沖縄戦に関する客観的考察スレッド 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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議題としては、
●日本軍の南部へ戦線を下げたのは妥当か?
●反射面陣地戦闘の問題
●和製パンツァーファウストなどの歩兵用携帯対戦車兵器の投入問題
●住人の問題
●漫湖での戦闘状況、防衛の戦術戦略の問題
●航空隊、海軍の戦略、戦術の問題
などがあります。
感情論に陥らず、冷静に客観的に考察していきましょう。
沖縄戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
前スレッド
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1336737915/ 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! >>198
遅レスだが
>>192は読売新聞だかの証言集にあるようだ
自分は孫引きしか見てないが >>340
『最強無敵ドイツ軍』の化けの皮が剥がれてくると、ドイツ人は我先にと米軍に投降したんだよな。 >>198
田村洋三の本に連隊区司令が逃げて軍法会議になったとか、
逃げた気象台長が慰霊祭にくる話があるな
逆に逃げたら恥だと槍と刀もって沖縄に戻り行方不明の剣道教師の話とか 政治こねくり回して逃げ回るのが得意な卑怯者しか戦場で生き残らなくて煮詰められていくって地獄だよな 独立混成第15連隊を空輸って輸送機何機使ったんだろう… (´-ω-)ウム 最新鋭機だろうかあw
中国海軍の戦闘機が墜落、2人死亡
3/13(水) 5:21配信 TBS News i
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中国南部の海南省で12日午前、中国海軍の戦闘機
が訓練中に墜落し、2人が死亡しました。
人民解放軍の機関紙・解放軍報がウェイボに投稿し
た情報によりますと、12日午前、南部の海南省で中
国海軍の戦闘機1機が訓練中に墜落しました。この事
故で戦闘機の乗組員2人が死亡。地上でのけが人はい
ませんでした。
投稿された映像には、墜落した戦闘機が炎と黒い煙
を上げ、燃えている様子が写っています。
海南島は「中国のハワイ」と言われるリゾート地で
ある一方で、領有権争いが続く南シナ海の情勢に対応
するためステルス戦闘機を配備した航空基地がありま
す。現在、中国海軍が事故の原因を調べています。
(12日20:53)hyyyyhfz >>373
100式輸送機を使ったそうだから、搭載11名で3000人として100機が3往復か300機が1往復かしてるはず、旧軍にしては
奮発してるね。 連隊規模をサラッと空輸しちゃうのが驚き
重火器とかはさすがに現地の在庫を使ったんだろうけど… >>373
軍の輸送機、重爆から民間の輸送機まで動員して使ったのは51機らしい。 白旗の少女ってどこまでが実話でどこからがフィクションなんだろうな? 不発弾を投げて遊ぶ 沖縄で児童が自宅へ持ち帰る 小学校が注意喚起【沖縄タイムス】 沖縄戦から遡る事ほぼ30年のWWI欧州戦線でも、ジャガイモ収穫したら手榴弾が混ざってたなんてこた今でもよくある訳で…平和教育に手は抜けんな、マジで。 「元沖縄第32軍高級参謀八原博通大佐について」
高級参謀直筆の手記が売りに出されていた‥‥? おいくら万円したんだろう?? >>376
考えてみたら航空部隊でもない下士官兵が飛行機に乗れるってなかなかないことだよな
輸送船の船倉に詰め込まれるより明らかに快適な移動
まあ片道で人生最初に最後の飛行体験になったわけだけど >>376
独混第15連隊の歩兵大隊の編成を見てみると大隊砲が抜けてて配備されていない。やっぱ運ぶ余裕ないよな飛行機じゃ…。 >>376
独混第15連隊の歩兵大隊の編成を見てみると大隊砲が抜けてて配備されていない。やっぱ運ぶ余裕ないよな飛行機じゃ…。 長勇参謀長ってことごとく足引っ張ってるけど
なんでこんなアホがここまで出世できたの? 普通に有能だったからでは?
中国では大川周明門下の浪人を手下に特務機関つくって暗躍してたリアル鬼平みたいな人だけど >>387
そりゃ陸大でちゃったからねえ…
当時の内部慣習として、陸大卒業すれば中将までは確実になれるというのがあった
支那事変勃発後の帝国陸軍は人手不足で組織がガチャガチャになって、猫の手も借りたい状態
色々やらかした問題参謀が大手を振っていられたのもこの人事崩壊が大きい
中将までなったとはいえ玉砕確実の現地軍の参謀長ポストって出世と言えるか疑問だし、中央から評価されていたかは微妙
まあ上司にも部下にも麾下の将兵にも、この人事は災難
ちな昭和初期の陰謀事件に複数関与しているが、宴会好きでタダ酒の機会に食いついていったらいつの間にかそんな羽目になっただけではないかとの説もw
計画内の役割に対しいくらなんでも処分が甘すぎるんだよな 島田知事とは良好だったが軍に批判的だった泉前知事とは犬猿の仲で
更迭された泉が最後の挨拶にきたときも爪を切りながら応対したそうで 嘉数で奮戦した独歩13大隊、大隊長が大佐クラスって結構珍しくない? >>391
独立歩兵大隊は、名前は「大隊」だけど普通の大隊より
中隊の数を増やして強化したヤツだろ。 頭のイカれきったキチガイ韓唐ゴキブリ寄生虫のキチガイ行為 >>387
韓唐エラハリチヨンこエベンキは亡国行為をしてるだけ
やつらは大和民族様でもないゴキブリ寄生虫チヨンこエベンキ
今の霞も完全にチヨンこエベンキだろ 陸大自体がチヨンこエベンキ偽日本キチガイ寄生虫やで 南部に戦線を下げたのは妥当か?首里陣地で持久できたのでは? できないと軍司令部が判断したから下げたわけで
前線指揮官によっては陣地線保持で行けるって判断もあったが
まあ結局結果論になっちゃうし、撤退批判は結果生まれた惨劇への感情論でしかない部分もあるし >>229
3年くらい前は沖縄戦の番組に出て来て証言してたが
今もご健在かなぁ・・・ >>389
皇道派で色々クーデターに関わってたり
張鼓峰事件で停戦交渉やったり
沖縄戦以前も活動が色々見られる人だよな。 南部戦線が崩壊するのに2週間。首里で粘っても同じくらいは持久できたんじゃないかっていう話もあるがなんともいえんな。 マッカーサーが指揮官だったら嘉手納飛行場の安全が確保できたら深追いはしないな。 ペリュー島・硫黄島・沖縄戦で島嶼防衛において島嶼の要塞化とゲリラ戦が有効だと
証明されたことだと考える。 >>401
米軍は首里は占領するき満々だったからな
喜ぶだけだろうな この書き込みは学術的調査研究の一環として用いられることを前提とする。
従って、資料をもとにした厳密な検証がなされるべきであると思っている。(以下仮説)
沖縄南部における地上戦の様子をもとにして、県外の兵士、大陸から勤労を名目に連れて
こられた労働者が、戦闘終了後に 複数の事情 によって沖縄本島在住の民間人として名乗り
出た可能性について推測すれば、じゅうぶんに起こり得たのではないかと結論できる。
(この場合、あり得ないことを証明するのは、悪魔の証明の類であろう)
そうした人物が、沖縄の日本返還後に身元の不備などを 県内外の反社会勢力 に知られた
場合、犯罪等への関与に利用される可能性も十分にあり得たと考えられる。
犯罪の例としては、身元不明の戸籍取得や犯罪者をかくまうための場所として利用され
る、などをあげることができるだろう。
なお、この書き込み後に廃棄、焼却、捏造、隠蔽、行方不明などの事件事故が起きれば
起きるほど、疑惑は深まる一方となるであろう。 沖縄戦に似てきた対コロナ戦
経済(航空作戦)優先、早々に水際防御を諦め感染者を上陸させる
五輪開催(飛行場)に拘泥し対策が遅れ防疫(陣地構築)に不備
マスク買占め野放し(潜水艦被害)、備蓄分のマスク防護服を中国に寄付(師団抽出)
休校要請(住民疎開)はある程度成功する、無警戒の花見、送別会強行で感染拡大(十・十空襲)
有効な対戦車兵器(ワクチン)がなく外出自粛(地下壕)と布マスク(急造爆雷)で対抗
政府(大本営)と東京都、医師会(現地軍)に齟齬が生じる
曖昧な要請で百貨店が自主休業したのを経産省が叱責(南部撤退した海軍部隊を戻す) >>109
この鉄道輸送中の爆発事故がNNNドキュメントで特集されてた
明日朝8時からBS日テレで再放送 ここ数年沖縄の中野部隊が関わった諜報戦の本がポツポツ出ているが、役に立ちそうもない少年ゲリラ兵を組織したり、住民をむやみやたらとスパイでないかと疑ったり無茶苦茶だな。
そして実際少年ゲリラ兵は役にたたないし、住民が積極的に米軍に内通していた様子もないという。
ここら辺の現場指揮官レベルではなく内地で諜報戦の計画を立てていた陸軍の関係者の証言や資料とかって無いのだろうか? >>389
というか沖縄戦の牛島司令官、長参謀長、八原作戦参謀いずれも左遷とは言わないまでも出世街道から外れた人事にしか見えないからな。
沖縄戦も外れ人事を引いた男達が予め決められた負け戦を最期の玉砕まで戦う物語として見るとまた違って見えてくる。 >>412
牛島司令官と長参謀長には大本営から示されもしない沖縄の戦略目標とか知ったことではないから名誉の玉砕をキャリアの最期に望んでいた気配がムンムンするし、八原参謀は出世街道には乗れなかったものの、頭がよかっただけに本人の考えた最強の防御戦術を実践したうえで、なんとかアホすぎる大本営のために死なずに生き延びようとしていた意思も感じる。
住民保護は戦闘開始後はそれどころじゃなくなったというのが実際ではないかな。文字通り朝から晩まで終始砲爆撃を受けるなか全滅した部隊の補充やら切り込み命令やらを出していたのだから。摩文仁の頃は敵が壕の近くまで迫るなかまともに自決するのにも苦労しているし。 最後の軍令が「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」でなくて軍民に降伏を認めていれば
また評価は違ってたろうな。 >>414
そこは間違いない。
せめて後任の指揮官だけでも指名していれば降伏をまとめることができたのにと思う。
まあ、牛島司令官も長参謀長も最初から決戦&玉砕を志向しているので米軍上陸後は住民保護や敗残兵の降伏まで考えていないんでしょうな。
あと沖縄戦は最初から特攻や肉攻、夜間切り込みに頼っていた特殊な戦場である上に、当人達はその命令を出し続けてきた立場なので、最後になって生き残った人は皆さん降伏してくださいと言いにくかったのだと思う。 >>413
それは勘ぐりすぎだろ
32軍崩壊の端緒になった攻勢作戦が、中央の意思を汲んだものだし
司令官の牛島も参謀長の長も、結果の是非はともかく上級司令部の指導に沿うかたちで動いてる
一歩の高級参謀の八原がそれに時に反対するのも、現実に対処する中間層としては当然のこと
沖縄はそんなヤケのヤンパチみたいな戦場なんかじゃなかったよ >>416
いや、八原参謀の手記を読むと第9師団抽出後は決戦にしろ持久にしろ玉砕必死という覚悟が現地の司令官、参謀共にあったので32軍はヤケのヤンパチ感が凄いよ。まあ、手記なので本人の性格的なものからくる見方も反映されているのだろうが。
最初から特攻、肉攻、夜間切り込みが普通の攻撃手段になっている上に、鉄血勤皇隊による少年兵の動員をしていて、首里の地下壕にまで将校付きの芸者や「良家の子女」を連れてきている時点で普通の戦場ではないなと思ったわ。
関係者はみんな亡くなってしまったので追及しようもないが、実際におきたことを考えても沖縄の32軍はよく戦ったのは事実だが、いろいろと問題があったのだと思う。 ちょっと前のTVで軽便鉄道事故で貯蔵弾薬も大半を失ったとあったが
それも影響してるのかな >>418
あれ八原参謀の沖縄決戦には一言も書いていないんだよなぁ。弾薬備蓄にどのくらいの影響があったのか非常に気になる。
首里で持ちこたえきれなくなったのも総攻撃の後砲弾が不足して火力支援できなくなったのが大きいらしいし。 南部撤退の時に行政側と住民避難についてきちんと打合せできてればねぇ……
上陸後首里の住民を郊外に避難させるとかはある程度実施されていただけに無念に思う。 >>420
首里撤退の時に地元行政と打ち合わせる連絡手段とか時間とかってどの程度あったのかな。
艦砲射撃と爆撃を受けながら戦線崩壊寸前での撤退なので後世の我々が考えるような余裕はとてもなさそう。
現代戦とも違うので、いまいちそこら辺を想像するのが難しいんだよね。 >>421
そこらへん書いてる本が少ないし資料もみかけないから判断が難しいのよね
首里の住民避難もどれくらいの規模だったかわからないし。
ソース本が手元にないから多少うろ覚えになるけど……こういう例もあった様子
名は空襲後〜米軍上陸前→地区ごとに事前に見つけていたガマに避難。市役所職員(?)や警防団も同行。
食料を分け合ったり交代で煮炊きしたりして生活。新聞もあって「天長節には米軍を追い落とした」など
勇壮な記事が載ったが「それにしては砲撃が近づいてないか?」と不安も漂う
→一カ月から一カ月半後米軍が近づいているので女子供はさらに南下して避難するよう指示。
家族・親類単位に別れての避難になりここから苦難の連続。
一部の住民は軍の病院濠に合流、炊事や看護婦の補助、雑用をこなすことで食事も出た >>420
住民はむしろ、カルガモの引っ越し状態で軍にひっついて移動しようとしたからなあ
不安はわかるが、前線部隊からすりゃそりゃキレもするわと 沖縄戦を知っている人には常識のいわゆる「良家の子女」の記録が出てきたな。
昔は当たり前だったみたいなことを言う人もいるけど、首里城の地下壕や摩文仁の自決する間際まで連れ回しているのは32軍か旧軍固有の問題だったのではないだろうか。
旧日本軍の司令部に「慰安婦」 沖縄大学の研究員、裏付ける資料を新たに発見
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/amp/689062 缶ジュースの残りやセブンカフェの砂糖の余りを撒いておくと
そこだけ桁違いに植物の育ちが良くなる
沖縄戦で軍民ともにあれだけ動けたのはサトウキビと海水塩と湧水のおかげだと思う >>406
2021年3月21日
せっかく緊急事態宣言で持ちこたえているのにこれ以上の効果は見込めないと言って宣言解除
を追加
沖縄首里戦線の壊滅を早めた反転攻勢を想起させるな。 映画の散髪屋もついに逝ったか
八原参謀は岸田森、仲代達矢は薬丸参謀が適役だったと思う 当時は日本中が鬼畜米英で戦う意思があった。沖縄県民にも。
師範学校の教師などは率先して教え子を戦場に送った。
現代の理屈では語れない部分もある。
自分たちの犯した罪を、全て日本軍に押し付ける。
それが、戦後沖縄の指導者たちだ。 その師範学校の教師をそのようにした大日本帝国の罪は?
中野学校から教師として軍人を送り込んで子供をゲリラ兵にした罪は?
日本軍に協力してる沖縄人が方言を話しただけでスパイ扱いして処刑した罪は? 全て戦争が悪いで済ましておけばよかったこと。
日本全国がそうであったように、日本中が軍国主義の中にあった。
先の戦争は、日本国民の責任だ。
敗戦と同時に、あれが悪いこれが悪いと言い始めると収拾がつかない。
スパイ処刑問題に関しても、沖縄県民も加担している。 言葉を濁して書いたが、ハッキリ書いた方がいいだろう。
沖縄県民は、加害者でもあり被害者でもある。
両面から沖縄戦を見ないと本当の沖縄戦は見えない。 >>432
当時は、太田中将の「沖縄県民斯く戦えり」のイメージが強かった。
何より、可憐な乙女たちの献身ぶりもね。
映画の材料には最適だった。
今の汚れた沖縄を見ていて、沖縄戦を映画にしようと思う人はいないだろう。 >>428
今だからこそ客観的に何があって何がなかったのかで各戦場と沖縄を比較してもいいときだと思う。
少年兵の動員があったか
住民避難ができていたか
捕虜は適切に扱われていたか
風紀は保たれていたか
虐殺はあったか
等の指標で比較したときに沖縄はかなり悲惨な部類に入ると思う。大半は戦争を指導した国家と軍の責任だ。時代のせいにしてはいけない。 >>428
それがあるから、なおのこと本土決戦をしなかった日本政府に対して
強い嫌悪を抱いている
戦時中に親が青年期だった県民の団塊世代は強烈に恨んでいる
むしろ軍は、徹底抗戦を主張し本土決戦へ向かおうとしていたのだから
県民から恨まれたりはしていない 一撃講和というぐらいだから講話自体は選択肢のうちではあったし
本土も空襲で事実上の戦闘状態にあったのだけど
日本本土に上陸して決戦しないと判断した連合国側の事情を問われましてもね 436に追加
日本本土の決戦で終戦が遅れればアメリカ側はそちらに重点を置き
沖縄住民に対する待遇は実際の歴史より悪くなったかも知れません 連合国は日本本土に上陸して決戦する気満々だったけど日本がヘタレて降伏しただけだし
上陸戦の時期には沖縄は完全にアメリカ統治下で沖縄住民に対する待遇が悪くなるとか妄想でしかありませんな
当時のアメリカの立場は沖縄は東南アジア同様日本が侵略した他民族だしね 日本本土にも沖縄出身者がいましたが、その人たちも本土決戦には巻き込れます。
朝鮮戦争でも九州に逃れてきた半島の人がいましたが、日本が戦場になればその人たちも戦闘に巻き込まれていたでしょうね。
そういう意味で、本土決戦にこだわるべきだったという主張は、朝鮮戦争に日本も巻き込まれ、日本に逃れた半島の人たちもそれに巻き込まれるべきだったという、どこかの人たちの主張を元にして作ったようにも考えられる。
435以降に関しては、一時期各サイトを複数で荒らしていた人物たちの誰かを思い出させる書き込みなのだが、入り込んできた側に覚えがない。
昔からいる人ならば見当がつきそうだけど、もしかして組み合わせを変えたのかなあ。
このコメントの内容を切り貼りしたのをどこかで見かけたら、ああやっぱりかとなりそうだなあ。 沖縄に今も残る反戦感情を非愛国的と見る人たちがいるけど、少年少女までを戦闘に動員したあげく住民を巻き込んで玉砕するとこんなに後の時代まで反軍感情が残りますよという教訓にするのが客観的な見方というものでは無いだろうか。
住民避難に成功したパラオや、敗戦時に軍が踏み留まって戦ったことにより住民避難の時間を稼いだ樺太等と比べて旧軍や自衛隊に対する反軍感情の度合いを比較した調査等は無いのだろうか。 最近の戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダでの話ばかりだぞ。場所や人物名はわかってもいないのに当てはめただけの報道によくある話だよ。実際のここの内容の戦争を見に行きたければ戦場に人道支援に派遣される基地の人と同行して基地の飛行機を利用して戦場に行って視察しに行くと実情がわかるよ。時計もわからないのでいつやったかもわからないしどこにいるのかもわからないのが戦争だらけのアフガンやイラクやウガンダでの戦争だよ。日本語話者がいっぱいで日本語の看板がいっぱいで日本の歴史の戦地名もいっぱいだよ。基地の飛行機で戦場に行くなら政府機関と相談しよう。 5月に余計な攻勢に出なければ、終戦まで首里陣地で持ちこたえて、住民被害も最小限だった。 >>441
だいたいそんな調査を行おうとするようなところがあったとしたら
それは
学校なんだろうが
顧問の教員の恣意的誘導で正確な結果に結びつかないに決まっている >>444
調査については住民相手に直接行うとか特定団体の影響を排除する方法はいくらでもあるでしょう。
客観的な考察を行いたいのに特定団体の恣意的な影響を恐れてデータを取らないというのはナンセンス。 なぜか急に戦跡や陣地壕の動画投稿が増えた
金属探知機で山ほど銃弾掘り出してる外人もいるし 沖縄戦について
今の沖縄県民は「見捨てられた」みたいに不平を言って支援をたかろうとしていますが
沖縄戦実際に戦って亡くなった日本軍人の犠牲者9万4136人うち沖縄県民の軍人・軍属は2万8228人
沖縄戦戦没者は北海道出身者は1万787人、福岡出身者は4013人、東京出身者は3490人も亡くなっており
日本中が沖縄を見捨てたわけではないことは一目瞭然です
なのにどうして政府は沖縄に言われるまま金を出しているのでしょうか?
「沖縄だけが被害を受けた」みたいに言うのも
民間犠牲者数でいえば広島県民は14万2430人、東京都民は10万7021人も空襲で亡くなっているし
沖縄の住民9万4000人は戦死したのではなく逃げ回っている間に米兵によって巻き込まれた犠牲ですので
広島、東京、長崎と何ら変わらない悲劇です
どうして沖縄だけいまだに「政府は応分の補償しろ」って態度なのでしょうか?
また大田実少将は「沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と打電していますが
現地の防衛隊や学徒隊が戦いをサポートしていたとはいえ
実際に沖縄戦でもっとも活躍した第62師団を構成していたのも京都3個大隊、敦賀5個大隊ですし
褒めるべきは「京都・福井県民斯く戦えり」ではないでしょうか?
この言葉が独り歩きして沖縄の乞食行為を助長させているようにしか思えません >>447
沖縄や他の島々を見捨てて、自分達だけGHQから独立したからねえ ふしぎの海のナディアのガーゴイル率いるネオアトランティスは武器が史実ではないが暗躍は史実を元にしているぞ。史実にはふしぎの海のナディアのネオアトランティスのガーゴイルのような残虐な指導者がいっぱい。 以前にこちらで、沖縄戦で戦死の美田陸軍少将についてやり取りさせて頂いたものですが、その時にここに居られた、同じ部隊の子孫の方はまだいらっしゃいますか?
ルーツの旅をしていまして、鳥取県に行こうと思います。 おらの曽祖父は1度も戦地に行かず
陸軍中将まで出世した
祖父も1度も戦地にいかずというか
中島飛行機にいたら招集すらされずに
終戦 ひめゆりの壕は北極圏の北方諸島や南極圏の南方諸島にいっぱいある。 姫百合橋は北極圏の北方諸島や南極圏の南方諸島にいっぱいある。 >>451
太平洋の激戦地に送られた司令官や参謀は外れ人事を引いた説があるからな。
歴史の目立つところには出てこないだけで多くの将校が内地の安全なとこで仕事をしながら終戦を迎えている訳だし。 ロシア軍、中国製のトランシーバー(69ドル)を使用していた。アマゾンレビュー評価は4.5の高評価 [839071744]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1647830976/
米兵が記者に銃口 那覇軍港の警備訓練の取材中
4/1(金) 10:03配信
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琉球新報
基地施設内から小銃を民間地方向に向ける武装米兵=31日午後5時32分、那覇市の那覇軍港(ジャン松元撮影)
在沖米陸軍は31日夕、米軍那覇港湾施設(那覇軍港)で基地警備訓練を実施した。銃を携帯し武装した兵士が軍港内の倉庫を警戒する様子などが、国道331号沿いから確認された。基地フェンスの外で写真を撮影していた琉球新報のカメラマンに対し、兵士の1人が銃口を向ける場面があった。
【動画】ファインダー越しに合う兵士の目線
那覇軍港では2月にも、普天間飛行場所属のMV22オスプレイの飛来を伴う訓練が実施され、武装した兵士が、デモ隊に見立てた一団から建物を警備する様子が確認された。 歴史群No.144(2017年8月)の内容よりアメリカ軍上陸前の日本軍側の状況を抜粋
・捷号作戦作戦準備段階(S19.10.10以前):「島嶼守備要綱」がS19.8に作成される。第332軍の作戦計画の骨子はS19.8中旬には完成、概要は沖縄本島以外に上陸した場合は持久、本島に上陸した場合は決戦というもの。S19.9半ば、アメリカの侵攻が捷一号方面になることが明確となり、沖縄に来るのは翌年春ごろと想定される。S19.10に「上陸防御教令(案)」発布される。
・この時点のジレンマ:沖縄を中心とする南西諸島の守備に責任を持つ第32軍は地上整備、陣地構築を優先させたい。全般の戦略を考える大本営、、第32軍より広域の防衛に責任を持つ第10方面軍は、航空作戦を優先する立場からは捷号作戦のために飛行場整備を優先させたい。そして、両方を同時にする力はない。この状況で陣地構築の一旦中止と飛行場建設支援を優先したのは長勇参謀長で、S19.9末に読谷、嘉手納、牧湊飛行場が概ね完成する。
・方針転換期(S19.10以降)十・十空襲と台湾沖航空戦以降、大本営陸軍部は台湾から師団をフィリピンに転用しようと考える。S19.9時点で第10方面軍は第32軍から第62師団の転用を考える。S19.10.12の台北会議で第32軍から1個師団の台湾転用と中迫撃砲大隊2個のフィリピン転用が決まる。この間、第32軍の上級司令部は大本営直轄から西部軍、第10方面軍へと変更されている。
・本土決戦計画(S20.1.20以降):第32軍はアメリカが沖縄本島に上陸した場合の方針を持久と決めた。S19末、(大本営は?)レイテおよびルソンの戦いにおける勝利は望み薄と判断された。S20.1.20に本土決戦を目的とした「帝国陸海軍作戦計画大綱」が上奏・裁可された。ただし、海軍はその前哨戦となるであろう沖縄の戦いを「決戦」とみなしていた。S20.1.22、大本営陸軍部の服部作戦課長が姫路第84師団の沖縄派遣を考え第32軍に内報する。翌日、上官の宮崎周一作戦部長がこれを取り消す。作戦計画大綱に「敵航空機盤ヲ妨害ス」とあり、S20.2.3の第10方面軍への大陸命には「敵ノ空海基地ノ推進ヲ破砕シ」とある。S20.2.17、第10方面軍の第32軍に対する命令は「特に敵の航空基地の推進を破砕すると共に東支那海周辺における航空作戦遂行の拠点を確保すべき」としている。 457の訂正:2行目の「第332軍」→「第32軍」 これから義号作戦とかか
生存率何割だっけ
ほぼ特攻みたいなものだと思う >>461
せめて日本軍大攻勢と同時にやるべきだった。 >>462
そもそも特攻隊と現地軍の連携も取れてないし、義号作戦との連携もムリムリ。 今沖縄戦の攻撃を受けたエリアを調べてるんですけど、琉球独立派を独立させて国家を作って日本を攻略するストーリーを分析してた記事、アメブロかFC2かどっかで見たんだけど、保存してる人いませんか? https://www.jiji.com/jc/article?k=2022062500226
抵抗住民に銃口、家も破壊 米軍「強権」の接収―地料収入で心境に変化も・沖縄
2022年06月25日20時32分 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています