南雲忠一中将を再評価するスレ(己)
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南雲長官はもっと評価されるべき(34代目) 前スレ [33代]南雲忠一中将を再評価するスレ(不) http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1500723627/ (>>119 〜 暗号情報を信用するかの章、>>494 PBY温存方針の章 過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし admiralnagumo@ウィキ http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo 戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ 【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>510 の続き 既述の通り、筑摩五号機の報告によると、 「敵ハ、味方ヨリノ方位70度・90浬ニアリ」(0810時) 飛龍から見て、ヨークタウンは70度(東北東) 逆にヨークタウンから見ると、250度(西南西) この時期、飛龍は北上し、ヨークは南下しているため、 時間が経てば、ほぼ真西の方向になります。 >>513 軍隊だったら査問会でしょ? 米軍は日本軍と異なり戦意不足の指揮官には厳しかったようですね。 査問会で戦意不足と見做され処分された艦長で拳銃自殺を遂げたボード大佐の例が ありました。 [ミッドウェー海戦](0900頃) └┐ ↑ ▽ヨークタウン ▲飛龍 ↓ ┃ >>516 の続き ヨークタウンを発進した索敵機が西方に向かえば、 250浬を進出するまでもなく、30分程度で 「第四の空母」を発見できるでしょう。 なにぜ10機も出しているんだから、見落とすなんて 有り得ないし。 ところが、アダムス大尉機が飛龍を発見報告したのは、 なんと1145時、なんと3時間近く経過した後だった。 いったい、どこを飛行していたのでしょうか? >>518 長官!ここは軍板ですぞ? 大事なことなので 索敵と触接に関していろいろな記録・意見があって興味深い。 他の戦記などでも、日の索敵機は(対潜哨戒は別にして)爆弾などは積まず、 燃料を目一杯積んで航続距離(滞空時間)を延長してた感じですが、 米の索敵機は最後に爆弾を投下して帰っていく(当たれば儲けモノ的攻撃をする) ような記載を見た覚えがあります。 日米で、触接を維持に対する重要性の認識に差があったと言うことでしょうか。 だって米軍のそれは偵察爆撃機というカテゴリーだから敵を発見したら報告だけでなく ついでに攻撃もするのが任務。 触接任務はPB2Yが担当していた印象 >>519 申し訳なし。 それにしても、今回の証人喚問は、とんだ茶番でしたねぇ 民主党政権のときは、”官邸主導”と官僚を排除してたのに、 いつから官僚は、政治家からの圧力がなければ、不正も 改竄もしない、善人の集団になったんでしょうか。 >>520 そうですよね。まだまだ考察中ですが、 日本海軍の場合、漸減邀撃作戦における夜戦を重視し、 そのために不可欠な、日没前からの長時間の触接を 研究してきたので、 それがそのまま空母戦にも応用されたのではないかと。 それと比べると、米海軍の方は「触接軽視」に見えますが、 むしろ日本海軍が特殊で、米海軍が標準なのかも。 >>521 なるほど。 空母機は触接なんかせずに、さっさと攻撃して離脱ですか。 この触接談義は、なかなか奥が深そうですねぇ >>517 の続き なぜ飛龍発見に、これほど時間を要したのか。 それはヨークタウンを発進した索敵機が、そちら(西方)に 飛ばなかったからです。 アクションレポートによると、 http://www.midway1942.com/docs/usn_doc_04.shtml >>525 の続き At 1300 launched ten VSB from VS5 to search the sector from 280° to 020° true for a distance of 250 miles to locate and attack enemy carriers. 「1300(日本時間0800時)、VS5(第五哨戒飛行隊)から SBD10機が索敵に発進した。 真方位280度から20度、 進出距離250浬 敵の空母群の位置を特定し、攻撃を加えるためである」 [ヨークタウン索敵図] ┌─┐ ┌─┘ └─┐20度 ┌┘ │ ┌┘ │ ┌┘ │ │ │ │ │ ┌┘ │ │ │ 280度 └─┐ │ └───┐ │ └────▽ヨークタウン ↑ ↓ 250度 ▲飛龍 >>527 の続き 本職のAA技術では、きれいな扇形は作れないので、 各自、脳内で補完されたし。 重要なのは、飛龍が居る(と推定される)西南西には、 ヨークタウンは索敵機を飛ばしていないのです。 >>528 の続き おそらく>>517 のアダムス機は、最も西方(280度)を担当し、 その復路で、北上する飛龍を見つけたのでしょう。 往路に1時間半、側程に30分、復路に入って30分ほど 経過して発見したとすれば、計算が合いますね。 それにしても、なぜこんな方向に出したの?? ミッド米軍は索敵機に南雲部隊をつきまとわせてるわけではないにしても 壊滅したとはいえ基地機で断続的に攻撃し、艦爆の攻撃で3空母を炎上させてもなお 敵空母の正確な位置を艦隊司令部は把握してないってどういうこと? >>522 相変わらず長官は、南雲スレや戦史研究と直接関係の無い現代政治ネタが好きですな。 >>1 を熟読されたし。 財務省税関職員だった私が、似たような経験談をここで書いたら迷惑でしょうに。 >不正も改竄もしない、善人の集団になったんでしょうか。 これについては全くそのとおり。 自衛隊、検察、警察等を含め、組織的不正の無い行政組織なんて存在しないでしょう。 ところで内閣官房(含む首相官邸)も行政組織ですね。 >>523 >それと比べると、米海軍の方は「触接軽視」に見えますが、 海戦前日6月4日のPBYリード機は、船団部隊に2時間以上の長時間触接、 それも日本側同様の隠密触接を行っていたようです。 更に同日のB-17爆撃隊に先だって、 海軍士官の乗ったB-17 1機が触接・艦種確認のために先行出撃。 6月4日のミッドウェー基地航空隊の行動を見る限りでは、 日本側の触接行動とあまり変わらないような気がします。 >>530 そのあたりの経緯は、今も分かっないのですが、 このフレッチャー少将が命じた索敵範囲は謎ですよね。 >>531 ははは・・・毎度申し訳なし 税関って、財務省の管轄だったんですね 長官私室の金庫の中にあるアレは、バレてないよな・・・ドキドキ >>532 そうですね。 本職が今考えて営るのは、米軍にも触接の思想はあるが、 それは飛行艇や大型爆撃機など後続距離の長い機体に よるもので、空母機で触接する発想は無かった。 日本海軍の場合、優秀な水上偵察機が巡洋艦以上の 大型艦に多数搭載されていたので、自然に空母戦でも 長時間触接することが当たり前になった。 と考えています。 >>529 の続き ヨークタウンを始め、米空母はその攻撃隊を南西 (240度)方向に出している。 その後、日本空母は北上しているため、 攻撃を終えた機体は、西南西方向から 帰投したはず。 それに対して、フレッチャー少将が命じた索敵範囲は 北西から北にかけてで、全く一致しません。 >>535 の続き しかも、この索敵機発進直後に、レーダーが 日本機の編隊を捕捉していますが、 「1159時(日本時間0859時)に、ヨークタウンの レーダーが、方位255度、距離46浬の地点に、 接近してくる敵編隊を発見した」 (『歴史群像』(55)日米空母決戦ミッドウェー)p155 >>536 の続き ここでも、敵の方位は255度で、西南西の方向に 敵の健在空母が所在することは明らかですよね。 10機のSBDは、まだ発艦したばかりなんだから、 索敵方位の修正を無線で命じれば良かったのでは? と思うのですが・・・ >>537 の続き ここで注目したいのが、索敵機の発進時間で、 先に紹介した歴史群像(>>413 )では、0850時となっている。 原文では「1150時」となっていますが、 ミッドウェーの現地時間と日本時間では、−21時間の時差が あるので、0850時で間違いありません。 >>538 の続き 次に、ヨークタウンのアクションレポート(>>526 )では 「1300時」となっていますが、これはハワイ時間で、 日本時間とは−19時間の時差があるので、0800時。 日本海軍の戦闘詳報は、どこの戦場でも東京時間で統一 されていますが、米海軍の場合、現地時間とハワイ時間が あるので、ややこしいですね。 >>539 の続き アクションレポートの方が正しいとするならば、 ヨークタウンのショート隊が発進したのは0800前後で、 まだマクラスキー隊やサッチ隊が帰還する前のことになる。 0800の時点では、攻撃隊が向かった南西方向の日本艦隊は PBYの報告した「空母2隻」のままであり、 残り2〜3隻の別働隊が居るとすれば、北方に索敵機を 出したのもうなずけます。 >>540 の続き 他の資料を確認してみると、 『モリソン戦史』には、索敵隊の発進時間について、 はっきりとは書かれていません。 >>541 の続き 「さてフレッチャー少将は、ヨークタウンに対する 日本軍の第一次攻撃の以前から、敵航空母艦1隻が 無傷のまま健在しているものと判断して、 ウオーレス・ショート大尉の指揮する哨戒爆撃機10機 より成る索敵飛行隊を出動させる先見の明があったのである」 (第三巻)p310 >>542 の続き ただし、その後に続けて 「彼らは3時間以上にわたり、遠くかつ広く索敵を行った後、 幸運にも、母艦撃沈の惨事を知らずに、ヨークタウンを 目指して、帰還飛行の途上にあった。 ちょうどその時、1445時(日本時間1145時)、 サミュエル・アダムスは、日本軍の航空母艦飛龍他が、 ヨークタウンの西微北の方向、約110浬の地点を 北上しているのを目撃した」 >>543 の続き 1145時点で、すでに3時間以上飛行していたということは、 発進時刻は、0845以前でなければならない。 よって、アクションレポート(>>526 )と同じく、 0800発進説だと思われます。 明日から、留守にするので、 週末はお休みです。 ツインリンクもてぎに、全日本ロードレース(二輪)の 開幕戦を見に行ってきます。 あまり指摘されることはありませんが、 ヨークタウンはミッドウェーで沈んでいるので、 そのアクションレポートは、母艦の残存記録が乏しい中、 海戦後に書かれたことになります。 疑惑が取り沙汰される一航艦戦闘詳報と同じですよね。 果たして”改竄”はあったのか? 証人喚(ry おっと、ここからは専門家にお任せしましょう。 それでは、また来週ノシ >>545 軍艦○○戦闘詳報というのは作戦後各科の戦闘詳報を纏めて「清書」して提出するもの では? 当然、時系列的に矛盾があっても困るので各科の執筆者の意見を擦り合わせてるが「記憶 違い」もあるだろうから纏めるのは大変そう。 >>546 艦船沈没や部隊壊滅・解散の場合、 戦闘詳報等の各種報告書作成は「残務処理事務所」が置かれそこで作成されるわけですが、 生存者は既に新たな艦船や部隊に配属される場合があるため、 残存資料のみならず証言の収集自体も困難を伴うようです。 例として『軍艦加賀戦闘詳報』は冒頭に 「本報告は生存者の断片的記憶を整理調整せるものにして資料不備の為 内容中の必要事項及其の精粗調はざる点あり 照合資料を得次第訂正を期す」 と注釈があります。 >>546 >時系列的に矛盾があっても困るので ちなみに私の経験ですと、 何らかの事件を摘発した場合は職員が手分けして 各種事件書類(供述調書や差押え目録、見取り図等)を一斉に作成開始するのですが、 1.重要事項(各時刻、場所(正確な地番)、氏名、船名、名称(正確なアルファベット綴りや難読漢字の確定)、品名、個数等)を 壁に貼り出し、随時更新する。 2. 1.を確認しながら可能な限り速やかに「時系列」の素案を作成する (業務処理上、真っ先に作成するのは「摘発報告書」ですが)。 3.関係職員は以上を随時確認しながら、事件書類の作成を進め必要な訂正を行い、決裁を受ける。 大体こんな感じです。 これらの書類は公判維持を前提としますので、 特に「整合性」に留意しています。 また、現在の国家公務員組織は一般の行政事務処理についても、 下位官庁と上位官庁の決裁文書のやり取り等では文言の「整合性」を重視しているようです。 >>548 の続き 一方、日本海軍の戦闘詳報は、 「整合性」についてはそこまで厳格に追求していない可能性があります。 以下は、過去の空母スレか戦艦スレに書き込まれた内容で、 あくまで私の記憶で、私自身は資料をまだ確認していませんのであくまで参考に。 エンガノ岬沖海戦で航空戦艦伊勢及び日向が多数の米海軍機を撃墜したという“エピソード”があるが、 1.戦後の両艦長の書籍証言より、両艦の戦闘詳報記載の撃墜数は共に少ない。 2.四航戦の戦闘詳報は、「両艦の撃墜数は過大」と判定している。 3.米側資料の撃墜数は更に少なく、両艦を攻撃した時刻自体が四空母撃破後なので、 そもそも激しい攻撃を長時間受けた訳ではないようだ。 つまり、1.及び2.のとおり、日本側の戦果判定は評価が異なる(「整合性」が取れていない)が、 四航戦司令部は両艦の戦闘詳報を訂正・変更するような処置は行っていないわけです。 (個人的には、行政処理手続きも含めて上下官庁は決裁文書等で無理に「整合性」を取る必要は無いと考えます。) >>549 戦闘詳報を受ける側はあくまで一次資料として読むだけで全体の経緯に過大な矛盾が 無ければそのまま領収すると? エンガノ岬沖海戦における米軍機の喪失は10〜13機となっていますからそのエピソードに 関しては最初から眉唾な感じがしました。 >>550 単に松田四航戦司令部の 「その時の対応がそうだった」 だけなのかもしれません。 (それはそれで、より上位の小澤3F司令部からは、 何らかの指示・指導を受けないのか? ということでもありますが。) >眉唾な感じ 両艦の“見事な回避術”も、過大評価の可能性がありますね。 ただし、両艦が海戦を通じて目立った損害を受けなかったのは事実ですし、 撃墜に至らずとも阻止砲火としては一定の効果を挙げていた可能性はあるかと。 >>551 の続き あくまで一つの推測ですが、 ・上級司令部は、下位部隊の報告(戦闘詳報)に重大な誤りが無ければ特に訂正を求めない。 上級司令部はその報告と自己が現認した状況から総合的な評価・判定を行い、 自身の報告(戦闘詳報)を作成する。 という感じなのかもしれません。 >>552 の続き 一応「戦闘詳報」を文書として作成提出する前には、 「戦闘概報」その他の電文・信号報告が先行しますので、 その過程で上下司令部は情報の共有、状況認識のすり合わせ等が ある程度先行しているかもしれません。 ちなみに『海戦要務令(明治34年)』には 「第12条 通報及び報告は自己の目撃せしことと関知せしことと及び推測に関わることとを判然区別するを要す」 とあります。 >>545 >果たして”改竄”はあったのか? 改竄かどうかは不明ですが、 私が確認した限りでは、珊瑚海海戦前後の 『横濱航空隊行動調書』 には、事実と全く異なる記述のものが少なくとも二日分ありますね。 それも比較的重要な日です。 『戦史叢書 南東方面海軍作戦<1>』の戦史編纂官は、 同書の記述上絶対に気付いているはずですが、 何故かその点については何らの指摘、説明、考察は一切ありません。 ※上記は、過去スレで簡単にネタ振りしていますが、誰も食いつかないのが悲しいところ。 これが分からないようでは、“敵空母らしき兆候云々”の考察なんて無理かと思います。 >>552 現場にいなかったGF司令部が戦闘詳報にツッコミを入れようにも限度はあるから 一応体裁が整っていれば良しとしてたのでしょうね。 >>546 そうですね。その元資料が失われているので、 記憶に頼る部分が多かったのではないかと。 >>547 ありがとうございます。 そんなところがあるのですか!>残務処理事務所 加賀さんのように注釈付きだと余計な混乱を生みださずに 済みますね。 >>548 - これも例の税関話ですかな。 整合性・・・おっと、あた脱線するのでやめておこう ご無沙汰しております・・・orz 今週に入ってから、不具合対応で追われておりまして、 申し訳なし。 来週も続きそうなので、なんとも言えませんが、 善処します。 ぐふっ >>544 の続き このヨークタウン索敵機(ショート隊)の発進時刻ですが、 母艦が沈んで資料が失われたためか? 戦記の類にも、明確な記述はあまり見られません。 プランゲ博士の『ミッドウェーの奇跡』では、 >>558 の続き 「1445時(日本時間1145時)、フレッチャーとスプルーアンスが 待ちわびていた敵情報告が、ヨークタウンの索敵機から入電した。 この報告によると、1150時(0850時)に、ヨークタウンから 120浬離れていた飛龍は、281度方向72浬に迫っていた。 アメリカにとって幸運にも、飛龍は米空母の方に向かって、 その針路を採っていたのであった」(下巻)p102 >>559 の続き これでは「0850時」が、索敵機発進時刻なのか、 攻撃隊収容時刻なのか、区別できませんし、 「しかし、フレッチャー提督は(日本空母撃破の報告にも) 祝福する気持ちになれなかった。 日本空母は4隻いると予想されているのに、まだ2隻しか 分かっていなかった。 >>560 の続き ミッドウェーの飛行艇からは、5時間もなんら連絡がなく、 上空に旋回中の飛行隊から、はっきりとした敵情を知る ことはできなかった。 他の2隻の空母はいるのだろうか。 いるとすれば、いったいどこにいるのか。 フレッチャーは、北西方を索敵することにした。 1120時(日本時間0820時)、予備として控置しておいた 17機のSBDのうち10機を、ウオーレス・ショート大尉麾下に 発進させた」 (『逆転』ウオルター・ロード/著)p176 >>561 の続き ここでは、「索敵は0820時発進」となっており、 その後、サッチ少佐の収容、「敵空母3隻撃破」の報告、 飛龍艦爆隊の来襲をレーダーが探知・・・ という流れになっています。 >>557 長官は名誉の戦死をなされた!ゲショゲショ様、どうかご采配を! >>563 GF長官が戦死となれば、国葬ですね! 葬送行進曲は、ふぃぎゅ@で(ry ぐふっ >>562 の続き これらを比較してみると、ヨークタウンが索敵機を 発進させたのは、攻撃隊収容よりも前、 すなわち、 日本時間0800時(アクションレポート)や、 0820時(『逆転』)と考えるのが自然ですね。 >>565 の続き 『歴史群像』の0850説(>>413 )だと、 索敵機の発進直後に、母艦のレーダーが 敵編隊接近を探知したにもかかわらず、 なぜ索敵機に対して、針路の変更を命じなかったのか? と疑問がわいてきますし。 >>566 の続き 仮に0800時に発進させていたとすれば、 すでに1時間を飛行していることになり、 今さら索敵範囲の変更は、混乱を招くだけです。 この場合、空母戦の”常道”から言えば、 フレッチャー少将は、ショート隊の残り7機のSBDに対し、 直ちに第二波索敵の発進を命じ、 敵編隊来襲方向の捜索にあてなければならない。 実際、彼がそこまで考えていたかは不明ですが、 おそらく、対空戦闘準備に追われて、それどころでは なかったのでしょう。 >>567 の続き ただし、『歴史群像』の0850説にも出典があるでしょうから、 テンプレ(>>1 )「米海軍作戦概要」では、 両論併記の形をとっています。 ここまでを振り返ると、 アメリカ側は、暗号解読により日本軍の作戦計画概要を 把握し、稼働全空母を戦場に集結させるという、 万全の態勢で迎えながら、実際の戦闘経過は ずいぶんと物足りなさを感じる内容になっていますよね。 >>568 の続き 基地航空隊の綿密な索敵網で、いちはやく 南雲機動部隊を発見したにもかかわらず、 ニミッツのPBY温存方針により、その触接は 中途半端なものとなり、 その結果、フレッチャー少将は全力攻撃をためらい、 劣勢な上に、兵力の逐次導入という愚策に走る。 >>569 の続き 更には空母飛行隊自身の未熟な航法により 空母ごとの3集団ではなく、飛行隊ごとの9集団と 分割され、雷撃隊は各個撃破された。 まともに攻撃成功したのは、ヨークタウンのSBD隊 (レスリー少佐)くらいなもので、 エンタープライズのマクラスキー少佐の機転がなければ、 後世の史家に酷評される結果になったのではないでしょうか。 >>569 ミッド攻撃後に敵艦隊が現れる想定なのに攻撃隊の半分を雷装待機させろの件でもそうだけど、 PBYが撃墜されるのが怖いからと敵艦隊発見したら離脱しろとの命令は現場指揮官の手足を縛るものだね。 >>570 そのマクラスキー隊も攻撃時の手違いで戦果が加賀だけだったら赤城と飛龍で反撃できるし 飛龍の位置確認に手間取り2度の反撃を許したんだから大変なことになってたよね。 しかも飛龍は残存機数が少ないから薄暮攻撃にしてるところを爆撃されてるんだから 使用機数が多ければ三度攻撃も可能だったってことだし。 >>571 そうですね。しかも問題なのは、PBYの使用方針を 空母指揮官に伝えてなかった(らしい)ことです。 >>572 飛龍に対する索敵についても、全く見当違いの方向に 飛ばしているので、一番端の機体が、復路で発見したという ぎりぎりの状況でした。 >>570 の続き 日本空母4隻をすべて、航空攻撃で沈めたのだから、 大勝利に間違いないのですが、そのために費やされた 味方の損害はあまりにも大きく、効率が悪い。 せっかく暗号解読で待ち伏せしていたのだから、 もう少しうまくやれなかったのか・・・というのが正直なところ。 >>574 の続き 機種別に分析してみると、 (1)戦闘機隊(F4F) 戦闘機の任務は母艦の防空と、攻撃隊の護衛ですが、 どちらも失敗している。 前者は、ヨークタウンに対する二度の攻撃(小林艦爆隊と 友永雷撃隊)を阻止できず、 せっかく3隻の空母を揃えたのに、TF16の二空母は さっさと離脱したため、ヨークタウンの防空を担当したのは、 自前の戦闘機隊のみ。 >>575 の続き 後の友永隊の来襲時には、遅ればせながら エンタープライズの機体も加わっているが、結局 ヨークタウンの被雷を防げなかった。 一方の攻撃隊護衛についても失敗で、そもそも 護衛対象の友軍飛行隊を見失っているので、 話にならないですね。 >>576 の続き (2)急降下爆撃隊(SBD) 「ミッドウェーの奇跡」の立役者ですが、これまで 見てきた通り、ヨークタウンのレスリー隊を除けば、 薄氷を踏むが如く、綱渡りの勝利だったと言えます。 特にSBD隊は、意外に損失が大きく、 ホーネットは35機で出撃し、敵を発見できず、 燃料切れによる不時着で2機喪失。 >>577 の続き エンタープライズは33機中14機、 ヨークタウンは17機中2機を失っている。 モリソン氏は、「達成された大戦果に対して 決して過大な代償ではなかった」と評しています。 確かに戦闘である以上、犠牲は避けられないのですが、 彼らの大半は、戦闘そのものではなく、航法を誤ったことによる 燃料切れに起因するもの。 言わば、必要のない損失だったと言えるでしょう。 >>578 の続き (3)雷撃隊(TBD) ただし損耗率と言えば、雷撃隊を出さないわけないはいかない。 ホーネット隊:15機中全機 エンタープライズ隊:14機中10機 ヨークタウン隊:12機中全機 なんと41機中37機、実に損耗率9割超! 「過大な代償」以外の何ものでもないですよね。 >>579 の続き 確かにTBDデバステーターは、時代遅れの機体で いずれTBFアヴェンジャーと交代して、スクラップになる 運命だったかもしれませんが、 搭乗員たち、特にウオルドロン、リンゼー、マッセーという 飛行隊長をを始めとした熟練搭乗員をすべて失ったことは、 雷撃隊の再建を、大いに困難にさせたでしょう。 >>580 の続き 個人的には、 珊瑚海海戦において、雷撃隊の損失はわずか1機で、 その原因は、遠距離から魚雷を投下し、さっさと反転して 避退したためでしたが、 ミッドウェーでの彼らは、戦闘機の護衛を受けず、 かつ40機を上回るゼロファイターに囲まれながら、 及び腰の機体は1機もなく、いずれも”必中射点”に向かって、 全速で突進し、撃墜されたのです。 マクラスキー隊の「お膳立て」としか紹介されないことが多いですが、 本職は、勇敢なる彼らの戦いぶりに敬意を表したいと思います。 そんな米雷撃機も珊瑚海で祥鳳だけには多数の魚雷当ててるのはなんで? 別に米雷撃機を庇う訳じゃないが、空襲開始直後の魚雷命中で舵やられて祥鳳は回避できなくなってるからなあ 魚雷に限らず、爆弾多数(13発。ただし日本側報告)当てているのは祥鳳は航行能力失っているからでしょうよ >>582 それは爆撃隊と雷撃隊が無線で連絡をとりあって 協同攻撃のタイミングを合わせるという、想定通りに攻撃が 進んだのと、 ヨークタウン+レキシントンの攻撃隊の全力計92機で、 祥鳳の防空を圧倒したからですね。 >>582 そうですね。 「協同攻撃」とはいっても、第一波のレキシントンSBD隊 28機の爆撃は、全弾回避してますし、 その後のレキシントン雷撃隊とヨークタウン艦爆隊の攻撃が 完璧な雷爆同時攻撃となって、戦闘力を奪われてしまった。 >>554 『横濱航空隊行動調書』はアジ歴の『昭和17年4月〜昭和17年5月 横浜空 飛行機隊戦闘行動調書』でしょうか? 事実と異なる記述の部分がわかりません…。 戦史叢書では機動部隊発見の誤報があったのは4月25日で触接機は撃墜されたとなっていますが、横浜空の報告では4月26日に敵機動部隊発見で帰還していると記載されている部分でしょうか…。 >>582 翔鶴・瑞鶴と離れていたから他の二艦に比べて防空が弱かったのかも。 五航戦と違い実戦経験がなかったからしかたないし、艦隊を連携させなかった指揮が悪かった。 >>585 レキシントン爆撃隊の攻撃を回避後に戦闘機を飛ばそうと直進したところを被雷して行動不能、 そこを袋叩きにされてしまったんだっけ? >>588 艦を風に立てたばかりに…(。・ω・。) >>586 >『横濱航空隊行動調書』は スミマセン、同戦史叢書巻末掲載の正確な出所資料名は、 (29)「横濱航空隊飛行機隊戦闘行動調書」 でした。 >アジ歴の『昭和17年4月〜昭和17年5月 横浜空 飛行機隊戦闘行動調書』でしょうか? はい、その資料です。 >>590 の続き >事実と異なる記述の部分がわかりません…。 以下のとおり、 同戦史叢書 P219 「敵機動部隊発見誤報事件」 の該当記述はかなり分かりづらいのですが、 >戦史叢書では機動部隊発見の誤報があったのは4月25日で それは同書の誤記載で正しくは“4月26日”と思われます。 『五航戦戦時日誌』等の他資料では「4月26日」となっています。 >触接機は撃墜されたとなっていますが、 「通信途絶」→「帰還、搭乗員より聴取」 の流れで記述されており、 同書では“撃墜”されていないことが分かります。 通信途絶の理由については、説明、考察はありません。 >>591 の続き >横浜空の報告では4月26日に敵機動部隊発見で帰還していると記載されている部分でしょうか…。 はい、ここが本題です。“4月26日付”の同行動調書をよく見て下さい。 時系列というより、因果関係が破綻していますので。 「再評価」というか、少しだけ、庇える事実がある。 日本国民は絶対に以下の三点を見逃したり、忘れてはならない。 一、昭和16年12月8日の宣戦布告は、政府の機密厳戒態勢の中、韓国人の朴:茂コ(日本名:東郷茂徳)外務大臣の 命令に よってなされたこと。 二、 日本政府は機密厳戒態勢だったが、米国政府は日本が12月8日に宣戦布告することを事前に知っていたこと。 三、「ミッドウェ−作戦では機密情報管理が甘かったこと。連戦連勝に沸いていた海軍は情報管理で甘くなっていた。」 ということだけが多く主張されるが、(韓国人外相の下での)宣戦布告の機密漏洩の理由との関係についての 考証が、 ほとんどされてないこと。 >>592 すみません、通信途絶により二十五航戦では撃墜されたものと判断したと記述してあったので、撃墜されたものと思っていましたが、次のページに搭乗員に聴取したことが書いてありました…。 横浜空の行動調書では正午ごろの敵機動部隊発見の報告が無い部分でしょうか?聴取では大艇は1330までは触接していたとあるのですが、横浜空の26日の行動調書では正午ごろの発見の報告など該当する記述が無いように見えます…。、 戦史叢書では正午ごろの敵機動部隊発見の報を受けて、触接のため大偵と水偵が各1機ラバウルを発進したが敵発見の報告は無かったと記述してあり、横浜空では1415発進〜2110帰着の間に敵機動部隊発見となっているので、 大艇の1415発進の理由が正午ごろの敵機動部隊発見だとすると、26日の行動調書に該当する報告が無いのは気になります。 >>587 祥鳳はMO攻略部隊所属で、 翔鶴・瑞鶴のMO機動部隊とは、全くの別行動ですからね。 >>588 だいたいそんな感じです。風上に立て! >>589 空母が最も無防備になる瞬間ですからねぇ >>590 - いつもながらの焦らしぷれいですな 悔しい! でも感じ(ry >>593 せめて南雲長官に関係ある話題に・・・ >>581 の続き 以上のように、米空母は多大な犠牲を払って、 日本空母撃破に成功した。 次にフレッチャー少将がすべきことは何なのか。 いま一度、状況を整理しておきます。 >>596 の続き [事前の暗号解読情報] 日本空母は4〜5隻 [0800頃の南雲機動部隊] 4隻のうち、3隻(赤城・加賀・蒼龍)が被弾により行動不能 残り1隻(飛龍)が第一次攻撃隊(小林艦爆隊)を発進 [サッチ少佐からの敵情報告] 日本空母3隻を撃破(確実) 残りの空母については、詳細不明 >>597 の続き フレッチャー少将としては、一刻も早く 敵空母の残存兵力を把握し、これに攻撃を加えなければならない。 さもないと、今度は自らが反撃を受けることになる。 彼が採り得る手段は唯一つ、索敵機を出すことだdけですね。 >>598 の続き 現在の主題である、 「日本空母は残り何隻か」 これ以降、米空母部隊指揮官が頭を悩ますことになるのですが、 事前の暗号情報は、この疑問に対する答えを 何ひとつ与えてはくれません。 頼りになるのは、自らの目と耳と、勘だけです。 >>593 山口多聞が駐米武官のときに暗号機盗まれてるんだよ 名将山口の名のもとにそういった粗相は全く問題にされないけど >>600 停電を装って入って来た工事業者に やられたらしいですね。>暗号機 >>601 けしからんな >おもらし おじさんが助けてあげよう・・・ >>599 の続き そこで、フレッチャー少将の出した索敵機(ショート隊)の 話へとつながるのですが、 既述(>>527 )のとおり、彼らは280度から20度、 すなわち西方から北方にかけて飛んでいる。 >>603 の続き 日本空母3隻を撃破した第一次攻撃隊を出したのは、 240度方向(南西)で、そちらに触接機を出すのが 普通だと思いますよね。 なぜフレッチャー少将は、一見”的外れ”に思える方向に 索敵機を出したのでしょうか。 そのヒントになりそうなのが、この日最初に出した索敵機。 >>604 の続き ヨークタウンのアクションレポートによると、 At dawn, ten VSB of VB5 were launched to search the Northern semi-circle for a distance of 100 miles as a security search against surprise by enemy carriers not previously located by our forces. 「黎明時、10機のSBDが索敵のため発進した。 索敵範囲は、母艦の北側半円で、進出距離は100浬。 我が方が敵を発見するよりも前に、敵空母による奇襲を 受けることを防ぐための安全策として出された」 [ヨークタウンの黎明索敵](6月5日0130時発進) ☆ヨークタウンの索敵範囲、★ミッドウェー島PBYの索敵範囲 ★(20度-700浬) ☆(0度-100浬) (270度-100浬)☆ ▽ ☆(90度-100浬) ヨークタウン (北緯31度40分・西経176度30分) ■ミッドウェー島 (北緯28度10分・西経177度20分) | | | | | | | | | | | | ★(200度-700浬) >>607 の続き 6月5日の0130時(日本時間)、 南雲機動部隊がミッドウェー島攻撃隊を発進させたのと 同じ時間帯、フレッチャー少将も索敵機を出している。 当時ミッドウェー島から見て、ヨークタウンは、 13度方向・約210浬の位置にあった。 ミッドウェー島からは、PBYが 200度から20度の範囲で、索敵に出ています。 >>605 普通の索敵ではなくて敵索敵機を発見撃墜することが目的だよね。 >>609 敵攻撃隊の早期察知の意味合いもあるし、 日本艦隊接近の警戒も含めた近距離索敵もあったりするけどね 奇襲を防ぐ目的とはそういうこと >>609 その通りです。 100浬とという進出距離は、敵艦隊を発見するためには短すぎる。 >>610 そうですね。 敵を発見することより、味方が発見されないことが主目的です。 >>607 の続き 上図は、各自脳内変換されたし。 ヨークタウンの位置は、 ミッドウェー島から発進したPBYのうち、 最も北の20度線の索敵範囲上にあった。 そこから北半円にSBDを出したということは、 西半分はPBYの索敵圏内と重なることになります。 >>612 の続き 一見、無駄なようにも見えますが、 PBYは700浬の超長距離索敵なので、 ある特定海域に限定すれば、行きと帰りの数十分間 飛行するだけの、”粗い”捜索になります。 しかも、最も端の索敵線であるため、 隣線の機体とダブルチェックすることも期待できない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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