し前、父が朝鮮へ疎開すると言った。
満州航空勤務の父は残り、母と姉2人、弟と私の計5人は新京駅へ。やっと列車に乗ったが何度も止まる。
旧満州と朝鮮の境界、鴨緑江を渡り南へ。突然停止。石や棒を持つ朝鮮人らが車内に入り、物を奪う。千人を
超える乗客は今の北朝鮮・宣川の収容所に連行された。何日かして母から戦争に負けたらしいと聞いた。
食事は1日1回の雑炊。栄養失調で2カ月も経つと毎朝、同部屋の2、3人が死んでいた。
…(略)…
突然の指示で別の収容所へ。そしてある日、男性全員がどこかへ連行された。日本人男性がいない収容所で
女性は自分を守るために皆、断髪。しかし、夜になるとソ連兵の「婦女狩り」が始まり、トラックで連れて行かれた。
2019年08月15日 大阪 朝刊 オピニオン2 人類史上最悪…犠牲者3000万人「独ソ戦」で出現した、この世の地獄
知るだけで怖くなる
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66675
やられたらやり返す、そこにあるのは、剥き出しの憎悪だ。ソ連兵青年将校が見た戦場の証言を聞こう。
「女たち、母親やその子たちが、道路の左右に横たわっていた。それぞれの前に、ズボンを下げた兵隊の群れが
騒々しく立っていた」「血を流し、意識を失った女たちを一ヵ所に寄せ集めた。そして、わが兵士たちは、子を守ろう
とする女たちを撃ち殺した」
戦争はここまで人間を残虐にさせるのだ。 ソ連兵の相手に差し出され、戦後”キズもの”と誹謗中傷を受けた…“戦争と性暴力”を勇気と覚悟をもって告白した日本人女性と、その負の史実を刻んだ遺族たち
https://times.abema.tv/posts/7021165 【朝日新聞】終戦で韓国から引き揚げる際に嫌な目に遭わされた祖母がテレビで韓国の報道を見るたびにネトウヨみたいな悪口を言います★3
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1574002890/ ウサギの島の毒ガス工場、引き揚げ女性の極秘堕胎施設……。第二次大戦で消された記録
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577529033/
https://www.fnn.jp/posts/00049536HDK/201912281200_TNC_HDK
当時、朝鮮で暮らしていた女性は、現地では日本人女性の暴行や略奪が繰り返されていたと明かす。
「朝鮮の人が、ここには娘がいるとロシア兵に教えて。そうしたら、ロシア兵たちがトラックで来るんですよ」。 「終戦の日」を過ぎても続いた日ソ戦争 両国の公文書が隠し続ける「不都合な真実」とは
井上卓弥が『日ソ戦争 1945年8月』(富田武 著)を読む
https://bunshun.jp/articles/-/40455
徹底解明 「終戦」ではなかった8・15―富田 武『日ソ戦争 1945年8月――棄てられた兵士と居留民』沼野 充義による書評
https://allreviews.jp/review/5102
日ソ戦争 1945年8月
棄てられた兵士と居留民
著者:富田武
ttps://www.msz.co.jp/book/detail/08928/
第二章 日ソ八月戦争
第二節 ソ連軍による満洲での蛮行
3 ソ連軍部隊による大量殺戮
ソ連軍の報復戦は8月27日早朝から始まった。まず大砲を前後に打ち込み、一発ごとに宿舎の内外に伏せていた
婦女子が土煙とともに吹っ飛び、消えた。続いて、豪雨のような掃射。見る見る死体の山ができた。泣き叫ぶ子供や
負傷者はひとつの建物に集められ、射殺された。最後の生存者と負傷者約50人も焼け残った建物に収容され、
外からカギを閉め、ソ連兵が手榴弾を投げ込み、火をつけて立ち去った。戦闘開始から3時間、大半が婦女子と
老人の日本人開拓団約2000人が殺害された(元朝日新聞記者)(高橋、2008、175−176)。
当時8歳で折り重なる死体の下で生き延びた少年は、こう証言している。「開拓団の家に火が放たれた。その中には
人がいっぱいいる。戦果確認が終わったソ連兵たちの「祝宴」は、人間の魔性をむき出しにした狂気の光景だった。
集落のほぼ中央にあった汲み上げ式の共同井戸は、投げ込まれた幼児、身投げした婦人で埋まり、家屋の焼け跡
には性別もわからない焼死体が丸太のように重なっていた」「赤ちゃんを連れた若い奥さんが生き残っていた。奥さん
が三人のソ連兵に次々と強姦された。獣欲を治めたソ連兵は奥さんの息の根を止めると、泣き続ける嬰児をそのまま
にしてそこを去った」(高橋、2008、212) 満洲引揚哀史
http://www.keibunsha.jp/books/9784863300309.html
ソ連兵、満人(シナ人)による強姦についての生々しい証言が多数掲載されている。
平和祈念事業特別基金が編集発行した「平和の礎」をベースにしている。 >>150
労苦体験手記 – 平和祈念展示資料館(総務省委託)
https://www.heiwakinen.go.jp/library/shiryokan-heiwa/
旧独立行政法人平和祈念事業特別基金が、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の労苦の手記を
「平和の礎」としてとりまとめました。各巻をクリックすると、それぞれの手記全文をご覧いただけます。 生き地獄体験記 大野しづ江
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/11/H_11_099_1.pdf
県庁の総務課長付だった美人の職員が、ソ連兵に暴行、凌辱されて、
井戸に身を投げて自殺をした、痛ましくも悲しい事件もありました。
「井戸を汚して申し訳ございません」と、井戸のふたに書いて飛び込んだのです。
敗戦になってからは、安心して食事もろくろくできない有様でした。
ソ連兵と満人がぐるになって、まだ明るいうちに、夜に押し入る家に目印を
付けているのです。
ある日突然に、「女性は独身寮に行くように」という話がきましたので、
私と奥さんの二人は夜になるのを待って、真っ暗い中をはうようにしながら独身寮に
行きました。開拓課の柴田さんが、自分の部屋に私たちを入れてくれました。
ほっとして手、足を伸ばして休むことができました。
夜になっても電灯もつかないので、早く横になりました。しかし、何となく心配で
寝付かれず、うとうとしていると、多分夜中の十二時過ぎだったと思いますが、
暗やみの中で突然に、「きゃあー。きゃあー」という女の人の悲鳴が聞こえてきました。
しばらくすると今度は、「いや! 助けて!」と、連呼して助けをいう女の人の悲鳴が
聞こえてきました。
ソ連兵に連れていかれたのです。満人のスパイがいて、その夜に寮に女性が集まる
という情報をソ連兵に流したようです。
夕方近くになると、駅でもない野っ原の真ん中で列車は止まってしまいました。
急な停車なので、みんなは不安な気持ちになって荷物の陰に隠れる人もいました。
外が暗くなり何も見えなくなるころに、ソ連兵と満人による車内での略奪、暴行が
始まりました。
車内に入ってきて、一人ずつ身体検査を始めました。ソ連兵の指図で、満人が
めぼしい物を見付けては取り上げました。そのうちに取る物が無くなると、今度は
「女を出せ」と言い出して、連れて行かれた人も幾人もいました。最初は大声で
助けを呼んでいましたが、だれも助ける人はなく、そのうちに声も出ずに失神状態
となってしまったようです。 白い墓標 渋谷恭子
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_249_1.pdf
小学校六年生の女の子が、下半身を血に染めて、留守番をしていた家で一人死んでいたとか、
赤ちゃんを背負った母親が、赤ちゃんと共にソ連兵に連れ去られたとか、また、線路端で石炭を
拾っていた人たちの群れに、急停車した貨車から四、五人のソ連兵が飛び降りてきて、若い女性
数人を貨車に引きずり込んでそのまま行ってしまったとか、一切の報道機関がその機能を停止して
いて、まともに読める新聞一つないときに、いろいろと悲惨な話ばかりが、口伝えに流れてきた。
敗戦という状況のもとで、悲惨な役目を担うのは、いつの時代でも女性である。母たちは、
女の人が集まるところでは強姦という言葉を、よく口にしていた。日常のおしゃべりの中でも
よく出てきた。小学生だった私は、強姦とは、女だけに襲いかかるドラキュラだと想像していた。
大正生まれの我が青春 神吉一夫
https://www.heiwakinen.go.jp/wp-content/uploads/archive/library/roukunote/hikiage/13/H_13_230_1.pdf
駅前の満鉄新京支社の裏手に「カラスの森」という木立がありカラスが真っ黒になるほど止まって
一日中鳴き騒ぐので有名だったが、その木立はあっても、あほどいたカラスは一羽もいなくなっていた。
羽のある鳥は自由に飛び去るが、羽を持たない身が悲しくて哀れを感じたものだった。異様な叫び声に
振り向き、がく然とした。凌辱された日本女性が、真っ裸でふらふらと歩いている。すでに気が振れて
いるらしかったが、叫び声は中国人の子供たちで、石を投げては、「わあっ」とはやし立てている声だった。 終戦後のドイツ、なぜ女性たちは解放を迎えれられなかったのだろうか
https://www.donga.com/jp/article/all/20181222/1586559/
1945年の第二次世界大戦の終戦は、韓国を含めてほとんどの国では「解放」のような名前でみなされる。
しかし、ある人たちにとって「解放」は、もう一つの暴力の始まりだった。敗戦国であったドイツでは、終戦後、
実に86万人にのぼる女性が性的暴行の被害に遭った。ソ連軍による被害女性が約50万人で、米軍に性暴力
を受けた女性も19万人前後と推定される。70年が過ぎた2015年にドイツで出版された本「兵士たちが到着した
とき:第二次世界大戦の末期、ドイツの女性の強姦」が公開されてから、「解放」の裏が正式に暴露された。 戦場の性――独ソ戦下のドイツ兵と女性たち (日本語) 単行本 - 2015/12/16
レギーナ・ミュールホイザー (著), 姫岡 とし子 (翻訳)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4000610848 北朝鮮引き揚げ途中の38度線検問。銃を持ったソ連兵が女を差し出せと迫った。その時「私のことは気にせず、日本へ」。若い女性が1人で兵の元に歩き出した〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/?storyid=131938
■関 公寛さん(85)阿久根市赤瀬川
民家の軒先で野宿し、住民から調達したわずかなおにぎりが配られた。10日近く歩いただろうか。北緯38度線が近づくにつれ、
ソ連兵による検問が増えた。38度線を挟んで北朝鮮側をソ連、南朝鮮側を米国が管理する分割占領が始まっていた。
道路の向こうで大人たちが銃を持ったソ連兵と話していた。ソ連兵は一緒に歩いてきた若い女性を指さし、「女性を差し出さなけ
れば道を通らせない」と迫った。山口か島根出身の女性だったと記憶している。
「この人だけを置いてはいけない」。大人たちは女性を守る方法を懸命に考えていた。だが、代わりに渡せる時計や服は残って
いない。何度掛け合っても拒否された。
その時、女性が口を開いた。「皆さんと一緒に日本に帰れると思えたことが、うれしかったです。私のことは気にせず、日本に
向かってください」
女性は1人でソ連兵の元に歩き出した。しっかりした足取りだった。私はその背中を見つめるしかなかった。子どもながらに
ソ連兵に対する怒りがこみ上げてきた半面、「日本に戻れるんだ」と安堵(あんど)の思いがよぎったのも事実だ。
何とかして、女性と一緒に帰ることはできなかったのか−。年を重ねても、彼女の背中が脳裏から離れない。「戦争は人間性を
奪い、女性や子どもが犠牲になる。二度と起こしてはならない」。その思いを胸に刻んで生きている。 語り継ぐ戦争
38度線超え 最後は徒歩で
http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20160513241350001.html
忘却のための記録―1945-46 恐怖の朝鮮半島 (日本語) 単行本(ソフトカバー) - 2014/1/25
清水 徹 (著)
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/4892959707 日本放送文化大賞、山口放送「奥底の悲しみ〜戦後70年、引揚げ者の記憶〜」が受賞
https://www.sankei.com/entertainments/news/151124/ent1511240005-n1.html
NNNドキュメント'16 「奥底の悲しみ」
https://www.dailymotion.com/video/x3th5zj
奥底の悲しみ 〜戦後70年、引揚げ者の記憶〜
https://jnsk-tv.hate▼nablog.com/entry/2016/03/03/212815
“特殊婦人”とは
・北朝鮮や満州からの引揚げ婦女子には現地で暴行を受けた結果、
身体に異常をきたしている者がおり、国はそんな女性達を「特殊婦人」と表現した。
・港には“特殊婦人”達の話が聞けるよう相談所が設けられた。『婦人特殊相談所』
・北朝鮮と満州から上陸する“特殊婦人”の数を月ごとに記録していた。
【奉天】(現:瀋陽市)
◇新田浩治さん(78)
当時8歳。故 母・泰子さん
長は皆兵隊に取られてますよね。家には子供と奥さんしかおらんでしょう。あの
皆奥さん方は軍服を着て、ちゃんと戦闘帽子も被っとるけど、やっぱ女って分かる
じゃないですか? それで全部トラックに乗せてね、こう強姦しとるわけですよ。
・新田さんの見ている目の前で、ソ連兵に連れて行かれた女性達。
近所の家の母親も強姦された。 さらに悲劇が起こる−
辱めを受けたその母親は、子供を道連れ手榴弾で一家心中をしたという。 「記憶の澱」(1/2)第13回日本放送文化大賞 テレビ・グランプリ作品
https://www.dailymotion.com/video/x6dryqa
(2/2)
https://www.dailymotion.com/video/x6dryqb
【ソ連軍侵攻時の寧安市】
夕暮れ時、ソ連兵は若い女性たちを手当たり次第、コーリャン畑の中へ引きずり込み、次々と強姦したのです。
助けを求める女性たちの声を忘れることはありません。
【北朝鮮・平城の日本人収容所】
ソ連兵は女性たちをあさりに毎晩のようにやってきたのです。
柏尾安希子(神奈川新聞記者)さんがリツイート
https://twitter.com/PachelbelCanonD/status/1379257106071646208
NNNドキュメントで『記憶の澱』放送 - NPO中帰連平和記念館
https://npo-chuukiren.jimdo▼free.com/app/download/13282588392/%E3%80%8E%E4%BC%9A%E5%A0%B1%E3%80%8F21%E5%8F%B7.PDF
映像の中の「加害証言」は近藤一さん一人を除いて全て「 中帰連」の皆さんの証言です 。
【TBS NEWS23】「日本兵は支那で悪逆非道を働いた!」の近藤一さん中帰連のクソ左翼でした!
https://ameblo.jp/vamosabailar53/entry-11912908436.html
日本軍「残虐行為」はどう創作されたか? 中国に洗脳された日本人
https://cdn.ironna.jp/article/3522?p=2
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 韓国側が連日猛攻撃、ハーバード大教授「慰安婦論文」で批判されている点を原文で徹底検証
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/03310602/?all=1
今のロシアにあたるソ連は、軍事売春所は作らず、兵士は占領地で女性に暴行の限りを尽くした。
ソ連兵はレイプした女性の一割を殺害したといわれている。これには自殺した女性は入っていない。
アジアでの最大の被害者は、いうまでもなく日本女性だった。 「宝田明」コロナ禍で甦った凄絶「戦禍」「引き揚げ」体験
◆俳優・宝田明、新型コロナウイルス、満州国、ハルビン
週刊新潮(2021/06/10), 頁:36 週刊新潮 2021年6月10日号
「宝田明」インタビュー
コロナ禍で甦った凄絶「戦禍」「引き揚げ」体験
ttps://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20210603/
ttps://www.shinchosha.co.jp/images_v2/issue/ad/2563.png
ところが、ある日、僕が部屋の窓から外を見ていると、ひとりで歩いている婦人が目に入ったのです。
すぐに、二人のソ連兵に捕らえられ、裏路地に引きずられて行った。彼女が「助けてください!」と叫んでも、
マンドリンと呼ばれる自動機関銃で武装した兵士が怖くて誰も駆けつけられない。僕は無我夢中で交番に
向かって走っていました。
もちろん、警官の姿はありませんでしたが、代わりにソ連の憲兵がいた。「カピタン・パジャーリスト!
(将校さん、お願いです!)」と懇願して、どうにか現場まで連れて行きました。しかし、その婦人は下半身を
丸裸に剥かれて辱めを受けた後でした。 性犯罪者が被害者と「結婚」すれば無罪─世界20の国・地域が看過する衝撃の法律
https://courrier.jp/news/archives/244280/
同報告書は、女性人権団体「イークアリティ・ナウ」が2017年におこなった調査結果を紹介。たとえば、ロシアではレイプ事件の
加害者が18歳以上で被害者が16歳未満の場合、被害者と結婚した加害者は刑事罰を免責される。 30年後に日本は消滅と言い放った、中国首相の言葉が現実味
仏教が教える侵略への対処法、国防の在り方とは
池口 恵観
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65770
https://news.yahoo.co.jp/articles/4ce47511f6961648bcd9f5ca00cdeb88463f7938
歴史上、戦争で勝った軍隊が負けた国に対し、略奪を行うことは古くから一般的に行われてきた。歩兵にとって略奪は収入であり
補給の手段の一つであった。
また、人間も戦利品として略奪された。特に女性が勝者に奪われることは珍しいことではない。
国家の最も大事なことは、言うまでもなく国民の生命と財産を守ることである。
旧満州では、敗戦後、日本国民を守るはずの関東軍が撤退し、ソ連軍が日ソ中立条約を破って侵攻してきた。
ほかにも、いままで支配されていた現地中国人や朝鮮人が暴徒化し、満州に点在していた日本人開拓団に次々と襲いかかった。
そこでは略奪や暴行、虐殺に強姦といった、あらゆる無法がまかり通った。
抵抗する者は片っ端から殺された。いまは語られることも少なくなったが、ソ連軍の兵士たちだけでなく中国人や朝鮮人の暴徒が
日本の女性に対して行った卑劣な行為は筆舌に尽くし難い。
世の中には実相がある。理想を語るだけの小さな世界観だけでものごとを見ていたら、迫り来る危機的状況に対処することなど
かなうまい。
仏教は防衛戦争を肯定し、平時からの軍備の存在を前提とする防衛に伴う軍力の行使を認めている。
真言宗の開祖空海は、鎮護国家の思想をもって世の中に真言密教を広められた。鎮護国家とは仏教の教えをもって国を護ると
いう考え方である。
仏教経典『大薩遮尼乾子所説経』は「軍は軍力を増強し難攻不落の体制を示し、敵に恐怖を植え付けて戦争に至るのを防ぐ。
これが危機の初期に取るべき措置」と示している。
いまこそ、国家の防備は、百年の計をもって備える必要があるのではないだろうか。 「ギャーという悲鳴、ブスブスッと銃弾が体に食い込む音が…」日本人1000人をソ連戦車部隊が殺害“葛根廟事件”に巻き込まれた少年の証言
https://bunshun.jp/articles/-/45246 ヒトラーの死後、10万人ものドイツ人が自殺した
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/293242
ヒトラーがいなくなることで、デーニッツら後事を託された指導者は、東部戦線では使者をソ連のジューコフ元帥に
送り、休戦を呼びかけた。ジューコフは無条件降伏以外はないとはねつけた。西部戦線でも、アメリカ、イギリスに
部分講和を持ちかけて、対ソ戦にエネルギーを傾けたいと訴えた。トルーマンの回答はドイツの全戦線での同時降伏
であった。
こうした矛盾した対応は、ドイツがいかにソ連軍を恐れているかということであった。実際にソ連の軍事指導者は、
ベルリンでいかなる行為を行ってもいいと兵士たちに命じていた。独ソ戦が始まったときに、ドイツ軍兵士がロシアで
どれほどひどいことを行ったか、捕虜収容所でソ連軍の兵士にいかなる残忍な行為をなしたか、それらを忘れては
ならないと訓示していたのである。
ドイツ軍の兵士の中には、戦争末期になるとソ連軍との前線から逃亡し、アメリカ、イギリス軍の連合軍の側に
身を寄せて降伏したケースが多かった。報復を恐れたのだ。ゲーリングでさえ南ドイツに逃げて、ヒトラーを怒らせた。
「国民を救うために戦っている」デーニッツは演説で連合国の分断を図った
ttps://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/293301
ヒトラーに代わって指導者になったデーニッツは、最初のラジオ放送で国民に向けての演説をし、今われわれはロシア人から
国民を救うために戦っていると繰り返した。そこにはソ連に支援を続けている連合国を分断させたいとの思惑が示されていた。 満州からの逃避行
https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/2402sugano.htm
翌日から、私達は神社のすぐ斜め前にあった白山会館というダンスホールへ移動。そこで身を寄せ合いながら
毎日を過ごした。そこにもソ連兵が毎日銃を小脇に抱えてやってきて、女を連れて行く。拒否すれば
マンドリン銃で射殺される。抵抗する手段は無かった。
吉林駅から貨物列車に乗った。無蓋車だった。転げ落ちたら終わりだ。雨が降ればずぶぬれになる。
度々止まる。止まる度に伝令が来る。運転手は金品、女を要求する。同胞を売ってでも身を守る人。
手を挙げ率先して我が身を挺して同胞を守ろうとする人。子供ながら様々な人間模様を垣間見た。 病の妹を迎えに38度線を越えた両親。間もなく南北分断で離ればなれに。姉と弟と3人、北朝鮮からの引き揚げが始まった〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/storyid/144114/
北朝鮮からの引き揚げが始まった。女性と子どもばかりの一行は徒歩で進む。村落には関門。腕時計など“貢ぎ物”を差し出し通してもらった〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/storyid/144145/
引き揚げ後、父が働いていた二日市保養所。ソ連兵に暴行された女性の中絶手術が秘密裏に。「4、5百件」と医師の証言。国も黙認していたようだ〈証言 語り継ぐ戦争〉
https://373news.com/_news/storyid/144146/ 天内みどり著『芙蓉の花〜北朝鮮引揚げの記録〜』
https://ameblo.jp/itaoki/entry-12693596151.html
人間を最後に支えるものはなにか——天内みどりさんが語る壮絶な「北朝鮮引き揚げ」体験
https://www.chichi.co.jp/web/20191214_amanai_midori/
夏が来ると(北朝鮮での)収容所の暮らしも1年になります。誰もがこの夏を逃したら日本へ帰ることはできないと思うようになり、
「南朝鮮まで歩いて逃げよう」という話が持ち上がりました。実際、元気な人は単独で北朝鮮を脱出していました。
子守りのオモニにそのことを相談すると、逃亡する日本人を見たら撃ち殺してもいいという指令が出ているし、絶対無理だ。
私を養女にして、母と妹も引き取ってくれるとまで言ってくれました。
しかし(同じ収容所にいた)北原さんが、「みどりちゃんを養女なんかにいかせない。二人で頑張ろう。一緒に日本へ帰ろう」と、
涙を流しながら抱き締めてくれたことで、私は北朝鮮を脱出することを決めたのです。
脱出から3、4日後、皆の疲労が蓄積してきたこともあり、夜は眠って昼に歩くことになりました。しかし、道のあちこちにソ連兵や
朝鮮兵が立っており、通行させる代わりに金品を置いていけとせびってきます。ある時、木蔭から出てきた二人のソ連兵が
「女を置いていけ!」と迫ってきました。
ソ連兵は、ものを物色するように銃で一人ひとりの顔を上げて覗き込み、二人の女性を道に押し出しました。泣き叫ぶ二人の
女性を後に、逃げるように皆が歩き出す中で、私は何度も後ろを振り返ってソ連兵に引き摺られていく彼女たちを見ました。
私たちはこの女性たちの犠牲によって助かったのだ。この悲しい光景は、いまなお私の記憶に焼きついて離れません。 秘録大東亜戦史〈〔第5〕〉朝鮮篇 (1953年) −
https://www.ama▼zon.co.jp/dp/B000JBGYIW/
朝鮮からの引き揚げに関して多くの体験談が掲載されてある。 韓国の女は肌が白く、あそこはピンク
慰安婦がいたのも必然かも
しかし、
三十年前、国分株式会社主催の 眞露工場研修
が建前の韓国買春旅行に行かされ
今、パーティーでのパートナー韓国人女たちから、、、酒池肉林情報が出されていると聞きました どう対処したらいい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています