改行中に一部文章が消えてしまった

戦前において、長門と陸奥は世界に7つとしかない16インチ砲をつんだ戦艦
戦時中、大和は海軍が秘匿〔関係者や呉市民は察していたが〕していて戦後も一時期はあまりしられていなかった
したがって戦時中はもとより戦後も一時期まで陸奥と違って激戦から生き残った巨大戦艦長門が子供たちのヒーローであった
もちろん大和のほうも戦艦大和ノ最期の発刊や映画化、その前後から模型も売られ
雑誌や貸し本の戦記もの、漫画の題材になるにつれて昭和30年代初頭には子供たちに知れ渡った
そうなると日本の戦艦といえば大和という風潮になってしまった

旧長門国に関して諸説あるが下関市豊田湖湖畔に日女尊〔卑弥呼のこと〕の冬の居城があり、その日女尊の墓も安徳天皇西市陵墓参考地にある
つまり長門〔名の由来が関門海峡からきている〕は古代日本とくに邪馬台国を研究するうえでは重要な地域としてみるところ
そして幕末、明治維新で活躍した長州藩の地でもある 長門という地は明治維新の流れを組む大日本帝国にとって重要な地だった