沖縄戦に関する客観的考察スレッド 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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議題としては、
●日本軍の南部へ戦線を下げたのは妥当か?
●反射面陣地戦闘の問題
●和製パンツァーファウストなどの歩兵用携帯対戦車兵器の投入問題
●住人の問題
●漫湖での戦闘状況、防衛の戦術戦略の問題
●航空隊、海軍の戦略、戦術の問題
などがあります。
感情論に陥らず、冷静に客観的に考察していきましょう。
沖縄戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
前スレッド
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1336737915/ 北朝鮮 万景峰号
ロシア当局に入港拒否され燃料切れ
港外で停泊中w 昨日横田基地に沖縄配備の
F35B 2機飛来
副大統領来日に合わせ北牽制か ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
KU89J >>196
この逃げた泉知事のことで正反対の記述の2冊の本があるんだよな
どっちが本当か
・汚名―第二十六代沖縄県知事 泉守紀
・沖縄の島守 内務官僚かく戦えり
前者が琉球新報の記者で後者が読売の元記者が書いた
前者「泉知事は北部への疎開は飢餓に陥るから県民のためを思って軍に抵抗していた。転任運動をしていたのは事実だけど、内務省はそれと無関係に軍と協調できる人物に代えた」
後者「泉知事は疎開で県内が騒然とすると転任しづらくなるから我が身かわいさで軍の計画に抵抗していた。転任は本人の運動の成果」 転任運動するような人間を玉砕必至の地に送れないという事実はあるから
責任感ありそうな人を選んで貧乏くじ引かせるって話になる あの「剣」にだって「特攻機じゃないんだ〜、爆撃機なんだ〜」って力説した本があるからな 名前と戦況からして実質的に特攻機としての運用が想定されてたのは事実だけど、
爆弾投下が出来る時点で(一応)爆撃機として開発されたのは事実じゃね?
審査でも特攻機としてではなく、爆撃機として駄目とか言われてる。
というか新型機でもない限り全部特攻させてたしな。 >>244
いろいろ責任逃れの体裁は整えてあるけど、脚が落下式で帰還するなら胴体着陸必至ってあたりで現実は明瞭だろ
胴体着陸がいかに危険で機材破損は確実なの考えればさ
胴体着陸のための設計が構造に織り込まれてるなら別だが >>245
着陸脚は意外に生産に手間がかかるんで
省略した機体は結構あるぞ。
まぁ全部末期生産だが。 米軍のブロートーチと栓抜き作戦に対抗するにはどうすれば良かったでしょうか? 資材が豊富にあって、頑丈なトーチカと壕の内部に鉄扉を
たくさん設置できればかなりしのげたと思う ベトコンみたいな穴だらけで複雑なトンネルなら
資材据え置きでも持久戦できたかもね 地盤が硬すぎてどんだけ労働力がいるのやら?
それでようやくアリの巣陣地作っても、燃料流し込んで火炎放射器で一網打尽ですな その火炎放射対策をどうするかって話をしてるんだが、 だからうかつに穴に潜り込んじゃうと逆効果だよと言う現実
逃げ場がなくなって炙り殺されるのがオチ
現実の洞窟陣地の末路だし
縦穴掘っちゃったら構造上なお悪いわな 坑木や寝棚に引火するのが怖い
扇風機か、最悪ブリキ缶と釘で手回しの換気扇つくって
強制排気しようという発想もなかったようだし 馬乗り作戦は日本側の呼び方
火炎放射やその関連兵器での攻撃は、対策としてはかたまって一箇所に隠れずに散開分散する以外にない
まそしたら今度は普通に各個撃破されるだけではあるんだが
火炎放射器持ち出すようなのはほぼ掃討状態に移行したあとなんで、あとはどう狩られるかでしかないとは言える
理想を言えば狙撃兵を残置して洞窟に逃げ込んだ兵を囮に狙撃なんてのは考えられるが、まあそうそううまくいくわけないし 情報thx
馬乗り戦法に対しては一応「まないた戦法」ってので抵抗してたみたいだね
馬乗り受けてる味方の洞窟陣地に対して周囲の残ってる砲兵陣地から砲火を集中させて敵をおっぱらってたみたい
まあだけども人、装備、糧食の補給のない孤島ではどんな手段使ってもジリ貧になるのは避けられんわな 首里安国寺の洞窟では、爆風よけに持ち込んだ役場の大金庫を盾にできた住職と女子看護兵らが
火炎放射に耐えて生存した
ということは箱型の鉄製防盾つくって押し出せば反撃はできたかも >箱型の鉄製防盾つくって押し出せば反撃はできたかも
所謂戦車だなw まぁその戦車が日本軍のは(苦笑 反撃っつっても地表に出た瞬間殲滅されて終わりでしょう
結局馬乗り受けてる状況じゃ、周囲に助けてくれる有力な味方が残ってない限り何をしたって壕の中で耐えることしかできない、とても反撃までは移行できない 反射面陣地って馬乗りに対しては別に効果的ではないような…
馬乗り受けてるってことは反対斜面側の地表も制圧されててそれぞれの交通壕の入口から攻撃されてるって状況なわけだから 反斜面陣地は砲撃には強いってだけだからな
そして代償にこっちからの反撃もやりにくいw
馬乗り攻撃されたのは撤退後の急造陣地が多いが、それが周到な事前準備があったものだとしても決定的な解決策にはとても… >>263
馬乗りに対して、健在の後方陣地から掃射できるやん。 ブロートーチされる前に散々痛めつけてるからな
ブロートーチされるのは最終段階 >>265
だからそれがまな板戦法ってやつでしょ
いずれにせよそれは周囲の助けてくれる味方が健在であることが大前提の話であって反斜面陣地自体が馬乗りに強いかどうかは別の話でしょう。 日本が異例の増員、尖閣諸島の監視能力を強化―中国メディア
http://www.recordchina.co.jp/b591982-s0-c10.html?utm_source=gunosy 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1777ba470a0705a8ff6b3177e04ccfb6) 米軍ヘリまた緊急着陸
沖縄普天間基地所属の2機の1機が
オイル漏れ?の表示で熊本空港に
その後隣接の自衛隊高遊原分屯地に移動 s 沖縄米軍のオスプレイ2機
奄美空港に緊急着陸 点検後離陸 n >>231
伊東大尉は百年後には新撰組の斉藤一みたいな存在になっているだろうな 八原参謀が戦後に書いた「沖縄決戦」って評価どんなもんなの?
やっぱりバイアスとか結構かかっちゃってるかんじ? >>274
日本側の高級統帥の当事者が書いた貴重な史料だろ
他の当事者はまあ皆玉砕されてるからね…
バイアスとかを他史料を参照して読み解けないなら手を出すべきではないが 自己肯定的な記述は多いが、実際八原さんは米軍からの評価も高いからね
同じ沖縄戦本でも実績0のくせに自賛と他人の中傷しか書いてない芙蓉部隊の美濃部本みたいなゴミと違って資料的価値は極めて高い 島嶼防衛は上陸軍を外から蹴散らして解囲出来なかったら、いずれ矢玉無くなって終わりだろ
これは守備隊の持つ兵器や戦術レベルでどうにかなる話じゃない できるだけ出血を強いて米軍に本土上陸のコスト見積もりを上げさせることが目的の一つだからなあ
住民にはたまったもんじゃないが 沖縄戦の時点では神風がどう吹いても、米軍に沖縄攻略諦めさせて撤退させるなんて芸当はまず不可能なんだよなぁ ほんと決戦に関しては躊躇させることには成功してる
だからドイツみたいに降伏一切認めないみたいなことにはならず
ポツダム宣言を出して様子見たのが収穫 >>276
あ〜芙蓉部隊なぁ
ベテラン搭乗員による通常攻撃にこだわった点は評価できるけど、どこまで戦局に貢献できてたかはかなり怪しいね >>279
無条件降伏以外認めないなんて交渉拒否の狂気の降伏条件はルーズベルトの独走だから…
ルーズベルトの死から三ヶ月、耐えに耐えて守勢で持久を続ければ、米が諦めて手打ちはあり得たかもしれないよ
それぐらいは粘らなければ断念させることも譲歩を引き出すこともできまいが、それが可能だったかどうかはまあ激しく難しいとは思うが
んでも米軍側も地球半周でろくな支援拠点もない大遠征なんてそれだけできついし、陸海とも激戦で厳しい状況ではあったからねえ 無理無理、あの時点でどんだけ連合側は余裕あると思うとるんや
もはや日本1国だけで四面楚歌なんだぞ、そもそも本土上陸なんてしなくても飢餓で音を上げるのは日本側 余裕はあるけど人的損害に耐えられるか怪しくなったという話
沖縄戦みたい名のがもう1回あったらベトナムみたいに士気崩壊に反戦運動だってあり得た薄氷なところがある >>274
失態を曖昧にぼかしたり、重大事故が抜けていたり、創作を疑われる部分もあったり
特に本土決戦の実現可能性と想像される被害、鈴木貫太郎内閣発足と長参謀長の反応
このへんの考察を放棄することで自身の持久策の正当性を保ってるように見える 米軍戦史に首里撤退の際に多くの日本軍部隊が南下する中、逆に島の南端から首里へ北進する大部隊があったとあるがこれ何の部隊?
これが米軍の情勢判断を惑わせる一因になったらしいけど… 海軍でしょ
大田司令官はソロモンで陸軍に置いてきぼりくらって殺されかかったことがあるから
早めに撤退したら小禄に戻れと命令されてキレて戻るところ そう思ったけど26日って書いてあったから「ん?」って思ったんだよね
海軍の小禄復帰はもう少し後だったはず 海軍ではない、折り返しの輸送部隊でもない大部隊がいるとすれば特設第5連隊とか? >>284
1ヶ上のレスも読めないんのか?、地上部隊出さずとも海上封鎖だけで日本側は国民の餓死予想の数字で値を上げた 1946年の春までに1000万の餓死者が出るだったけか、日本側の予想は
これもソ連参戦と並ぶ終戦判断の一因
.終戦後も食料の確保が最優先だったしな 実際は農村に食料は余りまくりだったというおちでした 食料 → 食物な
流通経路が破壊されてた上に加工産業も壊滅的だったから、策源地に食物があってもダメなんだよ 要するに策源地に食物があっても、それを回収して食料としか加工して国民に配給が出来ないと意味無いって事
そこまで考慮して翌年春までに1000万餓死って計算 都市と田舎の人口バランスが悪いだけ
海外とか田舎に大企業の本社とか普通
日本の支社が変なところに有るのも特徴 東京他大都市はあらかた焼け野原で人口集中都市じゃ激減してたんじゃないかね >>296
疎開なんてしたのは学童だけだけどね
労働者は家や職場が焼けても都市の近傍から大半離れられない
それでも、1944だか1945には疎開者の受け入れで北海道が人口トップになったそうだが :::::::::::::::::::::``ヽ
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`` ?---? 'い
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09058644384 >>291
2000万の特攻兵が1000万に減るだけだ問題ない 人口が1000万減ったところで戦後の影響はなかったろう この小さい島国に人口1億2千万は過剰だから、少し減らしておいた方が良かった気も 2000万人でいいの日本
アルゼンチンが1.2億人でいいw ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ そろそろ第9師団が台湾に転進しなかったら論がまだぞろ来る頃か じゃあ
アメリカと戦うより内戦やってでも国民様黙らせた方がマシ論で 戦車第二師団をフィリピンなんぞに送らずに沖縄に投入していたら >>310
どこと開戦しても自動的に米が来て詰むやん
殴っても怒られなさそうなソ連とやっても沼るだけだし いっそ10個師団ぐらい押し込んでたら、どうなってただろう >>316
戦争計画が敵からの収奪だけを期待して成り立ってる前時代バイキングなみのナチがどうかしたか?
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www >>316
日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』 >>316
日本軍が極限で住民の食糧を奪っていたころナチは死ぬか死刑しかない裁判されるか窮極の選択(笑)を国民にさせていた
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』 >>316
自軍の兵士の食料すらなかったジャップは慰安婦と呼ばれる売春婦を腹一杯食わせてお金まで払ったが
先進的()なナチは経費削減のため慰安婦を皆殺しにした
連合軍が押収して1946年にニュルンベルク裁判に提出されたドイツの記録文書は、恐怖をあおるためにドイツ人征服者が組織的に強姦したことを立証している。
ボーランド、ユダヤ、ロシアの女たちが強姦され、多くの場合、むごたらしく殺された。
情容赦なく何百人もの少女や女性が迫害され、軍用娼家へ追い込まれ、そこで強制売春に使役された。
いわゆる『慰安勤務』である。
それが管理的に行われた大量殺人の前段階だったこともしばしばだった。
ヘルケ・ザンダー/バーバラ・ヨール著『1945年 ベルリン解放の真実―戦争・強姦・子ども』 >>316
沖縄はコメがあんまりとれないから、住民の食うコメですら内地や台湾から輸送してて徴発なんて無理だったんだが
何がデジャ・ビュだよアホチョンモメン
バカは軍板に来るな臭いだろうが サトウキビは大量にあったから数ヵ月しのぐくらいなら炭水化物源はなんとか、史実でも大いに活用してたみたいだしな
ひどいのはビタミン系の欠乏、後半になると夜盲症にかかってる兵士が多かったとか。
実質的な米軍への対抗手段が少数夜間斬り込みくらいしかなかった日本軍にとってこれは結構キツかったんじゃなかろうか 沖縄には甘藷は腐るほどあって、県庁はそれを主食にさせようとしたが沖縄県人は豚の餌を人間様が食えるかと米にこだわったから泉知事が危険をおかしてまで台湾に米を買いにいかされる羽目になった。 そんな態度じゃ鹿児島県民怒るわぁ〜
酒造りさえ外米使うし、アイツラ頭おかしいのは昔っから変わらないんだな
牛島閣下出身鹿児島だったよな… >>321
米を配ったのは政府だろ、軍隊じゃあねーよバカ
その政府が配った米を軍隊が取り上げることは全然矛盾しないだろーが 沖縄戦はもうちょっと頑張って島民殺して欲しかったな、いいチャンスだったのに >>325
息をする様に吐くネトウヨのデマ?それとも中共工作員の分断工作? >>330
チョンモメンは少しは自分で調べる努力をしろよチョンモメン >>317
一方の日本軍は略奪だけでは食えなくなって
友軍同士で共食いを始めていた
皇軍は蝗軍とはよく言われていたが
食人軍でもあったのが実態 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています