南雲忠一中将を再評価するスレ(己)
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南雲長官はもっと評価されるべき(34代目)
前スレ
[33代]南雲忠一中将を再評価するスレ(不)
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1500723627/
(>>119〜 暗号情報を信用するかの章、>>494 PBY温存方針の章
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/ >>664の続き
とにかく、時間が経てば経つほど、
敵に反復攻撃の機会を与えることになるから、
第一次攻撃の時とは違って、五月雨式で結構、
逐次投入で良いので、次々と攻撃隊を繰り出せば
戦果を期待できるかと。 >>665の続き
ここで各空母の状況を確認してみると、
まずヨークタウンは、本来なら
「こんなこともあろうかと思って、用意しておいた
ショート隊を出す時が来たようだな」
と、真田さんばりの頼りになるところを
発揮するはずだったフレッチャー少将ですが、 >>666の続き
すでに17機のSBDのうち10機は、第二次索敵に
出してしまって、残りは7機。
加えて、自艦が敵機の目標となり、
防空、ダメコン、旗艦移乗など、
とても攻撃隊発進の余裕なんぞありません。 >>667の続き
対するスプルーアンス少将の方は、
敵の攻撃隊が、二度ともヨークタウンに集中したため
「防空用戦闘機の増援をヨークタウンに派遣」
「母艦に降りられなくなったヨークタウン機の収容」
を除けば、攻撃隊の準備を進められる状況にあった。 >>668の続き
ところが、スプルーアンスが攻撃隊を発進させたのは、
なんと1230時!
0900時に「第四の空母」の存在を確信してから、
実に3時間半も経過しています。
そしてこれは、先にヨークタウンから出した
第二次索敵機が飛龍発見を報じた電文
(1145時)を受けての行動です。 >>669の続き
南雲機動部隊のように、断続的に敵襲を被ったわけでもなく、
すでに攻撃隊の準備は完了していたはず。
なのに、いったい何故?
諸説あるようですが、プランゲ博士によると、 >>670の続き
「エンタープライズの艦上で、スプルーアンスと幕僚は
ヨークタウンに対する日本機の攻撃を、どう判断するか
どう対処するか、検討を加えていた。
参謀長のブラウニング大佐は、ヨークタウンに攻撃を
加えてきたのは、先にアメリカの艦爆隊が討ち漏らした
一艦からに違いない。
即刻、それに対して攻撃を加えるべきだ、と主張した。 >>671の続き
が、スプルーアンスは、その意見に反対であった。
第一の理由として、攻撃隊の発艦の準備がまだ
完成していないこと、
第二の理由として、索敵機から正確な敵部隊の
位置の報告を得てから、攻撃隊を発艦させるべきだ、
と言うのであった」
(『ミッドウェーの奇跡』下巻)p94 >>672の続き
さて、常日頃から山口少将の即時発進を絶讃する
自称”航空の専門家”の皆さまが、どう批評するのか、
実に楽しみですねぇ >常日頃から山口少将の即時発進を絶讃する
それは日本海軍関係者がまだ生きていて、
「運命の5分間」伝説も信じられていたころでは?
被弾直前の赤城の空中写真から、まだ攻撃隊は飛行甲板に1機もいなかったことも
確認されているし。
さらに赤城被弾直前に発艦した零戦も、攻撃隊ではなく補給を終えた上空直掩機
であることも明らかになっているし。
即時発進で結果を逆転できた海戦とは、今は思われていないでしょ。 >>674
> 被弾直前の赤城の空中写真から、まだ攻撃隊は飛行甲板に1機もいなかったことも
> 確認されているし。
被弾直前に攻撃隊は未だ飛行甲板に上がってなくても格納庫で攻撃隊の爆弾や魚雷を取っ替えひっ替えして兵装転換やってたらリスクは同じですよ
当時の空母の飛行甲板は耐爆性が無いに等しいから飛行甲板に爆弾を浴びれば格納庫まで簡単に破壊が及びますからね
爆弾に遅延信管を使ってれば飛行甲板をブチ抜いて格納庫で爆発しただろうし
そこで兵装転換やってれば格納庫の床に転がってる爆弾や魚雷が誘爆して大爆発だね
水線より上の部分での爆発だから即座には沈まないというだけの話で船としての命運は100%確実に尽きてしまう致命傷だ そういや魚雷と爆弾の兵装転換はなかったという珍説があったよな。
米爆撃隊の日本空母の飛行甲板上には飛行機はほとんどなかったという証言が根拠らしい。
格納庫の中で兵装転換やってたというのにね。 >>674 星亮一、森史朗、その他ミッドウェーを特集した一般書籍・・・
>被弾直前の赤城の空中写真から
そんなのあったっけ?
>>675 まぁ、攻撃隊を発進させないまま沈むのは未練ですから >>676 澤地女史ですね。>兵装転換はなかったという珍説
0220時の予令が根拠で、
>敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃隊ハ第四編成(指揮官加賀飛行隊長)
>ヲ以テ本日実施ノ予定
最初から爆装だったから、兵装転換してないというわけですね。 >>672の続き
第一の理由について、
>攻撃隊の発艦の準備がまだ完成していないこと
確かに小林攻撃隊が来襲した、0910頃はそうですが、
それから3時間も待つ理由にはなりません。 >>679の続き
第二の理由について、
>索敵機から正確な敵部隊の位置の報告を得てから
こちらも認識の誤りで、
ヨークタウンが索敵機(ショート隊のSBD10機)を出したのは、
所在不明の「5隻目の空母」を捜索するため。 >>680の続き
日本軍攻撃隊が二度来襲したところから、
討ち漏らした「第四の空母」が健在なことは明らかです。
しかも既述の通り、レーダーにより来襲方位を把握できており、
1回目の小林艦爆隊は、
0859時「敵編隊接近中、方位255度、距離46浬」
2回目の友永雷撃隊は
1110時「敵編隊、方位北西、距離37浬」 >>681の続き
これらは、同一空母からの反復攻撃と推定され、
彼我の距離は100浬以内、
さらに来週方位が、西南西(255度)から北西に移っていることから、
敵の空母は、「北上している」と予想される。
もちろん、索敵情報があった方が、より正確で確実ではありますが、
格納庫に爆弾と燃料を満載した飛行機を満載したまま、
いつ入るか分からない報告を待ち続けるのは、
「空母戦術」を理解していない、と批評されても仕方ないでしょう。 >>682の続き
だって、考えてもみてください。
山口少将の即時発進を”蹴った”南雲長官は、
このように酷評されているのですよ。
「兵理からいっても、指揮官の決断としては妥当と言えよう。
古来より”兵は拙速を聞く”との言葉がある。
完全に準備が整わなくて、出来上がりは拙くても、
迅速果敢に事をなせ。
即戦即決こそが勝利につながり、
巧みに戦争を展開して勝利した例は、未だ聞いたことがない、
という意味である」 (『ミッドウェー海戦』第二部 森史朗/著)p110 >>683の続き
お約束の『孫子』の引用から始まって、
「航空戦では、相手より一歩先んじた者が勝負を制する。
この日の朝、基地からのPBY飛行艇の執拗な触接ぶりを
思い起こせば、味方は二時間も前に、米側全容をつかまれている
に違いない」
空母戦の要諦を説く。 >>684の続き
「南雲中将は決して、自分から判断を下さない将官であった。
水雷戦のエキスパートでありながら、航空戦指揮は不得手だとして、
指揮をすべて航空参謀に任せる、他人任せの一途な頑固さがあった。
未知な分野には手を出さず、得意な分野だけを大事にする
守旧型のリーダーであった」
水雷屋の南雲は、航空戦にはズブの素人で、
空母戦に必要とされる迅速な決断を放棄している
進取の気鋭もない、退嬰的な無能提督というわけですよ。 南雲司令部は、中佐の源田参謀が牛耳っていたから評価が低いのでは?
同じ水雷屋の素人スプルーアンスは、いつ攻撃隊を発進させるかは、
参謀任せにせず、自分が判断して決断した。
司令官として、この差は大きいと思う。 >>686
> 同じ水雷屋の素人スプルーアンスは、いつ攻撃隊を発進させるかは、
> 参謀任せにせず、自分が判断して決断した。
> 司令官として、この差は大きいと思う。
というよりも極論すれば司令官の仕事はたった二つ、一つ目は決断すること、二つ目はその自分の決断に責任を負う、この二つだけだと言っても過言じゃない
だから南雲は戦闘の最中に司令官としての職務を放棄したということ
最も重要な時に自分の職務を放棄した人間には擁護する余地はない、永遠に批判の集中砲火を浴びせられて当然
それが南雲忠一だ
しかもその職務放棄の結果として大惨敗を喫したのにその結果に責任を負うどころか「復仇の機会を」と第一航空艦隊司令官の職にしがみ付いた
帝国陸海軍でも高級軍人としてこれほど見苦しい事例は極めて珍しい >>686
でも実際には山口の進言を聞いていたら史実より状況は悪くなっていたわけだから
逆に小沢は参謀の意見も聞かずに全部自分で決めて自爆した
小沢や角田は自分で決断した拙速で失敗した例でしょう >>686
>南雲司令部は、中佐の源田参謀が牛耳っていたから評価が低いのでは?
孫引きの記述なので確実性は不明ですけど、
1AF立ち上げ時は、南雲長官は源田参謀や淵田総隊長の献策をほとんど採用しなかったとのこと。
まあ、これはこれで
「有為な意見に耳を貸さない」
と評されていますが。
部下の意見を採用してもしなくても、南雲長官は無能のようです。 >>687
南雲長官はミッドウェー海戦敗北の責任で辞表すべき、という意見には賛成です。
>だから南雲は戦闘の最中に司令官としての職務を放棄したということ
これは所謂「舵貰うぞ」の件でしょうか?
もしそうなら出典は何でしょうか?
私はこれまで読んだ書籍がかなり片寄っているせいか、
その場面を一度も読んだことがなく、
過去長い間戦場伝説かネタの類いかと思っていたほどでして。
その場面が記述されているのは、草鹿参謀長か源田参謀等の書籍ですかね? >>686 「牛耳っていた」が何を指すのかは分かりませんが、
一航艦の最終的な判断は、すべて南雲長官によるものですよ。
源田参謀の意見が適切なものだったから、
南雲長官も賛同し、承認したのでは。
過去スレでも述べましたが、作戦全体を預かる指揮官として、
帰投する友永隊を後回しにすることは、有り得ない選択です。 >>687 その通りですね。
>決断すること、自分の決断に責任を負う
ところで、「職務を放棄した」とは?
南雲長官は、即時発進の具申を退け、友永隊収容優先を「決断」
しましたよね。
>第一航空艦隊司令官の職にしがみ付いた
それには賛成です。本人の気持ちはどうあれ、
南雲長官は敗戦の責任を取って、更迭されるべき→>>690 >>688 それは後出しジャンケンというものですよ。
前戦での決断は、常に暗中模索
「ああすれば良かったのに」と後世の人が批評するのは、反則みたいなもの。
まぁ、結局は負けたから叩かれるんですけどね。 >>689 そんなこともあったんですねぇ。>献策を却下
本職としては、南雲長官を持ち上げようが、叩こうがどっちでも良いのです。
ただ批評するなら、論理を一貫させましょうよ、
ということです。
「巧遅はダメだ、拙速でなければならない」と主張するなら、
薄暮攻撃を選んだ山口少将や、
即時発進を渋ったスプルーアンスも
批判しないといけないでしょ。 >>694の続き
これまた繰り返しになりますが、
ミッドウェーでは、米空母の出現を想定せずに兵装転換を始めた
南雲を批判しながら、
真珠湾では、米空母の出現を警戒して、一撃で離脱した南雲を
「消極的だ、第二撃で戦果拡大しろ」と叩くのは、
自家撞着以外の何ものでもないですよね。 >>690の続き
ところで「舵貰うぞ」というのは具体的にはどんな行為なのでしょうか?
艦の針路決定は
艦長の号令→操舵手が復唱し舵輪をまわす
のような感じかと思うのですが、
南雲長官の当該エピソードの紹介?で見かけるのは、
南雲長官自身が直接舵輪を操作しているようなイメージに思えます。
艦の舵や直進性はそれぞれくせがありますから、
普段から操作して熟知している操舵手でなければ、上手い舵捌きは達成出来ないのではないかと。
熟練の艦長でも、自分が直接舵輪を操作したら、上手く舵を捌けるわけではないと思うのですが。 >>696の続き
なお戦闘中ではないですが、
「艦長の針路号令を取消し、事実上旗艦の針路決定権を一時的に掌握し、
その間、艦隊針路自体や後続艦の針路等については特に指示を出していない艦隊司令長官」
という事例(エピソード)はあります。
南雲長官の後任である小沢3F長官の内地出撃時の出来事です。 >>690
> >だから南雲は戦闘の最中に司令官としての職務を放棄したということ
>
> これは所謂「舵貰うぞ」の件でしょうか?
いいえ違います、「司令官の職務を放棄した」と書いたのは「決断を避けた」という意味のつもりだったのですが
>>692氏の指摘でその表現は間違っていたと反省しています
具体的にはすぐ下の>>692氏への返答を参照ください
>>692
> ところで、「職務を放棄した」とは?
> 南雲長官は、即時発進の具申を退け、友永隊収容優先を「決断」
> しましたよね。
確かにそうでした、「職務を放棄した」という表現は間違っているので取り下げます >>696-697 さすがに南雲長官が自ら舵輪を回すことは
ありませんね。
そもそも操舵室は羅針艦橋のひとつ下の階にあるので、
舵輪を握るなら、階段で降りていく必要があります。 >>699の続き
例えば、『波まくらいくたびぞ』(豊田譲/著)によれば、
「南雲は、コンパスの前に立っている航海長を押しのけると、
”取舵一杯、急げ”
と伝声管に向かって叫んだ」(p236)
南雲長官にとって、魚雷回避の操艦はお手の物ですから、
航海長の回避運動があぶなっかしくて、
思わず割って入ったのかもしれません。
司令長官のやることでは無いですがね。
まさしく「職務放棄」w ていうか越権行為、職権濫用ですな。 >>698 宜候
貴官の仰るとおり、司令官の仕事は決断することで、
決断を誤った提督は数あれど、
決断を放棄した提督は稀かと。 >>683の続き
もし「拙速が兵理」ならば、
スプルーアンス少将は、ブラウニング参謀長の進言に従って、
直ちに第二次攻撃隊を発進させなければならない。
>完全に準備が整わなくて、出来上がりは拙くても、迅速果敢に事をなせ。
>即戦即決こそが勝利につながり、
>航空戦では、相手より一歩先んじた者が勝負を制する。
なんでしょ? >>702の続き
さらには、
>この日の朝、基地からのPBY飛行艇の執拗な触接ぶりを
>思い起こせば、味方は二時間も前に、米側全容をつかまれている
>に違いない
と同じく、
ヨークタウンは二度にわたって、日本軍の攻撃を受け、
米空母部隊の全容はつかまれていると思うべき、でしょ? >>703の続き
既述の通り、正確な索敵報告は入ってないが、
レーダーの来襲方位から、敵艦位の見当はつくので、
索敵爆撃隊として出すことは可能な状況でした。
なのに、スプルーアンス少将は
「即時発進の具申を蹴り、」
「正確な敵情が入るまで発進を遅らせた」
なぜ南雲が叩かれ、スプルーアンスはスルーされるのか。
論理一貫してないと思いませんか。 >>700
それは少し変だ。
出入港時とか戦闘時とかの重要な場面で操艦するのは、危険が伴うから、
普通は艦に全責任を負う艦長で、航海長ではないよ。
だから、その時は青木艦長でないとおかしい。 >>705 その通りなのですが、
それは原則であって、状況によりけりだと思います。
例えば、『暁の珊瑚海』(森史朗/著)によると、
珊瑚海海戦での対空戦闘中の操艦は、
城島艦長ではなく、塚本航海長と描かれています。
まぁ戦記なので、本当かどうかは分かりませんが・・・
いずれにせよ、司令長官の仕事では無いですな。 >>697
すみません質問があるのですが、>>592の横浜空の事実と異なる記述とはどういったものだったのでしょうか?
>>594のように考えてみましたが、合っているのか分かりません…。 >>707
申し訳ありません、返答が大変遅くなりました。
> >>594のように考えてみましたが、合っているのか分かりません…。
あくまで“私の見解”ですが、貴方の考察と同じですよ。
(「歴史考察」はタイムマシンが発明でもされない限り絶対の“正解”は分かりませんが、
今回の事例(例題)は複数の他資料との対査(整合性確認)が可能ですので、
「概ねその考察で間違ってはいないだろう」までは詰められるものだと判断します。) >>708の続き
>>594
>横浜空の行動調書では正午ごろの敵機動部隊発見の報告が無い部分でしょうか?
一点目はそれです。
同行動調書は、連日の日施哨戒実施結果と同様に
“敵ヲ見ズ”
と記されており、一見しただけでは特段の特記事項は無いように見えます。
しかし実際には
“敵機動部隊発見”
を報じているのですから最低でも、
「事後、島嶼を敵艦と誤認したことが確定」
等と追記等の処置をすべきだと私は考えます。 >>709の続き
>触接のため大偵と水偵が各1機ラバウルを発進したが敵発見の報告は無かったと記述してあり、
>横浜空では1415発進〜2110帰着の間に敵機動部隊発見となっているので、
二点目はこれです。
触接機が哨戒機の敵発見報告地点を捜索しても発見できなかったにもかかわらず、
何故か同行動調書では触接大艇は
“Q区ニ於テ敵機動部隊発見報告”
と記されています。
勿論上記のとおり、そのような事実はありません。 >>710の続き
>大艇の1415発進の理由が正午ごろの敵機動部隊発見だとすると、26日の行動調書に該当する報告が無いのは気になります。
三点目に私の考察を述べます。
以上の「昭和17年4月26日、敵機動部隊発見誤報事件」における
横濱航空隊行動調書の不可解な記述の原因の一つとして、
1.日施哨戒機の行動調書に
“Q区ニ於テ敵機動部隊発見報告”
2.触接機の行動調書に
“敵ヲ見ズ”
と記すべきものを、逆に記載してしまった。
つまり「単純ミス」なのではないかと、私は考えています。 >>704の続き
そもそも、この『孫子』の引用、
原文を読むと分かるのですが、
「勝つも久しければ、すなわち兵を鈍らせ
鋭をくじく」
とあるように、長期戦による国力の疲弊を戒め、
短期決戦による早期の戦争終結を教えたもの。 >>713の続き
そこから転じて、即断即決を推奨したように
使われますが、
その意味で引用されたとしても、
即断即決を進言したのはブラウニング参謀長であって、
スプルーアンス少将は巧遅を選んでいますよね。
さぞかし森史朗氏は、舌鋒鋭く糾弾するかと思いきや、 >>714の続き
「この朝、全力を集中して一気に勝敗を決する決意で
のぞんだスプルーアンスは、積極作戦から一転して
慎重派に変わった。
”敵空母の所在がはっきり分かるまでは出撃すべきではない”
と(ブラウニング)参謀長の提言を退けた」 (第二部)p310 >>711の続き
>「単純ミス」の背景考察について
私は「戦闘行動調書」の作成手順や報告の有無、送付先、時期等についてはほぼ知りません。
ただ「戦闘行動調書」は「戦闘詳報」と違って様式が定まっており、
その記載内容は元国家公務員の目から見ると、
“官用車運転日誌”と“業務日報・日誌”の中間くらいに思えます。
(あくまで個人的感想ですが) >>715の続き
”柔軟に”方針を転換した彼を、なぜか称讃し、
「スプルーアンスは黙して動揺の色は見せず、じっと耐え忍んで
事態の進展を待った。恐るべき強靭な精神力と言えるだろう」
あれ? 孫子の兵法はどこにいったの?
精神力の勝利ですか?
耐え忍んでいる間に、日本軍の奇襲を受けたら、
何と評するのでしょう! >>717
「兵は拙速を…」を引用する手合いに程度の高い者はいないと思うのですが、これって偏見ですかね。
>>713で指摘されてる誤用(と言い切ってよいと思う)をする人が大部分に感じる。 >>718 そうですね。いつも不思議に思うのですが、
孫子の兵法は、ビジネス分野でも多くの書籍が出版されています。
それは言わば”素人”が書いた本だから、好きなことを書いても仕方あるまい。
ことミッドウェーに関しては、”評論家”のお歴々が
この孫子を引用して、職業軍人を批判するんですよね。
どんだけ身の程知らずなんだ、と
君らは防大で、戦史教育や戦術論を学んできたとでも言うのか?
海大を次席で卒業し、艦隊司令長官を預かる海軍提督に対して
孫子を語るなど、「釈迦に説法」「孔子に論語」と言うべきで、
靖国の南雲大将も苦笑しているのではないでしょうか
「もしかしてワシ、孫子も知らないと思われているのかな・・・orz」 >>716 参考になります。
前にも公務員の方が「整合性」を重視すると紹介していただきましたが、
こういう文書って、必ず上司の決済を受けますよね。
単純ミスが起こってしまう背景として、
部隊内保管が原則で、外に出すものじゃないから、
それほど内容の整合性にも、注意が払われなかったのだろうか。 >>717の続き
さらには、ミッドウェー全体を通して見えてくる、
米海軍の組織力の弱さを指摘しなければなりません。
もともと米海軍は、部隊ごとの独立性が強く、
フレッチャー少将が先任司令官とはいえ、
TF16の二空母に関しては攻撃隊の編制や発進時刻などは、
スプルーアンス少将の自由裁量に任せる部分が多い。 >>721の続き
当時の米空母部隊は、旗艦であるヨークタウンが被弾し、
フレッチャーが将旗を移すという混乱状態にあった。
どこの国の軍隊でも、非常時の指揮系統については
厳格に決められており、
日本海軍の「海戦要務令」には、
「戦隊指揮官ノ乗艦ガ、列ヨリ離レ、指揮ヲ執リ難キニ至ラバ、
次席指揮官ハ、直チニ指揮ヲ継承スルモノトス」(第三章戦隊の戦闘) >>722の続き
日本側では、三空母被弾時がまさにそれで、
旗艦赤城が被弾炎上して戦闘不能となり、南雲司令部は
軽巡長良へ移乗を開始した。
「0745時、第一機動部隊の次席指揮官である第八戦隊司令官
阿部弘毅少将は、赤城に将旗がひるがえっていないことに気付き、
第一機動部隊の指揮権を継承することとした。
0750時、阿部司令官は、二航戦司令官山口多聞少将に対し、
敵空母攻撃を命ずると共に、聯合艦隊以下、各部隊に戦況を報告した」
(『歴史群像日米空母決戦ミッドウェー』)p152 そもそもヨークタウンは修理要員を乗せて修理しながらの被害担当艦だし、
フレッチャー様とスプー様が同一行動を取るというのは、そもそも無理ゲーだし まあここのスレ主もわかっていてアホ南雲を贔屓の引き倒ししているんだけど、
どんなに頑張っても勝利をもぎ取ったほうがエラいに決まっているわなw
いわば勝った中学生の藤井六段に「どうして定石通りに打てないの?」って
素人のオッサンが説教するようなもんだから
定石通りに打って負けたら褒めてくれるのかと >>724 組織力というのは、「同一行動を取る」とはイコールではありませんよ。
麾下の各部隊を統制できているかが焦点です。
違いが分かるかな? >>725 喩え話というのは、その人の理解力が表れていて面白いですねぇ
将棋の話なら、
素人のオッサンが負けたときに
「君は定石を使わないから負けたんだ」と説教しながら、
定石を破って勝ったオッサンに対しては、スルーする。
結局、定石は関係なくて、勝敗しか見ていない。
ただ「定石」という言葉を使いたいだけなのですよ。 >>727の続き
そもそも定石というのは、長い歴史の中で築き上げられた型
であって、定石を使ったからいつも勝てるという単純な話ではない。
孫子の兵法も同じで、拙速で成功したのと同じくらい、
拙速で失敗した例がたくさんあります。
本隊の到着を待たず、先遣隊だけでヘンダーソン飛行場に
突撃して全滅した一木支隊など、その典型でしょう。 >>728の続き
定石通りでいくか、あえて使わないかは、
指揮官が適切に情勢判断して使い分けなければならない。
その一番大事な「情勢判断」のところを無視して、
馬○のひとつ覚えのように「拙速を尊ぶ」と繰り返すのは
もうやめにしましょう、ということです。 >>723の続き
速やかに、指揮権の継承が実施されたことが分かります。
これが”組織力”です。
逆に指揮官がいなくなった途端に、統率を失って
バラバラに右往左往するのを、「烏合の衆」と言います。 >>730の続き
当時、赤城は被弾炎上し、通信も困難な状況だったので、
阿部少将自身も、正確な状況は把握できていなかったでしょう。
戦闘詳報(>>1テンプレ参照)を確認すると、
0827時には、阿部司令官より
「貴艦通信可能ナルヤ」
と問い合わせるも、赤城からの返信は無し。 >>731の続き
0830時になって、ようやく
「長官、長良ニ移乗セラレタリ」
第十戦隊の木村少将より報告があり、
0845時には、長良に中将旗が掲揚され、
0850時に、長良機密第一番電として、
「0730頃、敵ノ爆撃ヲ受ケ、赤城・加賀・蒼龍、相当ノ損害を受ク、
火災、戦闘行動不能
本職、長良ニ移乗、敵ヲ攻撃シタル後、全軍ヲ率ヘ、北方ニ避退セントス、
地点ヘイア○○」 >>732の続き
これまでの経緯を、全部隊に通報し、
機動部隊の指揮権は、南雲長官の手元に戻ったのです。
これは軍隊以外でも、会社組織などでも、非常時における
指揮系統について、お手本とすべき事例ですね。 >>733の続き
一方のアメリカ側ですが、
旗艦被弾→司令部移乗
の流れは、日本側と全く同じ。
次席指揮官スプルーアンス少将への継承は
うまくいったのでしょうか。 >>734の続き
まず、0800頃からフレッチャー少将は
ヨークタウンのSBD10機(ショート大尉)を
索敵に出す。
当時入手していた敵情は、PBYの「日本空母2隻」のみで、
残りの2〜3隻を捜索するために、北方へ向けてのもの。 >>735の続き
その後、第一次攻撃隊が帰投して、
サッチ少佐の報告から、
「日本空母3隻撃破」を確信した。
直後の0900頃に、ヨークタウンのレーダーが
敵編隊の接近を探知し、敵の「第四の空母」が健在
であることが明らかになった。 [ミッドウェー海戦](日本時間6月5日0900頃)
☆(最東索敵線)
20度
☆(最西索敵線)
280度 ▽ヨークタウン(フレッチャー少将)
┏→ ▽エンタープライズ(スプルーアンス少将)
━▲日本軍攻撃隊 ▽ホーネット
255度
▲第四の空母
(飛龍)
×(赤城)
×(加賀)
×(蒼龍) >>737の続き
0908時、ヨークタウンを発見した小林艦爆隊は
これを攻撃、3発を命中させた。
そのうちの一弾は、煙路内で爆発したため、
一部のボイラーが損傷し、0928時には機関停止した。 >>738の続き
この後、ヨークタウンは驚異的なダメコン能力を発揮し、
続く友永雷撃隊が「無傷の敵空母」と判断するほどの
復旧を見せるのですが、
被弾当時は、発生した火災によりレーダー及び
無線設備が使用不能となり、また猛煙により
発光信号も使えなかった。 >>739の続き
これでは、作戦指揮を行うことは出来ないと、
フレッチャー少将は、0934時には司令部移乗を決意し、
約1時間後の1024時には、重巡アストリアへ将旗を掲げた。
さて、この「空白の1時間」、次席指揮官である
スプルーアンス少将は何をやっていたのか。
指揮権の継承は、滞りなく行われたのでしょうか。 >>740の続き
この間、スプルーアンス少将が何をしていたかと言うと、
エンタープライズとホーネットの二空母は、日本軍攻撃隊の
来襲を避けるため、離脱を図り、CAP(戦闘空中哨戒)を上げて、
防空を強化した。
一部の戦闘機は、ヨークタウンの直衛に派遣されている。 >>741の続き
また麾下の水上艦艇から、
重巡ペンサコラ、ヴィンセンス、駆逐艦ベンハム、バルチを
救援に向かわせた。
肝心の攻撃隊は、発進させていない。
阿部少将の攻撃命令を受け、直ちに艦爆隊を出した
山口少将とは対照的ですね。 >>742の続き
・・・と言いたいところですが、
当時、米空母は第一次攻撃隊を収容した直後であり、
さらに、先に紹介したとおり(>>414)
順番待ちをしていたレスリー隊は、ヨークタウンに
着艦できなくなったため、彼らも収容しなければならない。
とても攻撃隊発進どころではないですね。
そもそも、準備が整った機体を用意できていなかったでしょう。 >>743の続き
現在、主題としている
「米海軍の組織力の弱さ」
本職が指摘したいのは、ここからの両司令官の動きです。 >>744の続き
上記のとおり、
フレッチャー少将が重巡アストリアに移乗を終えたのが1024時、
ヨークタウンの被弾(0908時)から、約1時間後です。
日本艦隊においても、赤城が被弾(0725時)から
軽巡長良への移乗完了(0850時)まで、約1時間半。
日米ともに、司令部が移乗するには、これくらいの時間が
かかるのでしょう。 >>745の続き
かくして、フレッチャー少将は再び指揮を執れる情況に
復帰した。
彼が最初にすべきことは、何でしょうか。
何度も繰り返しになりますが、
>フレッチャー少将にとっての最優先事項は、
>「第四の日本空母を捕捉攻撃すること」 >>746の続き
そして第四の空母の位置は、索敵情報は無いものの
レーダーが探知した敵編隊の来襲方位から、
「255度方向、100浬以内」
と推測される。
日本側の場合、すでに飛龍艦爆隊の発進準備が完成していたので、
阿部少将の攻撃命令は、直ちに実行に移されました。 >>747の続き
同様に、フレッチャー少将も
第四の空母に対する攻撃を決意しなければならない。
もちろん、ヨークタウンは被弾し、かつその飛行隊も
TBD隊→第一次攻撃で全滅
SBD隊→VS(ショート隊)のうち10機は索敵に発進中、
VB(レスリー隊)は、エンタープライズに収容
手持ちは、SBD7機程度なので、
とても攻撃隊編制は難しいでしょう。 ヨークタウン被弾で先任指揮官のフレッチャーが一時的に指揮をとれなくなっても
次席指揮官のスプルーアンスは独断で攻撃隊を出すわけにはいかないの? >>749 もちろん、いけますよ。
事実、この後、SBDの索敵報告が入ったとき、
スプルーアンス少将は”独断で”飛龍攻撃隊を出しています。 >>748の続き
自部隊(TF17)に兵力が揃わない以上、
フレッチャー少将がやることは、唯ひとつ、
スプルーアンス少将に対して、
「西方の敵空母を攻撃せよ」
と命じることですね。 >>751の続き
ただ、このように命じられたからと言って、
エンタープライズとホーネットから、第二次攻撃隊が
”即時発進”できたかどうかは、また別問題。
敵機の来襲に警戒しつつ、
ヨークタウンの所属機まで収容した格納庫内で
攻撃隊の準備を進めることは、手間がかかるでしょうし、 >>752の続き
重巡アストリアからでは、ヨークタウンと違って、
通信設備の関係から、うまく伝達できないことも
考えられる。
しかし、この状況においては、
「次に我々は何をすべきか」という大方針を
全部隊に周知させなければならない。
それが艦隊指揮官の仕事なのです。 >>753の続き
現に南雲長官は、軽巡長良へ移乗を完了し、
最初にやったこと(第一番電>>732)が、
今後の行動予定を全軍に通達することだった。
非常時においても、指揮系統を維持するのが
組織力ですね。 >>754の続き
では、この間、フレッチャー少将が
何をやっていたのかと言うと・・・
実はよく分かりません。
『モリソン戦史』などの海外の著作を読んでみても、
特に記述は無し。
この後すぐに、飛龍を発進した友永雷撃隊が来襲するので、
その経過を記されているのがほとんどですね。 >>755の続き
ただフレッチャー少将は、すでにヨークタウンから退去して
重巡アストリアに移って、指揮を執っていた。
日本軍の攻撃隊は、ヨークタウンに集中するので、
外から第三者の視点によって、冷静に状況判断が
できそうなものですが、いずれにせよ推測の域を出ない。
今読み進めている、フレッチャーの自伝に、そのあたりの
解説があればなぁ・・・と思ったりします。 フレッチャーの自伝なんてあったっけ?
対日戦を指揮したアメリカ海軍提督で自伝・回想を書いたのは、
キングとハルゼーだけでは?
ニミッツは一切何も語らず、ニミッツ死後に妻が日記代わりの手紙を
ほとんど全部、焼却したくらいだし。 >>757 おっと、自伝じゃなくて伝記でしたね。>>475
失礼しました。 >>756の続き
一方のスプルーアンス少将はどうでしょうか。
こちらの方は、さらに問題で、
友軍が攻撃されているのを目の当たりにしながら、
自ら行動を起こそうとしない。
彼が山口少将と並び称される”名将”だったなら、
まさに「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」
と、具申すべき状況ですよね。 >>756の続き
「索敵報告が入るまで待つ」(>>715)
などと悠長なことを言っていては、
”専門家”の皆さんから、
>完全に準備が整わなくて、出来上がりは拙くても、迅速果敢に事をなせ。
>即戦即決こそが勝利につながり、
>航空戦では、相手より一歩先んじた者が勝負を制する。
と、無能提督の烙印を押されてしまいますよ、レイモンドさん! >>760の続き
だいたい、その索敵報告にしても、
索敵範囲は280度〜20度なのに対し、
敵機の来襲方向は255度で大きく外れており、>>737
どれだけ待ったところで、報告が入るわけはないのです。
どう見ても、彼らは空母戦に向いてないですよね! >>761の続き
このあたりからうかがえるのは、
「フレッチャーは、索敵の発進をスプルーアンスに知らせていたのか」
「スプルーアンスは索敵の詳細を知っていたのか」
疑問がわいてきますよね。
米海軍の組織力の弱さ、連携の悪さが
如実に表れています。 >>762
元水雷屋のスプルーアンスに無茶言うな! >>763 ほら、やっぱり空母戦に向いてないでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています