戦艦信濃や超大和型の想像図って基本的に大和型と同じ艦橋になってるけど、もし開戦が回避されてこれらが竣工してたなら、意外と英戦艦風の巨大箱形艦橋になってた気がする。
大和型の計画時ににはダンケルクが欧州の最新戦艦だったからダンケルク風になってるけど、1940年代となれば、KGVやヴァンガードが最新型になってるんだからそっちに合わせるんじゃなかろうか。
大和型の艦橋はどう見ても狭すぎるから、平時なら改善要求が出ていたと思う。
軽巡並の艦橋スペースに戦艦幹部と艦隊司令部を同居させるのはかなり無理があったんじゃなかろうか。
レイテ戦終盤で栗田中将が憔悴しきってたのも艦橋の居住性の悪さと無縁じゃ無いと思う。 
戦前の演習では長門の羅針艦橋に台を設置して司令が仮眠を取ることもあったらしいが、大和艦橋にはそんなスペースは無さそうだしなあ。