レーション(というか戦場での飯)メニューNo.46 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦場で供される軍隊の飯の話題を中心に、主に戦闘糧食
(コンバットレーション)について盛り上がるスレッドです。
前スレ:
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.45
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1490110656/
次スレは>>980が立てて下さい 震災の時、ネットなんか見れなかったお
市役所の壁に貼られていた“河北新報”(地元の地域新聞)が唯一の情報源
福島原発でやばいことになっているのを知ったのは、
震災3日目の市役所に貼られていた壁新聞を見た時が最初(コレ以外、なんの情報もなかった)
震災4日目、スーパーの売り出しに早朝から並んでいると、”放射能交じりの黒い雪が降る”
とヒソヒソ話が聞こえてきたが…雪は白かった。
雪を洗面器に集めて、お湯で溶かして、手を洗うのに使った(水道もダメだったから…)
ネットが見れるようになったのは、震災から10日目。電気が復旧してからだよ
(水道の復旧は15日目くらい)
下水道の復旧は2か月かかった
(それまではスーパーのビニールにウンチして、燃えるゴミに出せと、回覧板が回ってきた…) はったい粉はオオムギが原料か
普通の小麦粉とは違う >>815
ほうほう、だから味が違うのだな
アレはうまい 2011年時点だとまだガラケー主流だったから多くの人はネットみれんわな。
禿バンクに次いで2月にauもiPhone4を扱いはじめた頃だったから
GoogleマップをGPS代わりにすることすらできない人多数だったあの頃の携帯。 i-modeでネット見れなかった?
サイトにもよるだろうけど iモードは使えるよ。まだiモードのガラケーユーザーだ!
6年とか使ってるけどバッテリー以外壊れねー 2011年時点でも携帯で2chは見れたな。
災害時に役立つかどうかは知らんけどw あの時もツイッターでデマは結構流れたから
まあそれなりにスマホ持ちもいたのではないかなと思っている iモードの生みの親の松永真里は名取端艇隊の松永一郎の娘
端艇隊が何食ってたかは忘れた あの当時の携帯でも普通にネット見れたぞ
携帯で海外のサイトでルパン三世見てたら地震来た俺が言うんだからまちがいない >>824
名取短艇隊だろ?
船内で食べてたのは、乾パンだよ。
光人社の”先任将校”によると、短艇には
乾パンと練乳が積んであって、1日あたり1人2〜3個食べてた様子。
ただし、陸軍さんみたいな小さな乾パンなのか、サイズの大きな乾パンなのかは知らない。 ※戦時中は軍用品として戦地に送られていたそうです
日本最古のサイダー「養老サイダー」クラウドファンディング資金により復刻へ
https://www.makuake.com/project/yoro-cider/
かつて「東の三ツ矢サイダー、西の養老サイダー」と称され
1900年(明治33年)製造開始した日本最古のサイダーで
人気を博しつつも2000年に惜しまれながら製造中止となった幻のサイダー
「養老サイダー」の復刻が養老改元1300年祭の目玉として企画され、
クラウドファンディングにより120万の資金が集まりました。初回の生産量は5000本の予定
復刻の際は養老公園内で販売され、ネット販売はされないとのことです
販売開始後にもし養老公園を訪れられる事がありましたらぜひ購入頂き
幻の味を味わい販売継続の一助となってはいかがでしょうか
【Asahi】三ツ矢サイダー NIPPON(8月8日発売)
http://www.asahiinryo.co.jp/company/newsrelease/2017/pick_0725.html 炭酸水を作るソーダメーカーを買ってこの夏いろいろな味のサイダーを作って楽しんだ
やっぱり甘くないと、そして酸味がフレーバーが着色料が…と加えてゆくとファンタになっちゃうね
緑や紫とか濃いピンクとかアメリカ人が好きそうなのもできた そうやって戦地に送られたサイダーの瓶がノモンハンでは火炎瓶に化けたのか。 秩父宮がマッターホルンの山頂で食べたという
虎屋の羊羹も戦地に送られ、届いたら兵の士気が上がったそうな 秩父宮はスイスからお帰りになった頃から体調を崩して
結核になっちゃたんですよね 東郷さんも肋膜炎かなんかで予備役寸前だったけど当時の船内の衛生状態はよくなかったんだろうな。 昭和30年代くらいまで盲腸炎はけっこう多くて両親はじめ学校の先生なんかもやったとか話してたね
だからスイカの種を飲み込むなって教えられたし小学校の同級生からメロンが一番危ないって聞いたなw
軍隊じゃストレス&一気食いのせいなんだろうね そりゃ和食メインのところに入隊したとたん一気に洋食が来るからな 盲腸炎対策は食物繊維を摂ることだと広まったのは庶民でも生野菜を食べる様になってからだからそれ以前の都市部や船の中では運搬し安く保存の利く穀類中心の生活だよ。 おらぁ、小作人の長男じゃないからクニに帰るよりこっちの方が人間扱いしてくれるから天国だ 昭和10年代は氷式冷蔵庫ですら中流以上しか持ってない。
昭和30年代でも電気冷蔵庫を持っているのは中流以上で生野菜は人糞肥料のせいで寄生虫が怖くて食べられないというのが1970年代後半まで続く。
食品添加物も規制が無いから発癌物だろうと使いまくり ミッドウェイ海戦前に盲腸の手術をしたのは源田実だったっけ?
動き回る艦船で手術をするのは大変だろうな >>841
源田の同期の淵田だな
真珠湾の時に攻撃隊の総指揮官を務めた 手術担任艦には戦艦が指定される事が多かったらしい
そもそも軍医が乗組してるのは個艦だと軽巡以上
虫垂炎なら1人でも執刀できるが、出来れば外科医が複数欲しいところ
ある程度の大鑑でないとオペ自体が厳しい 生野菜の為に下肥厳禁を指示したのはGHQ。
それまでの下肥自体も充分腐熟させずに水増しした粗悪品ばかり。 日本人のクソのかかったレタスなんか食えるかと占領軍は専用の水耕栽培農場さえ作っちゃったんだよね
でも下肥はやっぱり食糧増産には必須とあって黄金列車なんてのが運行されたけど漏れ放題で惨憺たるものだったとか
しかも栄養状態の悪い人達の下肥なので肥料としての効力も低く農家は歓迎せず化学肥料と入れ替わりに消えて行った 有機肥料が野菜作りに使われるようになるまでは人糞農業なので
枝に成るキュウリやトマトは良いとしても直接人糞をかけられたレタスは回虫や大腸菌の宝庫と化してしまうのだった そういや昔の列車はウ○コたれ流しだったよね
線路にウ○コと紙が点々と落ちてんの 多摩や埼玉に養豚業が多かったのは肉を取るよりも
下肥が目的だったそうだ。
完全腐熟させたものは熱を帯びてて寄生虫の卵や有害細菌は死滅するそうだ。
千葉の堆肥工場近くを歩いたことあるけど
ヨーグルトみたいないい匂いがするんだよ。 江戸時代の庶民は食物繊維不足からくる便秘が多くて
(白米飯の一汁一菜だったので、野菜不足になりがち)
水でふやかした和紙を丸めて飲んで、食物繊維補給して便秘対策
肥も庶民の長屋のよりも、武家屋敷の方が栄養状態の関係で良い肥料となったので値段も高かった
一番高かったのが江戸城大奥
大奥の肥は、葛西衆のみが回収を許されていて独占状態
大奥は上様以外は、医者と坊主以外の男子禁制と言われていたが
葛西衆も大奥への出入りを許可されていた
(でないと便所が偉い事になる) 大奥でも姫様専用便所は穴に鳥の羽毛が入れてあってブツが見えないようになってたというね
そして汲み取ることなく一杯になってきたら埋めちゃって便所自体を作りなおしたとか遺跡発掘で判明した
でもその穴の一つから若い男性の遺骨が見つかっていて一体何があったのかとその手の雑誌をにぎわした このスレは脱線が激しいけどこう言うしょーもないネタに巡り会えるから辞められない >>845
作戦中の艦隊から後送するには、作戦機を使用する必要がある
軍医の乗ってる艦にハイラインで送るのが一番齟齬を来たさない 盲腸って今でも多くないか? 俺二回やったぞ。
二回とも点滴で散らしたけど、軽度なら手術しなくても良くなったので
減ってるように感じるだけでは? てか盲腸って日本の医者の適当診断の代表例だろ
激しい腹痛を訴えるととりあえず盲腸って診断して腹を開けちゃうという
切除しても問題のない数少ない内臓器官だからな
麻酔してりゃあそりゃ痛みも治まるしw
日本人の盲腸の発生率は欧米人の数倍とかであっちの医者の物笑いの種とか 盲腸は検査すりゃ10分でわかるし、原因が盲腸じゃなかったら
手術しても症状が治まらないで医療訴訟ですわw >>856
おまいが適当過ぎるだろw
炎症を起こしているから激痛なんであって、炎症部位を切除にて根治するか抗生剤で炎症を治めるかしないと永久に麻酔をかけ続ける事になるぞwww
あと仮に麻酔で痛みを誤魔化したとしてもだ、炎症により穿孔性腹膜炎を起こしてクリティカルな状況に陥る可能性があるから気をつけろよ >>856
いまではMRIつかって切らずに検査できるのだがレントゲン装置の高価だった時代はそれあったかもな。切開した以上治療しないと金にならないので盲腸炎予防の意味で盲腸を切除すると。 >>860
患者の主訴以外にも採血採尿などの検体検査は必ず行う
耐術能がない患者にオペしたらヤバいからな
それで腹腔内に膿瘍の存在が示唆される様であれば、仮に虫垂に炎症がなかった場合でも他に責任病変があるはずで、その場合には腸管壊死や穿孔性腹膜炎など更に重症である事が見込まれる
故に「違ってたから取り敢えず虫垂切除して閉創」など有り得ない話だ 調子悪いけど病気と診断されるのが怖いからと医者にかからなかったら重症化して緊急入院とか 虫垂の役割が分かった!などと
ttp://www.menekiplaza.com/column/tyusui.html
リンパ組織が発達し、免疫細胞を腸に供給して腸内細菌をコントロールする >>861
カキコみて思い出したが昭和の頃はレントゲン代五万、盲腸手術代10万くらいだったから
時間と費用を考えていきなり手術もありな時代だったんだよ。
地方だとレントゲン装置使うために県庁の大病院に紹介状書いて貰う手間が追加されるような時代だった。 >>858
それがな、90年代くらいまで消化器外科医の手術件数稼ぎ&診断力テキトーなせいで、856の言うような状況だったのは事実なんだ。
諸外国との比較で日本はとびぬけて盲腸の手術が多いってことで批判があった。適当に診断して開腹して、あれ?ってなっても切除しちゃう。
カタラーリスって呼ばれてね。 日本人は腸が長いからかなんかでそもそも盲腸の発症率高いんじゃなかったっけ?
確か女より男の方が発症し易いんだよな。 最近の歯医者って抜歯の際も痛くないのな 昔は痛いわ腫れるわで大泣きしたのに
医療技術の進歩だけは大したもんだと思った 俺今年の頭に親知らず抜いたけど、死ぬほど痛かったぞ。
変な生え方してたらしくて、紹介状貰って大きな病院行って、そこの先生が
「久しぶりに手ごわかったw」
って言うくらいの難物だったらしい。なに笑ってんだよ。
一回休憩挟んで40分くらいかかった。麻酔二回追加した。 親知らずは変な生え方するからね〜
俺も強引に抜くと顎の神経を傷付ける危険があるからと延々と削り取られた
こんなの昔だったらどうしてたんだか わりと最近まで、虫歯・歯痛は人間を死に至らしめる事もある病だったからな。
「若い女の子が歯痛で汗だくになって苦しんでいる姿マジかわいい(意訳)」
って書き残した清少納言さんマジ鬼畜ですわ。 親不知は3本抜いた
最後の一本は横向きに生えていて
尚且つ歯茎の中に有った状態だったので
歯茎をメスで切開して
タガネで砕きながら取り出した
術後一週間ほど口がまともに開けられなかった(つд;*) 現代だからヒドイ目に遭ったってくらいで済んでるけど戦中だったら死んでるかもってとこだよね
甘いものが少なくたってきっちり歯磨きしてなかったら虫歯や歯周病になるわけだし
歯ブラシ&歯磨き粉なんて補給されたかったろうしどうしてたんだか 南方では虫歯になるよりも栄養失調で歯茎がボロボロコースだな そう言えば、栄養失調で歯が抜けたって話はあんまり聞いた事ないな。
髪と歯は栄養失調じゃ抜けないのかね? >>875
粗食になると虫歯にならない、って話は聞いた事はある。
しかし、ビタミンCなどの不足で結果的に歯が抜ける、ってのがあったかな。 革命前のキューバの農民がそんなんだったと三好徹が書いてたな
あちらは麻酔すらなかったそうだが 前世紀に長期間船に乗る船乗りは念の為に悪くも無い盲腸を手術
で取っちゃうって話を聞いたことが有るけど都市伝説なのかな? ソ連式虫歯治療は
引っこ抜いた歯の代わりにステンレス製の義歯を入れた
ソースはフォーサイスのイコン ロシアのピョートル大帝の趣味は虫歯治療
大帝の時代の治療法は、ヤットコで引き抜く一択
臣下がうっかり歯の痛みをこぼそうものなら
大帝が嬉しそうにヤットコを取り出す
大帝「拷問じゃないよ!治療だよ!」 当時の虫歯なんてホントに歯の中に無視が潜んでて痛みをもたらした(その虫を瓶で捕まえたって自称するオッサンも居た)って考えだったし
中世ヨーロッパの医療なんて医者呼んだら建築現場から大工がやってきて治療する位いい加減なものだった 風邪ひいて熱出したら、体を冷やすんだっけ?
医者呼ばない方がマシっぽいな。 旧ソ連時代は医療費無料で素晴らしい国なのだって資料見せられた事ある
大衆病院じゃ患者がシートに座らされシートごと移動してゆく方式で当時はすごいと思ったけど今にしてみればまるで工場
実際数をこなすために歯科じゃ問答無用で抜歯で眼科の方は眼鏡不要のレーシックをやっちゃうとかけっこう乱暴
おまけに大都市以外じゃ命に関わるというほど医療レベルが低く共産党員の家族は地方赴任を忌避していたとか ルイ14世だったかは虫歯は万病の元、歯が有るからいかんって言う主張の侍医に
何回かに分けて全て抜歯されてマトモな固形物が食べられなくなって生涯胃腸の不調に悩まされたそうだが >>878
北朝鮮の工作員の死体全てに盲腸手術痕があったってなにかで聞いたな。
>>883
1980年代中頃に当時のTV番組でレーシック(当時はカミソリで筋を入れた)絶賛してたなあw >>883
左遷はある意味、送られる土地によっては緩慢な死刑だったみたい
王朝時代の中国でも、左遷となると
医療や衛生水準の差や、料理技術の差のせいで
都暮らしのエリートは、風土病を始め各種疾患を患ったり
口に合う料理や食材が手に入らず、栄養失調になったりして
左遷されて数年で亡くなる、てのも珍しくはなかった
中には、左遷先で手に入りやすい食材で料理を開発したり
作物の種を取り寄せたりして農業指導したりで
左遷先の料理のすいや、農業の生産性を高めて
民衆から感謝された、てなレアケースもあるが トンポーローが生まれる前は豚肉があまり主流じゃなかったのか 盲腸か・・・。
幼稚園児だったころ、親父の盲腸の傷跡を、日露戦争に出征中203高地ででロシア兵に刺された名誉の負傷だと信じて疑わなかった。
親父と風呂入る度に、その武勇談を聞かされた。
ちなみに親父は昭和8年産まれ。 >>889
いい親父さんじゃねーか。
ご健在なら孝行してやんな。 >>890
健在どころか、渓流釣行と不倫(60代の不倫相手複数)で毎日忙しそうだよ。
オレなんか数年前から嫁すら持て余してるのに・・・。 >>884
その主張自体は現代でもあるみたいだ、健診で行った先の治療所にポスターがあった
もちろん現代は治療するのであって抜歯は最後の手段だけどw 信長は本来思慮深く忍耐強い性格なのにヒステリックな言動があるのは
実は虫歯に悩まされていたから…という解釈をしてる人がいたな
当時は抜くことさえままならず鎮痛効果のある漢方薬を詰めたり祈祷したりなんで無理もなさそう 極端な甘党だからなぁ〜
つまり正露丸があれば随分助かった被害者や文化財もあったかもしれないってことだな >>888
宋朝では儒学者によって肉の等級が決められて
豚肉は汚れた肉として忌み嫌われていた
(食べると魂が穢れるとまで言われた)
当時、豚には残飯や排泄物を食べさせていたので
寄生虫を始め、各種感染症の原因になっていたから、らしい
特権階級が忌避するようになったので、料理法も衰退したり途絶したり
飼育法や品種改良も同様で
貧民のタンパク源としてのみ存続していた
その途絶した料理法を、独力で復活させたのが蘇東坡
「固い豚肉も、じっくりコトコト加熱するとスゲー柔らかく美味しくなるよ!」 >>894
腹たつわ。クソガキども。
痛え中騒乱とかしやがってクソのハゲ。
もう燃やそ。なめんな歯痛。俺第六天魔王やぞ。 ノブノブは短気な割りには「ゴメンネd(>ω<。)」すると
柴田勝家や松永弾正とか許しちゃうんだよね
松永なんか最後は爆死しちゃうけど三回も裏切ったのにね 信長の森武蔵に対する甘やかしっぷりとか凄いもんな。 >>899
あいつはまあ事情が特殊だから…
親父は信長の危機に奮戦して戦死
弟はお手つき
本人も掘られていた可能性が否定できない ・関所破り&関所の役人を殺害&放火
・信長の渡り初めが済んでない橋を勝手に渡る&橋守を殺害
・秀吉が「何人も渡ること許さず」としていた橋を勝手に渡る&橋守を殺害
・京における織田家馬揃いにて他家の馬丁を惨殺
これでもほんの一部だからなぁ・・・。
どんだけ森家に甘いんだよ信長は。
特に織田家馬揃いでの乱暴狼藉は、普通に切腹モノだろ。
そんなにお乱の尻は名器だったのか? 現実社会から排斥された人たちの、
雑学披露大会また始まったのか 一説によると、信長が蘭丸を寵愛した理由の一つは、美味しい茶を
いつも出してくれるから、だとか。 森蘭丸の文字を見ると
はいからさんが通るの森蘭丸を思い出してしまう(´・ω・`) 茶 という文字に秀吉が茶々のお茶がと言ったとか
茶釜がどうのとかいう単語を連想した 乱丸だろ。
信長公記みたいな江戸初期成立の本には乱丸になってるし。
森家の兄弟の幼名は、勝蔵、乱丸、力丸、坊丸。
まぁ一般的には蘭丸で通っちゃってるけど。
美少年だったってのと、信長の色小姓だったってイメージが強いせいなのかもな。 単に忠誠心を見込んで側に置いたら色々出来る男だっただけじゃねーかな。親父は自分が一番苦しい時に、忠義を、尽くして死んだんだし。譜代の家臣として扱わなきゃ、もう誰も死んでくれなくなるだろ 美味しんぼで「牛丼か、奢りやがって」ってセリフあるけど
当時でも吉野家とか養老牛丼って無かったっけ?
あと牛スジってそんなにクズ肉扱いかね? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。