ワッチョイ無 1 インパール作戦 [無断転載禁止]©2ch.net
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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません 【山形】<インパール作戦>佐藤幸徳中将の菩提寺にインドの青年から鎮魂と友好願う油絵「今も現地住民に慕われていることに感銘」
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1513706824/ 再放送を見て来ますた
うちの爺さんはこんな奴のために死にかけました 新幹線の例の話。なんかインパール作戦に少し近いものを感じる 上層部の無能さは論外だが、こんな無茶ですら通ってしまい、またそれに皆に従うという文化が
昔の日本の狂気じみた強さの源泉だったんだろうなとも思った
今だったらみんな逃げて終わり ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 デフィマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 みよこの連合軍のそうそうたるメンバーと、その見解を。
当時、この方面で日本軍と壮絶な戦いを経験した
連合軍の指揮官や参謀の生の声。
戦後に日本のインチキ作家なんぞによって書かれた似非インパール戦記本
しかもそれらは政治的、利権目的で作為的に
編集者による扇動の意図のあるもの
なんぞとは次元が違うw 枝野のやろう
悪い例を出すなら海軍主導のもっと悲惨な太平洋戦線が
いくらでもあるのに
なぜ、インパール作戦を例に出すか???
ということは
所詮こいつも半藤と同様、
権力者に迎合した私利私欲の犬にでしかない またやってるよNHK
余程日本が憎い局員が居るんだな!! >>6
>前スレラストのサンフランシスコ平和条約を結んだから日本政府は無条件降伏してないとかほざいてる基地外なんだったんだろ
『無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ』とか、馬鹿ばっかりだよなw https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180129-00000030-cnippou-kr
ほいwきたw
中国原子力潜水艦の激しい騒音で、日本の海上自衛隊に探知されて2日間追尾されるという侮辱を受けたと香港サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙が29日、報じた。 v ★世界一、残虐行為をやってたのは
間違いなく日本海軍である。
・ウエーク島では100人の捕虜を集め、一気に銃殺処刑した
・パラワン島では150人の捕虜を防空壕に閉じ込めて全員焼き殺した。
・ 駆逐艦秋風では女子供を海に投げ捨てるなど70人の民間人を
皆殺しにして惨殺処刑。(山本五十六の命令)
しかも日本海軍の残虐犯罪は、これだけではない。
海軍は太平洋戦線の各地で国際法を全く無視し
捕虜、民間人を皆殺しに虐殺していた
ここまで国際法を無視した酷い軍隊は歴史上世界に無 >>6
ドイツは講和条約を結ぶことさえ許されていないのだぞ? ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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ヽ、 ノ
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https://twitter.com/ibuki_air
09058644384 補給もそうだけど、相変わらずの迂回浸透戦術ばっかりなのも問題だった。戦場の空間の広さも
あるが、太平洋では米軍相手に通用してない。 .:::::::;' 軍職に或る事30年、、今回ほど必勝の ';:::::::.
:::::::::i 信念が沸き起こる思いをしたことが無い… l::::::::.
::::::::::! イギリス軍は弱い必ず退却する i::::::::
::: 補給について心配することは誤りである :::
' ― ―‐ -- 」 L_:::::
元来日本人は草食である、然るに南方の  ̄ ̄ ̄
__,. -┐ 草木は全て…即ち之食料なのである
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 天長節までインパールを攻略せよ r::- _
:::::::::'、 皇軍には天佑神助の奇跡が起こる /:::::::: ´` '
::::::::':、 ,.:':::::::
::::::::ヽ 雨季の到来は皇軍に /:::::::
::::::::丶 味方するものなり ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 あくまで敢闘すべし _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' \ 牟田口廉也 / `、 \ ■国賊・海軍・山本五十六の大罪(上 開戦まで)
@海軍軍縮条約から脱退
山本五十六の猿芝居交渉
A日中交渉を妨害するため大山事件を図る
中国都市無差別爆撃を強行、日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B三国同盟に反対。その理由は
海軍は対米戦争準備によって予算拡大、南方兵力拡大を図るために
陸軍主導の北進論、対ソ戦を妨害することが狙いだった
C南部仏印進駐
対米交渉の進展を阻止することが目的で海軍が主導。
海軍側の豊田外相による猿芝居
D水面下で海軍と結託した野村大使による偽りの外交
真珠湾をだまし討ちを成功させるための猿芝居交渉 >>104
でも中国軍には連戦連勝、大陸打通作戦は日本人の誇り。 蒋介石の返事は12月9日カイロにいたルーズベルトに届いた−−
(1) カイロ会議の前、シナが対日戦に取り残されるとの不安を持っていたが、公式声明で疑いは晴れた。
(2) 方針・戦略の大転換が行われるなら落胆せざるを得ずシナは長くは保たないだろう。
(3) 早期の独軍敗退が全体としてシナと連合国にとって大きな利益であるとの貴殿の考えは理解する。
しかしシナ戦場での敗北は全世界的戦争にも影響を及ぼすだろう。従って、現今の重大な状況を救う
ためには、貴殿の勧告を受け入れ難い。国民の抵抗を継続させる私の責任がますます困難になることは
貴殿もお分かりと思う・・・シナ戦線の危険は軍事力の弱さだけでなく、むしろ危機に陥っている
経済状況による。これが国民と軍をいつ崩壊させるかわからない。軍事的・経済的状況から見て、
わが軍は6カ月、11月までは保たないだろう・・・テヘラン会議声明から、日本は、連合国軍は欧州に集中し、
シナを放棄して日本軍の機甲・地上部隊に任せたと判断するだろう。来年中にシナ問題を解決することが
日本の戦略となろう。従って、日本は遠からずシナに対して総力戦を仕掛け、後ろの脅威を取り除き、
落ちつつある軍の評判を回復し、太平洋での実績を誇るだろう。いま私はこの問題に直面している・・・
http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/hoover/hoover13.htm >>105
劣った奴等に勝っても当たり前、自慢にならんよw 190 名前:名無し三等兵 :2018/04/15(日) 00:01:49.47 ID:BYlyt+Ny
BS1で残留ベトナム人妻番組
始まった イギリス軍の円筒陣地なんか無視して、インパールに突進すりゃ良かったんだ。 >>107
日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だが? http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1804/24/news077.html
円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断 k
「長い係争のいわば集大成」の判決と円谷プロ。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!wタイwざまw >>111
インパールも防御なされているし、なにより戦車旅団が居るんだが?
平地をエッチラオッチラ歩いて行ったら踏み潰されるぜw インパール作戦の批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。
1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。
このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。
連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。
その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。
●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘
補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません) 補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。
(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)
進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。
●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。
参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。 ●白骨街道の嘘
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。
60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。
インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)
他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。
なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。 >>1
√ ̄ヽ--ヘ O―〜,
/ ☆ ヽ || ● |
0く━=ニニ二> ||―〜'
//(●) (●) \
/ ヘ (__人__) |<牟田口廉也は、ヒトデナシ でアリマス!
/ヽノ彡,,.. .|∪| /
/ 丿,, /\ヽノ/ゝ 丶
(  ̄jヽ,/_l ヽ
\ ____ ̄{。 _____ }
ヽ、,,_, {---} }。 {---} j 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! 今年もインパールに頼るらしいNHK!w
あと30いや50回は放映されそうw 「インドの独立に繋がったのでした」とか言われると恍惚の表情で手のひらかえすくせにw >>122
ではNHKへの報復として山本五十六叩きを
さらにやりまくるしかないwww 昨日みたいな シュモーさん の番組ならいいNHK
誰も傷付けず感動する内容!!
クエーカーが神道みたいに見えたw >>104
インパールの英軍と言っても、途中の英軍は蹴散らし取るよ
ウィキペディアでは
(但しこれは連合軍側の重点防御地域でなく最初から放棄地帯とされ防御を固めたインパールへ日本軍をしむける罠)
とか書いてあるけど、実際はんなわけが無い
例えば、途中で英兵5000名を撃破して一個師団二ヶ月分の補給物資得たりしているわけで、普通に英軍敗走してたりする。おまけに物資処分も失敗というオマケ付き。
まあ問題は、道中に存在する英軍のボックス陣地崩すのに苦労しちゃったからインパール到達前に思わぬ消耗しちゃってるけど 途中の英軍の撤退はスリムの指示だし。
柳田師団長はスリムの策略を素早く察知して作戦中止を申し出てたのに、強行して大失敗したわけ。 >>127
ちょっと違う。柳田師団長が察知したのは後方遮断をしても英軍が後退しない。
という変化。流石にそれが航空補給のせいだとまでは分からなかった。 今日発売の雑誌でインパールの特集してて「敗因は補給のせいではない!」、
みたいに書いてて全部読んでみたけど、あんまりイメージは変わらんな。 >>129
その雑誌では、何のせいで負けた事になっているの? >>130
えーと、イギリス軍の戦術の変化らしい。
戦況は細かいとこまでわかるので読んでみるといいよ。 イギリス軍の戦術と言っても日本軍の補給軽視があってできた戦術だろう。
スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍に、どんだけ
物資を空輸してもソ連軍には勝てないし。 シンゼイワ包囲作戦でもあるように、そもそも日本軍(特にビルマ方面)の弱体が原因だろ
あんなん、いくら米や弾薬送ったところで瞬発火力で負けてるんだから一発事に百発お返しがくる状況に何ら変わりは無いし、日本特有の軍備の歪さから、近接戦闘では不可欠のSMGに圧倒されるんだからさ…
杜撰な作戦ばかり責めるけど、そもそもどんな有能な監督でも二流チームをプロで活躍なんて出来ないのと同じだ 日本軍は兵站を得ても、英軍にはどう逆立ちしたって勝てっこないのだ
日本が守勢に徹すれば英軍を撃退する事も出来なくはないかもしれないが、攻勢に出るなら英軍の3倍は強くないと無理なんだ
でも実態は3倍どころか1倍切ってるんだ エルアラメインが影響してる
あの勝利で優先度が高かった中東戦線が消滅し、極東にある程度戦力が来るようになった。
例えば、第二次アキャブ作戦で退治したインド第七師団は、中東でロンメルとも戦った精鋭で
前年のインド14師団とは全く別物 まあ、攻勢に出たのが間違いだな。ビルマは南北に一本の大河が流れてる、それを盾に防御戦闘
した方がマシだった。北のマンダレー南のラングーンの西側で河は3本に分岐していて防御には適
してた。 佐藤師団長は攻勢ではなく河川での防御を構想していたとかきいたな。
まぁどのみち押し切られるわけではあるんだが。 ドイツがエルアラメイン、スターリングラードで戦ってる
最も重要な時期に
日本はこれと連携せず、どこ行ってたんだ?
このときもし日本が西亜作戦をやっていれば英ソは大敗し
戦争は終結できていた。 >今日発売の雑誌でインパールの特集してて「敗因は補給のせいではない!」、
>みたいに書いてて
「歴史群像」の古峯文三氏の記事だね。
最近陸戦の記事書き始めたけど、意図してか分からないが
氏の記事は誤解を招きかねない書き方をする。 >>139
西亜作戦なんて存在してないよ、土足くんw ◆太平洋に消えた勝機 佐藤晃著 光文社ペーパーバックス
この状況で、ドイツとイタリアが日本に有力艦隊の派遣を熱望し、わが国がそれに応じようとしたのは至極当然である。
帝国海軍空前の有力艦隊による通商破壌戦が、インド洋で展開していたらどうなっていたであろうか?
7月11日、軍令部総長・永野修身は「作戦正面のインド洋転換」を上奏した。
《独伊のマルタ島攻略及び独軍の近東方面進出も可能となり、又枢軸不敗の態勢確立の可能性も著しく増大》したので、
今後は《第2艦隊及び第3艦隊を基幹と致します兵力を持ちまして、インド洋中部、情勢によりましては
其の一部を更に西部インド洋方面に進出せしめ、同方面の敵艦隊及び船舶を捕捉撃破しますことを考えております》
同時に参謀総長・杉山元は、インド洋作戦の根拠地として「セイロン作戦(西亜作戦)」を上奏した。
開戦前の「基本戦略」の1つ《独伊と提携して英を屈服〉させる作戦がまさに始まろうとしていたのである。
が、この「作戦正面のインド洋転換」は、結局は実施されなかった。 7月中旬、機動部隊を中心とする日本海軍の有力部隊のインド洋派遣を聞いて、独軍は沸き返る思いであったという。
日本の連合艦隊がインド洋で英軍の補給路を断てば、カイロに武器、弾薬は届かない。
また、ソ連軍の兵站も失われるのである。
すでに英国東洋艦隊は開戦初期においてわが軍に手痛い打撃をくらっていたし、
その後急遽本国から空母を含む艦船が増派されたものの、前記したようにわが連合艦隊の敵ではなかったからだ。
かくして、8月30日、。ロンメル軍はエル・アラメインの英軍.に総攻撃を開始した。
だが、英軍には、この時点でもインド洋経由で膨犬な戦力が補充されていた。
インド洋輸送線は完全に機能していた。9月3日には、米国から300両のM4戦車と100両の対戦車自走砲もスユズに陸揚げされた。
10月23日、逆にモントゴメリーが攻勢に出た。英軍は後方輸送戦に勝利したのである。
11月4日、ついにロンメルは全軍に総退却を命じた。
11月8日、米英連合軍は北アフリカ西部に上陸、英国とソ連が切望した欧州第2戦線の誕生である。
ロンメルは東西から挟撃され、スターリンクラードではソ連軍が反撃を開始した。
なぜ日本軍はインド洋を放棄したのであろうか?ミッドウェー以後ガダルカナル島のような戦略価値の皆無の島で、
航空部隊の自滅戦にも等しい戦闘を続け、戦艦も空母も惰眠を貧ったのであろうか? (P88〜P93) 帝国海軍の大戦果。マスメディアの反日報道。これらは、ウソの代名詞である。
いまだに、「日本人はあの戦争からなにも学びとっていない」などという新聞記事を目にすることがある。
おこがましいことを言うものである。
マスメディアからウソばかり知らされてきた日本人が、あの戦争からなにかを学びとることは、
一般論としては不可能ではないか。
日本人はあの戦争からなにかを学びとる前に、まずあの戦争の全容と真実を知ることが先決ではなかろうか? (P220〜P224)
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/1fca4cec2c119c6c8278ace1c3ac3244
なんどみても佐藤晃のその的確な指摘には脱帽www >>82
牟田口「イギリス軍に評価してもらえる自分すごい」みたいな感じ
イギリス軍に入隊したほうが良かったんじゃないのかな
イギリスで才能開花させてくれよw スターリングラードの戦いこそが欧州戦の天王山であり
日本が西亜作戦、インド洋作戦で独伊と連携し
それによってペルシア回廊の補給路とバクー油田を失えば
ソ連は窮地に断たされる
これで枢軸国は勝てる。
これは新たなオリジナルの主張だと思っていたが
よくよく見ると、佐藤晃もそのことをちゃんと書いている。
この人はダントツに凄すぎるw 感心するのは、東条は勿論、参謀本部も軍令部も
インド方面の作戦の重要性を、ちゃんと認識していたという事実。
「失敗の本質」というインチキ本によると当時の軍は
バカばかりで駄目組織の典型だったというのが定説だが
ぜんぜんそんなことはない。
軍部はちゃんと正しい世界情勢も戦略も把握していたのだ
にもかかわらず、なんで日本は愚かな太平洋戦線、対米戦に集団暴走
したんだろうか?
日本全体がたった一人の悪魔の扇動師に導かれとは、真の失敗の本質の究明を
しなくちゃな。 >感心するのは、東条は勿論、参謀本部も軍令部も
>インド方面の作戦の重要性を、ちゃんと認識していたという事実。
が
>日本全体がたった一人の悪魔の扇動師に導かれとは
その扇動師に騙されるのかね土足君w >開戦前の「基本戦略」の1つ《独伊と提携して英を屈服〉させる作戦がまさに始まろうとしていたのである。
何故彼らがそれをしなかったのか?
それはアメリカが黙っていないのが自明の理だからである。
であるならばアメリカに先制攻撃したほうが有利であると考えた、ということが分かる。 >>150
ドイツを支援したいなら、満州から対ソ戦した方が良いじゃないか。
インド洋周りより直接的だぞ。 >>151
西亜作戦はやったほうが良い。
インド、イラン独立支援。
後に関東軍がやるべきは対ソ戦というより、これもシベリア独立支援だな。
白軍を結成してそれを支援する。
武力なんか使うまでもなく勝てるわ。 >>150
大手新聞社と海軍省記者クラブが中心になって
マスコミがアメリカを撃つべきだと大宣伝して扇動したから
国民の大部分が、そう思い込んだんだろ。
当時の新聞社は拡販が最優先目的で、国益なんぞサラサラ考えていない
チンピラのような組織。
しかもそいつらが戦後に権力を握ったから
その影響は80年たっても収まらない。 >>153
西亜作戦なんて具体的な作戦計画は存在していないよ、土足君w >>154
>国民の大部分が、そう思い込んだんだろ。
統帥部は国民の意見を聞き入れて作戦計画を作成したのかね?
こりゃ驚きだw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています