秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part11 [無断転載禁止]©2ch.net
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歴史群像の記事
日本軍の人取りと鼻削ぎネタで前半部割きやがってうんざりだった
ヤンパンの腐った行政が朝鮮の土地を荒れ果てさせてた事とか無視だぜ 日本でやらなかったことをなんで朝鮮でやったのかとか説明してた? いいや、義兵に苦しめられたからとしか書いてなかった
両班を切り捨てなきゃ一から開墾も難しかったんだろうに 俺も寧々さんみたいな嫁が欲しかったな、新婚当時は可愛かった嫁も今では恐怖の西太后。 歴史群像 No.142
2017年4月号
■ 第二特集
敵中に孤立した日本軍2500!厳冬下で繰り広げられた凄惨な籠城戦
慶長の役 血戦!蔚山城攻防戦
慶長2年(1597)、日明講和が決裂。朝鮮へ再侵攻した日本軍は電撃的侵攻で全羅・慶尚道を劫略。
南部沿岸地帯で城塞群を再構築する一方、明・朝鮮軍も一大反攻作戦を開始。
加藤清正の守る蔚山城を完全包囲する戦役最大の攻囲戦の幕が下ろされた――。
http://rekigun.net/magazine/ 戦国時代の日本は当時の最強陸軍国とか言う奴が珠にいるけど、李氏朝鮮の半アマチュア常備軍、一般民衆ゲリラ程度に苦戦している時点で大したことないわ なんでこういうレスする奴は必ず明軍の存在忘れるんやろ >>559
当時市場が増えて主に喜ぶのは紡績業と製糸業。
輸入面で主たるものは穀物に鉄鉱石。
日本の主力産業と国民のほとんどが口にする穀物に影響を与えるから、影響がないのは稲作農家くらいかな?> このスレは重複スレです。
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秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12
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あと、>>1は死んでください >>576
そういう非対称戦なら大国の軍隊でも苦戦させ得るだろ
米軍がモロ族やベトコン、アフガン人に苦戦してきたように 聞きたいんだけど、この時代や伝統的な中国軍における足軽ってどうだったの?
調べてみれば、中国は伝統的にどのじだいでも万里城に務める人足警備団みたいなのはいるんだ
常時人足、民兵はいたし、明まででも兵員リソースは50万超えてた
(兵員リソースは清ないし、三国志じだいが最大)
けど軍の特殊性と歪性で、足軽という槍兵兵種が十分じゃなかった、あるいは標準化してなかったみたいなんだよね
俺の調べた限りで標準槍兵の活動、編成、練兵、交戦の記録がまるっと出てこない
あくまで俺の調べた限り
そして遊牧民族に常に一方的に撃破されるけど、いかにモンゴルがパルティア戦術でアウトレンジを行っても
矢の数に限りがあるから、どうしても莫大な槍兵を突破することはできない
槍兵足軽が標準化して10-20万編成されてれば、それを突破することはできないのに、軽々粉砕されてる
また槍装備のみならず、その他鎧や古い武器が公称の軍事規模にしては驚くほど発掘されたり、保存されていない
こういった事情から、とくに万里人足のような人足や好き桑の民兵は莫大にいたが
槍兵足軽、正規戦闘員がろくすっぽ編成されてなかったんじゃないかと思うんだよね
民兵、人足だらけなら異常な弱さが証明つくし、また弓関しても孥兵は古来からあったが
相対的に弓兵すらろくすっぽ編成されてなかったんだと 俺の見立てではこうだ
・中国の兵種は古来から孥兵や鎧、剣を備える10%の王立軍、20%の支援の桑民兵、その他支援の人足で構成されてた
・常に万里事業を中心に全土で30-50万は動員されてたが、これほぼ万里人足が中心であり、正規戦力は3-5万、桑民兵ですら10万いなかった
・この兵力が主に万里中心の防城戦に動員されており、万里と孥兵を組み合わせたのが主力のドクトリンで孥兵には積極的に取り組んできた
・そして万里+孥兵+人足+民兵の編成で他国標準槍兵足軽が一般化しなかったため、その前段階のすきと桑の民兵が進化せず、常に動員されてた
・槍兵の標準化がなかったため練兵、陣形、編成が未発達的で万里防城戦が中心であったため、野戦軍自体が発達も編成もされてなかった。だから常に野戦が異常に弱かった
・野戦軍が弱く、野戦の数も少なく、野戦軍は代理的な手段で正規軍数万+民兵10万以上の原始的な人民の盾戦術が代理戦法で主力だった
・よって簡単に蹂躙された
・また基本的に足軽槍兵がなく、孥のコスト負担もあわせて、弓兵、騎兵が十分編成されてなかった
そのため兵力は万里壁、民兵壁の影で単一的な孥の応射で応戦するのみで
弱すぎる民兵か万里を失えば簡単に蹂躙されるので、正規兵による、弓、馬、槍を組み合わせた標準的戦法まで発達しなかった
そのため騎兵なりで簡単に衝撃を与えれば常に用意に戦線が崩壊して徹平した
・逆に足軽、弓兵が十分ならば、同数的な戦力であっても、遊牧騎兵に一定的にダメージを与えられないことがおかしかった
・また日本との応戦でも紙、正規兵で革鎧を装備した民兵ばかりで、足軽級の武装も確認されず
日本への攻撃は100対1じゃないと失敗して、日本の攻撃は1対20までは成功する
・日本軍が銃兵100、騎馬兵200、足軽200の編成で、中国軍が鎧指揮官100、騎馬兵(連絡)200、孥計100門、銃計100門、剣槍兵1000、桑民兵3000、人足5000程度ならば、たしかに戦線的には表面は
日本500対中国1万でも中身は、日本500対中国1500程度ならば、中国軍は押される
・個人的な見立てでは本体や孥兵を守る剣兵、槍兵ですら標準戦法化されておらず、それさえ桑民兵だったから、戦線が全く維持できなかったと予想してる →中国軍は孥兵があるのに、桑の民兵原始戦から抜けられず、槍兵足軽防御の標準化を達成しなかった
だから戦線がもろく、桑兵だから戦線はひと押しで潰れる。
莫大な兵力は槍兵がいなかったから戦線が簡単に瓦解して、そのため莫大な民兵がいるで、槍兵が標準化しなかった
また孥兵があるがゆえなぜか弓兵が進化せず、標準化せず、アンバランスな攻城?兵器の孥と民兵の組み合わせで脆弱であった
そしてまれに代理予備戦力として遊牧弓騎兵を数千から万単位で導入して、これが弓と騎兵の主力だった
当の遊牧集団も革鎧、馬、弓が主力で、槍、馬、弓の三兵の経験と理解があまく、単一的な騎兵弓しか知らなかった
また日本の交戦録だと、モンゴルも明も革鎧と紙鎧が主力で、槍以前に剣が少なかった
おそらく和刀登場以前は標準的剣や槍が支給されたのは一部的で和刀ですら数が少なかった
中国軍の異常な弱さって原始民兵の延長+孥と城防災戦から進化せず
兵科の機能性、連携性がなかったから簡単に戦線が崩壊したからだと思う
また当のモンゴル騎兵もその雑魚を倒しただけで、強くもなかったから他国で破れ
大勝利した外征のバグだっと陥落とワールシュタットは相手側の準備と戦線が崩壊してたのが原因だろうよ
なおワールシュタットはEUは負けたが、その後制圧できてないため、あの程度の軍を相手に3万いても制圧できなかった
→その数で制圧できた中国軍は軍以前の民兵雑魚だった
が答えだと思う でこういった予測をもとにして、バトルオブ島津を振り返れば
・あの戦いは号数20万との戦いになってるが、その20万の報告者は雑な号数を鵜呑みにしてるわけで、正確な数を知ってるわけでもなく
政治的なしわくをもって20万と言ってるから(相手は絶対強者で勝てないから負けても仕方ない)実数はもっと少なかったと思う
古来的に正規戦力は少なかったのと、あの戦いは島津がやはり一方的な接近戦と突撃が成功してるから槍兵、剣兵は十分な数で防御を構成できてなかったからだと思う
規模的には孥、銃、剣、槍、馬、鉄鎧の正規兵2000以上とその部隊用足軽3000の5000の主力と指揮官グループ
革鎧、ナイフや包丁、あるいは包丁槍程度の簡易武装民兵1-2万の明主力兵
現地登用の民兵桑雑魚数万
この程度の公称5万、中身は正規軍5000、民兵1.5万、現地民兵3万の雑魚だからあそこまでなぶれたと予想
じゃないと相手がバカでもあんな結果にならない
中国弱い=原始民兵に勝因を求めるのが合理的な考えで、中国の軍史、記録、武器や鎧の遺物を見る限り、ほぼそうだと断定できる
近年のイメージの中で足軽や騎馬が発達した中国軍の像が歪んだ偶像で事実と異なるんだろう
弱いモンゴルに蹂躙される民兵でなければモンゴルごときに負けない
それこそ
なぜEU軍はワールシュタットで5万の兵力(正規1万、傭兵2万、民兵2万)で大だめーじを受けても
勝ったモンゴルは後退し、後の交戦で勝利を収めたこともあったのに
遥かに規模が多い中国軍は弱いEU軍ですら少数戦力で多少の流血は強いることができたのに
その程度の交戦と撃退が中国にできないのはなぜか
「原始EU軍にも宋の時代のなかくに、正確には金王国が劣る原子軍だから」である そもそも前提から勘違いしてるな。
当時の明軍は徴兵による中央集権軍ではなく、
軍閥の私兵を核とした傭兵だよ。 >>莫大な槍兵を突破することはできない
補給を断てば勝手に四散して崩壊する
支那では籠城戦以外で雑兵が全滅するまで戦った記録はほとんどない 軍閥といっても巡撫総督とその配下の総兵官の人事権は朝廷にあり
巡撫総督といえど軍を私有してたわけでもなければ世襲もしてないので
傭兵と言う事はできても私兵とまでは言えないんじゃないか? KBS「壬辰倭乱1592」、ニューヨークTV&映画祭金賞
ttp://news.mk.co.kr/newsRead.php?no=283286&year=2017 >>589
ちと文意の取り違えがあるみたいだけど、何にせよ人事権が朝廷にあっても
実状に反して行使できるわけじゃないからね。
手元にある『日本戦史 朝鮮役』の文庫現代語版だと、そのあたりについて
「明代の兵制は最初徴兵制であったが、その制度自体の不備のため、次第に
傭兵制となっていた。そのため権力のある諸将はそれぞれ武勇の士卒を養って家丁とした。
家丁すなわち私兵である。李如松・麻貴らはいずれも幾多の家丁を養い、
この役に従軍させている」とあるよ。 精々数十人程度の子飼いはいても万単位の軍の大半は税金で維持さた常備軍だろう
第一文官上位の明じゃ自腹で軍を維持できるほどの力も財産も持ち得ない
もっとも子飼いの食客等を幕僚に任用するから軍をまるごと統率することは可能だが そもそも一万の軍を私有するには五十万石級の大大名でなきゃ無理だが
宰相ですら万戸侯つまり五万石がいいとこの明帝国で
皇族でもなんでもない一将軍が五十万石級の大大名に成りあがれるわけがない >>宰相ですら万戸侯つまり五万石がいいとこ
ちなみに万戸侯クラスの建国の功臣は太祖洪武帝が粛清したので
明後期の宰相は表向きは精々一万石ぐらいだね
まあだからこそ裏では賄賂をがっぽりとるわけだが
公私混淆甚だしくまるで私物化してるようなというものの例えであって
明に大名みたいなのがいたわけじゃない >>593
25万石でOKでしょ?
ま、実際に李成梁/如松、麻貴、劉テイなどは軍閥を構成して私兵が主力だったわけで。
税金を投入してもらうためにアレコレト上手くやっているんだよ。
研究によるとね。 こうして朝鮮人の妄想によるフィクションが、
欧米人に史実認定されるんだよねぇ。
鬼郷とか先々ヤバス >>595
四人役で25万石ですな。でも、明将の権勢をはかるのに大名換算するのには
違和感はあるかな。
日本よりも貨幣経済が発達していて土地自体も売買の対象だったし、
兵は土地についてくるものではなくて金で雇うものなんだろうと。 まだ貨幣が行き渡らず、反物なども併用されてた戦国日本に対して、既に紙幣も使われてた明国では、経済・統治機構が違いすぎるだろ。
問題は、精密で先進的なものが必ずしも良いものとは限らず、特に信頼性とか維持に問題を抱えることがあるって点だが…… 貨幣が足りないのは経済発展が早すぎて生産が追い付かないという珍しい理由なんだよなぁ 貨幣の鋳造なんぞ難しいわけでもなく、戦国時代に私鋳銭もいくらでも有るわけだが、
完成品として中国銭をそのまま入れた方が地金品位も考えればコストパフォーマンス的に
安上がりだったという話だろ。 足尾銅山に代表されるように、江戸時代から銅を輸出し続けていた日本なのに、なぜ貨幣の鋳造は一般的でなかったのか不思議だが、やはり中央政権が力を失っていたからなのかな?
鎌倉時代から、既に天皇を中心とする律令制は崩れていたし、中央政権が影響力を失うと、単なる銅の塊である貨幣は信用を失う……現に私鋳貨でも、甲州金は文句なく使われてたし。 >>602
中央政府による公信力がなければ貨幣は地金価値でしかないのよ。甲州金も
あくまで金地金としての通用だからな。
中国銭も粗悪な銭が発行されることで向こうで公信力が低下したからこそ、
周辺に大量に流出(日本へ流入)したということがあるわけで。
撰銭令が幕府や諸大名など為政者の都合のいいように発布されていた中で、
信長は悪銭であっても罰則を科すことで一定の交換比率を強制して公信力を
担保しようとしたね。 >>597
だから明に将軍の私兵などほとんどないということだろう
朝廷には将軍どもに濡れ衣着せて一方的に処刑するだけの力があり
配下の将兵で死を賭して付いていくものなんてほとんどいなかった
官兵を私物化しているというのと私物であるというのは全然違う >>兵は金で雇う
一万の軍備を整えるのにいくら金がかかると思ってるんだ?
明の将軍にそんな大金を用意できるものなど皇族以外では一人もいない
朝廷から授けられた官職の権限で徴兵徴発して軍備を整えるのであって
明の将軍に朝廷から独立した私兵など基本的に存在しえない >>604
いやいや、だからさー。先行研究をまずは読みなさいよ。
どうやって軍閥が成り立っていたのかを。実際に家丁で構成された軍はあったし、秀吉軍は交戦したんだから。 >>601
当時の日本では品質の良い銭は少量生産しかできない
この辺は鐘も同じ
重要なのは高品質なものを大量生産する鋳造技術 >>607
えらく古い知識で止まってるようだが大丈夫か?
近年では、16世紀の東国で銅銭として主に流通していた永楽銭の大半は
東国で複製私鋳されたものという学説もでてるぞ。 >>609
こちらに村松白根遺跡の報告書がある
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/search/item/11777?f_tag%5B%5D=%E6%9D%91%E6%9D%BE%E7%99%BD%E6%A0%B9%E9%81%BA%E8%B7%A1
「枝銭は中国からの渡来銭を一度溶かして当地か別の場所で鋳銭されたものと推測した。
枝銭の「永樂通□」は,本銭の永樂通寳と比べるとあまりにも貧弱である。」
つまり原料の精製はできずに鋳直したもので、その出来も本家と比べて稚拙 >>610
そりゃ、その枝銭は雑多な銅屑の一つとしての出土だからな。
その報告書でポイントなのは付章にある成分分析で、銅の含有量がもっとも高い高品位の永楽通宝に
日本産の鉛を含んでいる(要するに日本製)という所だぞ。 >>608
銅を輸出してその代金で向こうで糸を買い付けて捌けば、銅の日本国内価格の4,5倍になったというから
交易としては至極全うだな。 >>611
いや、今このスレでの論点は、当時の日本の鋳造技術なので なお近代でもまともな製鉄能力がなかった日本とかいう国
米から鉄グズ輸入しないと戦艦作れない 古刀の性能が優れていたのも、輸入鉄を使用したからという話もあったね このスレは重複スレです。
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あと、>>1は死んでください 日本は国際的な発信をしないからな
そもそもそれ以前に日本の学者はウリナラ史観を批判しない体質なので
遮るもののないウリナラ史観は膨張を続けるのみ 日本が国際的に発信してるのは
子供向けアニメと大人向け変態アニメでっせ 日本の戦艦って八幡製鉄所の鉄で作ってたんじゃないの?
それより前だと戦艦そのものを買ってた時代だし。 統制経済で民間企業の製鉄所新設を禁止していたために
粗鋼需要の半分がアメリカの屑鉄頼みになったわけだが
広くマネジメントも技術の一つと考えれば日本の製鉄技術は
極めて遅れていてそのために自給できなかったということだ 万人義塚
万人義塚は、丁酉再乱(1597年)の時、南原城戦闘で命を落とした民・官・軍1万人の義士の護国の魂が漂う聖なる場所である。
朝廷では、南原城を死守するため全羅兵馬使・李福男将軍が率いる1千余りの軍と明の副ハ兵・楊元の3千兵士に南原城を守らせた。
敵は、8月12日、南原に到達し城を包囲し、13日から16日夜まで熾烈な戦闘を繰り広げたが、衆寡敵せず城民6千人を含めた1万人の義士は、血戦奮闘の末、壮烈に皆命を落とした。
ttps://www.namwon.go.kr/jp/index.do?menuCd=DOM_000000902001000000 30口径のバトルライフルを持っていかなくていいのかな 聯合ニュース
今日の歴史(6月16日)
1592年:朝鮮水軍の李舜臣(イ・スンシン)将軍が玉浦海戦で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)勃発後初めて日本軍に勝利
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/newsite/2017/06/12/1110000000AJP20170612002700882.HTML >>584
>なおワールシュタットはEUは負けたが、その後制圧できてないため、あの程度の軍を相手に3万いても制圧できなかった
ポーランドに侵攻したモンゴル軍の兵数は1万人だよ。
そのレベルの兵数でポーランド国内蹂躙され、挙句にドイツポーランド連合軍が
ワールシュタットで惨敗したんだから、当時のヨーロッパの軍事力は東アジアより
話にならんくらい劣っていたとしか考えられん。 日本も戦国時代後期になると諸侯が連合して万人単位の戦闘が起きるが、基本的に1万人単位の軍勢を動員する戦闘ってのは珍しいんだよ >>631
玉浦海戦が6/16って洋暦換算してんのかね。現在では6月中旬というだけで、
日付はほとんど意味がないように思うが。
まぁ、朝鮮人は反日さえ出来れば細けーことは気にしなさそうだが。 全盛期のモンゴルは渡海作戦とベトナムのジャングル以外では
世界中の様々な場所での戦いで殆ど負けていない
そのモンゴルに勝てなかったから欧州が弱かったというのは可哀想
また当時は遊牧民の騎馬軍団が野戦では農耕民より圧倒的に強い事など当たり前の話であり
だからこそ籠城戦を選択するものだったのに中国の攻城技術を吸収したモンゴル相手には
中東〜欧州の城塞が役に立たなかったから不利な野戦を強いられてしまった 朝鮮通信使の船を復元 来年9月完成目標=韓国
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/22/0200000000AJP20170622001300882.HTML
[写真]朝鮮通信使の船 来年秋までに実物大で復元=韓国
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2017/06/22/0200000000AJP20170622001100882.HTML >>635
帝国の軍を2分して一方は欧州へ、もう一方は南宋へ侵攻した結果、欧州遠征軍は無双したのに
南宋遠征軍は惨敗なんだから、当時の欧州が東アジアよりレベル低かったのは確実だろ 聯合ニュース
今日の歴史(7月8日)
1592年:李舜臣(イ・スンシン)将軍が閑山島で日本軍を大破
ttp://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2017/07/04/0800000000AJP20170704000800882.HTML 東亜日報が順天倭城特集(韓国語)
「丁酉再乱」420年前の教訓
ttp://news.donga.com/Main/3/all/20170707/85256069/1
蔚山〜順天、海岸8箇所に築城...内城-外城の二重の防禦構造
ttp://news.donga.com/Main/3/all/20170708/85256758/1
(↓史実と乖離した小説)
【土曜企画】基壇だけが残った順天倭城天守閣... その日の惨状覚えているか
ttp://news.donga.com/BestClick/3/all/20170708/85256753/1 制海権がないのに上陸できる秀吉軍は
航空輸送でもしてたということか 主君の訃報を受けて有利な戦闘を切り上げる事を日本語では逃げるとは言わないw
それはさておき、最初の数ヶ月程で手の内見透かされて以降は数年間もロクな戦果を上げられず、
最期は停戦協定破りの奇襲追撃を仕掛けて逆に射殺される醜態を晒した李舜臣が何だって? >>645
攻撃するしないを決める指揮権を持っているのは明将だから。
李はそんなに偉くないぞ。 制海権失って補給も絶たれてるのになぜか上陸して年単位で戦い続ける秀吉軍は戦略輸送機を保持していたに違いない。 しかし、チョン国家って、300年前の元寇の時に自分たちが日本に侵略しておいて
日本が侵攻してくることを情報として掴んでいながら、完全に無視するとか
どういう構造なんだろうか。まるで朝鮮戦争みたいだな。 それ以上に慶長の役でも南半分取られてるのが何とも間抜けだな 卍は教科書に沙也可を捻じ込んでるんだな
ttp://wakayamau.blog116.fc2.com/blog-date-20160928.html
教科書で戦争経過の概略もまともに説明されていないというのに
わざわざ沙也可如きにスペース割いて載せる必要があるとは思えん 卍といえば
NHKで昔放送された歴史番組で
蔚山の戦いは加藤清正が這う這うの体で逃げ出したのが結末みたいな
史実を逆にした内容を垂れ流してた
この番組を監修したのが卍
これも長篠の戦いで織田コ川側が逃走したというのと同レベルの捏造歪曲 >>651
いかに戦国武将が屈強と言えども、水と食い物が無ければどうしようもない・・・ 実際に精強ではあったしな……糧食なし、補給もなしで十倍の敵に重包囲されて生還したなら、そりゃ立派な戦果だろうよ。 当時の李氏朝鮮には、倭寇との戦いに使われた『刀船』と呼ばれる特殊な船があり、これは船べりへハリネズミのように槍や刀を並べて、敵の接舷を防ぐものだった(記録にも残っている)
また亀船の記録も残っており、こちらは板屋船に装甲を施し、刀船のように刃物をならべて接舷切り込みを防ぎつつ、船内に搭載した大砲で攻撃するというコンセプトが確認出来る。
ただし、当時の朝鮮式大砲は日本でいう大鉄炮サイズが多く、また後装式の仏郎機で威力も劣るため、こうした遠戦指向が、実際の戦闘でも発揮出来たかどうかは疑わしい。
また亀船には龍を模した船首像があり、これは一種の衝角となっていたようで、龍の口の部分に硫黄と可燃物を入れて火を付け、敵に突撃したらしきことも推測出来る。
これらの事から、亀船は艦隊の最前線で敵に突撃する特攻隊であり、装備の多くは接近を拒み、また敵を威嚇する為だけの物だったと考えた方が現実的だろう。
また戦中に建造されたのは僅か三隻だけで、当時の朝鮮海軍の方面軍ごとに一隻という少なさだった(戦後で最大二十隻まで増えた)
因みに、これは韓国人による『亀船』という本に記載されているもので、良い意味で韓国人らしくない、資料を重視した抑制された内容の好著なのでお勧め。 装甲していようがいまいが、安宅船は安宅船だからね。
逆に、素材が革を漆で固めた小札だろうが、鉄の板札を使った桶川胴だろうが、鎧は鎧。文句なく装甲だろ?
中国には紙を素材にした紙甲だってあるよ。 あと『装甲艦』の定義は調べておいて。
日本の鉄甲船も装甲艦の歴史において語られることが多いが、基本的に狭義の装甲艦とは、
(1)炸裂弾が使用され、
(2)クリミア戦争で、木造船に致命的な効果が証明された後、
(3)1854年のフランスで建造された初の装甲艦、『LAVE級』以降
の一時期の艦種を指す。
そりゃ『戦艦』と呼べば、ナポレオン以前の主戦列艦から、前大戦の戦艦や弩級戦艦まで幅広く網羅するけれど、狭義では前大戦までの『戦艦』だよね? ようするに研究者とかいっても脳内イメージで李舜臣が制海権取っただの補給線寸断した
だのと言ってるだけで実際はまともに研究してなくて
ネットのブログとかのほうがよっぽどまともな研究してるのが実態
李舜臣が日本軍の補給線を寸断したという虚構(文禄の役編)
http://tokugawa-tokugawa.blogspot.jp/2011/09/blog-post_10.html いずれにせよ、制海権を失ってない・補給路は断たれてないって主張はネウヨブログ以外で見たことないわ。
ちゃんとした研究者で、そういった主張してる人いたら教えて欲しいね。 存在しなかった亀甲船呼称止めるべき
亀船でよい
このせいで装甲で覆われていたように印象操作される 第一次朝鮮戦争:日本(朝廷軍)VS中国
第二次朝鮮戦争:日本(秀吉軍)VS中国
第三次朝鮮戦争:大日本帝国VS中国
第四次朝鮮戦争:大日本帝国VSロシア帝国
第五次朝鮮戦争:米VS中国
第二次以外いつも同じパターンという。 結局、世界征服のハズが小島すら盗れず逃げ帰ってきただけなんだよなあ >>661
いちおう南蛮のことを知っていて、ターゲットは天竺までだから、
世界征服までは考えていないはずw 当時(というか前後数千年は)中国インドは間違いなく世界最強なんで
領土取れなかったとしても仕方あるまい。
ボケた秀吉以外海外領土に興味なかったし 朝鮮南部だけでもと、必死こいてたのを無かったことにするんですね 既に敵の手口分かってて満を持して迎え撃ったのに
巨済島沖でボコられたから南半分取られちゃったんじゃないの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています