【何もかも】山本五十六【こいつが悪い】6 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
国が決めた大東亜戦争の基本方針、開戦前に政府と陸海軍が取り決めた
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」では、
まずアジアで英軍を屈服させることとなっている。
日独で英国を追い込み、ビルマ、インドの独立を誘発し、
その事によって政治的に米国の戦意を殺ぎ、
対米和平へと持ち込む事を目標としていた。
(太平洋の対米艦隊への攻撃は適時とし、補助的な扱いとなっている)
しかし海軍・山本五十六はこの国の基本方針を無視して独断でハワイを攻撃し
(東条首相は海軍がハワイを攻撃することを知らされていなかった)、
ミッドウエーやソロモン方面で大規模作戦を展開した。
山本五十六の暴走によって、大東亜戦争が対米・太平洋戦争になってしまう。
海軍は戦果を改竄して大勝利の嘘の報告ばかりを大宣伝したため、
世論も対米太平洋決戦に歓喜し、陸軍も太平洋での海軍の作戦に協力するよう
引きずり込まれた。 インドシナ進駐反対した松岡
ソ連侵攻を進言した松岡
これは的を得ていたな
ノモンハンで陸軍ソ連にビビってたと思う ソ連侵攻は陸軍は大反対しただろうが
巨人のアメリカに突っ込むよりましだわ
アメリカの連合軍参戦の口実にもなる
こちらは共産圏の封じ込めの大義名分がある 大分前にサンディエゴに行ったんだが、艦隊が見渡せる老舗ホテルに山本が投宿
して視察していたって聞いた
ちなみにそこからはズラーっと並んだタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の端から
端が見えない。これで対米開戦を決意するんだから、やっぱり良くわからない人
だな 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 異説で解き明かす近現代世界史 〈経済〉から見えてくる歴史教科書のウソ
著者: 菊川征司
https://books.google.co.jp/books?id=VKY_DwAAQBAJ&pg=PT178&dq=%E7%95%B0%E8%AA%AC%E3%81%A7%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%80%80%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwiwjJjcl9PtAhWSKqYKHe_TAMwQ6AEwAHoECAIQAg#v=onepage&q=%E7%95%B0%E8%AA%AC%E3%81%A7%E8%A7%A3%E3%81%8D%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%80%80%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%BA%94%E5%8D%81%E5%85%AD&f=false
山本五十六らは意図的に日本を敗戦に導いた 一番の戦犯は松岡洋右だろ
単細胞でドイツびいき
ドイツなまりの英語でニューヨークやワシントンでは
カッペ扱い、ジョークも理解できない
それで米国嫌いになり
三国同盟に走る 三国同盟は陸軍が悪いけとな。
陸軍がアメリカの動向を見誤った。 日中戦争から日米開戦は海軍が悪いけどな
当時の中国に深入りしたら米英が黙っていない。
中国の泥沼と米英との開戦にビビって尻込みしてた陸軍参謀本部と、陸軍省の尻を蹴飛ばしたのは
米内と山本。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 陸軍擁護の悪あがき。
近衛内閣を倒閣して対米開戦を決定したのは
東條と陸軍だ。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 もうあの状況下では
松岡に外交させるのが一番
首にしてから対米戦争が強まった 関東軍を黙らせるには
ソ連に突っ込んで貰うのが一番だな 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ヴァカ日本人w
早く反論してみろ無能w
日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である
https://www.bookbang.jp/review/article/30202
日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ★新規改訂版★ <山本五十六が日本を戦争に引きずり込んだ>
@1934年、岡田啓介(海軍大将)政権は国民を欺き、海軍軍縮条約からの脱退を謀る
山本五十六を交渉団代表に据え、予備交渉を意図的に破綻させ日本を海軍軍縮条約から脱退させた
A1936年、重臣・岡田啓介は山本五十六を海軍次官に抜擢。山本の要望で海軍大臣には米内が就任(異例)
山本はすぐさまアメリカを仮想敵国に見立て大幅に軍事費、兵力を拡大。マル3計画を実行。アメリカを圧倒できる連合艦隊を創設。地上航空部隊も大量に新設。
B1937年8月、海軍は自作自演の大山事件を図り、日中交渉(船津和平工作)を妨害、破綻させる
さらには海軍は大山事件を宣伝し、独断で空爆を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
また山本は海軍省記者クラブを設置。徹底して戦争を煽る宣伝工作開始
この都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く。国際連盟は日本の侵略戦争を非難する決議を採択
ルーズベルトは日本海軍の無差別爆撃を非難する隔離演説
C山本五十六は真珠湾奇襲をやりたいがため、陸海軍ともに常識だった米英可分論に対し、米英不可分論を主張。
アメリカを戦争相手国に加えるよう強行に政府に要求。それを実現させてしまった。
D海軍は三国同盟を認める代わりに、陸軍に南進を要求(豊田海軍次官の策略)
E1940年、海軍は戦略上は全く意味のない重慶に対する大規模な無差別爆撃を開始。世界中から非難される。
F海軍は日米交渉を妨害を謀る。野村大使と結託し南部仏印進駐を強行(豊田外相)。重臣の岡田啓介はその障害となる松岡外相を事実上更迭した。
そして南部仏印には14個も飛行場が作られ、大兵力を集結させ戦争準備開始。米英に対する宣戦布告に等しい挑発行為。
G海軍は真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し偽りの外交を実施しアメリカ政府をだます。また外務省はハルノートは最後通牒だと政府をもだます嘘の報告。
海軍と外務省は、アメリカだけでなく日本政府と陸軍をもあざむく。また、海軍ははじめから無通告攻撃でやるつもりで、野村大使と結託し計画通りに通達をわざと遅らせた
図上演習で真珠湾奇襲は無通告でなければ失敗することが明らかになり海軍は当初から無通告で攻撃する気だった。 無田口がチュラチャンプールに突然姿を現わした時のことである。一将校が痛憤した。こんな軍司令官に指揮されていては、いくさに勝てない。いっそ牟田口を殺して、自分も自決する。 将校は、手榴弾を持って、牟田口の幕舎に飛び込もうとした 嘘つきの老害は糞尿の地獄に落とされて、口をふさがれてしまったとさ(爆笑)
「ウソつきジイさんのさいご」 おしまい
人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
このバカはアホの山本五十六を賛美して毎回射精w
ホラ吹き老害ジジイ 自称歴史探偵団www
半藤一利wwww 695 日本@名無史さん[sage] 2021/11/09(火) 11:45:41.31 ID:
いやいや、日本最大の英雄はマッカーサーだぞ
マッカーサーが逆賊東條英機を処刑したとき、日本国民はみんな拍手喝采したんだぞ
696 日本@名無史さん[sage] 2021/11/09(火) 11:48:20.69 ID:
日本国民300万人以上を赤紙1枚で南方に送って餓死させまくった東條英機
そんな極悪人をフルボッコにして処刑してくれたのがマッカーサー
やはり日本最高の英雄だわ 日本陸軍は英米相手にはフルボッコ負け
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 木村兵太郎、スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*24.7 205535 *8310 ルソン 寺内寿一、富永、マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ 寺内寿一、マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 木村兵太郎、スリム
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 黒島亀人、大西瀧治郎、ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール 牟田口、スリム
**8.7 *30000 *3441 サイパン 東條英機、ニミッツ
**4.6 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
**2.6 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
**1.1 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 嘘つきの老害は糞尿の地獄に落とされて、口をふさがれてしまったとさ(爆笑)
ざまあみろwwwwwww
「ウソつきジイさんのさいご」 おしまい
人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
このバカは、アホの山本五十六を賛美して毎回射精w 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 「インパール作戦での日本軍兵士の第一の敵は軍司令官の牟田口。第二は雨期とマラリアの蚊、第三は飢餓、そして英印軍はやっと四番目だ」
(生存兵士の言葉) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 【東條幕府】
勢威大笑軍 東條
老中(三奸):鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二
奉行(四愚):木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄
旗本 : 大木繁、田中新一、辻政信、山田玉哉(甥)
隠密:裏切り者1号スパイ田中隆吉、裏切り者2号 武藤章、瀬島龍三
南方組:牟田口、富永恭次
満鉄係:岸、松岡
ドイツ係 :大島浩
海軍係:嶋田(海軍)
便所当番:杉山元
統制派愚将連合役員:寺内寿一
牟田口は、一夕会のメンバーだったことと、陸軍参謀本部勤務時代に東條と一緒に仕事をした縁で東條幕府入り。
東條勢威太笑軍は、牟田口の報告を信じて無謀なインパール作戦を認可し援助した 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 超人気動画
https://www.youtube.com/watch?v=0LeufvQvWpY
『牟田口廉也』史上最悪の愚将・世界史上最悪の指揮官 インパール作戦でのしくじり
8000回視聴 ・ 12 時間前
日本の火力
チャンネル登録者数 4.89万人 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ★★日本人が知らない事実★★ <戦争を勃発させたのは山本五十六です>
@1934年、岡田啓介(海軍大将)政権は国民を欺き、海軍軍縮条約からの脱退を謀る
山本五十六を交渉団代表に据え、予備交渉を意図的に破綻させ日本を海軍軍縮条約から脱退させた
A1936年、重臣・岡田啓介は山本五十六を海軍次官に抜擢。山本の要望で海軍大臣には米内が就任(異例)
山本はすぐさまアメリカを仮想敵国に見立て大幅に軍事費、兵力を拡大。マル3計画を実行。アメリカを圧倒できる連合艦隊を創設。地上航空部隊も大量に新設。
B1937年8月、海軍は自作自演の大山事件を図り、日中交渉(船津和平工作)を妨害、破綻させる
さらには海軍は大山事件を宣伝し、独断で空爆を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
また山本は海軍省記者クラブを設置。徹底して戦争を煽る宣伝工作開始
この都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く。国際連盟は日本の侵略戦争を非難する決議を採択
ルーズベルトは日本海軍の無差別爆撃を非難する隔離演説
C山本五十六は真珠湾奇襲をやりたいがため、陸海軍ともに常識だった米英可分論に対し、米英不可分論を主張。
アメリカを戦争相手国に加えるよう強行に政府に要求。それを実現させてしまった。
D海軍は三国同盟を認める代わりに、陸軍に南進を要求(豊田海軍次官の策略)
E1940年、海軍は戦略上は全く意味のない重慶に対する大規模な無差別爆撃を開始。世界中から非難される。
F海軍は日米交渉を妨害を謀る。野村大使と結託し南部仏印進駐を強行(豊田外相)。重臣の岡田啓介はその障害となる松岡外相を事実上更迭した。
そして南部仏印には14個も飛行場が作られ、大兵力を集結させ戦争準備開始。米英に対する宣戦布告に等しい挑発行為。
G海軍は真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し偽りの外交を実施しアメリカ政府をだます。また外務省はハルノートは最後通牒だと政府をもだます嘘の報告。
海軍と外務省は、アメリカだけでなく日本政府と陸軍をもあざむく。また、海軍ははじめから無通告攻撃でやるつもりで、野村大使と結託し計画通りに通達をわざと遅らせた
図上演習で真珠湾奇襲は無通告でなければ失敗することが明らかになり海軍は当初から無通告で攻撃する気だった 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 『日本を大敗させた戦犯は誰か?』
知的レベル別に世論調査をしたら、このような傾向になる
●中卒レベル 偏差値30未満のアホ
・東條が悪い・牟田口が悪い・陸軍が悪い
●高卒レベル 偏差値40以下
・松岡が悪い・近衛が悪い
●三流大学レベル 偏差値50未満
・ルーズベルトが悪い・コミンテルンの陰謀
●●●一流大学レベル 偏差値60以上
・ハワイを不法攻撃した海軍と山本五十六の暴走が敗因
番外●団塊の世代のアホの老害 偏差値なし
・天皇ヒロヒトが悪い 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 結論
山本五十六の信者は在日ヤクザで構成された
街宣右翼、チンピラ、ゴロツキのような下品な連中です。
それもそのはずで、笹川、児玉という日本を支配したヤクザと結託した
利権目当ての汚いチンピラのような連中ですので
こいつらは山本五十六ら海軍と癒着して戦争で金儲けしていた連中です
(終戦時、米内の指示で笹川、児玉は海軍の航空機で児玉機関の裏金を上海から持ち帰った)
しかし日本は国家ぐるみで、この極悪人の歴史観が
NHKなどでも繰り返し宣伝されています
山本五十六を賛美する、汚い連中にだまされてはいけない
笹川良一、児玉誉士夫 (山本五十六の子分。海軍の裏組織、戦後のフィクサー ヤクザ世界の支配者)
岸信介、正力松太郎、野村吉三郎、緒方竹虎
広域暴力団山口組(笹川が創設)
戦後の日本を主導したこいつらがアメリカCIAの工作員でもあるが
アメリカから裏で莫大な資金援助を得て笹川マネーで
自民党を創建し日本を支配した。
東京裁判もこいつらによって捏造され
海軍の責任逃れ、南京虐殺、731部隊の捏造等の捏造による
海軍善玉、陸軍悪玉論の国家ぐるみの定着化が図られた 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 嘘つきは糞尿の地獄に落とされて、口をふさがれてしまったとさ(爆笑)
ざまあみろ 老害じじいwwwwwww
「ウソつきジイさんのさいご」 おしまい
人
ノ⌒ 丿
_/ ::(
/ :::::::\
( :::::::;;;;;;;)
\_―― ̄ ̄::::::::::\
ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;人
/ ̄――――― ̄ ̄::::::::\
( :::::::::::::::::::::::::::::::::)
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
このバカは、アホの山本五十六を賛美して毎回射精w 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本が大敗した戦闘
日本陸軍は英米相手にはフルボッコ負け
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 木村兵太郎、スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*24.7 205535 *8310 ルソン 寺内寿一、富永、マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ 寺内寿一、マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 木村兵太郎、スリム
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 黒島亀人、大西瀧治郎、ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール 牟田口、スリム
**8.7 *30000 *3441 サイパン 東條英機、ニミッツ
**4.6 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
**2.6 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
**1.1 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ
∞ 約240000 0 広島・長崎原爆投下 トルーマン 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである 牟田口廉也は日本人が自らの手で戦犯として裁判すべきだったが、将官への任命は天皇の承認も必要だったらしいから天皇の責任問題に発展する事を恐れて裁判しなかったらしい 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 「インパール作戦での日本軍兵士の第一の敵は軍司令官の牟田口。第二は雨期とマラリアの蚊、第三は飢餓、そして英印軍はやっと四番目だ」
(生存兵士の言葉) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口がチュラチャンプールに突然姿を現わした時のことである。一将校が痛憤した。こんな軍司令官に指揮されていては、いくさに勝てない。いっそ牟田口を殺して、自分も自決する。 将校は、手榴弾を持って、牟田口の幕舎に飛び込もうとした。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口は「一度、教育総監をやってみたい」と口にし、周囲の笑いものになった。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ★インパール作戦が失敗したのは、牟田口がバカで無能だったからw
連合軍を利する無能の牟田口は、殺すなと
連合軍は特命を出していたwww
牟田口は連合国を勝利に導く英雄だと
戦後の冗談、笑い話ではなく、本当の話しですwwwwwwwwwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 間抜けの法螺吹き屑土足自爆の足跡w
【独裁者】山本五十六【暴走】8
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1355065212/
63 名前:☆ 投稿日:2012/12/11(火) 00:08:26.32 ID:6++ORBoe
>>60
こっちはコテハンなんだが?
バカにはできまいw
バカだからしょうがないな。
83 名前:uaa ◆jFOwbcqkaU 投稿日:2012/12/11(火) 00:50:35.83 ID:6++ORBoe
>>82
どうでもいいこと書くな 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 「インパール作戦での日本軍兵士の第一の敵は軍司令官の牟田口。第二は雨期とマラリアの蚊、第三は飢餓、そして英印軍はやっと四番目だ」
(生存兵士の言葉) 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 日本が大敗した戦闘
日本陸軍は英米相手にはフルボッコ負け
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 木村兵太郎、スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*24.7 205535 *8310 ルソン 寺内寿一、富永、マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ 寺内寿一、マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 木村兵太郎、スリム
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 黒島亀人、大西瀧治郎、ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール 牟田口、スリム
**8.7 *30000 *3441 サイパン 東條英機、ニミッツ
**4.6 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
**2.6 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
**1.1 *10000 *9703 ノモンハン事件 ジューコフ
∞ 約240000 0 広島・長崎原爆投下 トルーマン 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ★インパール作戦が失敗したのは、牟田口がバカで無能だったからw
連合軍を利する無能の牟田口は、殺すなと
連合軍は特命を出していたwww
牟田口は連合国を勝利に導く英雄だと
戦後の冗談、笑い話ではなく、本当の話しですwwwwwwwwwww 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 イギリス軍はインパール作戦での勝因として
・日本軍の指揮官が愚将牟田口であったこと
・参謀総長が東條英機であったこと
・航空機を使った兵員、物質の補給
・イギリス軍の勇敢さ
・兵器の質の高さ
・インパール付近の地形
をあげていたらしい 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 『日本を大敗させた戦犯は誰か?』
知的レベル別に世論調査をしたら、このような傾向になる
●中卒レベル 偏差値30未満のアホ
・東條が悪い・牟田口が悪い・陸軍が悪い
●高卒レベル 偏差値40以下
・松岡が悪い・近衛が悪い
●三流大学レベル 偏差値50未満
・ルーズベルトが悪い・コミンテルンの陰謀
●●●一流大学レベル 偏差値60以上
・ハワイを不法攻撃した海軍と山本五十六の暴走が敗因
番外●団塊の世代のアホの老害 偏差値なし
・天皇ヒロヒトが悪い 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 インパール作戦は日本が勝っていたかもしれない、と戦後に牟田口に余計な手紙を送った人物はバーカー将軍
牟田口はバカ将軍 ★新規改訂版★ <山本五十六が日本を戦争に引きずり込んだ>
@1934年、岡田啓介(海軍大将)政権は国民を欺き、海軍軍縮条約からの脱退を謀る
山本五十六を交渉団代表に据え、予備交渉を意図的に破綻させ日本を海軍軍縮条約から脱退させた
A1936年、重臣・岡田啓介は山本五十六を海軍次官に抜擢。山本の要望で海軍大臣には米内が就任(異例)
山本はすぐさまアメリカを仮想敵国に見立て大幅に軍事費、兵力を拡大。マル3計画を実行。アメリカを圧倒できる連合艦隊を創設。地上航空部隊も大量に新設。
B1937年8月、海軍は自作自演の大山事件を図り、日中交渉(船津和平工作)を妨害、破綻させる
さらには海軍は大山事件を宣伝し、独断で空爆を強行して日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
また山本は海軍省記者クラブを設置。徹底して戦争を煽る宣伝工作開始
この都市無差別爆撃が原因で、日本は世界を敵に回す結果を招く。国際連盟は日本の侵略戦争を非難する決議を採択
ルーズベルトは日本海軍の無差別爆撃を非難する隔離演説
C山本五十六は真珠湾奇襲をやりたいがため、陸海軍ともに常識だった米英可分論に対し、米英不可分論を主張。
アメリカを戦争相手国に加えるよう強行に政府に要求。それを実現させてしまった。
D海軍は三国同盟を認める代わりに、陸軍に南進を要求(豊田海軍次官の策略)
E1940年、海軍は戦略上は全く意味のない重慶に対する大規模な無差別爆撃を開始。世界中から非難される。
F海軍は日米交渉を妨害を謀る。野村大使と結託し南部仏印進駐を強行(豊田外相)。重臣の岡田啓介はその障害となる松岡外相を事実上更迭した。
そして南部仏印には14個も飛行場が作られ、大兵力を集結させ戦争準備開始。米英に対する宣戦布告に等しい挑発行為。
G海軍は真珠湾をだまし討ちで攻撃するため、野村大使と結託し偽りの外交を実施しアメリカ政府をだます。また外務省はハルノートは最後通牒だと政府をもだます嘘の報告。
海軍と外務省は、アメリカだけでなく日本政府と陸軍をもあざむく。また、海軍ははじめから無通告攻撃でやるつもりで、野村大使と結託し計画通りに通達をわざと遅らせた
図上演習で真珠湾奇襲は無通告でなければ失敗することが明らかになり海軍は当初から無通告で攻撃する気だった。 日本が大敗した戦闘
日本陸軍は英米相手にはフルボッコ負け
レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将
115.8 *11000 ***95 シッタン作戦 木村兵太郎、スリム
*62.9 *10000 **159 ホーランジア マッカーサー
*24.7 205535 *8310 ルソン 寺内寿一、富永、マッカーサー
*24.4 *11000 **450 アイタペ マッカーサー
*22.1 *79261 *3593 レイテ 寺内寿一、マッカーサー
*18.8 *16533 **881 ラングーン陥落 木村兵太郎、スリム
*15.9 *10000 **628 ラエ・サラモア マッカーサー
*13.1 100000 *7613 沖縄陸戦 黒島亀人、大西瀧治郎、ニミッツ
*12.9 *72480 *5633 インパール 牟田口、スリム
**8.7 *30000 *3441 サイパン 東條英機、ニミッツ
**4.6 *10695 *2336 ペリリュー ニミッツ
**2.6 *18000 *6821 硫黄島 ニミッツ
**1.1 *10000 *9703 ノモンハン事件 辻政信、ジューコフ
∞ 約240000 0 広島・長崎原爆投下 トルーマン 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 「赤誠の人」は解任後の配置で「インパールは部下の所為で失敗したんだ」なんで愚痴を言いまくって
予備役になったりしないんだよなぁw
バカ土足は「赤誠」って漢字が理解できないんだろうがw 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 イギリス軍はインパール作戦での勝因として
・日本軍の指揮官が愚将牟田口であったこと
・参謀総長が東條英機であったこと
・航空機を使った兵員、物質の補給
・イギリス軍の勇敢さ
・兵器の質の高さ
・インパール付近の地形
をあげていたらしい 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 予備士官学校校長に左遷された牟田口はその配置でも「インパール作戦がうまくいかなかったのは部下の所為」と
責任を転嫁し続けて予備役に編入された訳だが、間抜け土足の糠味噌の詰まった脳みそでは「戦時中」でも
「左翼勢力が台頭」しているらしいw 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ついにNHKでドラマ化か
旧日本軍の軍人が英雄視される時代がついに来たな つまりパヨクは山本五十六を英雄視してるってこと?
誰がそんなこと言ってんの?
そいつ叩こうぜ 太平洋戦争の敗因8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1638113058/
ここに棲み着いている東條信者が、海軍や山本五十六に罪をなすりつけ、東條が無罪だと暴れている
そいつによると、陸軍や東條を悪玉にする者は全て山本五十六信者という設定らしい ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
キチガイ五十六信者 歴史捏造作家 半藤一利
____
/ \
/ 人ヘ(ヽヘヽ
/ / ⌒ヽ /⌒V
| | (・) (・)|
(6V ー ー|
V _) | 悪と闘い続けた半藤さん・・・
人 (____/
\ \JJJJJJ 日本の宝物が失われた・・・
)\ `ー/
/\  ̄( ̄
|ヽ \ー\
だまれ落選ババアwww >>444
ヽ〃 ウリは正しいニダ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
英語も読めない屑土足w uaaにして間抜けの法螺吹き
●日中戦争は海軍の山本五十六が主導し勃発させ、泥沼化させました
信じられないかもしれませんが、これは事実です。
海軍は対ソ戦によって陸軍に主導権と予算を奪われたくないために日中全面戦争の勃発を企てました。
日中間では上海で陸軍主導で非公式の停戦交渉(船津和平工作)が行われ、これは実現目前でしたが海軍が妨害して破綻させました。
海軍陸戦隊の大山中尉が、中国の飛行場に自分から突入して射殺されましたが、
海軍は海軍省記者クラブを使って、これを中国側の残虐行為だと国民に嘘の宣伝しました。
そして海軍は中国に対する都市無差別爆撃を独断で強行しました(渡洋爆撃)
これら一連の計画的な企てを主導したのは海軍次官の山本五十六です。
山本が創設した海軍の地上航空隊が一躍宣伝されました。
これによって中国は完全に抗日で統一され、国共合作も実現し日中全面戦争になってしまいました。
国際連盟では日本の侵略戦争を非難する決議が採択され、
アメリカ大統領はシカゴで日本の無差別爆撃を非難しました(隔離演説) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています