【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
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旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。
■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/ > M4(75mm) 500〜600m以内
^^^^^^^^^
> M4(76mm) 700m以内
^^^^^^^^^
>>198、ここを見落としたのかな ハムを斜めに切ってる絵は割と有名じゃないかな>昼飯の角度 ティーガーフィーベルではより正確には「食事時の角度」、
即ち「交戦する場合は10時半、1時半、4時半、7時半のいずれかの方向に車体前面を向けておくこと。」とある まあ素直に45度方向からの射撃といえばよいだけなのである 実際は側面装甲が薄いので、30度くらいが良いのではないかと 軽量モルタルを塗っておけば
基本侵入角度は全て塗りの浅い方に傾く ドイツ軍はコンクリートの類は重さの割に効果が薄いとして、後に車輌に塗るのを禁じている ルーマニア油田からの燃料確保が危なくなると燃費問題が生じたからね
防弾よりもレジスタンスや航空機からの焼夷弾に対する断熱効果はすばらしいものがあるよ メートル単位に厚くできるトーチカと違い、10cmとか20cmとか盛った くらいじゃ徹甲弾に抜かれるって話 ちなみに海兵隊のシャーマンのように、木製の型枠ごとコンクリートを側面増加装甲に使ってる例もあるが、あれはどちらかといえば日本軍の吸着地雷避け >>211
君、汎用戦車スレにも来てる珍説さんだろ ・大口径自走砲サイコー病(インフラ無視病)
・チハに野砲病
・ハ号魔改造病(傾斜装甲最強病)
・コンクリマンセー症候群 ←NEW! コンクリマンセー症やチハに野砲賞は付け加えるほど
何度も登場してないから 久々に遊就館行ったらチハの車体前部分に立体星が付与されていた。最近付け加えたのか。 機甲入門に二式軽戦車の装甲は20mmにしたと書いてあるけど
一覧表にはケニと同じ16mmになってる…誤記かな? 空挺視野に入れているケトの性質上、16mmから20mmの増厚に何かしら意味がないとやらないと思うので
20mmの方が誤伝あるいは誤記の可能性が… >>218
このスレの前半でも話題になってたが、二式は本当に謎が多い… チハ改の57mm長戦車砲検討の謎は解けたのだろうか
やたら具体的な数字が挙げられているくせにいまひとつはっきりしない
九七式七糎半の初速420m/s、380m/sも何の誤記か誤解なのか、あるいは本当に初速が向上していたのか 九七式七糎半 ×
九七式五糎七 ○
大変失礼いたしました >>221
新砲塔チハ車への五七粍長搭載の話に関しては、試製五七粍戦車砲(と、そのベースとなる"試製九九式砲戦車搭載砲"こと九九式七糎半戦車砲の試製一号砲)が完成し伊良湖に送付されたのが
一式四七粍戦車砲の仮制式上申と同時期か少し前位の昭和16年8〜9月(A03032124600 53,55P)の事なので、原乙未生氏の著書にある四七粍と五七粍長の戦車砲を試作云々の話は
「昭和16年9月頃に試製五七粍戦車砲の完成に伴い四七粍戦車砲との比較試験が行われ、砲の性能においては試製五七粍が勝るとされたがそれと砲弾を共用する速射砲については
既に一式機動四七粍砲が実用試験の段階にあるのに対し、五七粍級は未だ研究段階(同年7月に九五式野砲に五七粍砲身を載せた試製品が試験されたが使い物にならないとしてボツに)だったが為に
新装備として一式四七粍戦車砲・速射砲の配備が進められると同時に、五七粍戦車砲・速射砲は七糎半戦車砲共々更なる研究が進められることとなった」みたいな感じだったんじゃないかなと
あと九七式五糎七戦車砲の初速は最近の話だと薬室周りの寸法が九〇式と同じということで初速も同等と見なされてるが
昭和14年初頭に中戦車の設計条件が示された際に武装案の一つとして五七粍戦車砲の薬室拡大に関する話が出てるので、その辺の事情が混ざった結果が九七式の初速向上説に繋がったんじゃないかなと個人的には考えている なるほど…
チヘに47mmをどうこう言ってる段階でいきなり57mmの話が出てくるのが謎だった
変な言い方だけどチハの火力強化型と砲戦車が大雑把にひとつの括りになり得たってことか 九七式五糎七の初速は
九四式三十七粍戦車砲から九八式三十七粍戦車砲で約20%初速が上がった件が混ざったかと思ってた 85oほど榴弾威力がないが匹敵する貫徹力をもつzis-2クラス(1940年完成)がチハに積まれてたら、という妄想をしたもんだなぁ。 >>224
昭和16年辺りの構想だと中戦車の主砲として四七粍を導入すると同時に五七粍長搭載の連隊砲戦車(後に駆逐戦車に改称)を中戦車の主砲が五七粍長に切り替わるまでの間用いるって話もあったらしいねえ。 57mm対戦車砲は開戦に伴う整理で試験が半年先送りとはいえ昭和17年の段階で形になりつつあって
同時に計画されたチト原案とされる新中戦車(甲)の主砲は47mm
半歩後退している感じはするけれど、昭和17年秋の時点では57mm戦車砲より戦車の方が先に形になると見込んでいたんだろうか
それともこの頃は47mm中戦車を57mm長/75mm短の駆逐/砲戦車で支援するという構想だったのか
この時期は開発中の製品と研究にかかっている物と構想と成果物が全部ばらばらに見えてよくわからない
誰か個人的見解でいいからわかりやすく説明してくんろ >>228
新中戦車(甲)は別冊歴史読本「戦車機甲部隊」の竹内昭氏の記事に昭和17年4月の計画開始当初の要件が掲載されてるが
それによると武装として想定されてたのって四七粍・五七粍の"双連"戦車砲なんだよね。
国本氏の「一式四十七粍戦車砲双連の謎」に掲載されてる試製四十七粍戦車砲双連の試験記録の記述をまるっきり信じれば
あの砲は新中戦車(甲)が登場する前の昭和16年から大阪造兵廠で試作されていたようだから、本来はチヘ車あたりへの装載を目的に四七粍双連が作られていて
その後継であるチト車でも五七粍双連の準備が出来るまでは既存車両と同じ四七粍双連を載せておき、後々置き換えるとかそういうつもりだったんじゃないかな という個人的見解
もし五七粍長が双連式として完成していれば、九九式七糎半もまた双連化されたんだろうか それはつまり戦車の方が57mm戦車砲(双連かは置くとして)より先に形になると見積っていたってことでいいのかな
そうすると翌年の段階で長57mm搭載とされた際に車体が一回り重く(大きく?)されたのは装甲・機動性の向上を狙ってのこと? >>230
そこで>>227の構想が絡んでくるのかもなー、と思ったり 旧軍の場合五七粍長が制式化されてもそれで一気に四七粍を更新するって事も出来ないし
あとチト車の予定重量が20t→25tに増えたのは装甲厚が最大50mmから75mmに増えたってのが大きい気がする(この変更が入った辺りでチヘ車の装甲厚も35mmから50mmに増えたんだろうか) てか新中戦車(甲)は試製チヘ車がまだ完成してないうちから計画が始まってるんで、そっちとの関係も考えれそうでもある
20t時代のチト車や試製チヘ車の資料が今後世に出てきてくれればもっとアレコレ分かりそうなんだが チホ・チヘで油圧サーボ式変速機を最初から諦めていたら
戦車開発史は後から見てもう少し分かりやすい形になったのだろうか >>233
日本戦車史の分かりづらさは資料の欠如の方が大きく影響してそうだけどねえ。特に自工・日野関係
しかし油圧サーボ式を諦めるとなると何がその代わりたりうるのか、という疑問が いつまでも遊星式という訳にも行かんのだし 揚げ足とるようで悪いが遊星式というと語弊があるからクラッチ・ブレーキ+遊星歯車式だな
つーか遊星歯車そのものは現代戦車でも使ってるわけで 車重が重くなるにつれ速度が上がるにつれ操向レバーが重くなり操縦に支障が出るから
将来の戦車の発展に備えて油圧サーボで補助しようという旧軍戦車開発陣の懸念は分かるんだが
ぶっちゃけ急ぎすぎたというか心配しすぎた気もするな
クレトラック式のM4シャーマンやクラッチ・ブレーキ式のT-34は重い操向レバーが不評だったが
大量生産されて大量運用されて戦争に勝利したわけで時速50キロで30トン前後なら何とかなったわけだし M4やT34で「何とかなった」大前提として、日本人と欧米人との体格差がいまより遥かに洒落にならんから、当時。
M4A3E8は下駄履いて操縦したって話が有名だが、とりあえず江戸東京たてもの園かなんかで昭和前期あたりの建物見学してみろ。
身長160cmでも頭がつかえそうになるのが、当時の建物として使い易い標準規格だ。これで重すぎる兵器をゼロから開発するってのは無理だとつくづく思ったよ…戦後の60式や61式も目いっぱい気張ってあれなんだし。 重いのにクラッチ・ブレーキ式だと、初期のKVが捕獲したドイツ軍の調査で「停止しないと変速できないので、カタログ上の最大速度は絶対出せない」なんて報告されてる
T-34もレバーがクソ重い(レバーと車体後部のトランスミッションが鉄棒で繋いであり補助動力も無い)のでため、長距離行軍では無線手に手伝って貰ったとか
これに対しM4はトランスミッションが前部にあるので、それほど重くない ソ連軍によるソ米英独の各戦車の操向レバーの重さを比較した調査資料
http://tankarchives.blogspot.jp/2014/06/lever-forces.html
これによれば実はM4シャーマンはソ連戦車と操向レバーの重さが大差ない
映画フューリーの対ティーガー戦は操向レバーの重さがよく表現されてると思う
戦後陸自にM4A3E8が供与された時にも操向レバーの重さは不評だったしな ×これによれば実はM4シャーマンはソ連戦車と操向レバーの重さが大差ない
〇これによれば実はM4シャーマンはソ連戦車と操向レバーの重さが言われてるほどには大差ない たしかクソ重くてダメだったのはT-34-76前期型じゃ無かったっけ?
変速機がクソで巡航ならともかく戦闘時だと実用的な速度が10キロぐらいになるヤツ >>239
M4A2シャーマンを受領したソ連軍第5親衛戦車旅団の1943年10月23日付けの報告書では、「T-34に比べ操縦操作が軽く容易」とある リンクの遊びとか、運転の不慣れさ、長時間運転の疲労もあるんじゃね?
兵士がしんどいというT-34の操縦も
戦車工場のオバチャンたちという慣れてる人がガタが来てない新品を短時間だと
特に屁でもないという話(なお結構気楽にダブルクラッチしてたとかいうので技量も当然ある) 操向レバーの重さの話なのに変速レバーの重さの話が混じってこんがらがってないか
大戦中の米戦車の多くはシンクロメッシュ
大戦中のソ連戦車の多くはノンシクロメッシュ(悪名高いハンマーの逸話)
>>243の操縦操作が何を意味するのか分からないが変速操作も含んだものならば
当然そのような評価になるんだろうな また間違えた
×ノンシクロメッシュ
〇ノンシンクロメッシュ クソ重いのはKV-1/2だろ
KV-1Sでようやく改善されたんだ >>237
M4はともかくT-34に関しては独ソ戦で女性兵士やアジア系兵士も操縦していたし
朝鮮戦争で北朝鮮兵も運用できてるのだからどうなんだろうな 戦車兵って小柄な人が優先して回される物だと思っていた。 大戦中のアメリカ戦車では、逆に大柄な者(特に装填手)が回されたり 耐熱装甲という時代はずっとあとなんだから
すなおに野砲つんでるだけでよかったのに 野砲弾重くて長いからね
チハじゃ砲塔式では結局積めなかったかもね
海軍のアレは短12cm積んだけど、野砲よりは楽に入ったんだろうなあ… 短12cmといえば
中田CG工房で、短12cm自走砲は後部ハッチ開けて社外から装填したって説提唱してるけど
弾重が12榴並という仮定で話進めてるのと、丸に載った車内写真までは見てないようなのが残念
ちなみに38式12榴の弾頭重量は20kgで中田さんの想定の下限くらい
短12cmの方は13kgだからM3 90mmの弾頭部くらいで、クソ狭くて取り回しが難しいことを除けば一応車内装填可能に思える なお中田CG工房の該当ページで地上設置型の短12cm砲として紹介されてるのはどう見ても短20cm砲なので
ホッパーが付いてたとかラマーで押し込んでたとかは明らかに勘違いです
すぐ隣に自走砲の方の写真も掲載してるのに…いや写真の中の人間と砲尾の対比でも気付けそうなもんだと思うが…
連投スマヌ なんで中田の一枚目は反転してあるんだ……?
電子の海を徘徊してたら車内の写真出てきたし、ついでにマズルブレーキの形状が間違ってるのも発見した
なんなのか >>254
中田さんの説はかなり前からあるし
しかも考えは改めるつもりはないらしいし
今さらって感じもする 改めるつもりがないならしょうがないけど
多分短20cmを知らない人でもパッと見ただけでこりゃ12cmクラスじゃないわとバレそうな砲尾の写真まで出してるのは
なんかいろいろ通り越して可哀想な気がする 中田さんの「短十二糎砲戦車は車外から弾込めやる」説は後もう少しで十周年になるな 去年新説を追加して更に香ばしくなったから見てくるとええよ 去年既に見てる、見た
その説に至ったきっかけが情報不足からの推測からまあ、仕方がないところもある
ただ資料不足であったことを加味しても、この方面の知識をいくらかかじっていれば搭載砲とその搭載方式の特性的に外部からの弾込は無理があるってのはわかりそうなものだけど 弾の重さを推定しそこねたところが出発点だけど
弾頭20kg程度の砲弾でも装填腕と押込棒は使わないような気がするが…
あー試製十糎半という例もあるか… 陸軍ならまだしも、海軍は15センチ(45kg)すら片手で押し込んでた時代があるぐらいだしな 陸軍だと50キロ爆弾。海軍だと60キロ爆弾までは
人力で航空機に搭載可能とされているからな。
もちろん一人でやるんじゃないだろうけど、兵隊さんは力持ち。 海軍は駆逐艦の12.7cm砲から上は全部薬曩式で、例外は12.7cm高角砲が薬莢式
ただし12.7cm高角砲は自動装填装置つき
でも15サンチの原型砲ってどっかで押込棒使ってる画像見たような(うろ覚え)
だいたい50kgくらいを境にして装填腕だの押込棒だのの出番になる雰囲気 こう見てくると、自分の非力は棚に上げて、5式75mmの装填補助装置ってほんとに必要だったのかって思っちゃう
射撃動作してる間に次弾を置けるのが目立った利点なのかな >>267
45口径15センチから装填杖がつく
その前の40口径15センチ(横須賀に居る三笠の副砲)は
片腕をラマー代わりにして押し込むのだ
だからカタログ上はともかく実射撃速度がだいぶ違うw >>268
シャーマン相手に短時間で弾を吐き出すのが目的だからな 野戦高射砲が七糎半止まりだったのも、その上だと自由角装填でラマーが必要になるからなのかな
アメリカは90mm、イギリスは3.7inからラマー採用
海軍の九八式八糎はググっただけじゃわからなかった
長十糎と同じ複雑な…云々と言われてるのでもしかしたら自動装填機とラマーが付いてたのかも >>268
射撃動作の迅速化を狙ったって感じはかなりあるよね 主砲側に同軸機銃を載せられなかったってのも少しは関係してるのかな >>271
ttp://www.navweaps.com/Weapons/WNJAP_3-60_t98.php
The semi-automatic rammer was cocked by the recoil forces when the gun fired.
89式12.7や98式10と同様っぽいな >>273
なるほど、これじゃ配備も進まんわけだ…
3インチ級の高射砲としてはいろんな意味で半端なんだな
古い12センチ高角砲も評判は良くなかったようだが、4インチ級で軽便なやつを作ろうという発想はなかったのかな
早めに出来上がっていたら海防艦の主砲などいろいろと使い回せたろうに勿体無い >>274
もちろん海軍だって考えてたから88式10糎高角砲というのがあった
ttp://www.navweaps.com/Weapons/WNJAP_39-50_t88.php
残念ながら失敗作だったんだよ
これを搭載したのは潜水艦の伊165型と168型の前期型だけ
165の前の級や168の後期では12糎砲なので
12糎砲の後継ないし互換としてこの50口径10高のつもりがあったぽい
まあ燃焼完了点が砲口外15口径とかじゃ、何をどう言い繕っても駄目なわけであるがw 桜と錨だと砲口外4.9口径になっとるな
まあドングリだけど 八八式はよく引き合いに出されるけど潜水艦用だから切り詰めて作ったんじゃないのかな
潜水艦の備砲は14cmも切り詰め型だった覚えがある
燃焼完了点の問題はその分初速を落として装薬量を減らせば解決できそうな気がするんだ
掃海艇、海防艦あたりの主砲として既存の12cmはでかすぎて肝心の門数を減らす方に行っちゃってるしね
スレチすまぬ >>277
潜水艦の14センチ砲は短いけど
12センチや8センチは他水上艦と同じものだし12.7も同じ(尾栓の向きが違うぐらい)
まあ弾重増なり、装薬種いじるなり、改善する手はあっただろうけど
10センチというサイズに海軍はあまり魅力を感じなかったんだろう
12.7高も潜水艦に積んでみたけど、2隻でやめて14センチに戻してるぐらいで手数よりも口径の軍なんだな 駆逐艦相手前提で積んでたという側面もある、致し方ない部分はある そういえば自走じゃない方の短十二糎砲って画像見たことないな
思いついたことはすぱっとやらかしちゃう陸戦隊だけに、ありあわせの砲架に載せて牽引式とかもありそうで怖い 戦車に野砲級火砲を搭載したとして、撃角の浅い高速野砲(三八式以上)を千メートルとか五百メートルとかそこらで榴弾射撃した不発になりやすいんでしょうか。 >>281
ttp://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_5.htm#A5_1_2
>瞬発信管の作用する限界は 土地の傾斜、土質等に依りて異なるも
>野(山)砲にありては約千五百米(千米)以上とす
>要するに命中角3°以上にあらざれば不可なり
短延期信管と併用すれば良いんだけどね >>282
早速ありがとうございます。1500mが限度って結構取り回し悪いような…
もはやイギリスが40mm砲で榴弾を生産しないで徹甲弾に統一したのって、もともとの威力不足・高初速故の破片散布の歪さに加えて、更に爆発すらしないという問題が更に輪をかけていた様に思えて、あまり批判する気にはなれないですね
でも短延期信管って調整が面倒な様な… >>283
イギリスの2ポンド砲は縦割り行政的に「対戦車砲は戦車だけを相手にする物、貫通力優先で徹甲榴弾も無し」
と徹底した結果だが当然兵士には不評で、後に榴弾も開発されているんだが >>284
確か私が見たのは284の様になんの考えもなしにやったんでなく、試験の結果コスパ悪いだけって結論付けられたと書き込みを見たんですが、そういう縦割り的な「一面も」あったのかもしれませんね 戦車の場合、平らな土地で1000mで軟目標なら同軸機銃で撃てばいいのだ
土嚢とか積んで陣地構築してりゃ普通に榴弾使えば良いんだ
英2ポンド砲だと、軽易な陣地以上に出会ったら困るわけであるw >>285
コスパ悪いってこれの事?
https://twitter.com/FHSWman/status/353504480953761792
余談ではありますが、2ポンド砲に榴弾が本当に全く無かったかというと、実はそうでもありません。
炸薬量64gの1.86ポンド(844g)榴弾がちゃんと制定されています。
しかしこの口径では効果があまり期待できないことから、生産優先順位が低く置かれてしまったのです
https://twitter.com/FHSWman/status/353505980920762369
2ポンド砲弾は戦前から45年までに各種合わせて2464万発(!)ほど生産されましたが、このうち榴弾は82万発ほど。
全体の3.3%でしかなく、さらにこれにはマチルダ以外の戦車に割り当てられた砲弾の数も含んでいます。
つまり実際、榴弾は有って無かったようなものです 2ポンド砲って口径の割に重くてでかくて貫通力あるタイプの、純粋な対戦車砲だからなあ
45から50mm程度だと長榴弾利用でそこそこの制圧範囲も見込めるけど、そういうのも無理だし
37mmクラスの砲みたいな取り回しの良さもない
作った時は最強クラスの対戦車砲だったんだけど、戦争になったら齟齬が出たというある意味英国面兵器だよね しかし後にリトルジョン・アダプターという後付ゲルリッヒ砲型パーツにより、更に高い貫通力を発揮している 40ミリ径で50ミリクラスの威力と砲重量、歩兵砲としては無能だけど近似口径最強の貫徹力!というのは実にイギリスらしくて良い リトルジョン・アダプターの開発者は亡命チェコ人だけどな ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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OQK4A 片手で装填できる限界の口径が57mmだったから
57mm砲にしたという言説って後付けなん? せやで
57mmという中途半端な口径は本来6ポンドの砲弾=57mmという事でイギリスが使っていた口径で、それがドイツやアメリカにも広がって、戦車にも採用された。戦車登場以前からある口径なわけ
黎明期のイギリスの菱形戦車シリーズも6ポンド砲で、日本がかなりのお手本にしたヴィッカースC型が57mm榴弾砲ともいうべき主砲だった
57mmという口径のルーツを辿れば輸入戦車になり日本はそれを踏襲したに過ぎない
ただそれが当時の日本人には丁度片手装填しやすかったと 当のイギリスは6ポンドは対戦車砲としてで、榴弾は3インチ榴弾砲に走ったけどな
炸薬量が105mm並みの76.2mm砲弾を初速200m/sぐらいで撃ち出す超低初速砲
威力は最大だし砲自体は日本の57mm戦車砲より3分の1ほど軽量
別個に装填手がいなきゃ発射速度は落ちそうではあるが >>37-40
臭いと思ったら旧日本陸軍趣味の韓国人からも嫌われる有名な嘘八百の常習犯なんだってな
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:6JfXFg-sFM4J:https://twitter.com/barbette_00cm/status/962675526472163329 戦車隊の中で榴弾砲と対戦車砲の搭載車混在させようって発想は妥当だったんだろうかね
アメリカにもM3に榴弾砲積んだ奴があったよね
まあ野砲クラスが主砲になっちゃうと消滅していくニッチだったんだろうな 基本的に戦車に積む75mm級榴弾砲って敵歩兵の排除じゃなくて敵対戦車砲の排除が目的だからなぁ(それが転じて対歩兵にも有利になるってだけ)
積極的な動機というよりはあくまで戦車隊の自衛手段の一つに過ぎない
4号も3号の突撃に際して支援戦車という形での期待を受けてたわけだし
(75mm級加農の戦車実用以前において)安価な対戦車砲に戦車がバタバタやられるのを防ぐ判断という面では妥当じゃないの 50から60mm程度の口径だと、重榴弾使うことでかなりの制圧力は期待できるんだよね
各戦車に徹甲弾と榴弾を配当するのは煩雑だったのかな
照準が別個になるのを嫌ったのかもしれないけれども、生残性という面ではプラスに働きそうな気がする ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています