零戦の超高性能に嫉妬するドイツ人 [転載禁止]©2ch.net
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高山正之「折櫛の記」43頁 『月刊正論』今年12月号より
一方のドイツ人はよその国が馬鹿に見えてしょうがない。EUを仕切り、
再生エネルギーも範を垂れて見せるが、ただ日本人には何をやっても
敵わない。戦時中メッサーシュミットを飛ばしたが、米国の空飛ぶ要塞
B17には歯が立たなかった。そのB17が零戦にばたばた落とされたと
聞くともう憎くてたまらない。南ドイツ新聞のボルクが皇太子のズボンに
「役立たず」 と書いたが、ただ野卑さしか感じない。
ドイツの過大評価はドイツ軍のそれもろとも止めるべきだとおれさまは
痛感する。そのうえで日本は戦前からの先進国だった喜びを心から
噛み締めるべきだ。 >>229
プロイセン憲法を推したのはシュタインでモルトケはやって来た使節団に教えた方だろ
だいたい参考にしたが言われるまま作ったなんてどんな妄想なんだよ… >>230
だから君臨すれど統治せずは後年憲法学者が主張しだした天皇機関説だとあれほど >>222
パンターが善戦敢闘の末に敗北したのと、97式中戦車チハが大陸打通作戦で無双というのとw そもそも設計時期的にチハの同世代はV号
相手は三國無双の敵兵みたいに蹴散らされるだけの中国人
戦車にしても仮想敵はT34やらKVじゃなくてBTだから。
対戦車戦闘重視するなら最初から47mm積んでる。 ―ドイツの戦闘機の中では、どの機種が最も危険と見なされていましたか?
42〜43年当時であれば、「フォッケル」[Fw190]と遭遇する機会は少なかった。「メッセル」[Bf109]がほとんどだったな。
私たちは護衛戦闘機をつけてもらっていたけれども、最初のうちはI-16だの「チャイカ」[I-153]だのがこの任務にあたっていた。
彼らは300キロしか出せないのに、こちらは360キロで飛ぶんだよ。だから、護衛隊の方から「俺たちを置いていかないでくれ!」
なんていう叫び声が聞こえてくるんだ。こんなのが護衛の名に値するだろうか?!
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda62.3.html
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm
「1941年の秋、モスクワ攻防戦の一番危機的な時期にゾルゲが獲得に成功した情報のおかげで、
ソ連指導部は極東、シベリア、中央アジアにいた師団の一部をモスクワへと配置換えする決定を
とることができました。この師団らが私たちの首都へ迫ろうとしていたドイツ軍を撃退する上で計り
知れない重要な役割を演じたのです。」
http://jp.sputniknews.com/russia/20151003/988176.html >君ら知ってて言ってる?
>P38は初期の頃は日本軍の零戦や隼と巴戦をやったからいいように鴨にされて落とされてた。
それも嘘っぽい。
P‐38が、日本軍パイロットに認識されていない時期にであった本田稔の証言では、軽爆撃機と思いチョッカイかけてエライ目あったって言ってたよ。
凄い高性能で、最後まで苦手だったって。
低空低速から高高度高速度でも、加速力も上昇力も上のP-38は、日本軍機の天敵。
P-38の敵は日本軍機ではなく、コスト。
日本軍機が撃墜したというP-38も、ほとんどは急降下離脱したのを撃墜を誤認しただけ。 > 「このP38が零戦と戦うようになつたはじめのころは、ただ一直線に上昇、降下を繰り返すぱかり」
>
> 「後ろに食い下がられると、もうあとはオタオタと直線運動するぱかりで、どうしても零戦を振り切れず、案外簡単にポロポロと撃墜された。」
>
> 「それで零戦パイロットから、”あいつ馬鹿じゃあるまいか?”と「ペロ八」というあだ名がつけられていた。」
>
> 「零戦開発物語」 小福田晧文 P258 >>237
>P-38の敵は日本軍機ではなく、コスト。
大陸打通作戦はシェンノート空軍が大敗したが、P-38の敵は日本軍機ではなく、中国人の腐った脳みそ。 >>237
>P-38の敵は日本軍機ではなく、コスト。
大陸打通作戦は連戦連勝3000キロだが、ここでの米軍機は「ヤーボ」の役割は果たせなかったのか?
あるいは中国人の筋金入りの知能障害は、「ヤーボ」の威力を台無しにしてしまったのか?
それとも日本軍に虐殺される中国人を救うには、米英が「ドイツ打倒優先」を放棄しなければならなかったのか?
何のためのシェンノート空軍だった? >>238つづき
> ガダルカナル方面は、そのうちこのP38がどんどん増強されてくとともに、敵は零戦に対する戦闘法を研究し、
>
> 零戦の旋回戦闘を敬遠し、高高度、優速を利用した雄大、かつ大業な長槍戦法でまったく零戦を寄せつけなくなった。
>
> そして隙を見て遠距離、高高度からさーっと超高速で突っ込んできて、必中の猛射一撃をくわえ、あとは物凄い速度で降下離脱し、
>
> やがてはるか彼方を急上昇して、零戦のはるか上空にちゃんと占位し、またつぎの一撃を狙う、
>
> という零戦としては手も足も出ない戦闘法を取りはじめた。
>
> 「零戦開発物語」 小福田晧文 P258 優位取られたらどんな機体でも似たように一方的になぶられるぞ
だいたいP-38の高高度からの急降下はフラッター起こして改修されるまで禁止だっただろ
超高速なんかで急降下したら地面にめり込むw >>244
ンなことより
ブラックフライデーさっさと調べろよ ドイツにだって逆探ぐらいあっただろうに、
なぜU-boatは水上航行中を簡単に探知されている?ましてや上空を飛ぶのはほぼ敵機に限られているのに。
日本軍の潜水艦は逆探導入以降、水上での奇襲は激減している。 >優位取られたらどんな機体でも似たように一方的になぶられるぞ
> だいたいP-38の高高度からの急降下はフラッター起こして改修されるまで禁止だっただろ
>超高速なんかで急降下したら地面にめり込むw
高高度ね!
日本軍機が要る6000m程度は、高高度とは言わない。
その程度の高度なら、日本軍機が空中分解してしまう速度で急降下できる。
高高度では低温の為と、P-38の独特の形状が、低めの速度で音速を超える部分が出るため。
日本にはその認識がなかったので、紫電改の空中分解の原因が理解できなかった。
ドイツ軍機相手では問題になったかもしれないが、急降下できないほとんどの日本軍機相手じゃ問題はないだろ。 >>247
急降下制限速度
零戦21型 急降下制限速度340ノット(時速629km) 高度4000m
零戦32型 急降下制限速度360ノット(時速666km) 高度4000m
零戦52型 急降下制限速度400ノット(時速740km) 高度4000m
F4F−3 急降下制限速度356ノット 高度3048m・10000ft
F4U 急降下制限速度385ノット 高度3048m・10000ft
P38J 急降下制限速度365ノット 高度3048m・10000ft
F6F 急降下制限速度390ノット 高度4572m・15000ft
P51 急降下制限速度382ノット 高度4572m・15000ft
零戦52型にすら急降下で勝てないP38がどうかしたか? ニューギニアのP-38は元々
飛燕がでてきて、慌てて呼んだもので
零戦とか関係ないよ
P38は零戦以上の作戦範囲の方が重宝されて
B24と同じ飛行場から
零戦の行動範囲外から飛んで来るのが特徴
零戦が涙目でガダルカナルの往復していたが
P38はガダルカナルの更に外側の飛行場から飛んで来る
P38は一方的に日本の飛行場を攻撃できるが
日本機はP38の飛行場には辿りつけない >>249
急降下制限速度 458ノット(850km/h)
一説には1,000km/hを超えたとも言われる三式戦がどうかしたか? >>249
1944年にビルマ上空で9機撃墜されながら確実な戦果は一式戦4機のライトニングがなんだって? >>251
ネグロス島で空中戦初体験の学生パイロットが乗る疾風1機(それも爆弾を抱えたまま。下が日本軍地帯だったから爆弾を投棄できなかった)に対してトップエースのマクガイア少佐を含む3機で戦いを挑みマクガイアを返り討ちされたP38だな。
(マクガイアたち4機は直前に隼1機に戦いを挑み、リットメイヤー少佐が隼と相討ちになって3機に減っていた) >>240
チャンコロって日本人の軍刀に斬り伏せられるためだけに生まれてきたみたいな生き物だよなw 双発機が舐めてドックファイトなんかやるから落とされる、一撃離脱は戦法としては確立されていたが
回避に徹されれば撃墜は大分先の話になる訳でな、同じエースのボング曰く動きの鈍い落せそうな奴だ
け落とすが一撃離脱の鉄則 一撃離脱というか
単なるエネルギー機動戦なんだがな
速度が落ちるドッグファイトやるのはアホだということ
速度を落とす奴は死ぬからやらないだけ アホはアホのままでいてくれた方が
飯の種が出来て有難い 格闘もエネルギー戦に変わりはないし一撃離脱も上昇して速度を落とし方向転換時の
エネルギー喪失を減らすから反復できる
オーバーシュート前提の機動をするかしないかの違いしか無い 本来長距離戦闘機として双発戦闘機は研究開発された。世界的なブームにもなり、BF110やP-38や月光が誕生した。
しかし単発の零戦や隼、後にはP-51などの戦闘機が充分な航続力を持つようになると、双発戦闘機の需要は薄れた。 確かにドイツの目くらましに世界中が騙されてるんだけどねえ。 和田アキ子もそうだけど年取ると自分の自説をやたら披露したがるようになるのは何でなんだろうな バカで無知な者は
旧日本軍弱小列伝
http://www.luzinde.com/
でも読めよ・・・・・ >>263
お前ウジ虫管理人だろ
セコい誘導すんなゴミ >>263
まだ生きてたのかよ・・・・
本当にカスだな >>240
大陸打通作戦では、それまで遅れてた無線機とレーダーがそれなりに充実してる。 靖国初詣ついでに零戦見てきたが
やっぱ52型は後ろから見ると翼が短くてチンチクリンだな・・
無理に切った感強いわな >>46
>ドイツの外交官ハッセルの遺稿いこう集には
>「ヒトラーは日本軍の偉業(シンガポール陥落)に感心せず、もう一度あの黄色い奴等を追い返すために、
>ドイツからイギリスに20個師団の援軍を送りたい気持ちだ」
>>1のスレタイ通りなのか? >零戦21型 急降下制限速度340ノット(時速629km) 高度4000m
>零戦32型 急降下制限速度360ノット(時速666km) 高度4000m
>零戦52型 急降下制限速度400ノット(時速740km) 高度4000m
この数字は、大幅に盛ったカタログ上だけの数字で、実際は出して生きている人間は居ない。
なにしろ、初期の零戦は900qでも降下可能だと堀越は豪語していたんだぜ。
本当にそんな性能があったなら、F4Fの急降下にすらついていけない零戦パイロットはとんでもないヘタレだったの?
しかし、何処からひぱってきた数字だかしらないが、P-51は最高速度より低い速度で降下制限速度にひっかかる。
もっとも、3000mなんて低空で、45度の角度で600km以上でダイブしたら20秒弱で地面に突き刺さる、
制限Gを超えないレベルで引き起こしができるのがこのスピードだよ、だから気負付けてねってマニュアル上の数字じゃないかい。
日本の、このスピードを超えたら即空中分解とは違うと思うが。 >>270
空中分解はおこしていないと思うが。
零戦は軽いから降下を開始してもなかなか速度が上がらず、重くて降下の加速が早い飛行機にはすぐに引き離されてしまう。或いは追いつかれる。
上昇速度の遅い飛燕なんかは実質、降下制限速度無制限。上昇降下共に高速なのは雷電。 急降下加速は機体重量じゃなくて形状抵抗と揚力比に影響される
旋回性能が高い=高揚力の機体は加速で揚力が増大すればそれだけ機首を下げた
状態にしないと直進できないんで形状抵抗も増える
日本機で急降下すると相応な力で操縦桿を押さないと浮き上がりが抑えられない
トリム調整する余裕の無い空中戦で降下離脱する敵機を追いたくない理由の一つ USSR sent to China during 1937..1941:
1250 planes, incl. 216 I-16 types 5, 6 and 10 ("Swallow");
six TB-3; 213 I-15 and I-15bis; R-5; SB-2; DB-3A; UTI-4, UT-1
82 tanks (T-26 and BT-5)
arm.cars (BA-3, BA-6, BA-10, BA-20)
1850 trucks and tracktors
50mm mortars
1600 guns, incl. 76mm field and flak guns
14000 MGs
rifles; fuel and oil; ammo; medical stuff; spare parts
http://wio.ru/spain/china-a.htm
問い:I-16はそれほどメッサーシュミットに劣る機体なのでしょうか?
基本型式のI-16-10、-17、-21は、技術的にも攻撃装備の面でもBf-109Eには劣っていたが、
それほど開きが大きかった訳ではない。もちろん、それより旧いI-16-4および-5はメッサー
への太刀打ちはできなかった。
しかし後期型のI-16-28と-29モデルになるとメッサーのE型より優れていた。速度と運動性
は同等であり、とくに垂直面ではI-16のほうが良かった。
問い:メッサーのほうが劣るというのはおかしいと思います。どの資料によっても、I-16の-28および-29の
高度3000メートルでの水平最大速度は440-460キロメートル台であり、一方Bf-109Eのそれは570キロ
メートルとなっていますが。それに垂直面の機動でもI-16が勝るというのも初耳ですが?
実際の空戦では誰も最大速度を出そうとも思わないし、ましてや最大速度を出したヤツはいないのではないだろうか?
原理的にもI-16ならば速度500キロは容易かつ急速に出すことができる。
メッサーE型は確かにそれよりも速いが、その差はさほどでもない。空中戦では双方の速度にはほとんど
差が出ない。I-16は加速性能が大きく、とくにM-63エンジン装備の場合は爆発的ともいえた。先に挙げた
水平面の運動性能に加えて、この加速性能も2つ目の特長といえる。
その当時ソビエトで生産されていた最新型を含む、どの戦闘機タイプよりも加速性能には優れていた。
Yak-1の加速はI-16に匹敵したが、それでもやや遅いくらいだった。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Russianpilot.htm >>273
>しかし後期型のI-16-28と-29モデルになるとメッサーのE型より優れていた。
「ポリカルポフI-16(後期型)の超高性能に嫉妬する日本人」でスレ立てしようか? ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」
モスクワ上空の戦い
知られざる首都航空戦1941〜1942年
著者:ドミートリィ・ハザーノフ&アレキサンドル・ペレヴォースチコフ
訳:小松徳仁
発行:大日本絵画 ソ連の証言は、そう証言しておかないとシベリア送りになったからだろ。 中国?什?不拍一部《?大的抗日?争》??
https://www.zhihu.com/question/33567660
ソ連邦大祖国戦争
「来来来,人家1943年8月到1944年12月期???了“被コ?完虐”的十次斯大林突?,十次?利。」
中国抗日戦争
「与此同?,K?的表?如何??」
中国語は機械翻訳でもわかりにくいが、それでも、
ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ
・・・という内容であることは自明だ。 >>275
ロシアでは一般に、独ソ戦の分岐点はスターリングラードではなくモスクワと考えられているらしいね。 >>279
1939ノモンハン
1940フィンランド
1941モスクワ
1942スターリングラード
1943クルスク
どれも決して「楽勝」ではなかった。しかしながらジューコフはノモンハンが最も「困難」と語ったという。
また1940フィンランドの指揮官はティモシェンコだが、こちらの評価は芳しくない。
ロシアの将軍たちは、概ね、スターリングラード戦を、独ソ戦の分水嶺と考えていなかった点、
つまりモスクワ防衛線に、ジューコフ将軍が、まさに駆けつけ、ノモンハンでの勝利パターンを活かし
ドイツ軍を150キロも押し返した、これが分水嶺であったと述べています。
もしこの時、日本軍がノモンハンをやらずに、赤軍などおそるに足らずとばかり、このタイミングでシベリヤに侵攻していたら、
ソ連はとても、この二正面作戦に耐えられなかったとソ連の将軍たちは述べています。
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/review/4622078139/R1QRQ486EVLDJ4/ref=cm_cr_dp_aw_rvw_2?ie=UTF8&cursor=2
>ドイツ軍を150キロも押し返した、
同じことをノモンハンで日本軍に対してするのは「困難」だったということではなかろうか。ソ連は1941年の日ソ中立条約
で満州国を公式承認しているが、好意でそうしたとは考えられない。ちなみにソ連のチュイコフは中国抗日を指導してた。 >280
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E3%82%BD%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E4%BE%B5%E6%9D%A1%E7%B4%84
>同条約に従い、ソ連は中国国民政府に対して空軍支援を送り(Zet作戦)、
これは日ソ中立条約が結ばれるまで続いた。条約はまた、中国とナチス・ドイツとの友好関係の悪化に寄与し、
それはドイツによる満州国の正式承認と在華ドイツ軍事顧問団の終結で頂点に達した。
一方、条約締結と同時にソ連から中国国民政府に対する武器の供給も開始され、
ソ連からは武器購入代金として2億5000万USドルが渡され、航空機千機、戦車、大砲が売却された。
ソ連政府はおよそ300人の軍事顧問団を中国に派遣した。最初の顧問団長は中国語に通じ、
後にスターリングラード戦の英雄となったワシーリー・チュイコフ大将である。以後4年間、
中国に入る重火器、大砲、航空機の供給はソ連からのみとなったほど、ソ連はライフルの
生産しか行われていない中国にとっての最大の武器供給国であり続けた[1]。
残念ながら、帝国陸軍の中国侵略のせいで、満州国の正式承認どころじゃなくなった。
外交条約を破った見返りに、征服した土地を中国に返してまで、
満州国の正当性を踏みにじった国におめでたくも非も唱えられない。
どうせならナチスドイツに感謝したら(笑 >>281
>同条約に従い、ソ連は中国国民政府に対して空軍支援を送り(Zet作戦)、
(3)1939 年以降の航空戦
日本軍は武漢攻略作戦の終結にともない、中国に駐留する航空兵力を整理する一方、航
空作戦の重点を中国側空軍基地の爆撃と対外輸送ルートの遮断に置いた。また、中国側の
抗戦意欲を喪失させるための政略爆撃が四川省(主に重慶・成都)に対してなされた。
この結果、中国側の作戦方針もまた都市あるいは空軍基地の防衛に限定され、中国側か
らの攻撃は、遊撃戦術による散発的な奇襲を除くならば、陰を潜めることになった。実際
に、39 年以降の航空戦は、奥地都市を爆撃する日本軍とそれに対する中国空軍との迎撃戦
が中心であり、中国空軍の拠点である南昌をはじめ、ソ連からの援助物資の到着地である
蘭州、仏印ルートの拠点である南寧では激しい航空戦が展開され、中国空軍は局地的には
一定の戦果をあげていた。
しかし、百一号作戦(奥地航空攻撃作戦)が展開される 40 年以降、中国空軍は迎撃戦
により多大な損失を被り、40 年末には残存機が 65 機たらずとなった(注 41)。これ以降、
中国空軍は正面からの航空戦を避け、日本の爆撃機が到来した際には、空軍機の退避を優
先することになった。そのため、日本の重慶爆撃に対しても、高射砲による地上からの迎
撃を除き、積極的な防空政策がとられず、爆撃の被害を増大させる結果となった。つまり、
中国空軍は可能な限り戦闘を避けて戦力を温存せざるを得ない状況にあったのである。
http://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf44b/$FILE/hagiwara2.pdf >>281
>同条約に従い、ソ連は中国国民政府に対して空軍支援を送り(Zet作戦)、
一九五〇年の夏、朝鮮戦争が勃発して秋に「中国人民義勇軍」の出動が決まると、私は前線行きを志願した。
抗日戦争にも内戦にも参加していないので、祖国のために奉仕するチャンスがほしかったのだ、内心は中国
に勝ち目はないだろうと思いながら。なにしろアメリカ合衆国のほうが中国よりも格段に発展していたし、
装備がはるかにすぐれていたからである。
私は戦況をつぶさに追い、中国の「義勇軍」が崩壊しないばかりか、連戦につぐ連戦で「国連軍」のアメリカ軍
を敗退させつつあるのを知って驚き、かつ興奮した。一世紀以上にわたって、中国が外国軍と戦端を開いて
面子をうしなわなかったのは今回がはじめてだった。私はまた、アメリカ軍が朝鮮で細菌を用いているという
報道に唖然とした。戦争が膠着状態に入っても、私は中国人であることが誇らしかった。しかし上司たちは
私の前線志願を却下し、中南海での医療に従事するほうがずっと大切だという主張をくり返すばかりであった。
<毛沢東の私生活(上) 文春文庫 李志綏 P95>
「一九四九年の冬、解放からわずか数か月後にソ連と直接交渉するため、私はモスクワへでかけた」と、
主席は話しつづけた。「ところが、スターリンは私を信用しないんだ。話し合いもしないで二ヶ月もほうって
おかれた。しまいに私も頭にきて言ってやった。『交渉したくないのであれば、交渉するのはよそう。
私は帰国するまでだ』とね。このようにしてやっと中ソ友好同盟相互援助条約を結んだのだよ」
朝鮮戦争もまた、毛沢東とスターリンとのあいだで緊張関係を生む一因となった。中ソ両国は戦争中
ずっと協力しあってきたと思いこんできた私だけれど、実際はそうではなかったと毛は言いはる。
「朝鮮戦争中、アメリカ軍が中朝国境の鴨緑江に到達したとき、私はスターリンに対しわれわれは
軍隊を派遣して闘わなければいけないと言ってやった」。ところが、スターリンは「ノー」と返事した。
第三次世界大戦を誘発するものと思ったからだ。
<毛沢東の私生活(上) 文春文庫 李志綏 P192> >>281
>>282
>>283
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www >>4
どういう状況で乗ったん?
ドイツにゼロ戦?日本にドイツ撃墜王? 零戦の凄いところ。
・エンジンはアメリカの支援で作ったアメリカ製エンジンのコピー。
・パイロットの疲労を全く考えていない無駄に長い航続距離。
・急降下で空中分解してしまう是弱な機体。
・パイロットの命など全く考慮されていない防弾装備のないコックピット。
・弾道特性最悪で滅多に当たらない20mm機関銃を搭載。
・ぎりぎりの設計のために発展性もゼロ。
・全く通じない無線機。 >>287
異議あり!
>・エンジンはアメリカの支援で作ったアメリカ製エンジンのコピー。
”栄”はアメリカ製エンジンのコピーじゃない。
元技術は、ジュピターエンジンだけどさ・・・
>・パイロットの疲労を全く考えていない無駄に長い航続距離。
航続距離は長い方が良いんだけどね、どこぞの国みたいに
上昇したらすぐ着陸しなきゃならん戦闘機じゃ、中の人が大変だ。
>・・パイロットの命など全く考慮されていない防弾装備のないコックピット。
>・急降下で空中分解してしまう是弱な機体。
>・ぎりぎりの設計のために発展性もゼロ。
設計時に要求されてませんが、なにか?
>・弾道特性最悪で滅多に当たらない20mm機関銃を搭載。
弾道特性より、柔構造な零戦の構造に問題が有るようです。
雷電とかだと、ばしばしと命中したとか言う話ですが。
>・全く通じない無線機。
それは、零戦だけの問題ではありません。 栄エンジンがコピーだとか基本構造が違うのも知らないニワカ丸出しだな… >>288
> ”栄”はアメリカ製エンジンのコピーじゃない。
アメリカの技術支援が止まったあと、まともに動くオリジナル
の2000馬力級エンジンを作れなかったのに?
> 航続距離は長い方が良いんだけどね、
人間の生理を無視して航続距離を伸ばした結果、ガダルカナル
航空戦で熟練パイロットを多数失ったわけだよね?
> 設計時に要求されてませんが、なにか?
つまり、設計からして人名無視のへっぽこだったって事だよね。
> それは、零戦だけの問題ではありません。
零戦の無線が使えなかったって事は認めるって事だね。 >>289
アメリカの支援なしには、まともなエンジンにはならなかったわけで。
それを独自開発と称するのは、ちょっとホルホルしすぎじゃないの? >>290は、変に絡むね・・・
>アメリカの技術支援が止まったあと、まともに動くオリジナル
>の2000馬力級エンジンを作れなかったのに?
2000馬力級エンジン作るには、当時の日本の技術じゃ
足りなかったのは事実さ。
もっとも、戦闘機に使えるような2000馬力級エンジンなんて、米国以外で
作った国もないけどさ。
>人間の生理を無視して航続距離を伸ばした結果
航続距離が足らなくて、中国大陸戦線で
攻撃機の護衛が出来なくて、優秀な攻撃機の
搭乗員を多数失ったんですよね・・・
>つまり、設計からして人名無視のへっぽこだったって事だよね。
設計時に要求されてない性能を加えようとすると、軍のほうから
クレームが着たんだよね、まじめな話。
この事に関しては、堀越さんに云々言うべきじゃないね。
>零戦の無線が使えなかったって事は認めるって事だね。
だって、それ事実だし・・・ >>291
なら1937年の南京大虐殺も、アメリカの支援だったのか? >>290
>人間の生理を無視して航続距離を伸ばした結果、ガダルカナル航空戦で熟練パイロットを多数失ったわけだよね?
けれども日本軍の防空がどうあれ、チャンコロは日本軍にまるで歯が立たなかった。
日本軍機が二流以下でも何でもいいが、大陸打通作戦は連戦連勝快進撃だった。
チャンコロは日本人の軍刀に斬り伏せられるためだけに生まれてきたみたいな生き物だった。
中国人を老若男女問わず徹底的に3500万人虐殺して、南京大虐殺の30万なんてどうでも良くなった。
日本刀で中国人を斬って斬って斬りまくって、昭和20年の3月まで進撃を続けてた。
レーダーが防空がなんてどうでもいいから、中国人をもっともっと虐殺しておけば良かった。
南京大虐殺の冤罪が晴れないならいっそのこと中国人絶滅収容所を作っておけば良かった。
より優れた技術大国ドイツなら、アインザッツグルッペンがパンター戦車に乗って
ウルツブルグレーダーと88ミリ砲担いでMe262でシェンノート空軍を壊滅させ、
大陸消滅作戦を発動して中国人を一人残らず虐殺してたはずだ。3500万なんて少すぎ。
P-51にとって日本軍機は撃ち抜けても、中国人の腐った脳みそは撃ち抜けなかった。
さらに言えば、中国人の敵は日本軍ではなく、中国人の脳に涌くウジ虫だった。
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
ドイツ軍と比較するなら、ドイツ軍なら絶滅収容所で中国人を皆殺しにしてたでオシマイ。
どんなにしつこい日本軍へのネガキャンも、大陸打通作戦にだけは歯が立たない。
思えば明治以来、大陸打通作戦ほどに非の打ち所の無い完璧な名作戦は類を見ない。 >>290
>人間の生理を無視して航続距離を伸ばした結果、ガダルカナル航空戦で熟練パイロットを多数失ったわけだよね?
大陸打通作戦は連戦連勝3000キロだが、ここでの米軍機は「ヤーボ」の役割は果たせなかったのか?
あるいは中国人の筋金入りの知能障害は、「ヤーボ」の威力を台無しにしてしまったのか?
それとも日本軍に虐殺される中国人を救うには、米英が「ドイツ打倒優先」を放棄しなければならなかったのか?
何のためのシェンノート空軍だった? >>290
>人間の生理を無視して航続距離を伸ばした結果、ガダルカナル航空戦で熟練パイロットを多数失ったわけだよね?
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html >>290
>人間の生理を無視して航続距離を伸ばした結果、ガダルカナル航空戦で熟練パイロットを多数失ったわけだよね?
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
中国?什?不拍一部《?大的抗日?争》??
https://www.zhihu.com/question/33567660
ソ連邦大祖国戦争
「来来来,人家1943年8月到1944年12月期???了“被コ?完虐”的十次斯大林突?,十次?利。」
中国抗日戦争
「与此同?,K?的表?如何??」
中国語は機械翻訳でもわかりにくいが、それでも、
ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ
・・・という内容であることは自明だ。 >>297
弱小日本軍より更に格下のシナ人をいびるだけの戦いに負けてないのを威張るのかよ!
二正面作戦で大健闘してるドイツをこき下ろして?
日本軍信者は気違いしか居ないな! >>296
ゴミのような中国人をいくら虐殺したとて、失った我らの精鋭パイロットは戻らないが? >>295
チャンコロって日本人の軍刀に斬り伏せられるためだけに生まれてきたみたいな生き物だよなw >>295
>何のためのシェンノート空軍だった?
「抗日戦争」のプロパガンダに利用されただけのピエロみたいなもん。
シナ戦線は第二次世界大戦の中では、最も辺境で優先順位の低い、どうでもいい戦域。
というか中国とか中国人とかは、欧米からもソ連からも殆ど無視された存在。 >>297
弱小なナチ空軍と、精強な我らの四式戦闘機疾風とは、とても同列には置けない。 >>298
>弱小日本軍より更に格下のシナ人をいびるだけの戦いに負けてないのを威張るのかよ!
朝鮮戦争の米軍のことですか? >>291
終戦後アメリカが日本の誉やネ-20を持って帰って必死に復元して研究したのも知らんとは… >>291
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www
>>304
つかどんな日本軍へのネガキャンも、大陸打通作戦には歯が立たないんだよな。 >>302
それでもナチカスの始末を優先しないと、西独がソ連圏に入ってしまうからな。
大陸打通作戦で国民党が崩壊しても、ノルマンディー上陸作戦をあれ以上遅らせはできない。 >>304
ドイツと違って学ぶものは何も無いって結論でしたがね >>307
>ドイツと違って学ぶものは何も無いって結論でしたがね
?
陸大とか戦後の指揮幕僚課程(CGS)というのは大学レベルではなく、佐官級の選び抜かれた将校
だけが進む幹部研修、出世コースである。
したがって、現在の台湾軍(中華民国軍)の上層部はすべて、白団教官の薫陶を受けていることになる。
当初、蒋介石が意図したのは、少ない物資をどううまく活用するかを、日本軍の経験から学ばせようということ
だったらしい。この点においては、物量豊富な米軍から学ぶことは不可能だ。しかし、軍事システムのなかで、
今でいう「後方支援」、すなわちロジスティックスだけを、つまみ食いすることはどだい不可能である。
http://www.geocities.jp/oiso_zemi/column/column047.html
PETA=郷土防衛義勇軍は昭和18年12月、第一次33個大団の編成を完了した。1個大団は3個中団、
1個中団は3個小団、1個小団は5個分団からなり、大団長以下兵士まで全員ジャワ人である。
ボゴールに幹部の訓練所が開設され、訓練には日本の軍人があたり、厳しい日本式の教育を終えた
幹部が一般募集の兵士を訓練した。
第一次についで、翌19年には第二次、第三次11大団、バリ島大団も追加され、終戦時には69個大団、
人員も3万8千人にもなり、その数は駐屯日本軍の倍近くになっていた。
日本の敗戦後は解散となったが、舞い戻ったオランダに対する独立戦争を指導し、独立と新生インドネシア
共和国軍創設の中心となったのが元PETAのメンバー であった。
http://ki43.on.coocan.jp/oversea/peta/peta.html >>307
>ドイツと違って学ぶものは何も無いって結論でしたがね
イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、
ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、
実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の
代表者達だったが、そればかりではない。それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さ
なくてはならな い。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという事実でさえも、
そうした気 持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。 」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/
あ り が と う ソ 連 邦 ! >>308
つまり日本軍の技術を学んだのはアジアの土人だけってことだなw
>>309
ドイツ国防軍を倒した中心国はソ連であり、米国とてそれを否定することはできない。 >>307
>ドイツと違って学ぶものは何も無いって結論でしたがね
旧ソ連の核開発
1949年 8.29. セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結させる
1953年 8.12. 水爆実験に成功
イギリスの核開発
1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される
1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加
1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進
1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功
1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html
ソ連の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連の核兵器は一人の人間も殺すことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。
ソ連の戦争は祖国防衛戦争で世界を変えたが、イギリスの戦争はただの植民地戦争で影響力ゼロ。
あ り が と う ソ 連 邦 ! >>309
ドイツ人は、ドイツの優れた技術力をも越えた、ソ連の実力に敬服している。 >>309
カールツアイスは、ドイツ技術とソ連技術が融合して、戦後は大発展を遂げた。 >>311
>ソ連の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連邦大祖国戦争の偉業に感動したドイツ人技術者の協力があったからだと思う。 >>309
リンク先が違う!
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html >>292
> 2000馬力級エンジン作るには、当時の日本の技術じゃ足りなかったのは事実さ。
いや、栄だって日本だけじゃ作れなくてアメリカの支援がやって
やっと使えるものになったわけだろ?
> 航続距離が足らなくて、中国大陸戦線で攻撃機の護衛が出来なくて、
> 優秀な攻撃機の搭乗員を多数失った
それは作戦がそもそも無茶だったってだけの話だろう。
> 設計時に要求されてない性能を加えようとすると、軍のほうから
> クレームが着た
クレームって着るのか?w 要求が無い=人命を無視するのが要求
って事に他ならないだろw >>293-297
この低学歴は、いったい何を言ってるんですか?w >>318
だから日本は、中国とだけ戦争すれば、絶対に勝ってたでFA! >>317
>それは作戦がそもそも無茶だったってだけの話だろう。
大陸打通作戦は大成功だが? 1939ノモンハン
1940フィンランド
1941モスクワ
1942スターリングラード
1943クルスク
1944バグラチオン
1945ベルリン
1945満州千島
さてソ連が及ぼす軍事的脅威の度合いは、ヨーロッパと日本とで比べてどうだろうか? >>296
3500万のチャンコロを地獄行きにしたこのすがすがしい大勝利は、日本人の誇り。 意外と知られてないが、零式艦上戦闘機に搭載されてた
二〇ミリ機銃はエリコン社のライセンス生産品だ。
しかしエリコン社じゃ、あの二〇ミリ機銃を
ベルト給弾式にしようとしなかった。
いや、出来なかった。
構造上、ベルト給弾式にするのが難しいと言う話だ。
しかし、日本はそれをやってしまったんだ。
それはそれですごい事だと思う。 20ミリは反動大きすぎて翼がたわんで命中率が落ちたって話だから
12.7ミリとかにすれば反動も少なく弾もションベン弾じゃなくなり命中率も上がり弾数も増えて
いいことだらけだなと妄想 ドイツの過大評価も気持ち悪いけど、
なんかネットだとドイツ嫌いが増えすぎててなんかあんまり良くないと思うの。
ドイツの場合は反日も多いけどまともな知日派もいるし韓国とかと同列ではないよ。 >>324
むしろここで知らない奴のが意外だと思うが… >>282-284
ソ連の軍事支援が効を奏したかどうかの話にすりかえたのか。
それがどうであろうと、中ソ同盟は揺るぎもしなかったけれど。
日中戦争の緒戦の勝利で、ドイツは日本の軍事的能力を見誤り、
それでもソ連は中国こそ自国のパートナーと見定めた。
中共軍さえ結局、重慶を落せたのに、長期戦を余儀なくされた
無能な日本陸軍は、四川省にさえ一歩も足を踏み入れられなかったから、
ソ連にとっても満州国と国交を樹立するなど不可能だった。
もっともチベットやウイグルと違って、復興運動すら存在しない
満州国など、ソ連が併合しなかったのは、中国の領有権が
明確に過ぎたからだな。たとえ、中ソ同盟が機能してなくても、
大義名分が無さすぎるし。 >>328
>無能な日本陸軍は、四川省にさえ一歩も足を踏み入れられなかったから、
中国?什?不拍一部《?大的抗日?争》??
https://www.zhihu.com/question/33567660
ソ連邦大祖国戦争
「来来来,人家1943年8月到1944年12月期???了“被コ?完虐”的十次斯大林突?,十次?利。」
中国抗日戦争
「与此同?,K?的表?如何??」
中国語は機械翻訳でもわかりにくいが、それでも、
ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ
・・・という内容であることは自明だ。 >>281
>どうせならナチスドイツに感謝したら(笑
1. 第二次世界大戦終了60周年記念式典
冒頭、小泉総理より式典参加は意義深かったとして、式典の成功に祝意を述べたのに対し、
プーチン大統領より「隣国であり重要なパートナーである日本の総理が参加されたことは
極めて重要である。」と述べて、小泉総理の参加に対して謝意の表明があった。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/j_gmn_05/j_r_gai.html
小泉総理は日本代表として、モスクワの第二次世界大戦終了60周年記念式典に出席し、
式典の成功に祝意を述べた。赤軍がナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたのは、
自由主義共産主義の理念対立を越えた偉業であり、日本人の一人として自分も祝意を表明する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています