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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません >>540
バーカー中佐がおかしな手紙をよこすからおかしなことになるんだね。
ディマプールを取られても別にインパールを放棄する必要性はまったく無いのに。 理想的な時期にディマプールを攻略できたならば
皇太子様を奉じた建国が現実味を帯びてくるわけである
もとよりディマプールを皇都することはなかったであろうが
産業・経済面で新皇土の策源地となったことは確かである
そして油田及び精製設備は、将来的には輸出原資として新皇国の財源となったであろう
因みにこの頃になると、既に軍は戦争指導において帝の信を失いつつあり
実際、戦争に勝つ見込みは皆無であることをわかっているので
避難皇土の名目で軍が生き残りを図ることは至極当然の流れであった
ただ、新皇土にも御標を要するので
理想的には皇子を仰ぎ、神器の一つを移管し本土皇国との一体を願いたいところであったが
それを説得することはおよそ不可能と考えられたので
潜水艦による拉致強奪という手段を想起せざるを得なかった
(正仁親王は病児ゆえ対案にならなかったが
私個人的には弟君を天子としてお迎えし、世嗣等は後々考えればよかったと思う) そこらへんにウンコが落ちているな。触らないように注意しよう。 >>542
要するに先帝(昭和帝)に見切りを付けられてたアホ陸助による謀叛である。
が、やっぱり第二帝国の戦力もバカの陸助なので、史実より長持ちするメドがないんだけどな。
工業力を本土に置き去りにして、戦車も戦闘機も手持ちを磨り潰すしか無い癖に石油を有り難がって何に使う気やら(笑) だいたい、第二帝国の領土が他人の靴の上にしか存在しないのに、
本土または史実より手加減して貰える訳がない。
もし、連中に存在意義があるとしたら
戦犯としての罪を全部引き受けて本土を講和させる位だから、殿下が連れ出せなくても東條とかは忘れずに吊れて行けよ(笑) >>546
そしてイタリア枠で連合軍入りした日本軍に
226のオチである、賊軍扱い&下士官以下は投降で免罪のビラで秒殺される第二帝国(笑)
陸助は学習能力が無いなぁ。 てか、英国の戦史研究家にも酷評されてるのに、インパール作戦
でも、一部の変な手紙しか見ないんだよね、擁護派って >>548
まだ擁護派なんているのかね?擁護しているのはもう土足くらいしかいないだろう。
大田嘉弘ももう死んでいるし。 Bunzo
‏ 11月4日
あるドキュメンタリー映画の取材を受けたインパール作戦から生還された方が取材者に
「これはよく調べています。」と歴史群像10月号特集記事のコピーを差し出したと聞く。
こうした話は素直に嬉しい。 >>301
皇軍はインド兵の捕虜を銃剣の練習台にしてなぶり殺しにしてたぞ
それがバレて後でインド兵に復讐される >>526
コヒマへの進撃が遅れたのはジェッサミとサンジャックでの戦闘のせい
ジェッサミはまだいいが、サンジャックは15師団の管轄でわざわざ攻撃したのがアホ
つまり宮崎繁三郎のせい。 >>539
アッサムはベンガル以東のかなり広い範囲
ディマプールもティディムもアッサム >>556
敵から奪う、は当作戦の大前提だから宮崎の機転は推奨される行為だし、
コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
だいたい、空挺の処理を優先したのを非難するとムッチーにブーメランが刺さるぞ。 つまり、佐藤に補給をきちんと付けなかったムッチーがアホなせいで負けた!
補給が通ってれば言い訳のしようが無いし途中の寄り道も不要なので勝てたw
っと言いたいんだなw >>556
そもそも、コヒマを何日目に落とそうが、
究極無能ムッチーは残りの二個師団でインパールの前の二個大隊にさえ勝てないので全く無意味。
まあ、大隊と師団が撃ち合って大隊が撃つ方が多いとかアホな条件にしたのもムッチーだしな。 牟田口の事をムッチーなんて呼ぶのは
この世に一人くらいしかいないと思うがw
すべて一人の書き込みなのか?w ムッチーの正当性を主張するキチガイより多くても何の不思議もないけどなw >>558
>宮崎の機転は推奨される行為だし、
宮崎将軍を礼賛する人たちはそういうけど、
軍事作戦としてとしては作戦地境を調整も無く超えるのは問題じゃないかな?
場合によっては友軍相撃になりかねない。
>コヒマはちゃんと取って目標は達成している。
サンジャックの戦闘で七日を失っているね。
その間に161旅団がコヒマに到着してしまっている。
それをどう考えるのかな? >>563
挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
そもそもが方や空挺方や山越えの為に大砲置いていた軽歩兵同士のド突き合い、
直接照準下の戦闘で敵味方の区別も出来ないボンクラしか連れて来れないんじゃ作戦自体が無意味だわw
コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない あ、そういうボンクラに飛行機を幾ら廻しても少し前に陸助の馬鹿が欲しがった近接航空支援なんて完全に論外だな。
味方に機銃撃つって有様なんだから。 >>564
>挟撃さえ出来なかった15師団と相撃など有り得ない
60連隊は間に合って共同で攻撃しようと提案したが宮崎少将に拒否されているね。
本来攻撃の責務は60連隊にあるのだから拒否するのはどうかと思うが?
>コヒマを見捨てた161旅団にインパールに行かれるよりはコヒマで拘束の方が作戦に沿っているし、
>英空挺師団の仕事は後方攪乱であり、始末した史実より酷い補給状況での前進など比較する意味もない
別にコヒマより先に前進するべきだったとは書いていないよ。
七日早く到着すればその分野戦築城に時間を掛けることができる。
それを考えるとサンジャックはわざわざ58連隊が攻撃する必要がある
という判断には同意できないという話し。 宮崎の指揮する58連隊は師団の主力では無い。
状況に応じて動くのが正しい。
本来ならば31師団の主力である2個連隊が
先にコヒマに突入していなくてはならない。
こっちが遅すぎる。
いずれにしても宮崎の連隊を指揮したのは
31連隊の司令部で、こちらの方が問題。
ここが始めからやる気が無いのだから作戦は失敗して当然。 >>566
つまり、相撃にならない連絡が可能だったと実例があるので>>563が杞憂だっただけだな
>早く到着すればその分野戦築城に時間を掛けることができる。
60師団が来るまで敵が野戦築城なり散開させるなりはええんか? >>567
60連隊はもっと後ろにいたから先に攻撃できなかったのだ
15師団で遅いなら誰にもチャンスが無いのだから、作戦自体がアホ過ぎなだけだなw
幾ら戦線を前に出そうが補給が届かなければ維持できないし、例えどこで増援を止めようが
残りの二個師団で攻めて二個大隊に追い返される無能ムッチーにはインパールを落とす可能性など有りはしないのだw >>568
杞憂ではなく軍の計画で師団戦闘地境を設定しているのは友軍相撃を避けるため、
部隊の混交を避けるため、師団の責任範囲を避けるためという戦術上の考え方による。
何処の国の教範にも書いてある普遍的なもの。
なにも起きなかったのは運がよかった。
> 60師団が来るまで敵が野戦築城なり散開させるなりはええんか?
サンジャックは15師団の責任範囲だから別に構わないよ。
31師団及び15軍の作戦計画に従うなら58連隊は速やかにコヒマに進撃して
周辺の英軍を排除して防御陣地を構築すべき。
むしろ積極的にサンジャックを攻撃しなければならない理由が見つからない。 >>567
相変わらず師団を運用と戦術を理解してないようだね。土足君w
分進号撃に主力かどうかは関係ないよ。
31師団の作戦命令(作命)をみればわかるが、
58、138連隊ができれば同時に、コヒマに到着するのが望ましい。
124連隊は師団の第三梯団なのでその後だね。
また状況に応じて動くというのはあくまで師団の作戦に寄与することが前提。
好き勝手に動くことではないよ。 >>571
佐藤がマトモな司令官なら、3月中に124連隊が
コヒマに突入していたはず。
そして宮崎の58連隊に対しては、インパールへ突入
させるように指揮する。
当然これらは15軍、15師団と調整して連携する。
最初の作戦計画がどうだろうが関係無いだろがアホ
スリム中将もそう指摘している。 >>570
防御陣地を作っても敵が減るわけでも無ければ弾や飯が出てくる訳でもない。
ウ号作戦の計画通りの線まで下がって構築して良いならともかく、ムッチーの作戦>>572は攻勢で押し切るんだから後退許可を3月には出せないよね(笑)
結局4月以降の負けスケジュールは何一つ変わらない。 ムッチーが二個師団で二個大隊に追い返されるんだから、58連隊が単独で突っ込んでも中隊で十分支えられる。
インパールは落ちない(笑) 土を掘ってそこに入ると言っても
あの辺、とてつもなく悪そうな虫や生き物が沢山でてくるんだろ >>563
ウエストケント大隊が4月5日に到着したんだよな
このせいでコヒマは陥落しなかった。 >>564
15師団は3月23日にサンジャックに到着していたが、山砲を準備してから攻撃する用心深さで25日から砲撃開始した。
サンジャックは掘っても90センチで固い岩盤にぶち当たる大砲に弱い土地で、英軍はさんざんやられた。
歩兵だけで猪突してはね返されて大損害だした宮崎繁三郎とは違うのだよ。 >>567
細道しかない北方の山岳を踏破した2個連隊と比べ
わざわざ整備されたウクルル道を通った58連隊がほぼ同時にコヒマ到着ってのがまずおかしい。 毒餌で死ぬ程度な間抜けな畜生の脳ならそう思って地雷でも踏むんだろうな(笑) >>573
>防御陣地を作っても敵が減るわけでも無ければ弾や飯が出てくる訳でもない。
そのとおりだが、そういう作戦計画なんです。31師団の作戦計画は速やかにコヒマ周辺に集結して
防御戦闘に移行することだから。サンジャックに寄り道しているヒマは無いのですよ。
31師団の作戦にまったく寄与しないのですから。 >>572
では土足君。一日あたり何キロ前進すればよかったのかな? >>572
>そして宮崎の58連隊に対しては、インパールへ突入
>させるように指揮する。
牟田口君はそのような命令を出さなかったし、
宮崎少将もそういう意見具申はしてないのだが?
>最初の作戦計画がどうだろうが関係無いだろがアホ
命令の変更がなければ計画通り行動するしかないわけだが?
勝手行動していいのなら佐藤師団長の独断も許されるということかな?土足くんw >>576
七日の遅延がなければコヒマ三差路高地は取れたかもしれませんね。 >>581
31師団の中突進隊(138連隊)がゼッサミに攻撃開始したのは3月28日朝
こんな取るに足らない敵を相手にせずコヒマへ突入していれば、
3月31日にはコヒマ攻略完了だな
(ほぼ空き屋状態だから)
※ゼッサミ〜コヒマ間 90km ジープ路完備
日本の公刊戦史と英軍の記録では全然内容が違い
日本側ではゼッサミで強敵と激戦を戦って、死傷者多数のように書かれているが
英軍側の記録では、このアッサム連隊にまったく被害は無く
無傷でゼッサミからコヒマに戻ったと記録されている。 追記
※ゼッサミ〜コヒマ間 90km ジープ路完備 (直線距離で30km程度) >>580
コヒマで守備隊と空挺に挟撃されろ、なんて命令でないのだから、
後顧之憂を絶つのは指揮官の裁量の範囲内。
それを超越して前に進めと言うなら、
良いから先に行け後方は60連隊でバックアップするから、って確約をムッチーがするべきだったのだが、してないわけで。
図上演習でこういうお題をキチンと詰めてれば まだしも、そういう準備をしてないんだから
素面の師団長たちが各自の常識の範囲内で処理するのは当たり前。 死地に特攻すべき31師が一番やる気がなくて、
アホな作戦で死ぬのは嫌だから
無理しないよう、深入りしないようにしてたんでしょ。
横に敵が居たら、前進しない理由になるんだから喜んで潰しに行くよ。 >>587
本当にただ無意味に潰されるだけの死地だからね。
損害は出るけど勝算が有る、とやる前にコンセンサスを作れば、それが誤算でもちゃんと突っ込むんですよ。
本作戦の場合、図上演習とかサボってるムッチーのせい。 >>585
それで、31Dが保有しているジープは何台?
あとジープ道の幅と勾配は? >>589
ジープなんかなくとも90kmの距離なら
3日で行けるじゃないか。
3月31日にコヒマ攻略は普通にやれたはず。 地雷を埋めるなり狙撃兵数人で嫌がらせするだけで道路は使えなくなるけどな >>586
>後顧之憂を絶つのは指揮官の裁量の範囲内。
ところが宮崎将軍は後顧の憂いを断つためにサンジャックを攻撃するとは
言ってないわけなんですよ。
軍旗がどうとか武士の情けとは言ってはいるようですが。
しかも60連隊の戦闘加入を拒否するしまつでしてね。 >>584
答えになってないよ土足君w
31師団は作戦発起3月15日から一日あたり何キロ前進すればいいのかね?
58連隊ならー7日だからもっと余裕だがねw アーサー・バーカーの見解では
4月の段階で、宮崎の指揮する1個連隊がインパール攻略に
加わっていたなら、インパールは墜ちていた。
しかし、それ以上に日本が簡単に勝つ方法は
佐藤の師団主力が、即座にディマプールに突入すること。
これで日本はインパール攻略だけではなく、作戦全体で
大勝利していたであろう。
こう言っている。
他の関係者もほぼ同じ見解。
だったら楽勝じゃないか。
上記のように3月31日には、コヒマを戦わずして攻略できて
大量の物資が得られるのだから
インパールでもディマプールでも、どっちを攻めても勝てたわけだな。
また宮崎がサンジャックを攻めたのも正しい。
そのままインパールを猛追すればよかったわけだな。
いずれにしても佐藤がちゃんと師団の指揮をして無いから
宮崎は混乱して当然。 まあ軍板にはバカしか居ないから
まともな反論は期待しない 53師団をフーコンに早期投入して18師と交代。
18師団を先鋒にしてOMGよろしく損害に構わずディマプールに突進させ、第二梯団として31師団に追及させればいい。
これで勝つる! >>594
アーサーのは戦後の発言なので、追加部隊に負けても自分が捕虜になる訳じゃないから証拠にはならんな(笑)
腰抜けジファードさんみたいに当時それを主張してなかった、それこそが4月におけるアーサーの本音(笑)
>>596
補給が届かない以上、18師団が佐藤同様に切れる、宮崎みたいに敵から奪う為に手近な敵に突っ込む、に走るだけ。
そもそも交代を敵が認める根拠がない。
18師団に遅滞戦術の一隊をあてがって、53師団の背後から攻撃を続行しても良いわけで。 >>597
田中新一中将なら、日本帝国を救うため、英国脱落の起死回生、回天を為すために、18師団と死んでくれと説得すれば納得してくれる。はず。
18師団には、ディマプールでの乱取りを許可すれば良い。 >>596
そもそもウ号も壮大な打通作戦の一部分と考えるべきなんだよね >>599
WHEN TIGERS FIGHT(XTR)や
Vinegar Joe's War: CBI(DG)では、
大陸打通作戦とインパール作戦はセットで、
CBI戦線での日本陸軍の戦略攻勢、
欧州でのバルジ作戦みたいな扱いやね。 連合軍から見るとその二つは連動してるように見えたかもしらんが、
たまたま同時期にシナ派遣軍とビルマ方面軍が攻勢発起しただけだと思う。 >>601
>たまたま同時期にシナ派遣軍とビルマ方面軍が攻勢発起しただけだと思う。
そんなわけ無いだろがアホ
連合軍の最大の目的は、中国からB29によって日本を爆撃するため
その補給路としてアッサム鉄道経由でレド公路を打通させること。
インパール作戦計画時には日本はその意図を知らなかったが
作戦開始のころは、それが明確に判明したため
(日本の飛行師団がB29とも初めて遭遇する)
インパール作戦の重要度が増した。
またそれに対応するため、大陸打通作戦も実施された。
米支軍が中国からビルマへなだれ込んだが
結果的にはそれが中国側にとっては大失敗。 >>602
だったらディマプールまで行くか、
中部ビルマのインパール作戦やめて
北部ビルマのフーコンとミートキーナ守らなきゃダメじゃん。
インパール作戦の目的でB29の本土爆撃阻止なんて聞いたこと無いけど。
北部ビルマ防衛はすなわち援蒋ルート切断目的ではあるが。 >>606
その辺も考慮して牟田口は北側に重点を置いたんだろ。
南からだけ攻めるという本面軍の作戦よりは妥当だし
現にその狙いどおり連合軍は窮地に追い込まれている。
連合軍側でも目的がビルマ奪還か第一なのか、
中国への補給ルート確立が第一なのか
米英中で考えがまとまってない >>603
つまり、インパールの南側は最初からブラフと言い張るなら補給は北側に寄せておくべきだったな。
やらないムッチーが悪い。 >>594
>アーサー・バーカーの見解では
これは英軍しか知らないトップシークレットw
日本軍は知りようもないんだよ、土足君w
だた偶然なんの根拠もなく牟田口君がディマプールを言い当てただけでね。
でもディマプールは宮崎少将のせいでとても取れない状況になりましたw >>600
それを読んだ古峰氏が最近歴史群像でそんなことを書いていたけど、
大理作戦なんて一部の参謀で研究してただけだという。
そもそも作戦目的が違う。 >>602
B−29の基地破壊と打通作戦とインパール作戦は
因果関係が別々だよ土足君w
そもそも2つ以上の作戦を連動させるという概念を明確に
持っているのはソ連軍だけなのだよ土足君w >>608
> >>602
> B−29の基地破壊と打通作戦とインパール作戦は
> 因果関係が別々だよ土足君w
それな。
チャンドラ・ボースがUボートで来日成功してなきゃ
東條はインパール作戦に入れ込まず、中央から作戦中止が命じられるか、違う形になったかも。
陸軍は大陸打通作戦に資源を集中するから、ビルマ方面軍は現有戦力でビルマルート遮断を維持して大人しくしとけ!って言われたりして。
> そもそも2つ以上の作戦を連動させるという概念を明確に
> 持っているのはソ連軍だけなのだよ土足君w
それもな。
ボードゲームで連合軍SEAC総司令官&国民党軍総司令官を兼任する一体おまえ誰やねん!プレイヤーに対峙する、
日本軍シナ派遣軍と南方総軍を両方指揮する、やはり一体おまえ誰やねんプレイヤーは、
自然にインパール作戦と大陸打通作戦を連動して計画実行しちゃうんだが。
で、インパール作戦は、連合軍の空軍と補給を吸引して潰されて、大陸打通の側面援護になっちゃうか。 >>609
どうみてもインパール作戦が中止か支作戦に格下げだね >>606
さすがアホの軍ヲタを代表するバカ軍ヲタ
それは
インパール作戦の作戦計画には、ビルマ防衛しか書いて無いから、
インパール作戦には、インド独立支援やアジア開放、援蒋ルート遮断というような
目的はない。
と言ってるようなもん。
そもそもビルマ方面軍の存在目的の中で
援蒋ルート遮断は大きな柱であり、
中国戦線と連動して無いわけがない。
しかし南方軍の配下というのもおかしい
南方軍では中国戦線のことは関知して無いだろうが
参謀本部では二つの作戦をセットで考えているのは当然だわな。 連合軍側から見れば、戦略的、政略的には
大敗と考えてるだろうな。
英軍はビルマ奪還で喜んでるが
米中は日本空爆を重視しており、ビルマなんか重視して無い。
結果的に米英中の信頼関係は崩壊し、以後アジアでの
米英中の共同作戦は破棄された。
政略的には日本の勝利だな。
しかしアメリカはアホの日本海軍に標的を絞り
バカな日本海軍の愚作のくり返しによって勝利した。
日本のアホの海軍は、連合軍勝利の最大の功労者。 >>611
インパール作戦はビルマ防衛が主眼だよ、土足君w
なんせ河辺、牟田口以外の関係者が口を揃えている。
>参謀本部では二つの作戦をセットで考えているのは当然だわな。
根拠を示すようにw インパール作戦失敗の原因は
勢いと流れや空気
こういったことの影響が大きいと思う。
アジアの人間も、やはり勝ち馬に乗りたいと思って当然。
しかし太平洋戦線での日本海軍の負け振りを見れば
日本は負けるとだれもが思う。
だから日本側について戦っては、あとで酷い目にあうと思って
みんな願えるだろうな。
おれでもそう考えるわ。
もし太平洋戦線で海軍が上手く戦っていたら
アジアの人間はみんな、どとうのごとく日本側について
その勢いで連合軍を一気に撃破出来たと思う。
いくら入念に計画しても、勢いや流れには勝てない。
例を挙げれば鳥羽伏見の戦いでは
5000人の薩長軍が、15000人の幕府軍を
一気に叩きのめしてしまった。 >>613
>米中は日本空爆を重視しており、ビルマなんか重視して無い。
そりゃそうだよ。アメリカは日本空爆の基地としてマリアナ諸島を占領するつもりだったし、
>結果的に米英中の信頼関係は崩壊し、以後アジアでの
>米英中の共同作戦は破棄された。
そもそも目的が違う。
ルーズベルトは大日本帝国の解体が目的だし、
チャーチルは領奪回、
蒋介石は領土からの日本の排除だから。
利害関係の違う3者を共同させた東條が(w >>614
>例を挙げれば鳥羽伏見の戦いでは
>5000人の薩長軍が、15000人の幕府軍を
> 一気に叩きのめしてしまった。
薩長軍は近代戦術を習得していたが幕府軍は習得していなかった。
インパールでは後方遮断戦術で勝とうとした牟田口君だが
英軍は航空補給と円形陣地で対抗した。
戦術だよ、土足君w アメリカはマリアナ奪還には1年くらいはかかると
奪還には消極的だったんだろ。
いや無理だと考えていたと思う。
だから苦労してレド公路貫通を進めていた。
しかし、アメリカは中国戦線の敗北で
マリアナ攻略の必要に迫られて、仕方無しに大出血覚悟でやったんだろうな。
しかし結果は
日本の海軍は考えていた以上にバカだったため
(もともとバカとはわかってはいたが)
簡単に攻略できてしまったと。
こんなとこだろうな >615
>利害関係の違う3者を共同させた東條が(w
山本五十六だな
ソ連、中国、アメリカ、イギリス
利害関係の違う4者を結びつけて
全力で日本と戦わせた
このバカの影響は計り知れんわ 少なくとも軍2つにまたがる2つの作戦を連携して展開するなら、
そりゃラングーンだけで済むわけなくて、
東京でムッチーの2つ以上上の裁決を取らないと成立しないんだが?
それが取れた根拠は?
双方の責任者が顔を合わせて日程の擦り合わせをやったとかの。 >>617
レド公路は蒋介石を対日戦から脱落させないためのものだよ、土足君w
蒋介石に脱落されたらアメリカは大日本帝国を崩壊させる大義名分を失うよ。
日本海軍の頭が良かったらアメリカに勝てたのだろうか? >>618
相変わらず山本の評価が東條より高いな、土足君w
一介の連合艦隊司令長官が陸軍大臣や参謀総長、海軍軍令部総長、海軍大臣
外務大臣、大蔵大臣の頭を押さえて開戦を奏上させ、実施するんだから
ものすごく大した人物だw 因みに開戦経緯を調べると関係するあらゆる会議に山本はまったく顔を出してない。
それで日本を動かしたのだからなんというか催眠術かなんかかな?w >>617
米海軍のマリアナ攻略に中国関係ないよ。
マーシャルのあとトラック迂回したら、
マリアナかパラオでしょ。 ★山本五十六の犯罪履歴書
・1936年 海軍軍縮条約からの脱退・・・岡田首相と山本五十六らによる計画的な交渉破綻による
・1937年 海軍マル3計画・・・対米戦争を想定した機動部隊を主力とした連合艦隊を編成を計画
そのための予算要求
・1937年 海軍の山本五十六らは、船津和平工作を妨害するため自作自演の大山事件を起こし、
それを口実に独断で中国空爆、陸軍の上海派兵を要求、日中戦争が勃発
海軍は大幅な軍事予算拡大
・1937年 ルーズベルト大統領が日本の中国空爆を非難する演説
国際連盟、9カ国条約会議が日本の侵略戦争に対する非難決議採択
対日経済制裁開始
・1940年 海軍は重慶に対し大規模な都市無差別爆撃を開始(予算消費が目的)
(山本五十六の子分、井上成美が主導)
・1940年 陸軍は海軍主導の日中戦争を終結させ、対ソ防衛目的で三国同盟を提案。
海軍は三国同盟を認める見返りとして、南進政策を要求。北部仏印進駐開始。
・1940年 山本五十六は真珠湾奇襲を計画、準備を開始。
・1941年 海軍は日米諒解案に基づいた日米交渉を妨害するために南部仏印進駐を強行。
対米英戦争を見据え、そこに大兵力を集結し連日猛訓練を開始。
アメリカの対日禁油政策決定。
陸軍の米英可分論に対し、山本五十六は米英不可分論を主張
なんとしてもアメリカを戦争相手国とするために画策していた。 >>644
でボンクラの陸軍大臣や参謀総長、海軍大臣、海軍軍令部総長が
同意したわけだw こうしてみると山本五十六の愚考は明白だが
その後ろ盾となった岡田啓介の存在が大きい。
岡田啓介こそが最大の戦犯である。
こういう結論になる。
こいつはWikiで絶賛美化されているが
ほかにもいるが
NHKやWikiで絶賛美化されてるやつこそが、
日本を暴走大敗させた本当の戦犯だと思って間違いない >>606
宮崎繁三郎のサンジャックせいでディマプール取れなくなったんだよな
こいつが皇軍でもトップの名将とはな。 >>584
残念ながら3月31日にはウエストケント大隊がコヒマに到着してたんだな。
すぐにディマプールに向かわされたけど。
しかしディマプールには第インド5師団がすでに空輸され、さらに鉄道でイギリス第二師団が続々集結中だった。
なぜか?、それはサンジャックで3月26日に若い日本軍将校の遺体から英軍が捕獲した作戦文書がスリムの元へ渡ったせい
考えなしにサンジャックに歩兵のみで突撃させた宮崎繁三郎の大チョンボ
15師団にまかせとけば良かったのにな。 >>590
そもそもジェッサミまでがはるかに難路で、3月28日じゃないか
ウクルルに3月21日に到着した宮崎繁三郎の58連隊とは全く状況が違うわな。
ほかにジープ道で90キロといっても途中のカラソムにも英軍がいたしな。
こちらの英軍は撤退命令が届かず英司令官が最後まで戦って戦死してる。 もちろんジープ道といっても、舗装されたウクルル道とは比べ物にはならん >>628
デタラメ乙
当時ディマプールにいた英第二師団のアーサー・スウィンソン大尉が
コヒマもディマプールもまったくの無防備状態だったと書いている。
彼によると部隊が到着したといっても、それは先遣隊のごく少数で
少しずつ水滴のようにしか、部隊も物資も届かなかったと書いている。
このとき日本が攻めれば、日本は間違いなく勝てたと。
彼はおまえら軍ヲタなんぞとはわけが違うw、軍参謀で
しかも当時そこにいた当事者なんだが?
日本の作家ごときが、しかも当時の戦況を見ても居ないぶんざいが
英軍の見解を間違ってるとか、笑わせるなw >>627
アーサー・バーカーは宮崎を絶賛している。
彼のような軍人がもう一人居たら、連合軍は負けていたと
こちらも当時、インパールで日本軍と戦っていた
第四軍団の参謀で当事者
おまえらなんぞとは、その説得力には
天と地の差があるw
笑わせるなw 繰り返すが部隊配置から見て
コヒマを攻略する主力は北側の2個連隊
(司令部の位置から明らかだが)
宮崎の部隊は、その側面を突く支援部隊
あるいはインパール攻略に転用も考慮された部隊。
宮崎がサンジャックを攻めている間
別働隊がコヒマに向っており、予定通り到着している。
しかし師団主力と連携して攻撃するため、待っている状態。
宮崎は師団主力のコヒマ到着が遅いのを知って
ではコヒマ攻撃にはまだ時間の余裕があり
サンジャック攻撃も可能だと判断したんだろ。 >>631
つまり、大隊長時代に兵隊の管理も出来なかったムッチーごときが軍団を後方から仕切って勝てるなんてのが間違い。
実際に見てる方が正しいのだから、
佐藤が下がると言うなら佐藤が正しく、宮崎がコヒマよりサンジャックを優先するなら宮崎が正しい(笑) >>631
その水滴以下の弾さえ前線に届かないアホ補給の責任はムッチーに有るんだが。 >>631
制空権と味方の後方の道路で水滴しか届かないって証言が有るのに、
その両方が欠けた敵地に道路が有るだけで弾切れ飯抜きの水滴以上の何が届くんですか? >>631
さて、その無防備な日時なのだが
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』より
3月24日 西ヨークシャー第二大隊がコヒマ到着
3月28日 138連隊がゼッサミのアッサム連隊を攻撃開始
58連隊はサンジャックを進発
英161旅団コヒマに到着済み
スリムの意見では、「コヒマの山稜は防戦にはディマプールより秀でて」おり、
コヒマはディマプールをカバーもできるし「山岳にしがみついている限り、あま
り激しい反撃を受けないで機に応じては増援を送れる」と説いたこのスリムは
日本軍のコヒマ到着を4月3日ごろと推定していた。それまでには6日あった。
もし日本軍がディマプールに一個連隊を向けてくるとしても、4月10日まで
には達しないはずだと彼は考えた。4月5日には英第二師団が来着している。
ということなのだよ、土足君w >>633
戦史叢書 インパール作戦
第三十一師団の攻撃部署
四 左突進隊は三月十五日夜ホマリン付近及びその下流メザリ間でチンドウィン河を渡河し、
ウクルル−ガヘジマ−マオソンサン−コヒマ道をコヒマ向かい突進する。
サンジャックと取れとも師団側面援護とも書いていないのだよ、土足君w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています