沖縄戦に関する客観的考察スレッド 2 [無断転載禁止]©2ch.net
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議題としては、
●日本軍の南部へ戦線を下げたのは妥当か?
●反射面陣地戦闘の問題
●和製パンツァーファウストなどの歩兵用携帯対戦車兵器の投入問題
●住人の問題
●漫湖での戦闘状況、防衛の戦術戦略の問題
●航空隊、海軍の戦略、戦術の問題
などがあります。
感情論に陥らず、冷静に客観的に考察していきましょう。
沖縄戦
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
前スレッド
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1336737915/ アメリカは大統領選挙があるから、損害は常に少な目に発表だよ。 沖縄戦の米軍死者数
陸軍 4582人
海兵隊 2792人
海軍 4907人
海軍の死者数は艦艇乗員、陸軍&海兵隊は全て陸戦での死者数とカウントすると実は硫黄島の陸戦死者数に近いものになる
これは二度の総攻撃による損害と、艦砲射撃はもちろん、米軍砲兵が硫黄島とは比べ物にならない火砲&砲弾を用意したから 因みにこの数字、対象期間が4/1〜6/30なので7月以降に死んだ人は含まれていないっぽいな
戦闘疲労症26211人、死者7374+4907人、負傷31807人、行方不明239人だから、平和の礎に刻まれている14000人は行方不明を合算しても、12520人。7月以降に負傷者31807人のうちある程度が死んだと思われる >>70
アメリカとしても沖縄戦の損害は都合の悪いところなんだな
いまでこそだいじょうぶだけどベトナム戦争ばりの反戦運動や厭戦が出てもおかしくない
硫黄島こそはプロパガンダで糊塗したけど沖縄戦は相手側住民にも多大な戦死者出してるしな 完全に包囲されてる島で、一回の戦闘では軽い怪我ですんでも最終的には島の端に追い詰められて死ぬ日本兵たちと日本側と比較して高度な医療体制が整っており、なおかつ負傷したら後送され治療に専念できるアメリカ側を戦死者数だけで比べるのがそもそもナンセンス。
比較するなら戦死傷者数で比べなきゃ。 そういえば、ウィキには沖縄から台湾へ抽出する師団の選定は第32軍に任されたと記載してあるが、それが事実だとするなら第32軍はなぜ第9師団を転出師団に選定したのか?素人目にざっと考えたら第62師団を選ぶべきな気もするが。。。 >>76
それはそうだけど、これだけ死にやすさに差があるわけだから「戦死者」の数だけで戦闘の内容の優劣まで語ってしまうのはナンセンスってことや >>75
62師団は兵隊の数だけでは9師団より多かったんじゃなかったか? >>75
長勇が台湾軍の参謀長で行くつもりだったのさ。 >>77
地球の裏側から来た相手がこれだけ死にやすさに差を付けてる時点で優劣は決まっているが >>75
精鋭を出せといわれてた&24師団の砲兵が強力で残したかった >>81
日本兵の命をかけた攻撃も米兵にかすり傷しか負わせられなかった的な? 例えば日本兵とアメリカ兵が一回の戦闘で双方戦死者0人重傷者10人の損害を出したとする、つまり互角の戦闘なわけね。
この10人の重傷者がどうなるかというのを考えると、アメリカ側場合、重傷者なわけだから基本的には後方のグアムだとか本土に送られて治療に専念する。これらは最終的な統計として負傷者にカウントされるわけだ。
対して日本側はというともちろん一時的には後方の野戦病院へ移送されるんだろうが戦局が進むにつれその野戦病院すら直接戦火に巻きこまれてやられてしまう。つまり10人の負傷者だったのがこの段階で10人の戦死者に変わってしまうわけだ。
つまり仮に個々の戦闘では互角、もっと言えば互角以上の戦いをしてたと仮定しても両者が置かれてるシチュエーションのせいで日本側の方が戦死者は圧倒的に多くなってしまう。
だからこそ沖縄戦(もちろん沖縄戦に限った話ではないが)という1つの戦いを評価するにあたって「戦死者数」だけにこだわるのはよくないという事が言いたかったわけね。 その重傷者を助けるのって手足を縛られたと同じじゃないかね
アメさんが負傷者放置プレイしたらもっとよく戦えるんじゃないの?
いや日本兵と違って士気が下がるかも… そりゃ戦略的な観点で見れば多くの負傷者を抱えるということの負担は大きいだろうけど、自分が言ってるのは沖縄戦という戦術的な観点の話だからね。 というより、「手足を縛られたと同じ」っていうくらい負担を強調するならなおさら「戦死者数」だけにこだわるのはナンセンスだと思うのだが。。。 戦闘機の性能も同じ話だよな
機体の性能が同じだとしても一方は少数かつ新人、もう一方は大勢かつベテランなら対決させたら大差がつく 第9師団の引き抜きは致し方ないとしても第84師団の派遣中止などから沖縄は捨て石だったと言われてるわけだが、その割には菊水作戦をはじめとして大規模な航空兵力を惜しげなく投入したりもしてる
結局日本首脳部は何がしたかったのかよくわからんな そもそも開戦当初から、何がしたいのか自分たち自身で判ってたとでもいうのか、日本首脳部? >>91
それはそうかもしれんが、それ言い出したらキリないしそういう話は太平洋戦争スレでしてくれと言いたい
少なくとも当時の沖縄戦について大本営や日本首脳部がどう位置付けてたのかここの板に書き込む人ならそれなりの考え聞かせてくれると思ったから書き込んだんやけどなぁ 沖縄上陸戦は来る可能性がある本土上陸制圧作戦の試金石ではなかったか
既にマリアナ諸島を抑えているから新たな空爆拠点基地は必要ないし民間人を含めた日本人の玉砕意思の強さ加減を把握しておきたかったのではと
戦後を睨んで共産党が政権を握る可能性もある支那への前線基地を確保したかった意向も考えられる >>90
地上で足止めしてる間に特攻で撃滅
ほぼ日本軍の目論見通りでニミッツもスプルーアンスも失禁してたが、
日本軍に特攻機が足りなかった
惜しい >>93
でも実際沖縄戦した結果としてのポツダム宣言ってのはあるからなあ
アメリカとしてもダウンフォール作戦に関してできればやりたくないって結論になった
沖縄戦が早期殲滅で終わったら降伏勧告なんて出さずに押し切って
フレンスブルク政府のように「この国の政体は存在しない」宣言になるだろうし >>90
大本営が統一した32軍の任務を設定できなかった。ということだろう 当初の通り3個師団体制で敵上陸部隊を機動打撃する戦略で敵を迎え撃ててたら結果はどうなってたかね?
敵上陸後迅速に残りの2個師団を集結させて2日目の夜に海岸へ逆襲する計画だったそうだが、個人的には2日目の夜ってもう当然海岸橋頭堡は確立されてるだろうし日本軍の移動も当然察知されるだろうから悲惨な結果にしかならなかっただろうと思う >>90
当時の日本には政治が存在しないから、戦略も立てようが無い。海軍は艦艇が
あらかた沈んで決戦志向、陸軍は本土決戦志向で股裂き状態。 >>98
八原大佐が立案したアレか
夜間行軍すると言うから艦砲射撃対策に立派な交通壕を作っていたのかと思っていたら
全く不十分な状況だったし
アメリカ軍の1個連隊の火力は日本軍の1個師団と言われるほど格差があったし
日本軍の夜襲に各種の対抗手段を確立しているアメリカ軍に
師団レベルで奇襲効果を発揮できるとは到底思えないし
八原には気の毒に思うが、それでも敢えて言うと「アメリカ軍を見くびり過ぎ」としか 第9師団を引き抜かれて「寝技戦法」に変更せざるを得なくなったから逆に善戦できたんだな
総攻撃さえしなければ終戦まで持ちこたえたかもしれん その辺の作戦計画の変転も、現地軍の主要関係者ほぼ戦死されて八原の証言によるものが大きいからな
大本営の戦争指導には含むもの多々あろうし、どこまで信用したものかと悩まされぬでもない
大本営側の記録もあるわけだし大きく外れてもいないだろうが
ただ上に上げるための建前の計画とは別に、実際のための本命の作戦計画とか練ってそう >>98
どの時点だろうと攻勢に出れば壊滅を早めるだけ、が大方の結論でしょう。それよりも、
特攻機が米艦艇への攻撃は止めて、米地上兵力攻撃に専念してたら、もっと打擊を与え
られたんじゃないかと思う。 >>103
艦艇だから25番+機体で相応の打撃与えられるけど、地上に突っ込んだって大した効果なんてないんだが
米軍だって対空偽装は怠りないんだし、どこに突っ込んでいいかまずわからんだろうな
特攻やめて通常攻撃でって言うなら、夜間攻撃以外じゃ結局ほぼ帰還は望めず
夜間攻撃なら扶桑部隊クラスの練度がないと発進すら不能で、しかも夜間攻撃は効果はハラスメントレベル
ま〜意味ないんだわ >>104
ヒヨコの白菊特攻隊はみんな夜間出撃なんだが >>103
なんだこの素人感丸出しの珍回答は?
ウケ狙いなのか? まぁプロはコテンパンにやられてしまったんんだが(苦笑
9Dが残っていて想定どおりの攻撃をしたとしても史実より長く部隊が現存することはできないだろう。
また9Dの引き抜き後、島尻地区を放棄しても24Dは米軍4個師団の矢面に立たされるのでやはり史実より長く持久はできないだろう。
結局、八原案のほうがベターではある(県民には迷惑だが) >>98
史実どおり嘉手納・読谷方面に上陸として、9Dは壊滅的打撃をうけるだろうが、
24Dはすぐに読谷の陣地へ後退できるので、戦力半減としても、緒戦の賀谷部隊、小禄の海軍部隊、
国吉の32連隊のように地形を熟知した自前の陣地なら北上する海兵師団にかなり抵抗しうる
やられた9Dも南部へ撤退し三週間以上は療養でき、特設連隊から兵を補充すれば多少の戦力回復はのぞめる
悲惨に敗北するのは変わりないが、9Dが抜かれていなければ配置転換による混乱を防ぎ陣地をより強化できた
24Dも鉄道移送中の弾薬誘爆事故を起こさずにすんだ
持久期間は伸びなくとも米地上兵力に与える損害は大幅に増大したと思う >>109
98の※の趣旨は内陸持久ではなく、初期の三個師団体制下で計画されていた水際反撃作戦は成功していたか否か?というものであって9Dがいたらどのくらい持久できたか?という質問ではないよ
よって初期の防衛構想に従うと9Dが嘉手納方面に配置されてるなら24Dは小禄か牧港、いずれにせよ別の上陸予想地点に配置されてるはずだからすぐには読谷に後退はできないよ あんな広い台湾を四個師団で防衛なんて元々無理だし、宮古島もいらんから
沖縄本島に台湾と宮古島の計五個師団を引き揚げて七個師団と一個旅団を八原に任せれば終戦までは沖縄本島を持ちこたえたに違いない。
少なくとも宮古島の28Dは無駄だった 海上では米軍の優勢は変わらない、沖縄の防御が硬ければ別な所へ行くだけだ。 沖縄はダウンフォール作戦のためには不可欠だぞ
むしろ台湾はいらない 硫黄島や沖縄を踏み潰した米軍がたった数年後の朝鮮戦争では
1211高地を始めとする中朝の防御陣地攻略に失敗したのは何故だったのか
この点がもう少し研究されるべきではないだろうか >>114
陸続きで兵力と武器を送り込めるんだから、沖縄硫黄島で兵力増強が出来るようなものだ。
それにトルーマンには、戦争を広げる意図がなかったのが大きい。 >>114
ベトナムの時もそうだが兵器や燃料を後背地から安全に供給されていたからな
米軍がソ連や中国に爆撃なり砲撃して補給路を絶てるならすぐ落ちたろ >>114
朝鮮戦争の時のアメリカは戦時体制ではなく
弾薬生産が平時モードだったのでアメリカ軍は砲弾不足なり
陣地攻略に必須の移動弾幕射撃が不十分だったので失敗した WWIIの時のアメリカは民間向けの乗用車の生産を完全ストップさせて軍用品作らせたりしてたからなぁ
世論がそれを許容するぐらいヤル気だった訳だが、朝鮮やベトナム程度じゃ無理だな 朝鮮戦争では日本に投下した爆弾の3.7倍を投下
ベトナム戦争では第二次大戦の総量を超える爆弾を投下したけどな >>119
ヨーロッパの過半を占有する連中をぶちのめすのと太平洋の過半を占有する連中をぶちのめす
これをやりながら同盟結んでるモヤシ共に物資供給するんだもん
てか そうなるよう騙し討ちしてしまった島国があってですね >>121
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めた科学技術先進国()wwwwwwwwwwバイキングかよwwwwwwwww >>121
ナチを褒めて旧日本軍を貶める論法はいかなる意味でも成り立たないことは、戦後のドイツ人が認めている。
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失われた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だからレベルが違いすぎる。 サイパン島玉砕の反省から硫黄島や沖縄では一応の持久戦術が取られたが不徹底だった
沖縄でも結局水際防御を捨てきれず戦力を消耗し、洞窟陣地構築は不十分なまま
また上官から強制されてのバンザイ突撃に慣れ過ぎて、個々の部隊でのゲリラ戦には消極的だった
そのため砲爆撃から生き延びても敵地上部隊に洞窟に籠ったままみすみす焼き殺されるケースが多かった
米軍は朝鮮戦争でも同様の戦法を使おうとしたが、中朝軍は米地上部隊が近づくと積極的に洞窟から反撃したため
中国による大規模縦深陣の構築後は攻略が遅々として進まなかった >>126
お前が沖縄戦の戦記を読んでないことだけはよく判った >>126
こんなバカレスしてこいつの何が満たされるんだろうか? >>126
沖縄でどの部隊がいつ水際防御したって? 日米の損害は死傷者数でカウントした方がいいな。それだと5対4で日本軍はかなり
善戦したとみていい。 叩かれまくりの>>126の持久線不徹底について言及すると
上陸前の那覇空襲で泊港の穀倉が炎上して2か月分相当の食糧が消失した。
しかも台湾沖航空戦大勝利、米空母19隻撃沈という 有名な大本営発表のせいで
戦果は遠のいたと判断した文民政府や地方自治体が避難勧告を出せなかった。
計画的に実施できたのは全国的に実施していた学童疎開のみ。
そのため4月1日の米軍嘉手納上陸時点で食料の奪い合い、防空壕代わりのガマの奪い合いははなっから解っていたのだし
その様になった。 >>132
沖縄戦では日本軍は民間人に軍籍を与えずに戦争に投入させたので
日本軍の損害に民間人の死傷者も含むべきだろう 食糧不足から無理やり軍属にした民間人使って自爆兵やらせる限りは一方的に犠牲を加えられるとか
タリバーソみたいなことになる予感 賀谷支隊って凄いのね
友軍の支援もなく、寡兵でよくあそこまで遅滞戦闘したものだ はっきりとした遅滞戦闘の任務を帯びて嘉手納地区に配備されてた賀谷支隊はともかく、ろくな装備も人員ももたずさらには対した期待もされずに嘉手納に配備された特設第1連隊カワイソス >>133
一般人が疎開しなかったのは、潜水艦による通商破壊のせいじゃなくて、
戦況を誤認したせいなのか。
まじでか。うーん。ありそうだなあ。菅直人みたいなゴミを思い出す。 >>134
軍籍を与えないことによって補給をしなくていいとかいう滅茶苦茶理論になるという話
だからこそ戦後もめにもめたわけで
結局戦死したと認定されたら老若男女問わず遺族年金と軍人恩給が出ることになった >>139
軍人恩給目当てで戦後偽造戸籍とかが流行ったって聞いたことあんべ >>139
戦力として動員されたなら、軍人恩給出すのは当たり前だなあ。
なんか、よく知らないで判断してたわ。
なんで、民間が避難しなかったのかもしらんかった。
台湾航空戦で勝ったと思ってたのね。
なるほどなあ。 >>141
徴用者の扱いは千差万別だから
命令で軍の指揮下に組みこまれた警察官や県職員と、
どさくさに軍の移動に付いて行っていいように使われた人じゃ扱いが違うのはわかろ
本人か周辺者の証言しかなければ、
まず事実関係の確認が困難
住民疎開が進まなかったのは、基本住民エゴ
長期家を空けていつ帰れるかわかりませんじゃどうなるかわからんし、気持ちはわかるんだが
それに疎開船の撃沈の報があって腰が引けてたところに台湾の誤報が重なって先延ばしに
でもそれは行政が民意を汲んだ結果であって、その判断要因でしかないんだな >>141
台湾沖航空戦での誤報は疎開が進まなかったほんの一要因にすぎん。
そもそも根本的な話だが沖縄県民の多くは本土に身寄りがあるわけでもなく、家も財産も全て沖縄にある状況なのに「身一つで疎開してください」なんて急に言われても疎開に積極的になれないのは当然の心理。
ソ連侵攻時の満州新京における民間人避難の遅れも同じ話、ひいては現代日本においても過去に津波が何度も飲み込まれている地域でいずれいつか確実にまた津波が来る分かってる地域に住み続ける人も大勢いるわけでこれも似たような話だな。 >>142
現地徴募で軍属でもないのに「銃は2人に1つ」とか言って突撃命じられた
ってのは十分あり得過ぎるからどこまでが非戦闘員で軍属で軍人か
ってのはもう滅茶苦茶だから戦死者は一律、生存者も自己申告で軍人扱い
ってするしかない まあそれ故に一家全滅した親戚や子供が軒並み戦死した戦後オバァは
戦後年金成金になってそれ故に子や孫も働かずにプラプラできたという
沖縄の特殊事情がある まあ県民犠牲に関してはいろいろ意見があるだろうが第32軍があそこまで戦えたのは民間人による軍への多大なる協力のおかげなのは間違いない >民間人による軍への多大なる協力
八原参謀もそういっていたね >>149
看護要員はじめとして炊事雑用要員、前線への弾薬、食料補充任務でも多くの民間人が軍を支えてる
かの有名な嘉数の戦いにおいても前線で戦ってた兵士が「民間人が夜になるとおにぎりを運んできてくれて1日1食だが毎日飯が食えたので1ヶ月陣地でがんばれた」って証言してたような記憶があるな ただなぁ、沖縄戦終盤ラスト1ヶ月、南部撤退時の混乱と指揮系統崩壊、さらにろくな陣地構築も進んでなかった南部で戦うために壕の奪い合いなどが起きてしまって住民も少なからずひどい目にあったのは残念なこと。
もし南部撤退がなかったとしたら現代でも沖縄県民の日本軍に対する評価や印象ってだいぶ変わってただろうな >>151
5月攻勢という決心の迷走が悔やまれるところですね >>151 九仞の功を一簣に虧く って成句の金甌無欠な見本やらかしちまったからなぁ。 >>145
戦後沖縄がずっと日本領だったかのようないいぶりだが本土復帰は1972年だぞ。
沖縄県民がハワイへの出稼ぎやベトナム特需でため込んだ米ドル建て預金の持参金付きだったので
万年外貨不足だった日本本土の方がむしろ恩恵を受けたはずだが >>157
ニクソンショックがその前年でな
流石に外貨不足でヒーヒー言ってた時代は過ぎてる
お前さんの認識もちょっとずれてるよ >>158
本土復帰直後の73年にオイルショックが来て戦争特需終了によりアメリカの景気が後退しはじめて輸出産業に陰りが出るのな。
燃油高とドル円レート切り上げにより軽工業と造船だけでは食えないの確定したのが70年代の日本だよ ドラマ「ザ・パシフィック」で民間人の
母親の体に爆薬を結びつけ、米軍陣地内で
日本兵が狙撃して爆発させるシーンがあったが、
実話かね? 掃討を逃れるため民間人を盾に兵隊が洞窟の奥に潜む、投降者への狙撃、
手榴弾を隠し持った学徒兵や女子挺身隊による偽装投降、
幼児をブービートラップにしていたという米兵の証言、
これらをミックスして作ったフィクションでしょう そのような悲惨な体験も70年で忘れてしまい
その子孫が地下壕跡で肝試しのうえ、
慰霊の品にイタズラするとは↓ >>160
あれは映像化する際に監督が付け足したシーンで原作の回顧録には存在しない話らしい
だからあのパシフィックのシーンをそのまま史実として受け入れるのは問題あるだろうな
まあでも完全にああいうことが無かったかと言われると正直微妙なとこ、なんせ民間人の中でも自発的に切り込み隊に志願するような人もいたくらいだから爆弾かかえて自爆攻撃ってのもあったかもしれん >>162
沖縄にいたのが満州中国戦線で最前線で戦ってた部隊だから
何でもありだったのもまた不幸 あまり言いたかないが沖縄県民を同じ日本人扱いしてなかったらしいのも
また事実ではある
それ故にかなり捨て駒的な使われ方をしてたところはある裸子 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています