【第十四戦隊】帝国海軍 軽・重巡洋艦【14cm砲】©2ch.net
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★節子の父親も重巡洋艦の艦長でした… 号泣
「とうちゃんは重巡の艦長や」
「アメリカなんて連合艦隊が全部やっつけてくれるんや」
「なにをゆうとんのやこのガキは」
「連合艦隊なんかとっくに沈められて一隻も残っとらんわ」
前スレ
【第十三戦隊】帝国海軍 軽・重巡洋艦【13kts】
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1419993649/ 教えてください
祖父が職業軍人で「霧島」「足柄」に乗っていました。
最後はイギリス下の捕虜で終戦を迎えました。場所はペナン島らしいです。
緘口令なのか、作戦・前線の様子・戦闘については何も語らず。昭和で亡くなりました。
質問ですが
「足柄」か「霧島」の乗組員が、イギリスの捕虜になった海戦はあるでしょうか。
あるいは南洋の島で停泊上陸中に捕虜になった? >>269
wikipedia で検索しても判ると思うけども、足柄は敗戦間際の6月にバタビア沖で英軍潜水艦に沈められて、生存者は同行の駆逐艦に救助されている
位置的には蘭印からシンガポールへの帰航中の事なので、生存者はシンガポール方面で収容されたと考えられる。
なので、戦闘中に捕虜になったというよりかはは、終戦後にシンガポールなどの旧英領地区にいた海軍軍人同様に戦時捕虜として収容された事を言っているのではないかな? >>270
ありがとうございます。
あらためて祖父のこと、墓に持っていったことに思いを馳せたいと思います。 >>269
軍歴証明を取り寄せると、足取りが解ると思う 「霧島」「足柄」のクルーとして何を艦内でしてたのか書いてないのでやりなおし。 タコ殴りにされたペナン沖海戦を生き延びられたって事は重巡・足柄の甲板近くの配置、
かつ沈没時に比較的すぐ脱出出来た位置… 艦橋内のクルーあたりか。 >>275
質問とは全く関係無いが、羽黒の場合だと1番高角砲のあたりって話もある。
沈没直前まで砲撃を続けていたのだが、動力喪失していたので手空き総員で取り付いて手動操砲を行っていたから、
沈没時には多くが投げ出された。
ただし、砲手だけは最後まで砲手席に座ったまま海中に引き込まれる姿が目撃されている。
砲手席にベルトをつけたまま、とか書かれてたような気もするが、砲手席にシートベルトがあったのかまでは知らん。 巡洋艦ってジャンルはなんで幅広いの?
第三国の商船に偽装し単独航行の船を見つけたら隠し持った大砲で攻撃するようなのを仮装「巡洋艦」というし
戦艦と同等の大口径砲を持ちながら防御が弱い代わりの快速な大型戦闘艦をバトル「クルーザー」だし。 >>281
巡洋艦の任務が幅広く、それをこなすフネのに多数のフネがいるから(だから仮装巡洋艦なんてのができる)
ジャンルが幅広く感じるだけかと。
あと、バトルクルーザー(巡洋戦艦)は巡洋戦艦であって、戦艦には近いが決して巡洋艦ではない。
「巡洋艦のように現れ、戦艦のように殴り、巡洋艦のように逃げる」
ことを目的として作られたので、軽快戦闘艦艇の一種のようにも見えるが、現実には
「巡洋艦ほど速くも無く、戦艦のように強力でも無く、そして運用経費は常に戦艦並かそれ以上」
だったもんで、だったら最初から速い戦艦を作ればいいんじゃね?となって、すぐに廃れた。
アナタの指すようなフネはアラスカ級みたいな「大型巡洋艦」とか超甲巡のこと。
これらは単にスケールアップした巡洋艦で、決して戦艦ではないから。 巡洋艦自体これって明確な定義が無い軍艦だからね
時代によって定義が違うし、そうした様々な巡洋艦の任務を代行する艦船も補助巡洋艦としてカテゴリに含まれる事があるし、津軽みたいな高速敷設艦は国によっては敷設巡洋艦と呼ばれたりする
一般の人が漠然と軍艦に抱くイメージ
が巡洋艦と言えるかも知れない そもそも艦種に明確な定義があったのって軍縮条約時代だけでしょ >>281 「巡洋できない艦」以外は何でも「巡洋艦」だからだよ。
蒸気動軍艦や甲鉄艦の登場当時、「巡洋できない軍艦」がごろごろいたのを忘れちゃ
いけない。
戦艦も駆逐艦も砲艦も、少なくともその初期においては外洋で戦闘などできなかった。
装甲浮き砲台やモニターや水雷艇なんかにくらべて、自由に外洋を航行できる蒸気動
軍艦はそれだけで特異な存在だった。だから「巡洋艦」という分類名が生まれた。
外洋で通商破壊する大航続力の軍艦は巡洋艦。外洋で通商護衛する、商船に毛が
生えたような軍艦も巡洋艦。外洋で敵の巡洋艦を狩るための重武装の軍艦も巡洋艦。
水雷艇ができない外洋水雷襲撃ができるような小型の軍艦も巡洋艦。植民地防護の
ための木造非装甲の軍艦も巡洋艦。
どれも、「外洋を航行し、戦闘できる」という点では変わらない。だから「巡洋艦」と
名付けられた。 時代が進んで、戦艦も駆逐艦も潜水艦も外洋戦闘ができるようになると、巡洋艦の
特色というのは薄れてしまい、単に「中型の戦闘艦」くらいの意味になってしまったけど、
明治の初めの頃の、技術が進んでない時代においては、十分に特色のある用語
だったんだよ。
それから、巡洋戦艦もその誕生の時期においては明らかに「巡洋艦」だったのは
確かだ。フォークランド沖まで出張って行って敵の装甲巡を狩るなんて芸当は、
戦艦には逆立ちしたって無理な話。
「装甲巡より速く、戦艦と同等の火力があって、外洋を航行できる艦」が巡洋戦艦だ。
>>282の話は「巡洋戦艦」じゃなくて「ポケット戦艦」の説明だな。
>>283の「敷設巡洋艦」は、そうでない沿岸防備用の敷設艦との対比で説明できる。
ただの敷設艦は機雷さえ積めれば速力なんてどうでもいいが、敷設巡洋艦は、
海を渡って、敵の港の入口に機雷をまいて、敵の追跡を振り切って帰ってくるだけの
性能がなければいけない。そういう特殊な艦が「敷設巡洋艦」になる。 >>286
巡洋戦艦については、
「高速軽防御戦艦」
と
「火力増強型装甲巡洋艦」
の2つの考え方があるのよね。
我が国最初の巡洋戦艦になった筑波級は巡洋戦艦の類別ができるまでは装甲巡洋艦で、どっちかと言えば後者。
金剛級も装甲巡洋艦として計画されたけど、完成したら前者。
ポケット戦艦は後者に近いが、前者を考えると確かに>>283だけでは不適当だったかもしれん。
フォロー感謝。 つまりあれだな、おらがXPパソコンの0Sをビスタに入れ替えて
メモリーを倍増して
CPUで目玉焼きが出来るほど過熱するのを手製の保冷剤で冷ましながら使ってる内に
月日が流れてウインドウズ10とか手の届かない世界にいっちまったのとおなじだな おまいのPCは2ちゃんねる専用か
とよく言われたものだが
今となっては本当にそうなっちまったな フランスやドイツにあったような
6000トン、15サンチ9門が使いやすいんでないかな
阿賀野は安全に振りすぎ 阿賀野級は巡洋艦というより、超大型航空駆逐艦なので… >>291
ドイツの軽巡なんか華奢で不安定だから外洋作戦が出来ず、それ故に大型駆逐艦に15cmなんて無茶な砲積む羽目になったんだし
フランスの軽巡は阿賀野型よりずっと大きく、比較するなら大淀か古鷹って感じの艦だもん 阿賀野型は安全というよりは機関出力と雷装にふってるんじゃないの?
と考えると普通に超大型駆逐艦だな・・・
速力30ノットちょい、53cm発射管6〜8射線くらいにとどめれば、阿賀野型の
艦型でも15cm級艦砲を8〜9門載せるのは難しくないわけで。 ドイツ巡洋艦に外洋作戦が出来ないとか初耳。
ドイツ海軍の活動海域である北海もバルト海も荒れる海ではなかっただろうか。 まぁ阿賀野型は5500トン型の後継第1号だからあれでいいんじゃない。片舷に6門指向でき水雷戦隊の指揮をとれるという点は達成してるし。もし戦争がされていなかった場合改阿賀野型が建造されてたかもね。 阿賀野型は、艦隊決戦の際の水雷戦隊旗艦を務めることを、第一任務として建造されたことからすると、
大型の艦隊決戦用駆逐艦的性格を持つのはやむを得ない気が。
もし、日本海軍が米海軍を仮想敵とせず、更に艦隊決戦海軍を指向せず、通商保護海軍を指向していたら、
阿賀野型は全く違った形の軽巡洋艦になった気がする。 戦前の日本帝国にも通商路も海外植民地もあったわけだが、そういう用途には
時代物の装甲巡洋艦あたりでなんとかするつもりだったのかな? >>298
旧式化した5500t型と二等駆逐艦と掃海艇でなんとか出来る予定だったんだろ。 297に補足。
阿賀野型に、通商保護任務が務まらない訳じゃない。
ただ、第一任務を考えると、ああいう形になったのは仕方ない気がする。
例えば、英国海軍が、阿賀野型の排水量で軽巡洋艦を作ったら、阿賀野型を作るか、というと作らない気がする。
それよりも、対空火力や対潜能力を充実させた軽巡洋艦に、英海軍なら、しそうな気がする、ということ。 英国の巡洋艦で似たクラスとなると、リアンダー級やアリシューザ級になるわけだが… >>295
実際やってないんだから、できなかったんだろ。
ノルウェー進行で遠出したのは駆逐艦とシャルグナ。
バレンツ海海戦に出したのはヒッパーとリュッツォーと駆逐艦。
軽巡はいらない子扱い。
それからバルト海は超絶内海で、ほとんど荒れない。 >>295
ドイツ海軍の主戦場たる大西洋でまともに作戦出来ないんじゃ無意味だよ
しかもアレはドイツの溶接技術があればこそ曲がりなりにもあのサイズで収まったけど、日本じゃリベット工法になるし、それだけで一割かそこら重くなる
7000トン、30ノット弱、15cm砲に僅かな魚雷、司令部施設置く余裕無いので後方部隊の旗艦にもなれない半端艦なんか要らんでしょ? ドイツの艦船て過大評価されがちだなビスマルク筆頭に エミールベルタン級みたいな15サンチ9門なら6500トンでそれなりにならね? >>305
公試速力39ノットで15センチ9門、だけど装甲がね・・・
甲板25mm、水線装甲なし(弾薬庫だけ30mm)か。
仏伊はこの手の無防備巡洋艦が好きだね。 戦闘用の巡洋艦としてきちんと装甲貼って設計したラ・ギャリソニエールになると、
排水量7600トンだからね。(全長ほぼ同じ)
しかもラ・ギャリソニエールは84000馬力で31ノット。阿賀野は10万馬力で35ノット。
日本海軍が望む、高速大型駆逐艦群の指揮をとれる軽巡に6インチ9門積んだら、
排水量は8000トン超えるだろう。 そこは特型の主機を2セットとか高角砲は89式連装1基を3番砲塔と背負い式にするとか
とにかく軽くする >>306
お互いに超駆逐艦を偵察艦として配備しているから、そいつら狩る為に速力と火力ある艦が欲しいんじゃないかな?
>>308
そんなもん作るなら結局阿賀野型の方が良いやって話になるな
或いは後1000トン増やした改阿賀野型か
それ以上の規模の巡洋艦作るなら素直に重巡洋艦作る方が良いし 別に四、五千トンの大型駆逐艦で水雷戦隊司令部が窮屈しなければそれでいいです >>310
それは確かに真理だな。そういう計画はなかったのかな?
5インチ8門+魚雷、36ノット非装甲。
司令部が載るカピターニ・ロマーニみたいなやつ。 水偵忘れてる
帝国海軍の水雷戦隊旗艦に水偵は必須、だから水偵を積めなかった夕張は
水雷戦隊旗艦として不適とされた 大淀を極限まで軽くしたらどれくらいになるだろう?
14cm連装2基、発射管4連装2基中心線、36ノット、非装甲。後部に航空装備。
5000トンでできそうな気も。
まあ、そこまで貧乏な艦ではさすがにいやだったから、阿賀野を作ったんだろうけど。 155ミリ3連砲塔2基で6000トンの軽巡とか難しいのか? 155mm砲の砲身重量は12.7トン、152mm砲は8.4トンなんだよなぁ。 幅だけ考えれば、阿賀野と大淀の幅はほとんど同じなので、阿賀野の船体に
大淀の砲塔をはめ込むこと自体は可能だとは思う。 >>318
阿賀野は戦時急造的な一面もあるから、旧式な15cm砲の再利用で済ませてるけど、
もしも戦争が始まらなかったら、15.5cm三連装塔の連装砲搭型が開発されたんじゃないだろうか? >>321
あ-そういうツッコミあると思ってたんだ
時期的に急いで整備しようとしてたから、戦時急造的な一面と言った訳で 在庫の15.5サンチ三連砲塔をそのまま使えばいいのにね マル4のフネは戦時急増型のプロトタイプが多いんでないの?
第13号型駆潜艇とか。 マル4の船って急造どころか「充実」計画に足るバリバリの(完成した艦は)主力艦だろ
駆逐艦だって陽炎・夕雲・秋月型等で急造なんかとは程遠い >>324
だからそんなもんを三基も四基も積める艦作るなら素直に8インチ連装積んだ重巡を作る訳よ
重巡なら33ノット出れば充分使い物になるけど軽巡は新型駆逐艦を率いて突撃する為の高速求められていたから無闇に大型化したら要求される馬力得る為に相当無茶しなきゃいけなくなる 指揮艦なら探照灯と水偵と重装甲があれば良いんじゃないかな
暁に探照灯を任せるなよ 装甲板は重いし、どうやったって上部構造物に重装甲貼るのは無理なので、
日本海軍は水雷戦隊旗艦に防御力は求めないんじゃないかな。
敵は6インチか8インチ砲を撃ってくるんで、夜戦の至近距離でそれを装甲で
はじくのはしょせん無理な話。 水雷戦隊旗艦に要求される防御力とは、滅多撃ちされて大炎上しつつも
なお沈まずに敵の射撃を一手に引き受け続ける程度の耐久力
この点から重量面等で無駄があっても砲塔の数は多い方が有効ではあるな。
数があれば全滅はしにくい。
おお、なんだか5500t級讃歌みたいになってきた >>330
重量ある砲塔ではなく、単装砲架を並べる。浮いた重量を思いっきり船体装甲に費やす。
5500t型を、その前身7200t試案程度に強化すればどうだ? >>331
7200トン巡洋艦に耐8インチ砲防御を施すのは無理でしょ。152ミリかそれ以上の
装甲厚が必要なはず。海防戦艦になっちゃうよ。 >>333
うーん、なぜ耐8inch防御?
7200t、耐6inch防御では?
まあ言い出したら古鷹型とか、究極的には金剛型持って来いで間に合う。
新造なら超甲巡でFA。 第二艦隊を基幹として巡洋艦、水雷戦隊の全力を集結、さらに第三戦隊を支援として投入し
70隻以上の大規模夜戦部隊による統制水雷夜襲にて雌雄を決するのだ 多重衝突や味方撃ち引き起こした挙げ句逆襲されて半壊、夜明けと共に行われる空襲や追撃で壊滅だな
第三次ソロモン海戦第一夜戦を見ろ >>337 は狭水域夜戦ではない白昼艦隊決戦の前哨夜戦なのでは。 >>336
「思いっきり船体防御に」と言うからさ。
敵には条約巡は必ずいるわけで、その主砲に対抗できない
装甲では重防御とは言えないんじゃないの?
耐6インチ防御ならアルジェリーがほぼ達成してる。
http://www.navypedia.org/ships/france/fr_cr_algerie.htm
これで1万トン、8インチ8門、8万4000馬力で31ノットだ。
そして防御重量は2600トン。
これを装甲そのまま、機関パワーアップ、船体ダウンサイズして
7600トン35ノット軽巡にできるかな? 機関パワーアップするにはより高圧の蒸気扱えないと無理
船体を効率良くスケールダウンするには優れた溶接技術や冶金工学か必要
翻って当時の日本にはどちらもありません...... 武装が14cm連装砲2基、12.7cm連装高角砲1基、四連装魚雷発射管2基で予備魚雷なし。
ぐらいなら可能なんでね。 つ7500tで35ノット出て耐6インチ防御な巡洋艦の武装。 >>341
>>331 駆逐艦や某アトランタ級のような紙防御じゃなく、探照灯照射の間、なるべく持つ程度の6inch対応防御。
水雷戦隊旗艦が務まる速力と運動性、水偵運用能力、指揮通信能力、平時の文書行政処理能力w
つくづく5500t→阿賀野型でFA
日本海軍で重巡が水雷戦隊旗艦を務める法はなし。
敵に重巡がいても、こいつは改装前最上型やブルックリン級〜クリーブランド級のような砲戦特化型軽巡ではないからね。
8inch重巡に砲戦で互角に戦うフネではない。 >>346
探照灯照射するなら一緒に突撃しなくてもいいような→超甲巡か金剛級じゃね?
突撃しちゃうと司令部全滅覚悟だし、町役場が突撃するようなもんだ。
せめて大型艦を市役所として、突撃するのは区役所までにしとかないと。 >>347
金剛型や超甲巡が照射すると
「ヒ、ヒエー」
とそれこそ県庁が消え去る羽目になりかねないんですがそれは? 指揮官が先頭切らずして兵がついてくるものか!
って大本営に怒られるな >>348
それはそれでいいのよ。
実際比叡だってボコスカに殴られたけど夜戦で沈んだわけじゃないし。
つか、そもそも金剛級の夜戦における役割ってそれでマニュアル的には正解なんじゃなかったか? >>350
金剛型を大規模夜襲に投入する構想は大掛かりな演練まではされていないので「正解」はまだ出ていないのではないかと。
構想が出てきたというあたりではないでしょうか?
一応は金剛型が酷く傷ついたり砲弾を射耗し過ぎて昼間決戦に支障が出ないよう、
過度に敵に接近することを戒める記述は読んだ記憶があります。
何といっても金剛型4隻で大和型以前の日本戦艦群の主砲門数の3割を超えますから漸減するつもりで漸減されたりしては元も子もなくなりますので。 ___ _
ヽo,´-'─ 、 ♪
r, "~~~~"ヽ
i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆参の両院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
__ '!从.゚ ヮ゚ノル 総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
ゝン〈(つY_i(つ いよいよ日本国憲法改正の、国民投票が実施されます。お願い致します。☆
`,.く,§_,_,ゝ,
~i_ンイノ >>303
>ドイツ海軍の主戦場たる大西洋でまともに作戦出来ないんじゃ無意味だよ
日本が危険視すべきは、「ドイツシステム」が中国との接近の道を今後ますます模索するだろう
ということだ。 トッド氏によれば、ヒトラーも1930年代、中国か日本かで揺れ、蒋介石の軍に資金を注入し、
教練を行っていた。 現代では、事実上、他ならぬドイツこそが「ウクライナ問題」を引き起こし、
日本にとって極めて重要 だったロシアとの接近を寸断した。
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160206/1563797.html
一九三六年四月八日、顧振を団長とする中国国民政府訪独団と、経済大臣兼国立銀行総裁
シャハト(Hjalmar Schacht) との間で、一億ライヒスマルクにおよぶ借款供与を内容とする
中独条約(別称HAPRO条約)が調印された。
http://www.seijo-law.jp/pdf_slr/SLR-079-045.pdf
第二特務艦隊が単独で連合軍の海上護衛にあたった回数は350回に及び、護送した軍艦、
輸送艦合わせて787隻、乗組人員総数75万人 うち643隻がイギリス船であった。
この他連合軍海軍と協力して護送した商船の数を加えると膨大な量に上り、第二特務艦隊の
1ヶ月の行動日数は26日 航程6000海里にも及んだ。この間、ドイツ潜水艦との交戦は36回、
少なくとも13回は有効な攻撃を加えたものと認められた。損害は駆逐艦2隻損傷、戦病死者78名で、
うち73名はマルタ島のイギリス海軍墓地に葬られた。
http://holywar1941.web.fc2.com/kindai-nitidoku2.html
1914−1917年、ロシアは日本における軍備品買い付けに約8千万ルーブルを費やしたが、
これは外国から買い付けた軍備品の総額の3分の1を占める額だったと思われる。パヴロフ氏
の著書では日本があたかもロシアに対し、自国に必要のない、時代後れの軍備だけを供給した
といわれていることに対し、これが作り話だとして否定されている。
「ロシアの砲兵らは日本製の大砲が軽量で使用しやすく、射撃速度が速いと評価していた。
有坂銃は信頼性が高く、これに類似した米国製の銃の半額でロシアは買い付けることができた。」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2014_04_20/271449284/ >>353
戦艦ビスマルクとUボートで東シナ海を埋め尽くしてやれば良かったかもな。もしそういう『実力』あるなら。
「参謀 下」(児島襄 文春文庫)によればA・C・ウェデマイヤーはこう回想している。
「もし、支那事変の開幕が二年間おくれていたら、それまでに中国には、
ドイツ装備の六十個師団が勢ぞろいし、空にはメッサーシュミット戦闘機、
スツーカ急降下爆撃機が乱舞し、海にはUボート潜水艦が群をなしていたかもしれない。
そして、その結果は、中国はドイツと同盟を結び、膨大な戦力をソ連にむけて、
歴史は大きく変わっていたかもしれない」 で、ナチスドイツ流の優生思想と中国伝統の中華思想がブレンドされて極めて狂暴な覇権国家が誕生するんですねわかります 重巡は最初、日本は20センチちょうどだったけど、
欧米は8インチ(20.3cm)だから、 日本海軍の大砲を削りなおして、
20.3cmに拡大したというのは憶えているけど、
最上型の初期では155ミリだけど、 軽巡の 6in って換算すると152mm。
あ、今wikiで調べながら書いてたら、軽巡は6.1インチ以下とあった。
6inじゃなくて、6.1インチ以下で・・・・問題は解決 軍縮条約の口径の話だな。大砲はインチきざみ。
40センチ砲や46センチ砲、36センチ砲も、これらも2インチずつ
区切りよく拡大しただけ。三笠のときは30センチ砲だがこれもインチか。 弩級12inch
超弩級13.5inch
超々弩級15inch
1.5inch刻みだろ常考 >>360
ヘイ、アミーゴ、君はアルミランテ・ラトーレっていう名前だろう? 弩級、超弩級までの分類は国際規格だから世界共通だけど
超々弩級から先は観念的なもので国際規格があるわけではない >>359 インチ 換算 グーグル使用
12インチ=30.48(三笠)
13.5inch =34.29
14インチ=35.56(金剛)
15インチ=38.1
16インチ=40.64(長門)
17インチ=43.18
18インチ=45.72(大和)
1.5inch刻みってどこの説だ女子高生 駆逐艦(12.7cm=5インチ)も重巡(20.3センチ=8インチ)も
インチでピッタリ合うのに、なぜか軽巡だけ違う。(6インチ=153ミリ)
米海軍は6インチ砲だが(153ミリ)、このサイズの口径は世界からいえば
伝統的に155mm砲が主流だったので、それに引きずられたらしい。
155mm砲は6.1インチ 自国用戦艦は1.5インチ刻み、他国用は2インチ刻みでしょ?
スタートは共に12インチだが
で、KGVの14インチは単に条約の制限でネルソンの16インチは日米が16インチ持つ事に対する特例だし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています