【傑作機か】四式戦闘機疾風Part23【欠陥機か】 [無断転載禁止]©2ch.net
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四式戦闘機疾風について語るスレです。
(四式戦闘機一型甲 諸元)
・全長 9.92m
・全幅 11.24m
・全高 3.38m
・翼面積 21m2
・翼面荷重 185.24 kg/m2
・自重 2,698kg
・最高速度 624km/h(高度5,000m)
・上昇力 5,000mまで6分26秒
・武装 翼内20mm機関砲(ホ5)2門(携行弾数各120発)
胴体12.7mm機関砲(ホ103)2門(携行弾数各250発)
(過去スレ)
【傑作機か】四式戦闘機疾風Part22【欠陥機か】
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1494814616/
【四式戦闘機】疾風 Part21【日本最優秀】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1426000695/ >>269
二段過給がわかってない馬鹿
1〜3速の間がちょっと良くなるだけ
その理屈なら無断加給のDB601最強になる >>291
DB601って1速と2速の間がフルカン式繋手により無段階に変速できるってヤツで実際は2速式じゃないか?
所詮一段加給に過剰な期待なんざ出来ないのは分かるがDB601の方もよく知られてない気がする。 DB601は1〜2速の間のロスが少なく効率がいい
あの一段三速スーパーチャージャーって、全開高度を8700mに上げる為のものだからそもそも求められてるものが違う気がする…。
どのみち件の奥宮なんかアテにするもんじゃないが。 おっと継手ね。
てか奥宮のは戦後書かれたものだから当然後からの知識による創作入ってるぞ。
当時知り得なかった事とかも脚色出来るしな。 あ、そっか二速側を高くすりゃ良いだけか。俺が分かってなかった何でもない。 堀越憎しのあまり突っ込みどころのおかしいのがちらほら…
脱線ついでに三菱が2段過給を放棄するに至ったのはインタークーラーが事実上役立たずということかららしいね
日本の工業力の遅れはいろいろ言われるけどオイルクーラーの非効率なんかを思うと「冷却」に関しても相当後進的だったな 役立たずというか「考えてみたら、当時は吸気の冷却について確固たる方針がなかった」なんて発言もあるな
冷却系もう一個増やして配管の取り回しやら整備に悩むのがいいか、時間制限付き・過給圧低下があっても水メタぶっこんで冷やしちまうのがいいか…
まあ最終的には2段3速が目標だったわけだが >>301
表現の違いだけかも知れんけど、インタークーラーの最適化(機体の大型化と大体同義)による各種損失を忍ぶより
潜在能力を削ってでも水噴射でごまかして小型軽量のほうがいい、という相変わらずの軽戦指向発言があったというのは読んだことある
陸軍の対B29単戦はどっちも超重量になったから一応理はあった
何れにしても中島三菱ともにフルカン2段に失敗した時点でいろいろ詰んだよ 実際に17年末ころの状況では。
多段過給器については、中間冷却器の大きさと重量がかさむという点が
机上研究の段階で問題視されて、あまりその先には進んでいないようだ。
官側においても高速遠距離巡航が必要とされ出し、その点でも重量のデメリットが強調されている。
それなら1段で翼車速度や翼車形状など性能向上を図った上で
中間冷却器を用いず水噴射やメタノール噴射で対応しようと。
排気タービンや駆動装置としてのフルカンについては実装実験の結果が結構出ていて
材質、潤滑冷却の問題なども意見交換が盛んだけれど、材質についてはニッケル、
潤滑については米国製オイルが前提となっていて先行きが・・・
これらがある程度確立した機械式+排気推力(ロケット効果)利用という手法と比較されている。 >>303
戦鳥にこういうレスがあるな
>2段加給機は、戦前から研究はありましたが、中間冷却機のスペースと重量が最後までつきまといました。
>研究の比較的早い段階で、軽量小型の日本機には不向きとの意見が多く、開発はほとんど中断されたようです。
>メーカー側も人手が不足していたようですし、熱意も不足していたのが実情では。
>オンブー
>先日石川島航空工業で排気タービンの設計をされていた方を訪ねましたが「中間冷却器というものについて確固たる方針が無かった」とのお話でした。
>しかし機械式二段過給器の開発が後回しに見えるのは1930年代末から二段過給器として排気タービンの開発が第一優先で進められていた為と解釈するのが妥当なようです。
>この時期、三菱、石川島、日立は排気タービンに力を注ぎ、機械式過給器の研究に専念していたのは中島のみです。
>BUN 雷電32型の三菱純正のほうは少し機首を延長しただけでインタークーラーまで押し込んでるし
烈風改(禁句だw)も陣風もインタークーラーの装備法について空技廠の指導を受けてる(俺推定だけど)から消極的というのはどうかね?
やばいな陸サンのスレなのに そういえばキ100-ii やキ83 の排気タービンはインタークーラー省略式だったような >>290
氏に言わせれば性能や耐久性はイマイチでも
クセの少ない日本戦闘機は案外悪くないのかも。
特性がトガってる欧米戦闘機に比べて日本戦闘機は大人しいイメージあり。
比較的クセのある雷電でもP51やF4Uからしたら操縦は簡単なはず。 ki-100-IIのタービンはインタークーラー無しで排気タービン装備で最軽量クラスを実現してる 雷電は失速域の分かり難さで操縦が難しいと言われてたのよ
ストールストリップ付けるだけで解決できたハズなんだけどね… >>309
紫電改は仮にアメリカ品質で作ったら好むパイロット多いんじゃないかな とはいえ百式司偵の排気タービン付きはタービンだけでなくエンジンが放電したり潤滑不良だったりで、
まあいろいろ困ったろうとは思う
雷電の火星26なんか見ると「1段2速でもいいからインペラでかくしとけ」な気もしないではない… >>314
初期遠心式ジェットエンジンも円盤デカイもんな 火星26って一応、さほど必要性を感じない3速目があるらしいんだけど…
Wikipediaによると二速設定高度から400mしか上がってないけどビミョーな三速変速だよな
あとあれはインペラ径でかくして低空側を切ったんだっけ 火星のように過給器でできることはいろいろあったはずなのに結果として手を抜いていたとしか言い様がない
で、えらい遠回りしてるけどF6Fが最高とかいうのは五式が至高というのと同じで、限定された条件の中での話だろ >>317
一行目と二行目のつながりがイミフなんだけど >>317
雷電はそもそも吸気経路の間違いなんぞもあったんでなあ…
それに迎撃用という単能機であることを許されたから低空側切り捨ても重くなるのもオケー、ってとこはある
とはいえ33型は「排気タービン調子悪いからこれでも使っとけ」だったようではあるが 実は雷電の緒元が五式戦にとても近くて翼型の違いでそこまで違いが出るのかと驚くレベル インタークーラー無しターボとか
性能ウンコで付ける意味がない >>320
公称出力に大分差があるぞ
上昇力にはてき面に効く >>321
性能はうんkでも大気密度の低い飛行高高度で効かす >>318
>一行目と二行目のつながりがイミフなんだけど
F6Fが最初はターボ積む予定だったけどオミットしてって話では?>えらい遠回りしてるけど
F6Fの二階建て構造はターボのスペースを意識した部分があるから
F8F見るとわかるけど本来はあそこまでデカ顎にはならないけど、
コクピット位置が上がったのと燃料タンクが大型化して結果オーライだった >>323
高高度も駄目だよ
インタークーラー無しターボは全然ブースト無いから
ノッキングもしまくり
インタークーラー無しターボなんて
幾つか戦後も市販車出てたろ F6Fは最初F4FにライトR-2600を付けた機体として依頼されたから排気タービンは想定してなかったんじゃない? >>324
脱線させたの俺だけど上から順に読めば分かるけどたいした意味もない
元は2000馬力級としてF6FとF4Uのどっちが優秀か?に始まって
ワスプメジャーでもなけりゃ大同小異>余談で烈風3速>過給器論という流れ
自治廚もいないので>>317で無理やり戻そうとしただけ 奥宮本確認したらいろいろ記憶違いだった
烈風全般の回想として「デュプレックス・サイクロン」戦闘機出現まで戦える、だった
F4Uに引っ張られて記憶改ざんしたらしいな>俺
堀越批判はスレの無駄だからカンベンな >>328
無駄な話をしてるのはお前だろ馬鹿w
・誰も堀越批判なんてしてない(そもそもここは疾風スレ)
・自分でも認めてるが、やたら脱線する(ハッキリ言って意味不明)
・ソースなしで馬鹿な決めつけ話から入る
・変に自治廚気取り
・どうだっていい変な本の話をしてまとめたつもり
・結局、まともな資料0で全部意味の無い話
日本機の性能を始めると、反射的に批判されたとか感情的になって
馬鹿な書き込みして脱線し始める
人の話を全然聞けない、アスペなのを自覚しろ まあまともな資料を出せというのなら
これは工学の話だから
搭乗員の証言とかは資料に含まれないんですけどね
ちゃんと数式で示せて誰から見ても同じ結果でないと資料とはいえない でも2chじゃみんな航空力学なんか知らないし資料の見方も知らずに云々してるのが現実… >>328
どうせ与太だろと思ってたから問題ないよ
ドンマイ >>326
全くの別ものだよ
外観が似ているだけで ま、ターボだからってんじゃなく過給圧高めるなら吸気冷やさんとね、ってのは事実ではあるが トップフューエルはブースト3バールでインタークーラー無しだが?
(ついでにラジエーターも…つかウォータージャケットすら無いw) >>334
41年6月にできたXF6Fは紫電と紫電改みたいにF4Fの機体を再設計したような代物だったんよ
エンジンをR-2800にしたXF6F/-3でカウルが大型化されて量産型のF6F-3から機体側も拡大された >>338
とりあえずいろいろ間違ってるからあとでレスする >>329が「人の話を全然聞けない、アスペ」でした
271 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2017/09/14(木) 15:09:23.03 ID:a2lmkmyR
…いっぺん、死んでこい堀越
274 名前: 名無し三等兵 [sage] 投稿日: 2017/09/14(木) 16:15:52.87 ID:jO7qv/kO
正直、堀越・奥宮本は後付け自己弁護と楽観のオンパレードって気はする
278 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2017/09/14(木) 18:48:57.26 ID:+f4K9jIR
日本の航空技術者はレベル低いよ。堀越なんて戦争が始まって海外の情報が入らなくなったら
ロクでもない航空機しか設計してない。 >>325
インタークーラー無しターボは全然ブースト無いから
エンジン本体にも機械式過給機ついてるの知らないのか?
P47はエンジン本体の機械式過給機とあとから作動する排気タービンでなっている
マーリンのような2枚一組の2段式とF6FのR2800のようなのは1段目と2段目が別々になっているのがある
そのR2800は一段目と2段目の間にインタークーラーがあるからいいが、
インタークーラー無しターボは全然ブースト無いからとか排気タービンも機械式でも同じことだぞ 車の脳でターボ車とNA車の区別がつかない
ターボだけブーストあって、ターボの無い当時の航空エンジンはブーストをかけてないとおもってるんだろうか? >>338
帰宅したので
1938年のBuAerとグラマンの話し合いで、F4F(まだ試作段階だけど)の
性能向上について話し合いがもたれ、グラマンが機体デザインはほぼそのまま、
エンジンをR-1830からR-2600に換装した設計(G-35)を提案する
(もともとF4Fは輸出用にR-1820を積む予定だったので胴体太さに余裕があった)
1940年に着艦速度の高さを懸念したBuAerはこれを却下、翼面積を増し
大型化したG-50に移行する(ただしこの時点ではまだF4Fに近い中翼設計だった↓)
http://www.whatifmodellers.com/index.php?topic=15619.0
1941年初頭に欧州戦の戦訓を反映したり、武装強化、着陸装置の変更を考え、
中翼を放棄、G-50を大幅に改設計した時点で原型機試作が決定、これがXF6F-1
https://en.wikipedia.org/wiki/Grumman_F6F_Hellcat#/media/File:Grumman_XF6F-1_Hellcat_1942.jpg
42年6月に完成したXF6F-1は性能不十分だったので、即R-2800への換装が決定、Xf6F-3へ
https://static.thisdayinaviation.com/wp-content/uploads/tdia//2012/06/Grumman-XF6F-1-crashed.jpg
XF6F-1試作の時点でターボ版XF6F-2の試作も決まっていたが後回しに、
あとでR-2800+ターボの形で試作される >>343
いろいろ間違ってるとか主張してるけどXF6F以前の説明足してるだけやん… >>346
え、41年6月時点で別物になってるやんけ
むしろそっからエンジン変えたらでほぼF6Fやん >>346
>41年6月にできたXF6Fは紫電と紫電改みたいにF4Fの機体を再設計したような代物だったんよ
まずこれが間違いだろ、再設計どころか機体規模とか全然別物になってるし
>量産型のF6F-3から機体側も拡大された
XF6F-1とF6F-3で機体側変わってないし
つまり>>338の記述はほぼ全部間違いということになる 「紫電と紫電改みたいにF4Fの機体を再設計」に一番近いのは
イースタンF2M-1、あるいはグラマン本社のF8F
F2M-1はFM-2に1500馬力版のR-1820を積み、機体を再設計する予定だった
F8FもF6Fのダイエットというよりは、F4Fの近代化的存在 逆にF4FとF6Fの関係は紫電と紫電改というよりは
零戦と烈風、あるいは一式戦と四式戦の関係に近い
よし本題に戻ったw >>348
機体規模が拡大されたのはF6F-3からって言うのは世傑No.35のグラマンF4F,F6F,F8Fで書かれてる事なんだが? これがXF6F-1の試作1,2号機
02981 Grumman XF6F-1 Hellcat
Model G-50. MSN 3188. First flight Jun 26, 1942. Later converted to XF6F-3 configuration and later
changed its serial number to 02982. First flight Sep 13, 1942.
Eventually converted to F6F-3 production standard (but still designated XF6F-3) and delivered to
US Navy Nov 22, 1943. Bailed to Pratt & Whitney Dec 1943 to Jul 1944. Assigned [as XF6F-4, BuNo 02981]
to NACA Langley Memorial Aeronautical Laboratory, Langley Field, VA 1Apr44 to 1Mar45
SOC at NAS Norfolk, Virginia Nov 30, 1944.
02982 Grumman XF6F-1 Hellcat
Model G-50. MSN 3189. Ordered as XF6F-1, built as XF6F-2 and modified to XF6F-3 before first flight.
First flight Jul 30, 1942. Reserialled as BuNo 02981. Damaged Aug 17, 1942 when engine seized due
to lack of lubrication. Rebuilt as XF6F-4. First flight Oct 3, 1942; to the US Navy Oct 10, 1942.
SOC Oct 31, 1946 at Quonset Point, RI. >>352
世傑の記事のソースなんか知らないし世傑だから絶対間違った記事は書かないなんて言わないけど
どこの馬の骨か分からんパンピーに自分が知らないから間違ってるとか主張されてもね… >>354
だったら自分で主張を裏付ける記事が世傑以外にあるか探してみればいいじゃないか
誰が言ってるかじゃなくて、どういう根拠で書いたかを調べるべきじゃね
そもそも「世傑のソースなんて知らんし」が通用すること自体おかしいわけで
日本機ならともかく米軍機の開発に関して英語圏で知られてない事実が
日本のムックにだけ書かれてることの妙さを思えば
自分に関して言えば
バレット ティルマン 『第二次大戦のヘルキャットエース』
Tillman,B., Hellcat: The F6F in World War II
Graff, C., F6F Hellcat at War
Young, E.M., F6F Hellcat vs A6M Zero-sen: Pacific Theater 1943–44
のどれからも、あなたの主張と関連するような話は見つけられなかったし、
ネットフォーラム観たり検索しても結果は同じだった >>355
だからパンピーが知ってる本数冊に書いて無いなんて世傑の記事を否定する根拠になると思わないんだが
それこそ世傑の編集に凹電でもしてクレームつけたら? ティルマンのは初版1979年で古いけど古典だし、割と最近の2009年のグラフにも
2014年のヤングのオスプレイ本にも、そういう話はない、そうすると
一般的に書かれているF6F開発史は間違ってると言える根拠が世傑にあるってことになるけど、
そもそも世傑のNo.35は1992年初版だろ?
それだけ前から知られてる事実が全く他で出てこないのはおかしいと思わないのかな >>357
wikiと世傑のボリューム差を考えれば本作るのならもっと大量の資料使ってるんじゃないかね?
自分が見つけられないから間違ってるなんて俺ならとても言えないから納得しようもないけどね >>359
じゃ何か見つかる(or 見つからない)までこの話はペンディングってことで
なんでXF6F-1と(X)F6F-3はエンジン以外別物みたいな書き方が
されたのかはなんとなく推測できるけど >>325
>高高度も駄目だよ
>インタークーラー無しターボは全然ブースト無いから
25. 15歳のサーシャ・チェカリンとリョーニャ・ゴリコフ、14歳のヴァーリャ・コチク、マラト・カゼイ、
ジーナ・ポルトノワの、学校の生徒5人が、独ソ戦のソ連邦英雄の称号を受けた。
26. 戦中の戦闘に参加したのは計3447万6700人のソ連の軍人。
27. ラヴォチキンの軍用機の一部部品(けたと小骨)は、国内の深刻なアルミ不足により、
デルタ合板でつくられていた。スターリン自身が材料の品質を確認した。
28. 空中戦の大半は最大4500メートル上空という高さで行われていた。
大祖国戦争の33の事実
http://jp.rbth.com/arts/2015/06/22/33_53353.html >>360
いや世傑に書いてある記事を書いただけなのに間違ってると断言してるのはそっちなんだから
証明責任があるのはそっちだろ?
>>338で書いてあるのはそんな事じゃないし何か勘違いしてるんじゃね? >>>338で書いてあるのはそんな事じゃないし
じゃまず、そんなことじゃなくてどういうことなのかを説明して
論点をはっきりさせた上で、自分の推測を出したいから >>364
>>360で
>なんでXF6F-1と(X)F6F-3はエンジン以外別物みたいな書き方が
>>338見てそんな解釈できるのは文盲じゃないかと心配になるんだが? >>365
自分のリテラシーを心配してくれるのはありがたいけど、
まずそっちの主張を要約して >>366
世傑の記事見てF6Fの変遷を書き込みしただけで自分の主張など最初から無いわけだが?
あえて書くなら自分が知らないから間違いだとか世傑の編集に言えというのが主張だな >>367
主張することがないというなら>>338の記述をそのまま世傑の要約として
記述の妥当性を考えるわ
まず、「41年6月に」「できた」「XF6F」のくだり
41年6月(30日)というのは軍とグラマンとの間で、F6F原型機製作について、
契約が結ばれた日付で、この日、機体が完成した(できた)わけではない
次に>>343で書いたようにXF6Fといっても、グラマンのG-50初期ペーパープランから、
完成した実機XF6F-1まで幅広いので、何を指すのかを考える必要がある もう一つは
>エンジンをR-2800にしたXF6F/-3でカウルが大型化されて量産型のF6F-3から機体側も拡大された
のくだり
前半のカウルの形状変更は他の本にも載っているので問題ないとして、
XF6F-1とF6F-3の間に機体側の設計変更が行われたかどうか、という点について >>368
書いて無いことを妄想して間違ってるとか主張されても困るな(笑 上で挙げたWikipediaの記事には
"...on 26 April 1942, BuAer directed Grumman to install the more powerful 18-cylinder Pratt & Whitney R-2800 Double Wasp radial engine
...in the second XF6F-1 prototype. Grumman complied by redesigning and strengthening the F6F airframe to incorporate the 2,000 hp (1,500 kW) R-2800-10..."
とあって、Sullivan(1979)が註に挙げられている
これは実際、書籍でも類似の記述が複数あって、例えば
”Grumman redesigned and strengthened the F6F airframe to incorporate the 2,000hp Pratt & Whitney R-2800 Double Wasp”
みたいに書かれている
上記の箇所を不注意に読むとXF6F-1の機体をストレッチしてエンジン換装したのが(X)F6F-3と読めてしまうけれども
実際には説明したようにXF6F-1の一号機完成までの変更はペーパー上で行われている
つまりXF6F-1は完成した時点でR-2800への換装がすでに織り込まれていて、
2号機から搭載してXF6F-3に、1号機も-3に準じるかたちに改造されたということに
なぜ古い記述だと流れがわかりづらいし誤解を招くのかというと、
プランG-50といっても、正式に設計されるまで何度も諸元が変わってる点について
古い本では認識がなかったのでそれらすべて含めてX6Fと言ったりしてるからではと >>370
主張したいことはないけど、お前は自分の言ってることを曲解してる、
でも自分が何を言っているかは示す気がない、なんて言うようなら
いくらでも続けられるんで、ここでレスは打ち切るわ
お疲れさまでした >>372
何が言いたいのかサッパリ分からんが意味不明のレス続けられるようマシなんで助かる(笑 世傑信者ってのもいるんだなぁ
ウンコムック本氾濫世代としてはクロスチェックが基本なんだけど、昔は違ったのかな? 最初は自分の主張として言っていたのに、批判されるやいなや「ソースは世傑である」と明かした上で「自分は関係ない、文句なら世傑に言ってくれ」に変遷した様に見えるのだが…
最初から自分の主張で無いとしても「世傑の方を信じる」と支持を表明してる時点で>>338への指摘はそれを書き込んだ彼にも飛んでくるのが妥当でしょ
そっから編集部に話を入れるかは知らんが場外の話だわな 世傑ソースの話なんて珍しくもないのに何言ってるんだろこの人… 世傑No.35てなんだよw
No.71ヘルキャットではR2600をR2800に換装XF6F-3に名前を変更
R2800に換装したのでカウリングを延長したとかの違いじゃん 世傑71ヘルキャットではカウリングを延長した分、カウリングと主翼の間が短くなって全長変わらずと書いてある D.A. Anderton, Hellcat のp.17には
"The XF6F-1 spanned 42 ft. 10 in. (13 m 6 cm); its overall length was 33 ft. 61/4 in (10 m 21 cm)
from the tip ofits propeller spinner to the rearmost portion of the tail-fuselage fairing."
F6Fの全幅は13.06m、全長は10.24mなので、記述を信じるならば
やはりXF6F-1とF6F-3は機体サイズに大きな違いはないということに XF6F-1てスピナー付いてるからその分長くなってるんじゃね? 絶版の旧版の間違いだろ、新版のヘルキャットではモックアップ審査で大きくしたけど各型の基本寸法は同じ そりゃ逆におかしいだろ機体の大きさが同じならスピナーの有る無しで全長が変わるからな
だいたいR-2600とR-2800の重量差を埋めるのにXF6F-3はバラストが必要になっただろうし
量産型のF6F-3はいちいちバラスト積まなくていいように機体の設計を変更するだろう こいつが>>338で書いてたことってエンジン換装のとき数センチ微調整したみたいな話か?
そうは見えないがな それこそ妄想の域をでないだろ、XF6F-1の全備重量5275kg、XF6F-3全備重量5126kg
エンジンが重くなった分はどこにいったんだよ?
XF6Fの2号機はターボ積んで重くなってるはず、つまり許容範囲だろ 全備重量だと燃料や弾薬まで入るだろう
バランスとるのに重心より前に載せてる分をめちゃ減らしたんじゃね
だいたいエンジンが重くなってるはずなのに逆に機体が軽いとか相当軽量化しないとならないだろ
許容範囲はウエイトVS CGエンビロップの規定値に収まる範囲でないとダメなんだよ
試作機で量産型の装備が固まったらとうぜん設計も最適化するのが普通 1942年6月3日ターボ過給機付きXR-2600-10の装備を予定していた2号機Bu.No.02982はR2800-10
装備で完成させるよう計画が変更、2か月後の7月30日には初飛行を行った
R2800搭載は設計当初から計算済み 機体の設計変更をしたって言うんならF6F試作機につんだR2600とR2800の重量差がそんなにあったと出さないとだめだろ それは乾燥重量で70kgほどR-2800が重いとなってるな
機首に人一人乗せてるレベルだしエンジンオイルリザーブタンク分は重いはず
普通ならバラスト必須の差 R2600 ターボ装備だろ、その重さはどこいったんだよ?w F6Fの設計を変えたソースは出てきませんね、妄想だけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています