>>10
これはどちらかと言えばサツマーと言うより肥後藩の風習だったらしいですね。

流石に男装して武芸や相撲を嗜んだ本格的な男の娘()はある程度の身分や家柄の娘でないと
なれなかったそうですが、そうやって凛々しく育った侍娘らは、宝塚のスター宜しく
同郷の女の子らにもモテモテだったそうで。

そして肥後潘と言えば、かって相撲の総本家と言われた吉田司家の在地でもあり、大変
相撲の盛んな藩であったので、細川家の
殿様が大阪から度々力士を招き寄せ、御前相撲も執り行っていましたが、大相撲の力士が
土俵で娘侍らに稽古を付けさせたり、女力士らを招いて女相撲場所をやったりしたそうです。

もちろんその場合も基本マワシ以外の物は着用しなかったそうですが。