良品戦争ゲーム(PC・コンシューマ・ボードetc)を語る11本目 [無断転載禁止]©2ch.net
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ちょっと別スレでも似たような議論展開したんで貼る。
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ちなみに、セントラルフロント 旧3部作、新2作揃いました。
一通りプレイした後、現在は旧3部作を新ルールでプレイするという実験中
新ルールだと、なんと4時間くらいで第5軍団シナリオが通してプレイできるぞ!
そして、あの超面倒な消耗システムを使わずとも、同様の展開に・・・
旧消耗システム、あれはあれで敵の疲弊を待って反撃するという、いかにもアクティブディフェンスな感じが出てよかったですが
新ルールはエアランドバトル的な機動戦志向になっております。
なのにゲームの展開はあまり変わらない・・・なぜだwww さて、ここで問題は
ゲームルールが変わったのに結果が変わらない。
ならば、結果を変えるのは何か?
に移っていくわけです。
よくウォーゲーム界では、ルールががが、システムががが、デザイナーの認識で伝々。。。で喧嘩が起きますが
ほんとうは、それ意味あるのか?
実は、それは些末なことで作戦や戦術の分析や理解に影響するほどのものなのか?
もちろん一定の正しい結果が出るシステムが最前提として必要ですが、一定段階に達し、その結果が得られるのであればそれ以上のものは必要なるのか?
という疑問につながっていきます。
なぜ米海兵隊の学校にはウォーゲーム部屋があって、普通に市販のボードウォーゲームがプレイされているのか?
なぜ米海兵隊は教育訓練のTactical Decision Gameは詳細な判定システムなしでも成り立つのか?
このあたりが、OR、図演、白紙戦術の意義や意味合いにも関わってくると思うのです、 >135
>ゲームであること(勝敗があってバランスがとれていること)
トルエン丼、SPIがそんなこと考えているように思います?ww
連中は
>ヒストリカルであること(歴史的結果)
>シミュレーションであること(物的要素と人間的要素の兼ね合い)
に注力し、ゲームであることは半ば捨ててません?
SPIを、あくまでもゲームとして遊ぶにはプレイヤー側での知識と操作(ハウスルールやシナリオ調整)が必須なものが多いと思うのです。
中にはゲームバランスの取れているものもありますが、それは偶然の産物だったのではないか?と最近考えています・・・
連中は、まず【やってみたい】から【やってみた】がキーポイントに思えます。
つまりSPIのゲーム群は結果を楽しむのでなく、経過を楽しむもの
(だから平気でプレイ不可能なビッグゲームを連発しちゃうんです)
(まあ、だから会社が潰れた訳ですががが・・・)
だが、それもまたウォーゲームの姿だと思うのです。
(その帰着点として簡素なクラッシックに回帰したのなら、その過程にも意味はあるのだと思います(検証過程)
クラシックで平凡なルールが、実は正しかったと検証されたのであれば、それは利用すべきものだし
広く教育材料に資する事も可能ではないかと。
特にプレイヤーとして人が思考するウォーゲームは判断訓練と変化対応の訓練に最適
米海兵隊はそのように利用している模様
(マニューバウォーフェアを志向する以上、判断と対応の訓練は必須なのです)
Tactical Decision Gameはその最たるものだと思うのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています